第四十三話 帰領に向けて
本来なら会議も終わったのなら、自領のこともあるのでできるだけ早く帰るのが普通だ。
しかしコンラディンは精霊の手がかりを掴みたいので、情報持ちのわたしたちがプロヴァンス領から離れてほしくないのだろう。わかるんだけど! でもヴィルヘルムは領主経験も浅く、領地のゴタゴタを解決してそこまで日も経ってない。早く帰りたいが本音だと思う。わたしは未解読文字があればどこでも行くが、今のところジャルダン領にある統一前の資料が未解読文字発見の近道だと思っているので、それを踏まえるとわたしも帰りたい。帰って見つけて部屋に閉じこもりたい。
「できるだけ帰領したいのですが……その」
「煩わせてしまって申し訳ないが、あと……数日残ってもらうのは可能だろうか」
コンラディンにそう言われると「はい」寄りの返事をするしかない。ヴィルヘルムの内心はきっと困っているだろうが、さすがにそれは顔に出さず、「……では」と口を開いた。
「コンラディン様の願いを全て聞き入れたいのは山々なのですが……、あと、そうですね……五日ではどうでしょうか。ジャルダン領はまだ交代から安定しておらず、仕事の分配が十分適切とは言えないのです」
相変わらず王様相手に交渉しようと強気だな……、とある意味感心してしまうが、わたし自身もその日程がこちらができる最大限の譲歩だと思う。さすがにこれ以上領地を空けておくのは問題だと思うし。
ヴィルヘルムの願いにコンラディンは少し考える素振りを見せると、「わかった」と頷いた。
「いくつか案があってな。五日以内にそれを試して無理であったら、一度帰領してくれ。また後での連絡手段は帰領前に相談させてもらう」
「わかりました」
案って何だろう、と内心小首を傾げるが、尋ねることもできず、わたしは二人のやりとりを見つめていた。
最後に「あと何度か力を注ぐことにする。また連絡する」とコンラディンが告げたところで今日の相談会はお開きになった。
無事に王都の別邸に戻り、息をついたところでヴィルヘルムに呼び出される。お茶の用意をしようとしていたフェデリカは「ではヴィルヘルム様のお部屋でお菓子をお出ししますね」とにこやかに微笑む。わたしは「ありがとう」と礼を言い、身支度を軽くしてから彼の部屋へと向かった。
『今日はいろいろと……濃かったわね。ワタシ、聞いててどうなるんだろうってヒヤヒヤしたよ』
道中、ずっと控えていたイディが現れて肩に乗る。今はフェデリカたちがいるので声を出すことはできないのでわたしは曖昧に微笑んでおいた。それだけでイディには伝わったようで、彼女も困った顔で笑っていた。
『でも……最後のコンラディンの案って何だろうね? 何か面白いことでもするのかなー?』
イディはうーんと考えながら呟きのようにそう言っていると、ヴィルヘルムがいる部屋へと到着した。フェデリカは到着の旨を伝え、入室の許可を得るとわたしを入室させた。どうせ排されることがわかっているからか、フェデリカは「後ほどお茶とお菓子をお持ちしますね」と微笑んだ後、扉を開けたまま去っていく。
中に入ると、ヴィルヘルムとシヴァルディがいた。
「帰って早々呼び出してすまない」
「いえ」
ヴィルヘルムはバサバサと書類を片付けながらわたしに着席するように勧めてきた。遠慮なくフカフカな席に座らせてもらった後に、ヴィルヘルムが対面に座ってきた。彼の横にはシヴァルディが漂っている。
「それで……」
「ああ……、今日は怒涛だったな。コンラディン様とあと五日と約束できたのでオフィーリアはそろそろ帰領の準備をしておきなさい」
用事を聞くと、ヴィルヘルムはフーッと息を吐いて気を抜いたようだ。ここまでずっとピリピリとしていたところもあったが、大体のやるべきことが済んだのでホッとできたのだろう。
「わかりました。……ですがこれで良かったのでしょうか?」
「これで、とは?」
「その、あと五日で戻っても、良いのかと……それに……」
ブルクハルト様が、と言おうとしたところでヴィルヘルムは「はあ?」と言わんばかりの呆れた目でこちらを見てきた。その目にわたしは少しゾクッと怖さを感じてしまい、口をキュッと噤んだ。一人の人間のこれからを変えてしまったことにわたしの気持ちがついていけなかったことに気付く。
「ブルクハルト様のことはコンラディン様が総合的に判断なされたことだ。それに対して其方が申し訳なさを感じる必要はないはずだ。……そもそも、王家の失態をこちらが尻拭いしている状態だぞ? 王族であろうと協力者に対してきちんと礼を尽くすのは基本だ。特に上に立つ者は気を配らねば成り立たん。……そう、コンラディン様の言う通りにな」
「そう、なのですが……」
「気にしても終わったことだ、仕方がないと割り切りなさい」
バッサリと切り捨てるようにヴィルヘルムは言う。ヴィルヘルムはそういう世界で生きてきたから慣れているのだろうか。いや、慣れざるえなかったのか。わたしは膝の上でギュッと拳を握りしめる。わたしの悩む様子をイディは心配そうに見つめていた。
『リア、貴女が気に病む必要はないのですよ』
そんな様子を見かねてシヴァルディがふわりとわたしの方に近寄ってきて、握りしめた拳を包み込むように触れてきた。わたしはその優しさと温かさに顔を上げた。眼前には艶やかな深緑の長髪と翠色の瞳を持つ美しい女性がこちらを優しく見つめていた。
『ヴィルヘルムの言う通りです。……もし彼が次の王になっていたらプローヴァ様はお優しい方なので受け入れられるかもしれませんが、私は森の精霊として抵抗していたでしょう。私の配下の精霊も私が拒否するならば同様な態度を取るでしょうね。そして貴女が目覚めさせたクロネもきっと同じように感じると思いますよ』
そう言いながらシヴァルディはわたしを元気づけるように手を撫でてくれた。その時、わたしの胸のあたりが明るめの灰色に光った。ふわりと。
……そうか、クロネもわたしを元気づけてくれているのね。
アダンの地にいるクロネフォルトゥーナに想いを馳せ、温かい気持ちになったところでわたしは優しい瞳を向けてくれるシヴァルディに微笑み返した。
『だから、ね。リアが彼を気にする必要はありません。コンラディンが決めたことを信じれば良いのです。彼は精霊にとって良い環境を整えようと努力しているのですもの』
「はい……、ありがとうございます」
そう礼を言うと、シヴァルディは『良いのですよ』と笑ってくれた。その笑顔はとても美しかった。
「ブルクハルト様のことは内々で動くだろうからオフィーリアも含め、黙っているように。コンラディン様も大きな決断をされたのだ。シヴァルディの言う通り、コンラディン様のご判断を信じるのが良い」
ヴィルヘルムの言葉にわたしはこくりと一つ、頷いた。
「あと、今日の様子からコンラディン様は本気で精霊王に会うために動かれるだろう。オフィーリアは帰領の準備と並行して念のため力の器の作成をしておく方が良いと思う。すぐに取りかかった方が良いかもしれん」
「……? それは何故ですか?」
力の器はラピスの手記によると、彼が考案した儀式で使う道具だ。儀式で他者の精霊力を集めるために使う物である。まだコンラディンと精霊王が会えていないのに作る必要があるのかと、わたしは首を傾げる。
『コンラディン、「案がある」って言ってたでしょ?』
イディの言葉にヴィルヘルムは「ああ」と肯定した。
「目覚めには今の精霊力では足りないと指摘した時にコンラディン様は何か考えておられた。もしかすると精霊力不足を解決する策が何かあるのかもしれん。それを実行してうまくいけば我々が想定しているよりも早く、一定量を満たせるのではないかと思ってな」
「……それならば今夜にでも作成します。ですがプローヴァ様に一度確認します」
わたしの返答にヴィルヘルムは「よろしく頼む」と軽く笑みを浮かべ、頷いた。確かにコンラディンはそう言っていたけど、そんな上手いことがあるのだろうかと考えていると、鈴の音と共にお茶を運んできたと扉の外から声がした。ヴィルヘルムは配膳の許可を出すと、フェデリカたちがワゴンをゴロゴロと転がしながらこちらにやってきた。
話は一度ここで終わりか。今からやるべきことはわかったわ。
わたしは今日の疲れを少しでも取るべく、温かなお茶を味わうことにした。王都にある珍しい菓子も付けられているのは嬉しいぞ。




