第五十六話 フェシリア 前編
フェシリアの到着に合わせて組まれた行程なので、儀式の実施は彼女が到着して二日目である。ちなみにアダン領の貴族たちには五日前に伝えられた。急な呼び出しにも関わらず、ほとんどの該当貴族が登城するのはジギスムントの人柄なのか、権力なのか。もう考えない方が疲れないと思い、推測するのをやめた。
さて、今日は二千年以上ぶりにラピスが考案した儀式を実施する。それに相応しい晴天である。わたしは緊張高まる鼓動を感じつつ、その空を見上げる。
『いよいよだね。うまくいくと良いんだけど……』
『大丈夫だよ、ジギスムントが付いてる』
『それも不安だワ……』
隣でイディとクロネが談話しているのが聞こえる。クロネは飄々とした様子だが、イディは肩を強張らせている。緊張気味のようだ。
朝一度目の鐘が鳴ってから少し経つ。そろそろアダン領の貴族たちが登城して講堂に入っていくだろう。ジギスムントはその対応に追われているので客として扱われているわたしは自室で待機である。ちなみにクロネは単に暇だからこちらにやってきているだけだ。
手持ち無沙汰なので解読でもしようかと思ったところで入室の許可を求める鈴が聞こえた。おそらくフェデリカだろうと思い許可すると、フェデリカと見知らぬ貴族女性が見えた。何かあったのかと思いながら用件を尋ねる。
「フェシリア様が儀式の前にお会いできたらとおっしゃっております。難しければ断っていただいて良いとも……」
フェデリカはそう言ってちらりと隣の女性を見た。その様子から王族の誘いだから断るのは駄目なのだろう、とすぐに理解する。わたしは対外用の笑顔を貼り付けた。
「わかりました。フェシリア様のお部屋にお伺いすれば良いかしら?」
「はい。ではわたくしは先に戻り、フェシリア様にその旨をお伝えしますわ」
わたしの返答にフェシリアの側仕えはにこりと笑うと洗練された礼をして去っていく。フェデリカはそれを見送った後、わたしの元へやってきて準備を始めた。基本的に彼女に任せておけば問題はないだろう。
『フェシリアの用事って何だろう?』
『そうね……、儀式に関することかな? でも昨日確認してたし……』
精霊たちは首を捻りながら用件を推察している。でも儀式のことは昨日の打ち合わせで話しているから、ここで呼び出されるのはまた別件なのかもしれない。
……何か気に触ることでもしただろうか。若干の焦りを感じつつ、わたしは席を立つ。王族を怒らせるのは本当に勘弁願いたい。その恐怖から動悸がする。こっそりと胸を押さえながら、フェシリアの部屋へと向かった。
「オフィーリア様、突然なお願いを聞いていただきまして本当に感謝いたします」
フェシリアの歓迎の言葉にわたしは肩透かしを食らった。怒っている感じはなく、寧ろ嬉しそうだ。ということは粗相ではないと思い至り、一安心した。後ろに控えるフェデリカも軽く息を吐いたようだ。いらない心配をかけてしまった、ごめん。でも用件は何だろうと内心疑問に感じつつ、首を横に振っておく。
「いえ……。それで儀式のことで何か心配事でもありましたか? フェシリア様」
「あの、儀式のことではないのです。儀式は儀式で緊張と不安で押しつぶされそうですが」
眉を下げてフェシリアは困った表情のまま笑う。十二歳がこんな大役をこなすことになるなんて、プレッシャー、凄いだろうなと思う。コンラディンが来られないのは仕方がないが役目を果たしてもらうしかない。だが、わたしを呼んだのはこのことではないらしい。ますます疑問に感じながらも彼女の言葉を待った。そうしているとフェシリアの側仕えがひそひそと主人に耳打ちをする。するとフェシリアはハッとした顔になり、慌ててわたしに席に座るように促した。多分だが客人を立たせたままだったので注意を受けたのだろう。
わたしは礼を述べながら勧められた椅子に座る。客室でも一番良い場所なのでものが良い。長い間座っていてもきっと疲れないだろうな。わたしが座ったことを確認してフェシリアは対面に座った。そして側仕えが慣れた手付きで茶と簡単な菓子を用意した後、彼女はフェデリカとともに部屋を退出した。
「お忙しいのに本当に問題ありませんか? フェシリア様も気を張っていらっしゃるでしょう?」
「いいえ! 寧ろオフィーリア様にお会いできて肩の力も抜けるというか……」
「ま、まあ、そうですか? それなら良いのですが……」
微笑みの中に若干の疲れが見えてフェシリアを気遣うが、彼女には必要なかったようだ。却ってジャブを受けたような気分になるのは何故だろうか、と釈然としない気持ちを抱えつつ、何とか笑顔を浮かべた。
「それで今回お会いしたかったのは報告を、と思いまして」
「報告?」
フェシリアの言葉に目を瞬かせる。報告とは何の? と疑問が生じ、小首を傾げてしまう。そのわたしの行動から心情を察したフェシリアは戸惑いの色が濃く見える笑みを見せた。
「その、ブルクハルトの処遇について、ですわ」
「あ……」
とても言いにくそうに出した言葉は考えないようにしていたものだった。フェシリアは父親と呼ばず、ブルクハルトと呼んだことからある程度察せられるが。親の処分を他者に報告させるなどどうかと思うが、乗り越えないといけないとコンラディンが判断したのだろうか。異なる価値観に驚かされる。
「ご存知だとは思いますがまだブルクハルトの死は公表していません。ありのままを伝えるべきだとお祖父様に訴えましたが、その……今の王家の状態でそうしてしまうと……」
フェシリアはとても言いにくそうに言葉を濁した。事実を公表すると、ブルクハルトの子であるフェシリアはもちろんのこと彼女の母親と兄弟が皆、連座で処刑されることになる。不穏分子を排除するという目的であるが、そうすると直系王族はコンラディンと息子のフリードリーンのみになる。有事があった時存続に大きく問題が生じるだろう。
わたしはわかっていますとアピールしながら大きく頷くと、ホッとした表情を見せた。
「叔父上様に夫人はおりますが、子はおりません。お祖父様はまだまだ現役を続けられるでしょうが、後継の誕生を待ち、育つのを待つというのが問題だと言っています。またブルクハルトの思想を受け継がないわたくしを含めた兄弟のことを考えると不憫だと思われているようで」
そこで切ってフェシリアは目を伏せた。王家の状況はヴィルヘルムから聞いていた通りだ。禍を断つために子どもたちを処分してしまうのは簡単だが、残された者たちが尻拭いをしなくてはならない。プロヴァンスの地の精霊力が衰えている今は最善ではないということだ。
わたしは気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。
「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「オフィーリア様の質問は何でも答えますわ」
「フェシリア様を含め、ご兄弟方はブルクハルト様と交流はなかったのでしょうか。親子なのにと疑問だったのですが……」
わたしの質問にフェシリアは眉を下げた。彼女の生育環境に踏み込んでいることは理解しているが、フェシリアの言い様はわたしが思う普通の親子とは異なる関係であることがわかる。
答えてもらえるだろうかと申し訳なさと不安を感じていたが、フェシリアは眉を下げたまま困ったような笑顔を見せながら口を開いた。
「聞いていて気持ちの良いものではないですが、よろしいでしょうか?」
拒絶はされなかった。わたしはこくんと頷く。
「わたくしは父の子の中で一番精霊力が低い存在です。父は娘が自分が産まれた時より低いとわかるとわたくしに興味をなくしました。ですのでわたくしの世界には父はほとんどおりませんでした。それを不憫に思ったのかお祖父様はわたくしに王族として必要な教育を施してくださいましたが。おそらく父はそのことすら興味はないと思います。だって十歳のお披露目ですら公務と言ってわたくしには付いてくださらなかったのですもの」
ブルクハルトの一面に絶句した。古城で解読作業をしていた時の様子からわかる面とはまるで違う。彼は優しい雰囲気を出し、わたしを気遣っていた。他人であるわたしにはそうできて、実子であるフェシリアには無関心だった。平民もどきのわたしですらプレベオールの養父母は大切にしてくれた。メリットがあるとは言っていたが、実子でないわたしを気にかけてくれたのは本当に奇跡である。
では何故フェシリアはそんな扱いを、と考える。その違いは精霊力の差であることは間違いなさそうだ。つまりはブルクハルトは精霊力が高さだけを重視しているということになる。
「第一子のわたくしに期待を持てなかった父は次の子、次の子……と及第点が持てる子どもの誕生を待ちました。だから二番目、三番目の子もわたくしと同様な扱いでしたわ。そして四番目のシュルピスはやっと父のお眼鏡に叶ったようです。それなりに高い精霊力を持っています。二歳なので教育自体はまだですが」
「何故ブルクハルト様はそこまで力の大きさを重視されるのでしょうか……」
ここまで固執するのは何か理由があるからだろう。遠いところを見て考える。




