第二十三話 無色であるということ
わたしの言葉に精霊王は不思議そうな顔をした。何の話があるのかと理解が追いついていないと思う。
『無色という特殊な色が何なのだ?』
わたしの考え通り、精霊王は首を傾げながらそう尋ねてきた。わたしは両手を腕の前で握りしめた。
「以前、プローヴァ様はわたしはオフィーリアとして生まれているので、ジャルダンの地の翠色に染まっているはずだと言っておられましたね。……わたしも不思議だったのです。普通だったら触れないはずの場所を触れたり、中に入ることができたりと不可思議なことばかりでしたから……。ですがプローヴァ様から無色であると教えられ、何故なのか少々考えたのです」
『……それで?』
精霊王は眼を細めて続きを言うように促してくる。わたしは真っ直ぐに彼を見据えた。
「可能性の一つであるとは考えていますが、もしかしてわたしの前世の記憶と魂が関係しているのではないでしょうか?」
わたしの言葉に精霊王は何も言わず、じっとしている。肯定するでもなく否定するでもなくだ。
卯木春乃の人格がオフィーリアの体を乗っ取るまでは、もしかすると色はこの世界の理通り、シヴァルディの色の翠色だったのかもしれない。これは誰も確かめていないので予想になるけれど、あの日、階段から落ちたことによって魂が変わったのではないだろうか。イディも精霊力の器が変わったと言っていたことから、春乃の人生を思い出したことによって器も色も変化したのだろう。
わたしは可能性の一つと言って誤魔化してはいるが、ほぼ確信を持っている。無色という特殊な色は……。
「この無色の精霊力は、この世界とは別の世界……、異世界から来た人間の魂が持つものではないでしょうか? ……ということは、初代王ラピスもわたしと同様に異世界から来た人間ではないですか?」
『…………』
精霊王は驚きもせず、じっとわたしの眼を見つめている。それはどう見ても肯定としか読めない。……そうか、やはりそうか。
あの時、初めて精霊王に会ってわたしがラピスと同じ無色の精霊力を持つことを示唆された時、パズルのピースがはまっていくような感覚がし始めたのだ。
まず、ラピスという初代王の名前について。十中八九、その名前はこの世界で名乗ると決めた偽名だろう。
ラピスという言葉はラテン語で「石」という意味を持つ。ラピスラズリという深い青色から藍色の美しい色を持つ鉱石が有名だろう。かの有名な画家フェルメールがその石を原料とする顔料を惜しげもなく使い、傑作を数々残している。話は逸れたが、ラピスはそう名乗り、そしてこの世界の王になったのだ。この世界から争いを減らすためにたくさんの情報を隠して。
他にも精霊道具で形は違えどドライヤーっぽい道具などこの世界の文明レベルとは不似合いの道具が幾つか見られていた。その元を辿れば、ラピスから発信されていたものだ。初めは彼をアイデアマンだと思っていたが、おそらく前の世界での知識から得たものなのかもしれない。以前に便利なものを使っていたら、ここでも代用品を使いたくなる気持ちは良くわかる。だって不便なんだもの。
「……プローヴァ様、沈黙は肯定と受け取りますがよろしいですか?」
わたしの問いに対して返答をせず、沈黙を守る精霊王にわたしは押しの言葉をかけた。それでも精霊王は黙っているので、わたしは小首を傾げる。とりあえず否定はしないので、ラピスはこの世界とは別の人間だということがほぼ確定した。
「何故何もおっしゃらないのですか? 困ることでもあるのでしょうか?」
貝のように口を閉じたままの精霊王にそう尋ねると、ぴくりと彼の眉が動いた。……図星か。
「わたしがこの世界で生きているのも何か意味があったのかと思ったのです。……できれば教えてほしいのです」
『……友との約束、なのだ』
「え……?」
ポツリと呟くような小さな声で精霊王は一言そう言った。わかった、でもなく、無理だ、でもない言葉だったので、わたしは思わず聞き返してしまった。
精霊王は一呼吸置いてからもう一度言い直す。
『私を友と呼んでくれた……ラピスとの約束なのだ。彼の一番の秘密を私の口からは伝えることはできない』
「そんな……」
『許せ、オフィーリア。私から言えるのは其方はこの世界を救う存在だと考えている。そして私が知る中でラピスに次いで最も王に相応しいと思う。……これを』
精霊王は険しい表情のまま、一冊の本を虚空から取り出した。そしてそれをわたしへと差し出した。わたしはそれを素直に受け取る。
少し厚めのその本の表紙には何も書かれていない。しかし綺麗に保たれているので、破れなどは全く見当たらない。集中力を高めて観察すると、淡く精霊力がこの本を纏っている。ということはこの本は本に擬態した精霊道具か。
だけど何の本なのだろうか。内容を確かめるため中身をペラペラと捲ってみても真っ白なページしかない。……擬態した精霊道具なので、精霊力を流さなければ文字が浮き出ない仕組みということか。
『その本は、ラピスが私に託した本だ。彼は、私が王に相応しいと思う別の人間が現れたら渡すように、と言っていた。中身は見ていないので何が書かれているのかわからぬが、其方ならきっと読めるであろう』
「ラピス様の、本……ですか?」
本を持つ手にきゅっと力が入る。精霊王はわたしの言葉を肯定するようにゆっくりと頷いた。
ラピスから直接託されていた本には何が書かれているのだろうか。何か伝えたいからこれを記したに違いないので、わたしが知りたいことがわかるかもしれない。
『ラピスはこの未来が視えていたのかもしれない。いや、可能性の一つとして考えていたのかもな。私の友は、やはり面白い……』
「……少しの間、お借りします……」
わたしに向けた言葉でなく、自分自身に言い聞かせるようなその言葉から、精霊王はラピスのことをとても大切に想っていることが窺える。そんな大切な人の遺物を借りても良いのだろうかとドキドキしてしまうが、さっさと読んで返すことにしよう。
わたしは本を傷付けないように、スッと精霊力に変換して中へと取り込んだ。誰かに取り上げられることのないように配慮しなければならないな。
『……さて、刻限は近い。早く儀式をしなければこの地と精霊は危ういだろう。近日中にまたここへ来なさい。其方一人でも、ラピスの子たちを連れてでも良い。できるだけ急いでほしい』
「わかりました。わたしもこの地と精霊が危うくなるのは望みません。少なくとも数日中にもう一度ここを訪れます」
『ああ、頼む。私は少し疲れた。眠るぞ』
精霊王は頷くと、フッと姿を消した。
大体の方向性は見えた。とりあえず今日は戻ってヴィルヘルムたちに相談しなければならない。幸い長かった会議期間ももうすぐ終了するはずなので、少しくらいは時間を取ってくれるだろう。取ってもらわないと正直困るけれど。今日話した内容を伝えなければならない。
でもラピスについては……どうしようか。ヴィルヘルムはわたしが転生者であることを知らないので、ここは伏せた方がいいのではないだろうか? 正直に言ってその辺りがバレたら面倒かもしれない。でもあれだけ助けてもらっている恩人なのだから、もう言っても良いのかなあ……。変な人に思われる可能性もあるが、そこまで困ることでもないかもしれない。とてもとても悩む。まあヴィルヘルムに会うまでにゆっくり考えるとしよう。
青々と生い茂る芝生の上を歩く。精霊力で満たされ、生命力溢れた光景だ。
もう一踏ん張りしたら、ここだけでなく外でもこの景色を見ることができるのだろう。そして配下の精霊たちも全て眠りから覚めることになる。
……見てみたいな。
その光景を想像し、期待が膨らんだ。
ラピスと同じ無色であるわたしにどんなことができるだろうか。できることをしたいと思えた。
「あ、そうだ……。本……」
精霊力を右手の掌の上に集め、精霊王から借りた本を取り出す。屋敷に戻ってから読んでも良かったのだけれど、気になって仕方がない。せめて文字だけでも確認させてほしい。
ラピスはたくさんの文字を使いこなしていたのだからもう一種類出てきても不思議ではない。寧ろできればそっちでお願いします……!
期待を胸にわたしは表紙に大量の精霊力を注ぎ込む。楽しみ過ぎてかなりの量の精霊力が流れた気がするが、大は小を兼ねるので問題ないだろう、多分。
「あ、光った」
しばらく注ぎ続けていたら、ページとページの間が金色に光り輝き始めた。きっとページに文字が浮かび上がったに違いないと踏んだわたしは精霊力を注ぐのをやめ、ページを捲った。
予想通り黄金色に淡く輝く文字が真っ白なページに浮かび上がっている。わたしは文字の形を確かめるべく、指でゆっくりとなぞろうとした。
けれどその指はすぐに止まった。
その文字は、この世界でよく使われているプロヴァンス文字でも、精霊殿で働くものが使う精霊殿文字でも、王族しか知らないプローヴァ文字でもなかった。しかし、新しい文字でもなかった。
わたしはこの字を知っているし、読むことができる。
「初代王は、わたしと同郷だってこと?」
浮かび上がる金文字は、春乃がよく使っていたひらがな、カタカナ、漢字だった。
ということは、ラピスは春乃と同じ日本人である可能性が浮上したのだ。
五話も二人で話をしてたことに驚きしかない。




