第二十一話 精霊の眠りの理由
「……何故」
プラヴァスの奇行にわたしは言葉を失う。プラヴァスという名前は学んだ歴史の中で出てこなかった。彼の父親のへバイオンの名前は知っている。精霊が去ったと言われる直前まで国王として君臨していた方で、流行病で亡くなったと言われているが、コンラディンたちの話では突然死ということになっている。
『刃は私に刺さる前に砕け散った。────そして精霊の呪いが発動した』
わたしの問いかけに精霊王は答えることなく、話を続けている。彼に目を向けると、その瑠璃色の美しい瞳は曇り、何処となく悲しそうな表情だ。ナイフを向けられる経験などしたくないが、精霊王はどう感じたのだろうか。不死である彼にとって恐怖など負のものは感じるのだろうか。わからない。
『今まで見たことのない黒の靄が私を覆い、そしてその靄は一気にプラヴァスの方へと向かった。勿論、その靄は晴れることなく、プラヴァスの身に吸い込まれていった』
「…………」
『また、靄の一部は別の何処かに飛んでいったのも確認した。その瞬間から、急激な眠気を感じるようになってしまった。すぐに悟った。────呪いの反動だと』
わたしから視線を逸らし、草原を見つめる。当時の映像を思い出して何を思っているのだろうか。
わたしが口を挟まずとも、精霊王は話し続けてくれるので、わたしはじっと聞き役に徹する。
『そう考えているうちにプラヴァスは一歩、二歩と後退り、膝をついた。呪いが体を侵食しているのか、体が黒く染まり始めていた。私は混乱した』
精霊王は沈痛な面持ちになる。
『このままでは私は眠りについてしまい、混乱を呼ぶ。ここで眠るわけにはいかなかった。呪いの靄はプラヴァスだけでなく、他にも向かったので、別の王族の元へ呪いが降りかかると考えると恐ろしい気持ちになった。一番に考えられたのがへバイオンだ。彼はプラヴァスの父親で関係も近い。もし彼に死が襲っていたら誰が精霊力をこのプロヴァンスの地に注ぐのかと』
仮に父親である当時の国王が亡くなったとしても、次期国王が残り自身の仕事を全うしてくれるはずだが、精霊王の様子からきちんとそこまで整っていないことが窺えた。結局次期国王である名前も知らないへバイオンの息子も呪いの毒牙にかかって死んでしまうことになるので、厳しい状態ではあるが。まあ今の状態よりはマシだったのかもしれないけれど。
『精霊力の注ぎ方も知らない、この場所も誰にも伝わらないままでは大変なことになるだろうと慌てた。そう考えていると、目の前にいるプラヴァスは黒く染まり、灰のように散っていった。最後まで「何故だ何故だ」と小さな子どものように震えて死の恐怖に怯えていた。私はラピスの子を手にかけてしまったのだ……』
そう言って精霊王は自分の両手をじっと見つめた。自分が名付けた友の子孫を殺してしまったという罪悪感が彼を襲っているのだろう。
精霊王は少しの間懺悔するかのように何も話さなくなった。彼の骨張った手は小刻みに震えていた。
しばらくすると精霊王は手をグッと握りしめて、こちらに視線を向けた。
『もしプラヴァスのようにへバイオンを初めとして他のラピスの子孫たちが死んでしまったら、と恐怖に駆られた時だった。────予知の映像が浮かんだのだ』
「それは……」
わたしの瞳をまっすぐに見つめ、精霊王は頷いた。
『先程少し話した其方のことだ。しかし言った通り、焦茶色の瞳に黒髪と其方とはかけ離れた無色の色を持つ女性だったが、その女性が私を目覚めさせている場面が浮かんできた。それまで私はかなり長い眠りについてしまっていることもその時に理解した。それまで誰も私を起こせていないことから、この国の存続が危うくなることも』
「だから、精霊たちを眠りに……?」
精霊王は大きく頷いた。
『その通りだ。国王しか知らぬ情報が抜け落ちてしまっている可能性が高いということは、土地に精霊力を注ぐ儀式が行われない可能性も高くなる。私がいなければ力の器を作れないからな。そして精霊は国民の持つ精霊力を主にもらって生きているが、住まう地の精霊力も吸い上げて活動している。農耕も合わせて考えると、私が消えれば一気にこの地の精霊力は枯渇してしまうのだ。眠れば最小限の消費で済む』
「この地の力がなくなってしまえば、精霊は死ぬ……。だからですね……」
精霊王の説明にわたしは納得した。何も知らずこのまま精霊王が眠りにつけば、あっという間にこのプロヴァンスの地の精霊力は吸い上げられ、この地で生きる精霊たちは死んでいくことになる。それをできるだけ遅らせるために一斉に眠らせたということか。精霊王は瞬時に自分がしなければならないことを判断したのだ。
『それで全ての精霊に「時が来るまで待て」と言い、眠りにつかせたところで、私も力尽きてしまった。だから私が眠った後どうなったのか私は知らぬのだ』
「話すと長くなるので簡単に言うと、呪いを逃れた傍系王族が即位して何とか綱渡りで来ている状態です。ですが情報の欠如からプローヴァ様のお部屋のことを知らないようですし、ここで何があったのかも王族の方はわかっていません。……プローヴァ様、何故プラヴァス様はそのような行動を? 無謀としか思えないのです……」
わたしは一番の疑問を口にした。精霊の呪いについては当時の王族が一番よく理解しているはずだ。そう考えると、プラヴァスの行動はどう見ても奇行にしか映らないのだ。
精霊王は『うむ……』と小さく呟くと、自身のこめかみに指を当てた。
『おそらくプラヴァスは精霊を呼び出せなかったことから、その情報は不要だと排除していたのかもしれない。だが、他にも情報を制限していたこともあるのでそれも大きな原因だとは思うが』
「情報を制限、ですか?」
わたしはよくわからず、首を傾げた。精霊王は人差し指をまっすぐ前に立てる。ポイントだと言わんばかりに。
『精霊と協力関係にある理由だ。精霊は人と共存したいと本能的に感じているのだが、それはこの地に多くの精霊力を注いでもらいたいが故だ』
「なるほど?」
『だが、そうすると人間側にとって災いの種になりかねない事柄があることがわかったのだ。だからその辺りの情報をわざと制限し、非公表でやってきたのだ』
「災いの種ですか? どういうことでしょう?」
土地に精霊力を注ぐ行為が災いの種になるとは到底思えない。力で満たされることで、作物もよく育つようになるし、精霊も生きることができる。災いとは遠いとは思うのだが。
わたしの問いかけと表情に精霊王は困ったような顔をした。
『ラピスは土地に力を注ぐことで、人の精霊力に大きな変化が出てくると言っていた。育つ、と』
「あ……」
精霊王の言葉に思い当たるところがあった。わたしが精霊力を使うようになってからやけにたくさん使えるようになったなと感じていた。その表現を育つと言うならば、土地に注ぐことで多くの精霊力を行使することが可能になるはずだ。
わたしの表情を見て、察したことに満足したのか精霊王は深く頷いた。
『土地に注ぐことで精霊力の回復が速くなり、よりたくさんの精霊力を使うことができる。ラピスは生まれ持った精霊力の器の大きさを先天的なものとしたら、回復の速さを後天的なものと呼んでいた。そして回復の速さを上げるためにはたくさん土地に力を注げば良い。精霊力の量で上下が決まる社会で、努力で上下関係をひっくり返すことができるようになってしまうのだ』
「下剋上のようなものが起こってもおかしくはないと考えたわけですね。努力で補えるならば動き方はたくさんありますし……」
『だから国王しか知らないことにしていたのだ。それもラピスが決めた。統一前は精霊力不足から土地の奪い合いで荒れていたからな。人の心は変わりやすいと言っていた』
「しかし、それが今回の状態を生んでしまったのですよね……」
重要事項が故に身内だけにしか情報を出さなかったせいで、あの事件のせいでたくさんの情報が失われたまま来てしまったのだ。
確かに野心に燃えた人間が現れたら面倒な状態になってしまう。読めないように読み方を隠された文字、精霊力を注がねば読めない資料……、できるだけ情報が漏れないようにしたがために、知る人間がプラヴァスの行いのせいで全て死んでしまって失伝してしまったのだ。
『だが、私も目覚めた。すぐにでも眠りについた精霊を呼び覚ますことはできる。オフィーリア、其方が今後の王として君臨してくれるのだろう? 其方にはその資質がある』
「え?」
精霊王の言葉に固まってしまった。精霊王はわたしの反応を予想していなかったのか、彼も微笑を浮かべたまま固まった。
精霊たちが起きるのは嬉しい。シヴァルディもクロネも喜んでくれるに違いない。
けれど、わたしが王様になる? いやいや、精霊王を探して起こしたのは、コンラディンたちと今後の生活のための交渉が目的であって、わたしが今まで国を守ってきた王族を差し置くつもりはない。
わたしのそんな心情を察したのか、精霊王は困った顔に変わる。
『私を目覚めさせ、契約を結んだということは、そういうことだと理解しているのだが……』
「確かに文献を読んだらそうなのですが、できればそれは避けたいのです」
『何故避ける? 私を起こした其方ほど適任はおらぬと思うが……、ああ、そうか。ラピスの子か』
精霊王は怪訝な顔になっていたが、わたしの話から思い出したのかハッとした表情に変わった。わたしはこくりと頷いた。




