第二十五話 孤独な人が信念を貫いた結果
「入りなさい」
ヴィルヘルムの部屋の前までやってきたので、フェデリカが到着を知らせるベルを鳴らすと、奥から入室許可の言葉が聞こえてきた。わたしはフーッと息を整えると、フェデリカたちの方を向く。
「……ではフェデリカ、今日は少し時間がかかるかと思いますので、メルヴィルが呼ぶまで仕事を」
「わかりましたわ。メルヴィル、あとはお願いします」
「私は扉の外でお待ちしています。何かありましたら声を掛けてください」
わたしは了解の意味を込めて、にこりと微笑むと、深呼吸ひとつをする。そしてメルヴィルに扉を開けてもらうと、軽いお辞儀をしてから中へと入っていく。
「待ったぞ。今日は少しばかり……遅かったな」
「お待たせして申し訳ありません。少々作業をしていたもので……」
奥に見えるのは書類作業をするための執務机、その上に置かれた大量の書類だ。そして部屋が薄暗いので表情は良く見えないがヴィルヘルムがそこにいる。
直前までラピスの手記を読んで考え事をしていたので、彼の言う通りここに来るのが少しばかり遅くなってしまった。ヴィルヘルムは忙しい身なので待たせてしまうのは申し訳ない。わたしは謝罪の言葉を述べるが、彼は「仕事を片付けていたので問題ない」と一蹴してしまった。
「そこに座りなさい。まず報告書の確認をする」
「ありがとうございます」
来客用の椅子に座るように勧められ、わたしは報告書を取り出して机の上に置くと、椅子にゆっくりと座る。スカートに皺ができないように細心の注意を払うことも忘れずに。
ヴィルヘルムはこちらに来ると、机の上に置いた数枚の紙を取り、それに目を通していく。彼が近くに来たこともあり、明かりに照らされ、ヴィルヘルムの表情が良く見えるようになった。連日会議が続いていることもあり、少々疲れているのだろうか。目元に隈のようなものが見える。確かに会議では他領とのやりとりも決めるため、なかなか大変だとは思う。自領の人間が生活に困らないように色々と動かなければならないし。こう考えると上の立場に立つ人間の苦労もあるということだ。
「……ああ、問題ないな。だが以前から感じていたが、書き方といい、まとめ方といい、其方は本当に十一か?」
あっという間に報告書を読み終えたヴィルヘルムは書類から目を離し、わたしをじっと見つめてくる。その真剣味を帯びた青磁色の瞳に動揺しかけるが、冷静を装い、「十一ですよ」と精一杯大人ぶって返した。人格的にはヴィルヘルムより年上の三十路前なのだけれど。
「……それで、精霊王との話の内容を聞かせてもらおう。シヴァルディからは何の情報も得られなかったからな」
『プローヴァ様の部屋には私たちでは入れませんから仕方ありませんわ。ですが私もプローヴァ様が何を語られたか気になっていますので、ぜひ教えてほしいです』
勿論話すつもりだが、二人からそう言われたこともあり、わたしはこくりと頷いた。報告するための時間は限られている。できるだけ端的に話さなければならないので、わたしは頭の中で言うべきことを一度整理した。少し沈黙の時間が流れる。
「話したのは二つです。当時何が起こったのかと今後のことです。今後のことは協力をお願いできるかの打診ですが、とりあえず頷いてもらえました。それで……」
「過去のことか。私の予想は当たっていたということだな、その顔は」
わたしがこくりと頷くとヴィルヘルムがはぁ、とため息をつきながら落胆した表情に変わる。ヴィルヘルムもヴィルヘルムでコンラディンを初め、この地を守り、心を砕いていた王族のことを尊敬していたのか、推測が事実に変わったことにショックというか不信感を感じているようだ。
しかし事実は事実なのでわたしは精霊王から聞いた当時のことをそのままヴィルヘルムたちに伝えた。
「ベバイオン様を初め、他の王族は呪いの影響で亡くなられたということか。何とか影響を逃れた中心から端の端であるコンラディン様方の祖先が生き残ったが、ヘバイオン様よりはかなり遠い立ち位置であるため今に至る……か」
ヴィルヘルムは顎に手を当てながら独り言を呟くように言う。わたしは頷きながら疑問を口にする。
「プローヴァ様を害そうとしたことでここまで影響が出るなんて、とは思いますが」
『彼はヘバイオンの子であるので、それを中心に広がったのでしょう。呪いの発動でここまでいくとは思いませんでした。だから起こさないように、とプローヴァ様やあの本は言っていたのですね』
わたしの疑問に対する答えをシヴァルディが神妙な顔で答えると、なんてことと言わんばかりに額に手を当て、天を仰いだ。少なからずショックなことだったのだろう。イディは当時の王族のことを知らないためか、表情を変えずじっと彼女を見つめていた。
「プラヴァス様の本心はわからないが、精霊力が少ないと冷遇されるというのは今も変わらない。あればあるほど道具を動かせるからな。尚更精霊がいた時代のプラヴァス様のお立場はかなり悪かったのだと思う」
「でもプローヴァ様を手に掛けようとするのはおかしいのではないですか?」
「彼のその心境はよくわからないが、統一前に戻すと言っていただろう? 精霊が去れば状態は統一前に戻り、精霊に頼らない暮らしに戻ると考えたのだろう。……だが、結果としては意味のないことだ」
ヴィルヘルムはため息をついた。
意味のないこと……、結果としては精霊道具に頼り、生きていくことになったということだろう。精霊がいないから暮らしを元に戻そう、とはならず、残った道具を使って細々と生きていくことになったのだ。
状況はプラヴァスが望んだものとなったが、自身の一族の大半が死ぬことになり、儀式を行えなくなったことで土地がやせ細っていくことになってしまった。あまりにも身勝手な行いに怒りと悲しみが沸々と沸いてくる。
「だが彼は彼の信念を貫こうとしたということだ。呪いのことを知っていたのか知らなかったのかは話ではわからぬが、自分を含めた下々の者のことを考えたのかもしれない」
「ですが、わたしにはどうしても今の状況が自分にとって嫌だからこの状況を変えたかったようにしか見えないです。駄々っ子のようにしか映りません。確かにこの事件はプラヴァス様を虐げた人間がいることが発端ですが、彼は自分の父親など頼れる人間がいたはずです。自分で考え動かず、まず相談すべきだと思いました」
「……そうだな。そう考えるのが普通だ。だが孤独な者がいることは知っておかねばならない、オフィーリア」
ドキッと心臓が跳ねたような感覚がした。突然名前を呼ばれたこともそうだが、ヴィルヘルムの悲しそうな表情にも胸が締め付けられるような苦しさを感じた。彼は孤独な人だ。今はマシにはなっていると思うが、わたしと出会う前は一人でずっと耐えてきたことは何となく知っている。わたしとは縁遠いことだが、想像するだけで辛い。
わたしは心臓がある辺りに手を当てて、ぎゅっと服を掴んだ。そしてゆっくりと首を縦に振った。
「まあプラヴァスが何を思ってそんな馬鹿げた行動に移ったのかはわからないが、起きたことは起きたことだ。事実は変わらない。……それで、精霊王のいる場所もわかったし、過去のことも知れた。交渉しようと思えばできるようになったな」
「……はい。プローヴァ様はとりあえずコンラディン様を連れてきなさいとおっしゃられました。ですので交渉がうまくいけば後は託せると思います」
そう、本来の目的はほぼ完遂した。だからあとは場所を教えることを条件にわたしがジャルダン領で暮らせるように交渉するだけだ。わたしは女であることもあり、政治の世界から遠ざかろうと思えば可能だ。その辺りも押していけば、うまくいくと思う。まあ精霊王の居場所とわたしの身柄どちらか選べと言われたら、この国の象徴を選ぶのは目に見えている。
そんなわたしたちの会話にイディは不思議そうな顔をして、『あの……』と割り込むように発言した。何かあるのかとわたしはイディを見る。
『交渉云々は多分大丈夫かと思うんです。でもコンラディンはプローヴァ様と契約できるのでしょうか?』
「コンラディン様の色は白だし問題ないと思うけど……」
わたしの発言にイディは違うと言わんばかりに首を横に振る。
『そうじゃなくて、前、シヴァルディ様がコンラディンの力の量はジギスムント以上、領主様以下って言ってたでしょ? ジギスムントはクロネ様すら呼び出せなかったんだから、それよりかなり上位のプローヴァ様と契約できるかなって……。精霊力量的に』
「……あ」
その事実、すっかり頭から抜けていた。




