第五十三話 儀式の相談 後編
その不満げなわたしの表情を見てヴィルヘルムは大きな溜息をついて額に手を当てる。
「今、ここはどこだ?」
「どこってここは……あ」
気づいた時にはすでに遅し。わたしは油を刺していない機械のようにギッギッギッと首を動かし、後ろを見る。顔が引き攣っているのがすごくわかる。
「これは……文字でしょうか? しかも精霊力に満ちていますね」
『リアってば……』
呆れ顔のイディとシヴァルディ、キョトン顔のクロネ、そしてほくほく顔のジギスムントがこちらを注視していた。わたしは彼らと自分の周りに浮かぶ黄金に輝く文字を見て、サーッと血の気が引いた。やってしまった!
「時と場所は弁えなさいと言っていたのに……ハア」
「本当にすみません……」
また盛大な溜息を吐かれてわたしはしょんぼりと項垂れながら宙に舞う文字を消す。
だってそこに文字があったらすぐに解読したいじゃん。しかもまだまだ解読の余地ありの精霊殿文字だよ? わたしの解読があってるか確かめたいじゃない。
しかし今まで何度も注意されていたのにも関わらずまたやってしまったので、少しだけ落ち込んだ。今回相手がジギスムントとクロネだったから良かったものの……って本当に良かったのか? 少し疑問が残るが、わたしの秘密をある程度知っているから良しとしておこう。
「素晴らしい力ですね。クロネフォルトゥーナ様やシヴァルディ様を目覚めさせたその力はかなりのものだと思っていましたがここまでとは……」
感心しながらしみじみとジギスムントは言う。クロネも見事だと言わんばかりにほーっとわたしを見つめている。わたしは恥ずかしさから逃げたい気持ちに駆られていた。
「叔父上だからオフィーリアの精霊力の高さはある程度予想していたでしょうが、彼女はコンラディン様より多くの力を持っています。ただ文字になると見境が付かなくなるのが大きすぎる欠点です」
「欠点って……」
「本当のことだろう?」
「う……」
ヴィルヘルムに指摘されて返す言葉がない。わたしは何か言わないとと必死に頭を働かす。このまま言われっぱなしなのは何だか悔しい。
「で、ですが! そこに知らないことがあれば知りたいというのが人間の摂理でしょう? だってここにはクロネ様の──「クロネフォルトゥーナ様のことが書かれているのですか!?」
わたしの渾身の言い訳に被せてきたのはジギスムントだった。彼はキラキラとした濃灰色の瞳を見開いて頬を赤く染めていた。かなり嬉しそうである。
「もしやもしや! ここの壁には我がアダン領の象徴であるクロネフォルトゥーナ様のことが書かれているのですか? そうなのですね? ああ! 何故私にはこの壁に書かれた文字が読めないのでしょうか! 読めたのならクロネフォルトゥーナ様の素晴らしさを客観的な視点で知れたのに! ……はて、このアダン領にクロネフォルトゥーナ様ということは他の領地にはまさか他の精霊様のことが!? ああ! 私は──『ジギスムント』
早口で語るジギスムントを諌めるようにクロネは短く彼の名を呼んだ。その途端ジギスムントの動きがぴたりと止まる。クロネは胸の前で腕を組んで膨れっ面になった。
『暴走しないって約束したでしょ?』
「はい……申し訳ありませんでした……。ですが」
クロネに叱られてジギスムントの目は悲しげな目つきを見せた。だがわたしのところへ近づいてわたしの手を取った。
「そこに書かれたクロネフォルトゥーナ様のことが分かれば教えてください。そして私にこの字を教えてください、後ほどでいいので!」
その目は真剣そのものだ。本気である。
ん……? ということはここの壁文字を読んでもいいってこと? うわ、所有者公認だ! しかも精霊殿文字の素晴らしさをプレゼンできる機会が訪れてるのでは?
ジギスムントの言葉から一気に幸せな気持ちになったわたしは満面の笑みを向けて大きく何度も頷いておいた。この文字の素晴らしさがわかるなら喜んで教えますとも! わたしの返事にジギスムントは喜びに満ちた顔で「ありがとうございます」と感謝を述べる。これで初めての解読仲間を作れるのではと感じたところで、ヴィルヘルムはそれを断つかのようにジギスムントの手を「離しましょう」とはたき落とした。解読仲間に何ということを。
「……ふふ、まあいいでしょう。それでヴィルヘルム、オフィーリア、どうですか? 講堂には何か仕掛けなどはありますか?」
ヴィルヘルムを見ながら怪しげな笑みを浮かべつつ、ジギスムントは当初の目的を思い出したのか口にする。いろいろと話が逸れてしまったが。わたしは講堂を一度見渡した。
創世記や精霊のことが書かれた壁文字、ステンドグラスのような高そうなガラス、講壇、たくさんの長椅子……、見た感じでは特に変わったものはない。
では精霊力は? わたしは目を閉じて自分を中心に力を広げていく。イディの橙の炎、ヴィルヘルムとシヴァルディの翠の炎、ジギスムントとクロネの灰の炎……大小さまざまな力の源が視える。もっともっとと広げていくと、何か引っかかった。
「講壇が」
「講壇? あれのことですか?」
わたしの呟きを拾ってジギスムントがそれを指差した。さまざまな色で作られたステンドグラスの近くに人一人が使えるくらいの台が一つあった。講演する際に使用するためにあるのだろうと思っていたけれど、それに精霊と作った道具のような力を感じる。わたしはパタパタとそれに駆け寄って触れる。
……うん、白い炎ということは王族の力だ。
確信を得て、どういう道具なのだろうか。儀式に関係するものだといいな、と思いながらわたしはその講壇を調べ始めた。少し遅れて駆け寄ってきたヴィルヘルムたちもそれに何かあるのかといった表情で講壇を見つめていた。
「特に変わった感じはないなあ……」
「それに力を感じたのか?」
「はい、白の精霊力を微かに。何か仕掛けがあるかなと思ったのですが……」
「どれ」
わたしの話にヴィルヘルムは講壇を調べ始める。ジギスムントも興味津々な様子だ。立ち位置を変えたり、しゃがんだりしてさまざまな角度から調べてくれた。
「この凹みは?」
「え? 凹み?」
ヴィルヘルムは指すのはわたしからは見えない台の上の部分だった。身長がそれほど高くないので見えなかった。彼は不思議そうにその凹みの部分をさすっている。するとジギスムントは何かを思い出したのかポンと手を叩く。
「この凹み、ずっと何だろうって思っていたのです。飲み物の器を置くには大きすぎますし。精霊様関連だとは思っていたのですが、我が城中のものを探してみてもそれに合う大きさのものが見つからなかったのです」
「ではここに何か仕掛けがあると見ていいが……」
そう言いながらヴィルヘルムは首を捻っている。うーん、もし儀式関連ならその道具を置く場所だろうか? と考えたところで、「あっ」と声が漏れる。わたしの声に反応してヴィルヘルムが言葉の続きを促してきた。
「もしかすると力の器を置く場所かもしれません。作った時このくらいの大きさでしたから。でも合うかはわかりません」
わたしは手で力の器の大きさを表現した。確かあれは杯のような形だったから底を嵌められるのかもしれない。でも実物は精霊王が持っているだろうからここではとてもではないが出せない。ジギスムントが歓喜のあまり失神してしまいかねない。それは困る。
わたしの話にヴィルヘルムはふむ、と考え込む。
「……その可能性は高いな。それならば少し力を流してもらってもかまわないか?」
「はい」
精霊殿にあるものであるし、王族の象徴である白色の精霊力がこもっているのでおそらく危険はないだろう。わたしは頷くと、背伸びをして凹みの近くに触れようと手を伸ばす。
「仕方ないな」
手が届いていないのを見かねてヴィルヘルムがわたしをひょいと抱え上げる。わたし、なかなか大きくなってるけど重くないのかなと思いながら、凹みを確認し、そこに触れた。そして目を閉じ、集中を高めていく。ポッと小さな白い炎が灯っているのがわかる。わたしはそれに向けて精霊力を少しずつ注いでいった。
抜き取られる感覚はない、と安心してしばらく注ぎ続けているとジギスムントが眉を寄せた。そして自分の体をまじまじと見始める。何かあったのかと台に注ぐのをやめた、その時。
「きゃっ!」「うわっ!」
わたしが触っていた凹みから何かが逆流してくる。そしてわたしの手を押しのけて噴水のようにピューッと吹き出した。それはキラキラとした粒子だった。まるでイディたちが現れたときのような──。その粒子は重力に従って上から舞い落ちたかと思うと、粉雪が溶けるように消えてしまった。その美しさに思わず見惚れてしまう。
『これは……精霊力、ですね』
シヴァルディが雨を感じるかの如く手を伸ばしながら言った。クロネも同様に頷く。
わたしはもう一度凹みを見るが穴のようなものはなさそうだ。ということは二人が言うように本当にあの粒子は精霊力なのかな? ヴィルヘルムはわたしを下ろし、また考え始める。するとジギスムントは「あの」と一言切り出した。
「ここに立っていたら体の中から力を吸われる感覚がしました。……ということはこの部屋にいる人間の精霊力を吸い上げたというのが自然ではないですか?」
「叔父上、私にはそんな感覚は……」
「おそらく私が一番精霊力量が少ないので感じやすいのだと思います。ヴィルヘルムは気付けないのでしょうね」
ジギスムントはヴィルヘルムの言葉を否定し、首を振る。
「……ということはここに力の器を置いて吸い取ったのを集めるのでしょうか?」
わたしの言葉にヴィルヘルムは腕を組み、少し考え込む。そして「そうかもしれない」と小さく頷いた。するとジギスムントは踵を返して出入り口の近くへと進んでいく。一体何を、と言いかけたところで彼はぴたりと止まり、振り返った。
「少し実験したいです。場所によって違うのか、同じなのか……。お願いできますか?」
ジギスムントの言葉にわたしは頷いた。ヴィルヘルムもその結果が気になるのか、わたしをひょいと持ち上げた。もう一度わたしは凹みの部分を触って自分の精霊力を流した。
結果的に言うと、ジギスムントの予想は合っていた。場所によって吸われる感覚は異なっていた。前に行くほど吸われる量は多く、後ろに行くほど少ない。つまりは前の方に上位、後ろに下位の貴族を座らせれば枯渇して倒れる問題は解決できそうだ。
わたしはこの講堂をじっと見つめて言った。
「……本当にここが儀式を行う場だったのですね」
「ああ! 早く神々しい儀式が見たいですね! コンラディン様はいつ来られるのでしょうか……」
ジギスムントはうっとりとした笑顔を浮かべている。ヴィルヘルムは苦笑い気味だ。
とりあえずはこれでこちらが準備すべきことは終わったと思う。あとは人が集まり、儀式で力を集め、それをこの地に還元するだけだ。もうすぐだ。
文字好きと精霊好きがいると話が進みません。ヴィルヘルム、帰らないでほしいです。




