第五十五話 打ち合わせ
アダンの地を踏んだフェシリアはかなり緊張した面持ちだった。青みがかった黒髪をさらりと揺らしながら武官のエスコートで車を降りてくる。そしてジギスムントを視界に入れると、堂々とした立ち姿を見せた。
「出迎えありがとうございます」
「ようこそいらっしゃいました、フェシリア様。私がアダン領主のジギスムント・アダンと申します」
フェシリアに声をかけられた後、顔を上げたジギスムントが一歩前に出て一礼をする。するとフェシリアはにこりと淑女らしい微笑みを見せた。
「ご存知でしょうが、フェシリア・プロヴァンスです。わたくし、今回が初めての訪問になりますの。ジギスムント様、どうぞお手柔らかにお願いいたしますわ」
「これだけご立派であれば問題ありませんよ。今回のご訪問、楽しみにしておりました。こちらこそよろしくお願いします」
ジギスムントはそう言いながら片眼鏡を手で押し上げた後、一瞬眉を下げる。あ、フェシリアに付いてきた精霊がいるかチェックしたな、と思い当たり、相変わらずの人だと笑顔を取り繕う。
でもさすが王族の一人である。わたしにはない厳然とした態度だ。前世のわたしが十二歳の時でもこんなにしっかりしてなかったよ。そう感心していたら、ジギスムントから視線を外し、フェシリアはこちらにぱっちりとした黒い瞳を向けると、花が咲いたかのように顔を綻ばせた。
「オフィーリア様! お久しぶりです!」
胸の前で手を組み、満面の笑みを浮かべた。先程の王族らしい姿とはまるで違う。ん? 同一人物かな?
「フェ、フェシリア様もお元気そうで何よ「オフィーリア様がアダン領に居られるから安心して来ることができましたの! ご一緒できて嬉しいです!」
困惑するわたしの話を遮ってフェシリアは駆け寄ってくると、わたしの両手をぎゅっと握った。うん、可愛い……ではなくて! 助けを求めるために視線をジギスムントに向けると、彼は忍笑っていた。この人楽しんでいるな、と半眼で睨んでおく。
「……フェシリア様、立ち話も何ですから城にお入りください。お茶を用意させますので飲みながらお話しされてはいかがでしょうか」
睨みが効いたのかジギスムントはにこにこと笑んだままそう提案する。フェシリアはわたしの手を握ったまま、ジギスムントの方に顔を向けて大きく頷いた。彼女の表情は気持ちの良いくらいの笑顔である。
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
「では行きましょう。こちらです」
ジギスムントは手で城の中を指し示し、フェシリアを導く。フェシリアはわたしの手を丁寧に放し、城の中へ入っていく。もちろん「お話楽しみですね」と屈託のない笑顔をこちらに向けてから。慕ってくれるのは嬉しいのだけれど……どうしたら反応するのが正解なのかわからない。わたしはおかしな悩みを抱えながら彼女の後を追った。
『うーん……、ワタシがしっかりしないと』
わたしの後ろでイディがそうぽつりと呟いていたのは聞かなかったことにしよう。
案内されやってきたのは、ジギスムントがよく仕事をしている執務室兼、来客対応室である。テレーゼたちがてきぱきともてなしの茶を入れ、配膳し、去っていく。今日は王族であるフェシリアがいるためか、置かれる品がグレードが一つ高いものになっている。きっと秘蔵品なのだろう。
優雅すぎる手付きで茶を飲むフェシリアはかなり絵になる。さすがはきちんと教育された王家の者である。付け焼き刃なわたしとは雲泥の差だ。ボロを出さないようにわたしもゆったりとした気持ちを心がけて茶を一口含んだ。
「とても美味しいお茶ですね、ありがとうございます」
「気に入られたようで良かったです」
ジギスムントがにこりと笑った。フェシリアはある程度飲んだのか、カップを机の上に置いた。そして畏まって背筋を伸ばした。
「さて、人払いも済んでいますし、今回の訪問の本題に入りましょう。儀式のことです」
真剣な表情から彼女の真面目な性格が伺える。ジギスムントは儀式という言葉に心を奪われたのか、口を半開きにしている。それを見た隣のクロネが焦ったのか彼の肩を大きく揺さぶって注意している。
「フェシリア様はコンラディン様から儀式の詳細をお聞きになられたのでしょうか?」
「はい、必要な道具も預かっております。……こちらです」
わたしの問いかけにフェシリアは真っ直ぐな瞳を向けながら頷いた。そして目を閉じる。するとふわりと真白の雪のような光を周囲に振り撒きながら一つの聖杯が現れ、フェシリアの手の中に収まる。その杯の中心にはアダンの色である灰色の石が埋め込まれていた。これは、わたしが精霊王と作成した時の属性を持つ力の器である。
「これは精霊王プローヴァ様から賜ったという力の器です。今回の儀式で使用します」
「これが……力の器……! 何と神々しいのでしょう! ああ、もっと近くで見せてく「ジギスムント様!」
今話している相手がフェシリアだということがすっぽ抜けているのか、ジギスムントは平常運転である。わたしは彼の名を呼んで窘めた。
フェシリアはきょとんとした表情でジギスムントを見つめた後、再び微笑みを浮かべた。切り替えが早い。
「儀式にしか使いませんので害はないことをお知らせしておきます。あとで儀式を行う会場を見せていただけませんか? 下見をしておきたいのです」
「わかりました。後ほど案内しましょう」
「ありがとうございます」
了承の言葉にフェシリアはホッとしたのか胸を撫で下ろした。
「念のため流れを確認してもよろしいですか? わたくしにお手伝いできることはあるかと思いまして」
わたしの言葉にフェシリアは、はいと言って頷いた。そして部屋の外から自身の側仕えを呼び寄せ、木簡を受け取った。フェシリアはそれを机の上に置く。この世界で一般的に使われるプロヴァンス文字で書かれている。
「アダン領に住まう貴族の皆様を集め、精霊を想い感謝し、この地の繁栄を力の器に向けて祈る……というのが主です。お祖父様がいらっしゃればプロヴァンスのお話もされたでしょうが、まだまだ未熟なわたくしでは満足できるお話はできないでしょう。これが当日の流れです」
「……ふむ、鐘半分くらいで終わりそうですね」
ジギスムントは木簡を手に取り読みながら言う。その後わたしも見せてもらい確認する。ジギスムントの言う通り、話を聞いて祈りを捧げるくらいだからそこまでの時間は必要なさそうだ。朝二度目の鐘から始めたら昼前には終えられるだろう。
「ジギスムント様には準備をお任せすることになってしまいましたが、これで精霊復活のために動くことができます。本当に感謝申し上げますわ」
フェシリアは可愛らしい微笑みをこぼしながらジギスムントに向けて美しい礼する。ジギスムントは表情を緩め、首を横に振った。
「全ては精霊様のためですから問題ありません。寧ろこの記念すべき尊き行事に私が立ち会えることに感謝いたします! 祈りを全力で捧げさせていただきますね!」
顔は貴族の微笑みだが、若干興奮しているのだろうか。語尾に近づくほど彼の声は力強かった。フェシリアはフフッと令嬢らしく優雅に笑むとまたカップを持ち上げ、一口茶を飲んで一息ついた。
「それで儀式の後のご予定はいかがされますか? アダン領の滞在は今日を含めて三日と聞いておりますが……」
コンラディンからの手紙にはそう書いてあったのかと初めて知り、わたしはぴくりと反応してしまう。かなり予定が詰まった行程だと思いながら、わたしも用意された茶を一口、二口と口に含んだ。香りが高く温まる。ジギスムントの質問にフェシリアは笑みを保ちつつ、こちらに目線を向けた。
「明日は儀式の後、今後の見聞のためにアダン領を少し回ろうかと。明後日も時間が許すなら同様にと考えております。……よろしいですか?」
「ええ、ええ! もちろんですよ!」
「それならば簡易でも良いのでアダンの地図をいただきたいのですが……」
「もちろんです! 後で用意させますので!」
ジギスムントの快諾に安堵したのか笑顔が柔らかくなった。おそらくフェシリアは儀式の後、このアダン領中を周り、石柱に集めた精霊力を捧げていくのだろう。ただこのことはジギスムントには伏せたかったようだ。
しかしジギスムントはこの言葉の真の意味を理解しているので、この配慮は意味を成さない。彼は土地が精霊力で満たされ、精霊に会うための一歩だと思っているのでかなりご機嫌である。王族であるフェシリアの前なのに鼻歌を今にも歌いそうだ。
そんな花畑全開のジギスムントを微笑みながらスルーしてフェシリアはゆっくりと立ち上がる。
「……では会場を見せていただいてもよろしいですか? 実際どのような形で行うのか試してみたいのです」
「わかりました、案内しましょう。……テレーゼを呼んでください」
ジギスムントはすぐに立ち上がり、テレーゼを呼ぶ。しばらく経ってから彼の側仕えが現れると、用件を伝え、わたしたちは部屋の外へ出て行った。
その後、フェシリアは講堂に入り、置かれた講壇や椅子などを念入りに確認していた。もしかするとこの講堂の情報を得ていたのかもしれない。そんな雰囲気がある確認の仕方だったのだ。
そしてひとしきり見た後、フェシリアはわたしの手を取って、「当日は最前列でわたくしのことを見守ってくださいませ!」と向日葵が咲いたような眩しい笑顔を見せられたのでわたしは戸惑う気持ちを隠しながら頷いておいた。その返答にフェシリアは大層満足したのか、「よろしくお願いしますね」と念押しして部屋へ戻って行く。一連の流れを見ていたジギスムントは「好かれていますねえ」とぽつりと呟きながら薄ら笑っていた。その表情に少し腹を立てて「プローヴァ様のお話はまた今度で」と笑顔で言い放ち、少し鬱憤を晴らしてしまったが。




