第二十八話 ラピスと精霊王
「あ……」
半分以上読み終えたところでランタンの明かりがチカチカと点滅していることに気付き、ふと明かりに手を伸ばす。確認すると注いだはずの精霊力が尽きかけているようだ。
『まだ読む?』
「そうだねえ……、このペースならちょっとは寝られるかも」
イディの問いかけにわたしは頷いた。ランタンには鐘二つ分ほどの精霊力を注いでいた。現在日付は跨いだだろうが、この調子で読み進めるならば暁の最後の鐘が鳴る頃には眠れるかもしれない。鐘一つ分の眠りだが、明日も作業があるので少しの睡眠でも効率は違うだろう。
『それでラピスは転移? してからどうしたの?』
イディは途中まで一緒に読んでいたが、わたしの読むスピードに付いてこれなくなったのか、気が付けば寝台の上でゴロゴロ転がるだけになっていたので、その辺りは読めていなかったのだろう。イディは自身の腹を天井に向け、力の抜けた万歳をする形でリラックスしている。黒髪がベッドの上に広がっている。
わたしはうつ伏せのまま、イディの方に顔を向けると、寝台に広がった自分の髪が変に絡まないように後ろへと流す。フェデリカが丁寧に手入れをしてくれたおかげか、伸ばしっぱなしだったボサボサの銀髪はここ一年ほどで痛みもない綺麗な髪に変わった。春乃の時はそこまで気を遣っていなかったので、手を加えるだけで全然違うんだなということを改めて知った。
行儀悪く肘を付いて顔を支えながら、近くに置いていたラピスの手記を目の前へと持ってきた。そして、一ページ前に戻り、そこに目を落とす。
「確か……、自分がやるべきことをロカリスから聞いて、プローヴァ様を目覚めさせる旅に仕方なしに出たみたい。ロカリスが何をすべきか何処に行くべきか全て教えてくれたおかげで、道中色々あったけれど今の王都辺りにあったプローヴァ様の眠り石に辿り着けた」
『それで目覚めさせたの?』
「うん、そう。異世界の人間だから力量は十分だし、条件も満たしているからね。プローヴァ様のおかげで他の精霊たちも目覚めの準備ができたってわけ。その後は……」
頭の中に大体の内容は入っているのだが、念のためにペラペラとページを巻き戻しながら確認する。
精霊王とあって、彼が目覚めることができたならば他の精霊を一斉に目覚めさせることができる。だから精霊王の目覚めで精霊の問題は解決したと言って良かった。だが、後は枯渇した力の問題が残っている。ラピスはその問題にも取り組まなければならなかった。
「プロ―ヴァ様はラピス様に『この地の王になれ』と。今のままではラピス様がいなくなれば土地に注ぐだけの力を持った人間がいなくなるから。土地に十分な精霊力を注いだ時点で、精霊たちも目覚めたし、土地もあれることはないので神が願ったことは達成されるから、ラピス様は日本に帰ることができたみたい」
『え? 元の世界に帰れたの?』
「そうみたい。ロカリスが言ってたから確かだと思う。条件を満たせば、とあるみたいだけど」
そう、転移した石本礼は神の願いを叶えた時点で日本への帰還が可能だと知らされていた。結果的にはラピスは王として君臨し、子孫を残しているので日本には戻らなかったということだ。どのような心境だったのかはわからないが、故郷に帰りたいと一度は願うだろうと思うけれど。
「まだ途中だからどうかわからないけど、今読んでる時点ではラピス様は帰ってないよ。寧ろ王になるために各地を回ることを決めたんだ。後のことを考えてね。それでその時に枯渇しかけたこの大地に精霊力を満たしながら旅をしてたって」
『なんで各地を回ってるの? ……あ、精霊と契約か』
「その通り」
イディはくるりとうつ伏せに変わりながら、ピンと思い付いたような表情でこちらを見てきた。わたしは肯定のために微笑みながら頷くと、ページを数枚ペラペラと捲った。
「ラピス様の精霊力の色はわたしのものと同じで無色透明。これは異世界人特有のもので……。でもこの地に生まれた人間は必ず色が付いてしまうみたい。例えラピス様の子どもでもね。色が付いてしまうと精霊王との契約は叶わなくなるの。だから白色の精霊力を持つ子どもを後世に残すために、自身の色を真っ白にする方法を選んだ。……ロカリスから後のことを聞いてね」
『後のこと……?』
イディが小首を傾げながら、不思議そうな顔をする。わたしはゆっくり頷くと、文章の一部を指差した。
「ロカリスは言った、『貴方がいなくなれば膨大な精霊力を持ち、この地に精霊力を注げるほどの力ある者はいなくなる。そうなれば神はまた貴方のような転移者を呼ぶことになるだろう』と。……イディ、どういうことかわかる?」
『ラピスが消えたら使命を受け持つ人がいなくなるから、また別の人材を連れてくるってことだよね?』
「そう……、ラピスはこれを防ぎたくて役目を果たした時点では帰らなかったんだと思う」
『でも、でも! リアは……!』
イディはガバリと起き上がりながら、眉を下げ、悲しげな表情に変わる。そう、わたしがこの世界に生まれ落ちた理由が粗方わかってしまったようなものだ。
わたしは転移者ではなく、転生者だ。記憶しか持たないので、春乃の体ではなく、オフィーリアの体を使って動いている。その辺りの説明は上手くつかないが、わたしがこの地にいるのは、神の導きということだろう。この地が危機にさらされたために、神がわたしをここに連れてきたということだ。何と身勝手な。
「今のわたしの存在は意味があるってことがわかっただけでも良かった。せっかくこうならないようにラピス様が防いでくれたのにね。そう考えるとラピス様はとてもお優しい方なんだよ」
『リア……』
「イディ、そんな顔しないで。わたしも悲しくなるから」
『ごめん……』
そう言いながらイディは自分の顔をぱちんと叩いた。誰かの同情するような表情を見ると、底知れない悲しみが湧いてきそうで、自分が何だか嫌になる。
わたしはただ知らない文字を解読したいだけだったのに。志半ばで死んで、がむしゃらに必死にここまでやってきたのだ。けれどそれが仕組まれたものだと知ってしまったら、「はい、そうでしたか」と、あっさりと納得できない。何でわたしが、何で? と言う答えのない問いをずっと反芻し続けるしかない。意味のないことだ。でも……。
「……でも、悪いことだけではなかったよ。嫌なこともいっぱいだったけど、良かったこともいっぱいあったんだ。新しい文字を見ることができたし、それを解読することもできた。前ではできなかったこと、この世界ではやることができたの。そしてイディや領主様、アモリ、マルグリッド先生……、たくさんの大切だと思える人に出会うことができたよ? それは春乃ではきっとできなかったと思う」
言葉にするとスーッと肩の力が抜けていく。
そうだ、わたしはたくさんの人に救われてきた、助けられてきた。ずっと研究室に篭ることで、自分の世界に閉じ篭っていた。友だちと放課後遊びに行かず、恋人を作らず、貴重な青春を十分に謳歌することなく、ただがむしゃらに机に向かっての勉強漬けの生活だった。だから人と関わることなんて最小限だった。自分の夢のためとはいえ、とても寂しかった。
けれどこの世界ではわたしのことを大切に想ってくれる人に出会え、言葉を交わしたことで、わたしはそれに応えたいと思えた。文字だけ、ではなく、全てを大切にしたいと思えたのだ。
そう考えると、神様の身勝手な行為に対しての怒りは沈下していく。燻る思いはあるが、どちらにせよ春乃はあの地震の時点で死んでしまっていたのだから、と自分に言い聞かせて、そっと息を吐く。
「だから、仕方ないと割り切るしかないよ」
『リアは……、もし元の世界に帰れるのならば……帰るの?』
イディの言葉を聞いて、ドクンと心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。全く考えもしなかった。帰れると書いてある時点でわたしもそれに該当するのだ。わたしはうーんと考え込む。けれど……。
「……正直わからない。考えられないっていうか。帰りたいとは思うけど。だって故郷だもん」
帰れるのならば中途半端にしているヒエログリフの研究の続きをやりたいとは思う。あとは身の回りの整理かな……、部屋も汚いし。でもその後は……? 日本でのこれからを想像できない。社会人になるとしても古代文字の研究者になりたいけれど、そこまでの道のりは険しそうだし。
そう考えると、今の環境って凄い恵まれているのではないだろうか? うまくいけば好きな文字を解読作業できる。まだ見ぬ未解読文字は確実にあることはわかっているし、研究も全く進んでいない。わたしが第一人者となれる。未解読文字たちの「初めて」をわたしがもらうことができるじゃないか! え、何それ! かなり嬉しい!
「……と、とりあえず、わかるまでは保留にする! 今のことで精一杯だから!」
『……? まあゆっくり考えてね。後悔のないように』
イディの言葉にわたしはこくりと頷く。まだ問題が片付くまでは時間がかかりそうだ。終わって、情報を得た時点で考えても遅くはないだろう。
その後イディは、ラピスの手記を指差しながら話を戻す。
『……それで、精霊と契約のために旅に出て、ラピスは全ての精霊たちと契約を結んだんだっけ?』
「あ、ああ、うん! そう。その道中で今の領主様たちの祖先と知り合ったみたい。当時のラピス様ほどの精霊力は持っていなかったけど、他の人たちよりはそこそこ持っていたみたいで。アダン様……、ジギスムント様のご先祖様とも初期の方で知り合ったようだけど、そこでもすごかったって書いてあった」
『血筋だねえ……』
今の領主の立場にいる人物──精霊殿を守っていた精霊契約者のことも書かれていた。彼らはラピスに支援していたという。皆、土地の荒れ具合に困っていたようだ。けれどラピスが土地を巡っていた時に、彼らは目覚めた精霊と契約は交わしていない。まだ繋がらないが、シヴァルディたちの話から今後交わすことにはなるだろうと思う。というか精霊殿もまだないしね。
「領主様のご先祖様たちの助言で、ラピス様がこの国を支える王様に相応しいってなったみたい。荒れた地を蘇らせた功績と民族間の諍いを治めたことが皆に認められてね。それでこれからラピス様が王様になるところで、止まってる」
『じゃあこれから色々とわからないことがわかるんだね!』
「多分ね……。『犠牲』っていう意味も、ね」
ラピスが初代王になる上で色々とわからなかった情報が開示されるだろう。今までにもかなりの情報が得ることができたので期待できそうだ。
『ワタシもお手伝いしたいんだけど……。手伝えなくてゴメンね……』
「いいの。わたしも知りたかったことだし。……あと少しだから読んじゃうね。何か気になることがあったら揺すって」
『わかった』
イディがこくりと頷くと、わたしは軽く微笑んで、続きのページに戻す。もう三分の二ほど読み終えているので、すぐに読み終わるだろう。国王になる上の話が長い気がするが、きっと大切な話が載っているに違いない。わたしは期待を込めて、その新たな行に目を落とし、集中し始めた。
夜は更けていく。




