第十二話 出て行った先に
「自由に生きる、ですか……」
こんな甘い言葉を囁いてわたしをどうしたいというのだ。自由に生きるといっても好きなことだけやっていけば良いと言うわけではない。確かに今、自由ではないが決して不満が多いわけではない。感謝していることも多い。だからその感謝を少しでも返したいと思っていろいろと行動しているのだ。
わたしのことを何も知らないのに何を言っているのだろうと、目の前で優しい言葉を吐く王子様をボーッと見つめてしまう。お腹の中からグツグツとした何かが這い上がってくるような感覚もしている。
「オフィーリアの本音を言ってください。未だに領主様と他人行儀に呼ぶくらい遠い関係です。貴女はヴィルヘルムに良いように使われているのですよ。私は貴女を案じているのです」
『なっ……! なんてこと言うのよ!』
ブルクハルトの言葉にイディは怒りの意を表す。シヴァルディは笑みこそ浮かべてはいるが、目は笑っていない。
ヴィルヘルムはわたしのことを助けてくれた。平民だと蔑むわけでもなく、わたしを一人の人間として扱い、話を聞いてくれた。きっかけはシヴァルディという精霊の存在ではあるが、ヴィルヘルムの領主としての行動はきちんと下々の者のことを考えていたものだった。そんな彼を悪く言うブルクハルトはそのような行動ができるのだろうか?
「わたしを思ってくださるのは有難いことです。……ですが本音と言われましてもわたしは平穏を望むとコンラディン様にお伝えしたではありませんか。それ以外にありませんわ」
にこりと笑って席を立つ。何だか苛々としてしまうので、ブルクハルトに当たってしまう前に頭を冷やさなければ。一刀両断するようにきっぱりとした声にブルクハルトはしまったと思ったのか、「オフィーリア……」とわたしに手を伸ばし付いて行こうと彼も席を立った。
「……申し訳ありません。付いて来られますと、その……少し恥ずかしいので……」
ブルクハルトを付いて来られないようにわたしは用を足したいのだと暗にアピールする。ヴィルヘルムを悪く言われて何だか頭がカッカッしてしまっているから、今はこれ以上一緒にいるのはまずいかもしれない。
ブルクハルトはわたしが言いたいことがわかったのか、一瞬動きを止めた。そして伸ばしていた手をダランと下に下ろすと、笑みを貼り付け直した。
「……それは失礼しました。察しが悪くて申し訳ないです。突き当たり、右奥にありますが、魔力を注がなければ使えないと思うのでそこはお知りおきください」
「折が悪い時に席を立ったのはわたしですのでお気になさらないでください。ありがとうございます」
そう言ってわたしは部屋の外へとそそくさと出る。扉をパタンと閉じた瞬間に取り繕った笑みを一瞬で無にする。疲れたのかよくわからないが一つため息が漏れた。
『リア、大丈夫?』
『気持ちが乱れていますね。少し歩いて落ち着きましょう』
二人がわたしの様子を見て心配し、声をかけてきた。その声で少しわたしも落ち着いたのか、フッと肩の力を抜き、頷いた。
扉一枚隔てているとはいえ、ブルクハルトとの距離は近い。そのためわたしは念の為に声を出さず、静かにその場から離れていく。
『ブルクハルトは何を考えてるんでしょう? 何で領主様を落とすような言い方をしたのかわかりません』
『そうですね……、おそらくリアを取り込みたいのではないかと。特権を行使した強制的な取り込みはコンラディンの言葉によって不可能なので、リアの心に付け込みたい、という思いからでしょうか。そう考えるとコンラディンとブルクハルトの考えは違っていることがわかりましたね』
『ですがシヴァルディ様。リアにはそんな気持ちはこれっぽっちもないんですよ? この国の王子様なんですからそのくらいわかってると思っていたのですが……』
『ブルクハルトが言っていたでしょう? リアがヴィルヘルムを「領主様」と他人行儀に呼んでいる、と。客観的に見てリアとヴィルヘルムの関係は婚約関係にある者同士とは異なると感じたのでしょう。王城でもヴィルヘルムが主導で話していたことも考慮すると、ブルクハルトにはヴィルヘルムがリアを支配していると思えたのでしょうね』
『じゃあブルクハルトはリアに恩を売りたいと思ったのか……』
『リアに恩を売り、ブルクハルト側に着かせることが目的でしょうね。ですが本心は彼にしかわかりません』
二人の話を黙って聞きながらずんずん廊下を歩いていく。シヴァルディの言っていることには納得だ。昨日や今日のあの言いっぷりからはそのような思惑が見え隠れしていないこともない。
あの言葉はブルクハルトの善意も含まれている。しかしその善意の言葉が嫌な攻撃をしてくるのでタチが悪い。否定しようにもブルクハルトはヴィルヘルムを敵に見ている以上、ヴィルヘルムに言わされているとしか見ないだろう。……面倒だ。思わず大きなため息が漏れてしまった。
『否定し続けるしかないですね。そうすれば彼もいつかは理解するでしょう。もしかすると会議が終わって領地に帰る方が早いかもしれませんね』
「ブルクハルト様は良かれと思って言っているのですから仕方ないですね。わたしはわたしの仕事を頑張ります」
そう小声で言っていると突き当たりにぶつかったので、わたしは立ち止まった。早足気味だったが思ったよりも早い。ブルクハルトはここを右に曲がればお手洗いがあると言っていたが、お手洗いに用事はない。念の為にブルクハルトが付いてきていないか後ろを窺うがそのような様子はなさそうだ。まあさすがにないか。
「時間を潰して戻るかあ……。時間もあまりないし……」
歩いているうちに少し頭が冷えたのか、わたしは肩の力を抜く。そしてぐるりと周りを見渡した。
ここに来る少し前の分岐点が入り口と繋がっていた。入り口から入ってその分岐を右に曲がれば資料室、左に曲がれば今いる場所へと辿り着く。ではそのまま奥へと真っ直ぐ進んだらどこに繋がるのだろうか。
トイレも行く気ないし、隠し部屋のことも気になるから少し覗いてみようか……?
彷徨くのはあまり良くないことだとはわかっているが、好奇心と手がかりが掴めない焦りから探索の方に軍配が上がる。
「イディ、シヴァルディ。少し気になるところがあるから見て行っても良いかな? ちょっとチラッと覗くくらいにするから」
『気になるところ?』
「うん。精霊王の居場所が隠し部屋じゃないかって話があったでしょ? 資料から得られるかわからないから古城を歩いて探っておこうかなって」
『怪しまれると面倒なので短時間にしてくださいね』
了解とわたしは頷く。一応保護者的存在からの許可も得ることができたので、わたしは元来た道を戻る。資料室に行くまでにも部屋は幾つかあったが、おそらく大広間のような部屋ではなく、小さめの部屋のようなので後回しだ。王城にあったような謁見の間をまだ見ていないので先にそこを探しておきたい。
例の交差点に辿り着くと、迷いなく左に曲がる。絨毯も何もない石造りの殺風景な場所を歩いているのだが、天井は高く、広い空間が続いている。装飾品がないので逆にスタイリッシュな感じだ。わたしの予想が正しければ、このまま進めば来客をもてなす為の謁見の間があるはずだ。
『ここは国王と顔を合わせて話すところでしょうか。少し広めの部屋ですね』
しばらく進んでいくと、大きめの扉があり、その奥は少し開けた部屋となっていた。シヴァルディの言う通り、わたしが探していた謁見の間だろう。
「もし隠し部屋があるならばここから繋がるのではないかと思っているのですが……。物がないので、あったとしてもバレバレですね……」
そう言いながら部屋の中心の方へと進んでいく。
王城の謁見の間のように少し段が高くなっているところがあるが、絨毯も椅子も何もない。それ故に隠し部屋などありそうな雰囲気もない。……ここかと思ったのだが、当てが外れたか?
『リア、初代王が作成した隠し部屋ならば精霊力を利用したものかと思います。感覚を研ぎ澄ませて感じてみてください』
「そっか……。やってみます」
シヴァルディの助言にハッと気付き、わたしは視界を遮断し、感覚を研ぎ澄ませる。まずシヴァルディの翠、イディの橙と色と膨大な精霊力を感じる。
ここは直系王族が使っていた古城なのだから、色は白のはずだ。範囲を広げてその色を探していく。しかしなかなか見えない。
『見えない?』
「……もう少し頑張ってみる」
イディが尋ねてくるが、わたしは待ったをかける。放置されて二千年ほどなので、薄くしか精霊力が残っていないのかもしれない。しかも初代王ラピスの作り出した遺物であり、この国最高力の者が使うものであるから巧妙に隠されたものの可能性が高い。
わたしは神経を尖らせ、隅々までアンテナを張り巡らせるように見ていく。
「……やっぱりなさそう」
『……そうですか』
感じていないだけかもしれないが、やはり見えなかった。わたしは小さく息を吐くと、シヴァルディはガッカリしたようで気を落とした声を出した。
……そう簡単には見つからないよね。
「まだ奥に部屋はあるみたいだし、お手洗い〜と言って少しずつこれから調べていこうかと思います。同時並行で資料もさらっていきますね」
『見取り図か何か貰えたら楽でしょうが、さすがにそれをブルクハルトが易々と渡さないでしょうし、そうするのが一番ですね』
『プローヴァ様の情報だけでなくて、直系王族の情報も得られたら今後のリアのためになるから資料もきちんと調べていこうね』
二人の言葉にわたしは頷いた。
今回の探索は特に成果は得られなかったが、今後の方針が決まったのでよしとしよう。ただし、ブルクハルトの目を盗んで動くことになるので短時間で済ませることが絶対条件だ。ある程度探索したら、長時間動けるようにブルクハルトに掛け合っても良いかもしれない。まあ資料解読の進み具合との相談になるが。
『そろそろ時間も迫ってきています。とりあえず資料室へと戻りましょう。冷静に対処することを心がけてくださいね』
『何言われても我慢ってことね』
「わかりました。お手洗いが長いと思われるのもあれなのですぐに戻りましょう」
わたしたちは謁見の間を後にした。




