第五十七話 フェシリア 後編
ブルクハルトは次期国王を約束された立場だった。恵まれている環境のはずなのに何故なのだろう。いや、寧ろそれがプレッシャーだったのか?
フェシリアは「そうですね」と呟き、お茶請けの菓子を一つ摘んだ。その菓子は他のと比べて少し大きめだが、形は歪である。
「ここからはわたくしの推測に過ぎませんが……、父は叔父上様……自分の弟に引け目を感じていたのではと。叔父上様は実は父より精霊力が高いのです。ですが国王というよりは作物品種改良の研究の方ばかりに重きを置き、精霊様のことやこの地が抱える問題、派閥など王として学ぶべきことに対して消極的だったそうです。王家の象徴する白の上着より、硏究衣の姿がしっくりくると言っていましたわ。だからお祖父様は王族としての教育は最低限にして研究者として叔父上様を育てられました」
叔父であるフリードリーンとの交流場面を思い出したのかフフッと笑った後、その持っていた菓子をぱくりと一口で食べた。そしてもう一つ菓子を摘んだ。先程より小ぶりであるが均整のとれた形である。
「精霊力は少し劣りますが、父は人の上に立つため、精霊のために努力を惜しまなかったと聞いています。お祖父様は父ならばより良く導くだろうと思い、次期国王と決めたそうです。ですが、それは父には伝わってなかったのかと」
「コンラディン様は伝えられなかったのですか? その、ブルクハルト様に」
「お祖父様が決定時にどうおっしゃったのかはわたくしは知りません。ですがお祖父様は後悔されてました」
そう言ってどこか寂しそうに摘んだ菓子を食べた。そして茶を持ち、ゆっくりと飲んだ。その後手持ち無沙汰にカップに目を落とし、揺らす。
後悔していたというのはあの事件があってからだろう。コンラディンがどのようにブルクハルトに伝えたのかは当事者しかわからないということか。またブルクハルトの正確な心情は彼自身しか知らないのでフェシリアの話は推測の域を出ない。
「……聞きづらいお話を聞いてくださりありがとうございました。話が逸れてしまいましたわ」
「いえ……」
寧ろ話しにくい内容をよく話してくれたなと思う。わたしは気まずさから俯く。
「それで、えっと……、ですのでシュルピス以外は父と関わることがありませんでした。そしてシュルピスはまだ二歳です。ですので子どもたちは今後のために残す方向で進めたいとのことです」
わたしが俯いたことを気にしてフェシリアは明るく努めて話す。顔を上げると彼女は笑顔であるが、どこか困ったものが見える。
「ブルクハルトの罪は公表すべきだとわたくしは思っています。この国を大切に想うお祖父様を害そうとしましたから。ですが今は人の手も精霊力も足りないのも事実ですわ。だからお祖父様の判断は事実は伏せたまま保留となります。今回の儀式の後に処分を判断、ブルクハルトの死の公表となります」
そう言い切ってフェシリアは茶を飲み切った。音も立てずにカップを机の上に置く。彼女の表情は変わっていない。
「ですのでわたくしには猶予ができました。死ぬまでにせめてお祖父様の願いだった精霊との邂逅のために動きたいのです。少ない力ですが」
そしてフェシリアは元通りの微笑みを浮かべた。
「オフィーリア様はご自身の能力を活かしてここにいらっしゃる。初めてオフィーリア様のお話をお祖父様から聞いた時、本当に驚きましたの。そして同じくらいの年の女の子なのにと尊敬いたしました。ですがわたくしは年齢や性別で『できない』『無理』と当てはめてしまっていたのではないかと思い知らされたのです。だからわたくしも足掻けば何かできるのではないかと思いました。そう気付かせてくれたオフィーリア様には本当に感謝いたしますわ」
フェシリアはにこりと笑った。
ああ、このご令嬢は強く美しい人だ、と思い知らされた。フェシリアは気付かせてくれたわたしを慕っていると言ったが、わたしは生きるために、自分のためにただ必死なだけだった。フェシリアのように他者や国のためになんて崇高な考えからでは決してない、はずなのに。
「わたくしはそんな尊敬される人間ではなく……」
「いえいえ! 解読の力、精霊力の高さ、それは尊敬に値しますわ!」
否定しようとしたところでフェシリアは首をブンブンと横に振る。本人が違うと言うのに何故だろう。
先程までシリアスな場面だった気がするのに、フェシリアは大きな黒の瞳をこちらに向けてキラキラと輝かせている。若干頬を紅潮させてるように見える。おかしいなと首を傾げてしまう。
「そんな素晴らしいお方のお傍で伝統的な儀式を行えるなんて……わたくしは本当に幸せですわ……」
うっとりとした表情で語るフェシリアにわたしは黙るという選択肢しか選べなかった。イディはそんなフェシリアの様子を見て、ぼそりと『ある意味リアに似てる……』と呟いたが、それは聞かなかったことにする。断じて似てない。酷い、イディ。
そんなことを考えていると、暴走状態のフェシリアはわたしに紅潮した顔をズイッと近づけてきた。
「ですので! わたくし、とても頑張りますから、もし上手くいきましたら、その…ご褒美、を頂けませんか?」
「ご褒美ですか?」
「はい!」
大きな肯定の後、フェシリアは恥じらっているのか目線を斜め下に下げた。膝に置かれた手がそわそわとしている。ご褒美って何だろう? 統一前の文献とか? わたしに用意できるものだと良いのだけれど。
「あの……オフィーリア様とお揃いのものを身につけたいのです!」
「お揃い? フェシリア様とですか?」
「はい! ……駄目ですか?」
「ええっと……」
潤んだ目で見上げられて返答をどうすべきか悩む。王族の方とお揃いって良いのか? いや、駄目だろう。普通に考えて。装飾品を贈るだけでとても気を遣ったのに、お姫様と弱小領地の令嬢がお揃いのものを身につけていたら何を言われるか。特に仮の婚約者に負担をかけるわけにはいかない、というか知ったら呆れた目を向けられ、怒られるに決まっている。それは回避したい。
でもどうやって断る? というか王族相手に断って良いの? 駄目だよね?
ぐるぐると考え、フェシリアの提案を飲むしかないのではと思い始める。
考え込んでいる時間が長くなってしまったのか、どんどんとフェシリアの眉が下がっていく。
「お揃いがあれば、苦しいことがあってもこれから頑張れそうな気がするのです……」
「う……」
真ん丸の瞳を向けられ、言葉に詰まる。そんなことを言われたら了承するしかないじゃないか。
イディに意見を求めようと彼女の方に視線をやると『腹を括ったほうがいいわ』と溜息をつきながら言われた。まあもう言われた時点で断れないか、と覚悟を決めた。
「わかりました。ただ今すぐには用意できないのでジャルダンに帰ってからでいいですか?」
「まあ! オフィーリア様が用意してくださるのですか?」
「え、ええ。そうですね。どのようなものでもよろしいですか?」
「ええ! お揃いであるならば何でも!」
フェシリアは花の咲いたような笑顔を見せる。とりあえずこちらで用意した方が困ったものにはならないだろう。髪飾りなんて用意された時には周りは慌てるに違いない。ジャルダンに帰った後、周りに相談して用意しよう。目立たないものならまだマシだよね。きっと怒られるだろうが、状況的に仕方がない。諦めの気持ちを抱えてわたしは笑みを浮かべた。
まあでも辛い立場にいるフェシリアを笑顔にできたから、良いか。わたしのダメージ半端ないけど。
そんなフェシリアの子どもらしさが残るあどけない笑顔を見ていると、ベルが鳴った。誰かが入室の許可を求めている。フェシリアが部屋の主人なので許可を出すと、彼女の側仕えが入室してきた。
「どうかしましたか?」
「ジギスムント様より伝言がありまして、アダン領の貴族の入場が完了したとのことです」
「もうそんな時間ですか。わかりました。今から講堂へ向かいましょう。準備は終わっていますか?」
「はい」
朝二度目の鐘くらいから開始だと聞いていたが、思っていたより早く始まるようだ。ジギスムントが圧をかけたのではと思ってしまうのは彼に毒されてしまった証拠だろうか。
フェシリアはゆったりとした動作で立ち上がると、「ご一緒に行きましょう」とわたしを誘う。断る理由もないので了承し、わたしも席を立った。
「王族の公的行事ですのでこちらをお召しください」
「そうでしたわね」
側仕えが差し出したのは純白の染み一つない長めの羽織。フェシリアは慣れたように腕を通し、着用した。精霊王のものとよく似ている。
「では参りましょうか」
「はい、フェシリア様」
緊張で少し強張った笑顔になっているが、頑張ってもらうしかない。わたしも気を引き締めて見守らないと、決意新たにフェシリアの部屋を出た。




