第十三話 マルグリッドの隠し事 後編
その後はガレットの作り方を聞かれたり、塩のことを詳しく説明したりすることとなった。そうしているうちにアモリが急に「あっ」と声を上げた。
「今日私、シーツを取りに行く番だった。ちょっと行ってくるね。先生、少し失礼します!」
今日は週末だったのでこの部屋の分のシーツはわたしが洗濯しておいた。替えのシーツはアモリが取りに行く予定だったがすっかり忘れていたようだ。
アモリはマルグリッドに一礼すると慌てて飛び出して行ったので、わたしは声をかける間もなかった。その様子にマルグリッドはくすりと笑った。
「アモリはいつもあのような調子ですね。……ですがリアと話がしたかったのでちょうど良かったです」
金に光る後毛を揺らしながらマルグリッドが優しい声色で話しかけてきた。マルグリッドの真剣な眼差しには芯のあるような一つの輝きが見え、先程の出来事について話すのだとすぐに理解できた。
わたしは体をマルグリッドの方に向け、話を聞く体勢をとった。誰も座っていなかった椅子に腰掛ける。
「リアはもうわかっているかもしれませんが、私は貴族出身です。貴女たちのように平民の出で魔力を持っている、というわけではないのです」
「はい、先生のように平民は魔力自体持たないので普通は弱って死んでしまうと思います。わたしとアモリは特殊な環境で生き延びているのですね」
「ふふ。リアは賢いですね」
深く考えてこなかったが少し考えたらわかることだ。わたしのように平民出の特殊な職員が出るためには子どもの時に力を貰って過ごさないといけない。だが、それ自体難しい。
「私は中位貴族であるキャンデロロ家の出です。そしてアリアは私の身の回りを整えてくれる者です。彼女も貴族生まれで平民と接することがなくきていたので、不快な思いをさせてしまったと思います」
「いいえ、でもそれが普通なのでしょう?」
申し訳なさそうに話すマルグリッドに対してわたしが何でもないように言うと目を丸くした。
「教えたことなどないのに……、よくわかりましたね。それが貴族にとっての当たり前なのです。彼女は普段、部屋を整える仕事や私のお使いしているので今まで顔を合わさずに済んだのですが、よくここまで持ったと思います」
「では、なぜ先生は違うんですか?」
「私はキャンデロロの出ですが、愛人の子という立ち位置です。ここにいるのも母がいない私を正妻から隠すためで、数年後はどこかへ嫁ぐことになると思います」
当たり前のように愛人という言葉が出てきたので日本での常識とは異なることを改めて感じさせられる。今まで前世と同じ感覚で過ごしていたが貴族となるとやはり世界が違うのだ。
「そんな……! じゃあ先生はいつかいなくなるのですか!?」
「そうなりますね」
「……先生の気持ちは……、ないんですか?」
「のたれ死んでも仕方がない環境だったのに衣食住を整え、不自由なく過ごすことができたのにわたしはそのくらいでしか役に立てないのです。父、の役に立ちたいのですよ」
寂しげな顔で笑みを浮かべるマルグリッドの気持ちは堅いようだ。この世界の常識と乖離していることがわかってまた辛くなった。わたしは唇を噛み締めた。
「そんな顔をしないで。まだ時間はあるのですから」
「……はい」
マルグリッドがわたしの頬に手を伸ばす。その手は温かく、柔らかだった。まるでマルグリッドの心を体現しているようだ。
「本当は貴族だということは知られたくなかったのですが、知られてしまいましたね。しかし、アモリを誤魔化してくれてありがとう。正直助かりました」
「アモリには伝えないのですか?」
「そう、ですね……。縁談が決まれば伝えようとは思いますが今のところ考えてはいませんね。混乱させてしまうでしょう?」
マルグリッドの言葉に確かにと妥当な判断だと納得する。わたしはイディから貴族という存在がいることを聞いていたし、前世の記憶からそういうものがあるという知識があったのでまだマシだが、アモリはその概念自体ない。それを説明し理解させるのは難しいだろう。たとえ理解したとしてもマルグリッドをアリアと同じ扱いをしてくる貴族として見てしまう可能性もある。マルグリッドはそれを避けたくて今の今までわたしたちにひた隠しにしてきたのだろう。
「今回のことがあったとはいえ、貴女は子どもとは思えない頭脳を持っていますね。成人後は貴女たちのような魔力を持った子どもを育てる育手として残ってもらおうかと考えていましたが、別の働き口もいけるやもしれません」
「別、ですか?」
わたしは不思議に思って尋ねたら、マルグリッドはこくりと頷いた。
この国の成人は十五になったら認められる。わたしはあと五年ほどだが、孤児院の職員として働くとは思ってもいなかった。ここの孤児たちは成人とともに孤児院を出ていく。領主から土地を借り畑を耕したり、富豪の家の下働きとして働いたりと能力に応じて仕事が斡旋されているので露頭に迷うことはないが、稼ぎはそこまで良くないため生活するのに必死になるだろう。
しかし、それ以外の可能性などあるだろうか。わたしは全く思い浮かばずマルグリッドの言葉を待った。
「貴族の下働きです。魔力持ちなので貴族がやらねばならない雑用を引き受けられます。貴族への接し方を学べば働けると思います。魔力を使うのは制限がありますから」
「制限?」
「私がリアに魔力を渡している時の様子を覚えていますか? 魔力を使うのはいいのですが回復まで時間がかかります。私の場合は二人に渡してから数時間は動きづらくなります」
力をもらった後は疲弊していたマルグリッドの様子を思い出す。正直若干足りない感は否めないが、あの後動けていないなんて思ってもみなかった。
『リアも倒れた時、一週間くらい動けなかったでしょ? それって精霊力を自力で回復してたんだよ』
肩でマルグリッドとわたしのやり取りを聞いていたイディが補足的に付け足した。
それを聞いて確かにそうだったと思い出す。あの時調子が悪かったのは精霊力を回復するためだったのかと理解する。力切れで倒れた時は一週間もかかったくらいだから疲れるくらい使うとやはり後々に響くのは合点がいく。
貴族の暮らしについてはよくわからないが道具を使用することが多いのだろう。イディが精霊道具を持っているのは貴族だと言っていたからだ。精霊力を使うのに制限があり、のちに響くとなれば使わず別の者に任せるのがいいに決まっている。
「雑用を下の者に任せれば他のことに魔力を使うことができます。キャンデロロの家でも生活を回す魔力量しかないので他の魔道具を使えず手仕事でやっている部分もありました」
「なるほど……」
「下位貴族は人を減らして人件費を削ることもできますからね。悪いことはないのですよ。だから給金もある程度は貰えるはずです」
まだ五年先だが、もう五年後の話でもある。苦しい暮らしは誰もしたがらない。だから少しでも自分が楽になるように手を打っておくのも必要なのではないだろうか。
文字解読を続けるには時間もお金も必要だ。しかし講堂の壁文字以外に未解読文字はあるのだろうか。あれを解読するのにどのくらいの時間がかかるのかわからないが、終わっていなければわざわざ孤児院を出る必要はない。
でも、様々な可能性を見据えて行動しておくほうが良さそうだ。
「先生。わたし、貴族への振る舞いを知っておきたいです。いろんな可能性を残しておきたい」
わたしがそう言うとマルグリッドはふんわりと微笑んだ。
「それがいいと思います。知っているのと知らないのでは天と地ほど違いますから。……では、週明けから鐘一つ分ほどの時間を使って勉強していきましょう。ちょうど増やした仕事の量も減らそうと思っていたのですよ」
「わかりました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて礼を言うとマルグリッドは「いいのですよ」と澄んだ声で言った。マルグリッドの隠し事からここまでの話になるとは思わなかったが、孤児として暮らすわたしとしては今後のことを選べるのは有り難い事だ。
『領主くらい上の立場の人なら王国統一前の資料や文書くらい保存してるんじゃない? リアも他の文字とか見てみたいでしょ?』
え、他の文字あるの?
イディの何気ない言葉に反応して肩口を見る。今はマルグリッドがいるので声を出すと虚空と話す可笑しな人になるので目で訴えた。
『え、あるよ? 言わなかったっけ?』
言ってません!
思わず叫びそうになるがグッと堪えたわたしを誰か褒めてほしい。
確かに創世記で幾つかの国々が集まってできたのがこの国、プロヴァンス王国だとあった。その時代から文字があったとすると失伝してしまっている文字も幾つかあるだろう。それならば俄然、貴族の下働きとして、というより領主の下働きとして働く方向に持っていく方がいい。
まだ見ぬ文字ちゃんたちよ〜! わたしが全て解読してあげるからね〜! しっかり残って待ってるんだよ〜!
今後の目標は領主の下働きとして就職することと決まった。
下働きをしながらこっそり文字解読もしてやるんだ、と心に決めマルグリッドとの勉強をしっかり頑張ろうと思った。
『まあ、働けたとしてもそれが見れるかはわかんないけどね』
最後の付け足しは気になるがそれはその時考えよう。
考えると頭が痛くなりそうなことはその事態に直面してから考えることにして、ぽいっと思考するのをやめた。
「ではアモリが帰ってくる前に魔力供給しておきましょう」
「お願いします」
マルグリッドは美しい笑みを浮かべながらわたしの手を取った。
壁文字の次は領主が持っているかもしれない資料。
目標?ができたのでそのためには努力は惜しみません。
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