第二十四話 ラピスの手記、前書き
前書き
この本を読む私の同胞へ
初めまして。私はこの世界ではラピスと名乗っている。
この本が君の手に渡っているということは、君は私の正体に勘付き、プローヴァに尋ねたということだろう。その時のために私はこの本を作成し、プローヴァに託しておいた。プローヴァは大体のことは伝えているが、彼は私のことを漏らしただろうか。私がこの地を治めるにあたって彼をこの面倒な人間社会に縛り付けることとなってしまった。……もし私の秘密を君に話してしまったとしても、私はプローヴァに文句を言う資格などない。もし話していなければ、と願う私は傲慢だ。
さて、話は逸れたが、この本は私がこの世界にやってきて何をしたのかを綴った日記のようなものだ。
私はこのプロヴァンスの地で生まれた人間ではない。私はこことは別の世界からこの世界に転移した人間だ。この字で勘付いていると思うが、私は日本人だ。別の世界から来た人間のため私は特殊な力を持ち、この荒れたプロヴァンスの地を救う使命を受けることになってしまった。……正直望んだものではなかったが、私の力が人々を救うものとなるのならばそれもまた運命かと思ったのだ。前の世界では収集狂いだった私は人の力になることがなく、自分の存在価値を感じられなかったからな。
今、私は荒れたプロヴァンスの地、全土に精霊の源の力、人が持つ生命の輝きである精霊力を注ぎ回り、結果としてこの国の王として君臨している。プローヴァと話し合い、力を注ぐ者が必要だという結論に至ったからだ。わかっていると思うが、私がその注ぐ者として今、行動している。おそらくまだ見ぬ私の子孫がその役割を受け継ぐことになるだろう。役割を押し付けてしまうことは申し訳ないが、私がこの世界に降り立った時のような荒れた地に戻るのは総合的に考えても悪いことしかない。だから犠牲になる者が必要なのだ。その犠牲が私を含む一族と精霊王プローヴァということだ。
今の君に私の気持ちはわからないだろう。犠牲という言葉の意味もわからないかもしれない。けれど、私のこの手記を読めば自ずとわかると思う。
私がこの地に降り立ってからどのように歩んできたか、今から綴ることにする。
君が知りたいことがこの中に書かれているかはわからないが、ヒントにはなるかもしれない。
あわよくばこの手記を手にする異世界人が地球から来た日本人であることを切に願う。私は英語はそこまで得意ではないのでね。
ラピス・プロヴァンス 改め石本 礼
「……どうしたらいいと思う?」
『どうしたら……って、それを読むしかないでしょう? あ、領主様に報告って意味?』
「そういう意味なんだけど……」
前書きの部分を読み終えてわたしはイディに尋ねたが、彼女の気の抜けた返しにわたしは眉を顰めてしまった。
あの時、日本語で書かれていた手記に軽く目を通して、すぐに閉じた。何だか頭が痛くなってきたのだ。考えることが多い? たくさんの情報をわたしは処理しきれなくなったと言った方が正しいと思う。
気持ちも情報もきちんと整理してから、向き合って読もうと思い、額に手を当てながら誰にも取られないように精霊力に還元して自分の中に取り込んだ。
そして、プローヴァの間を抜け出し、シヴァルディがいるところまで合流、のち連絡をして身代わりとなっていたイディと交代したというわけだ。
わたしの精霊道具はうまく作動していたようで、ブルクハルトに怪しまれることなく、問題なく入れ替われた。まあイディが上手く立ち振る舞っていてくれたおかげというべきだろうか。わたしがオフィーリアとなって浅い頃から一緒に過ごしていたのでわたしの行動パターンとかを熟知していたのかもしれない。ありがとう、イディ、と心の中でお礼を言いまくったものだ。
資料探しの方は特に大きな成果を挙げることはなく、報告書の作成を約束して屋敷に戻ることになった。もうすぐ会議が終わることもあり、ブルクハルトは焦っているのか色々と言ってきてはいるが、内容も覚えていないくらいどうでも良かった。あと少しでこの生活ともお別れだし、王族の皆様に近くなることもグッと減るだろう。ブルクハルトはそんなにわたしに気に入られたいのか色々言ってくるが、コンラディンの方からは特にアプローチもないので、本当にブルクハルトの独断なんだなあとぼんやりと改めて考えてしまうこともあるけれど。
さて、今は夕食も終え、無難な報告書を簡単に作成して、目の前に置かれているラピスの手記の前書きの部分を開いた状態にして、それを見下ろしている。この世界の本とは少し異なり、華美な装飾はなく、本当にシンプルな作りだ。手触りも前世でよく触れていた植物紙でできた本と同じと言っても良いくらいだ。これも踏まえると、やはりラピスは日本人だったんだなあと思う。
けれど、ラピスはわたしと状況は異なるようだ。
彼は、この世界に転移したと言っていた。しかしわたしはオフィーリアとしてこの世界に生まれ落ちている。精霊力の色云々を考えると、別の世界から来た魂という点が重要な意味を持つということになる。
でも何故ラピスは転移したのだろうか。突然変異? 召喚? この手記を全て読めばわかるだろうか。
考え込んでいるわたしをイディは覗き込んで、はあ、とため息をついた。
『リアのことだからいろいろ考えているだろうけど、伝えるにしても伝えないにしても目の前のことをやってからでもいいんじゃない? ラピスの手記だから有用な情報があるとは思うけど、どうしても領主様に知らせないとダメな内容なら打ち明けてもいいだろうし、最悪どこかの出典って偽装して伝えることもできるよ? 何で領主様には誠実であろうとするの?』
「……あ……、なんで、だろう?」
イディに指摘されたことを全く考えもしなかったわたしに驚いてしまう。転生のことはイディ、シヴァルディ、精霊王と見事に精霊にしか伝えていない。人間にその事実を伝えると何かが歪むような気がして、一番距離が近しいヴィルヘルムには伝えられずにいた。
でもイディの言う通り、ラピスの手記のために全てを開示する必要はないのだ。彼は精霊殿文字もプローヴァ文字も使いこなせていない。だからそこを利用してうまく伝えることも可能な気がするが、それをしたくないと思っている自分がいる。彼には正しいことを嘘偽りなく伝えたいと思うのだ。
「……信頼されたい、からかな?」
『信頼?』
「うん」
わたしはこくりと頷いた。言葉に落とすととてもしっくりきた。そう、わたしはヴィルヘルムに信頼されたいと思っているのだ。わたしに手を差し伸べてくれたヴィルヘルムを助けたい、けれど彼はわたしを信頼してくれるのかわからない。ヴィルヘルムは頼る人間が少なくて、頼り下手なところがある。第一夫人の脅威が去ってもそこは変わらなかった。
「何かここで嘘を混ぜると、わたしの気持ちが落ち着かないっていうか……」
『ふーん』
「そ、それ以外に何もないよ」
『はいはい、わかりました。とりあえず読んでから考える方が良いと思うよ』
とりあえず納得しましたよと言いたげにイディはやれやれと首を振りながら、今後すべきことを助言してきた。まあイディの言うことは尤もなので、言う通り読んでから考えても良いかもしれない。ずっと親しんできた日本語なので一晩もあれば読み切ることは可能だろう。読むだけなので簡単だ。
そうしていると、ベルの音が扉の外から聞こえてきた。わたしが入室を許可すると、フェデリカが礼をして入ってきた。
「そろそろヴィルヘルム様の所へ行かれませんとお約束の時間を過ぎてしまいますが……、如何いたしますか?」
「あ……、もうそんなに時間が経ってしまっていたのですね。知らせてくださりありがとう。今から向かいます」
時計がないのでそこまで時間が経っていたことに気が付かなかった。フェデリカたちに同行をお願いして、わたしは席を立った。
今日は報告が多いので端的に伝えなければならない。特に精霊王の昔話は何故精霊が去ったのか、当時の王族たちが突然死に至ったのかがわかるのだ。この内容をどう扱うかも相談したいところだ。おそらく伝える方向にはいくとは思うけれど。
ラピスの手記の続きは帰ってからゆっくり読むことにしよう。ラピスの考えていたことが少しでもわかるといいのだけれど。
フェデリカがこちらを見ていない時にそっとラピスの手記を自分の中に取り込むと、わたしは部屋の外に出てヴィルヘルムがいる部屋へと向かった。




