第十話 再度確認
「えっと……、あれ? 伝わっていませんでしたか? わたしはジャルダン領で平穏に、安全に資料室の統一前の文献を読み耽ることを望んでいるはずなのですが……。あとは正直どうとでも良いのですが……」
いきなりの発言に混乱しつつ、わたしの思いをヴィルヘルムに伝える。わたしは文字解読がしたいだけなのだ。その過程でたまたまシヴァルディを呼び出し、いろんなことに巻き込まれているだけで、わたしは貴族生活を満喫したいとか、権力者になりたいとかは思っていない。ヴィルヘルムもそれを理解して行動してくれていると思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
わたしの困惑の言葉にヴィルヘルムは言葉選びを間違えたのか、目線をずらして手を軽く振った。「違う」ということだろう。
「それはわかっているが、そう意味ではない……。今日のブルクハルト様の態度でいろいろと確認しなければならないと思ったのだ」
「確認、ですか?」
何を今更確認する必要があるのだろうかと思いつつ、わたしは尋ねた。ヴィルヘルムは「ああ」と頷きながら、胸の前で腕を組む。
「コンラディン様が絡んでいるかはわからないが、ブルクハルト様の今日の様子を見ているとお前を諦めた様子ではなかった。ただ約束を交わした件があるので強制的な行動はしないとは思うが……」
「どういうことでしょうか?」
尋ね返すとヴィルヘルムは呆れた表情でわたしを見る。ついでにため息もつけて。ため息はもう良いんだけどな……。
わたしの様子を見てシヴァルディが困った顔をして進み出てきた。
『リア、一応ヴィルヘルムと婚約していますよね?』
「形だけですけど、そうですね」
『今日、ブルクハルト様がヴィルヘルムを遣いに出したのは覚えていますか?』
車に昼食を積んでいるから取りに行って欲しいと言っていたあの不可解な行動のことかと思い出し、わたしはゆっくり頷いて覚えていることを伝える。その様子を見たヴィルヘルムは「ここまで言われてもわからないか……」とげんなりとした表情に変わる。
『婚約というものは将来婚姻を結ぶということです。それが崩れるようなことがあってはなりません。ですので婚約すれば、未婚の男女が婚約者以外の者と気兼ねなく二人きりになるのは外聞が良くないですし、非常識だと捉えられます。……これで意味は繋がりましたか?』
「……はい」
眉を下げながら困ったように微笑んでいるシヴァルディの言葉を理解し、わたしは小さく返事をした。ヴィルヘルムはやっとか、といった表情だ。
まずわたしが婚約したという意識が低く、いつか解消されるものだと思っていたことで、そこまでの考えに辿り着いていなかった。
そして、ヴィルヘルム以外の男性と二人になる機会などなかった。わたし付きの武官であるメルヴィルともだ。もしかしなくてもこの辺りの配慮が自然とされていたのかもしれない。バタバタと決まった婚約であるし、覚えなければならない内容が多すぎて聞いたことがなかった。当たり前だと飛ばされていたのかもしれない。その当たり前がわたしはわかっていなかったのだけれど。
シヴァルディの言ったことをまとめると、ヴィルヘルムという形だけとはいえ婚約者がいるのにも関わらず、そのヴィルヘルムを短時間でも排したブルクハルトは非常識であり、わかっていて何かを狙っているということになる。そしてヴィルヘルムの「諦めていない」という言葉から、ブルクハルトはわたしとの婚約を望んでいるということになる。
「でもわたし、全くそのような気はないのです……。寧ろ大変なところに飛び込む気がしてならないので避けたいです……」
『ブルクハルトは二人になった時に何か言っていませんでしたか? こちらの気持ちは伝えているのにも関わらずこのような行動に出ているのです』
シヴァルディがそう言うので、必死にブルクハルトが言っていたことを思い出そうと頭を捻る。正直どうでも良すぎて言葉が曖昧だ。なかなか言葉を発しないわたしを見て、ヴィルヘルムが話し出した。
「ブルクハルト様は私を敵対的に見ているようだ。にこやかにされているが表面的なものだろう。……おそらくは私がオフィーリアを何かしらの権力的なもので従わせていると勘違いなさっているのだろうと思うのだが」
『ブルクハルトからしたら、囚われてるリアを救ってあげようという感じなんだね。だからブルクハルトはリアに『力になりますよ』って言葉をかけてたのか。あれは口説いていたんだね』
「確かに言われると……」
そんな言葉をかけられたような気がする。「私は貴女の味方」とか「自分の気持ちを大切に」的なその時は良くわからないことを言っていた。
ヴィルヘルムたちの話と合わせると、イディのいう口説くまではいかないが、わたしの本音を引き出そうとしていたのだろう。本音というか、わたしはヴィルヘルムに脅されて従ってるんです、助けて的な救いを求める言葉だと思うが。もう一度言っておくが、わたしにはその気はないし、脅されてなどない。
イディの言葉を聞いた二人は、やはり……と言った表情になる。
『リアは本当にその気はないのですね? ブルクハルトの命令があったから断れなかったのですよね?』
「そうですね」
あの時は騒ぎ立てるというか、それを指摘すべき方が正解だったのだろうか。でもシヴァルディの言う通り、命令者は王太子のブルクハルトだし、ヴィルヘルムも何だかんだで受け入れるしかなさそうだった。
「……無知だったのならば今それを恥じなさい。もう一度聞くが、本当に其方はブルクハルト様との婚姻は望まないのだな?」
「望みません! もし婚姻を望んで資料室とかに引き篭もれるなら考えますが、今持っている情報から考えてもそうならないのはわかりきっているので避けたいです」
きっぱりと言い切る。いくらわたしの精霊力の保有量が多いことを知られてなくとも、今の状態では解読作業などでこき使われる可能性も高く、いろいろとバレるリスクも大きくなる。まあ未解読文字発見率はグッと上がるので良いところもあるんだけど、それよりもデメリットの方が大きい。
「……そうか」
一瞬ヴィルヘルムの表情がフッと柔らかいものになった気がしたけれど、すぐに元に戻った。わたしの意思を確認して安心したのだろうかと不思議に思うが、そのまま彼は続ける。
「ではコンラディン様とブルクハルト様の考えはこれから別だと思いなさい。言っていることとやっていることが違っている。今まで通り余計な情報を落とすことはしないように」
『明日からは二人になるのが不安ですが非公式ですし、事情もありますから……。ですのでリアが毅然とした態度を取ることが大切ですからね』
『一応お守りも付けておいてね。そうしたら物理的な攻撃は弾けると思うし』
三人からいろいろと忠告を受けてわたしは素直に「わかりました」と了承する。毅然とした態度と言われても自信はないが、「婚姻する気はない」という気持ちを出していかなければならないということだろう。ヴィルヘルムは不在になるが、シヴァルディを通じて連絡は取れるだろう。
『確認が取れて良かったですわ。明日からは私たちも一緒に付いて行きますが、リアも十分に注意くださいね』
シヴァルディはにこやかな顔でヴィルヘルムを見た。ヴィルヘルムは居心地が悪いのかシヴァルディをじっと睨みつけ、一度咳ばらいをし、「明日からは頼んだぞ」と言うと退出するように命じられた。時間的にそろそろなので丁度いい。
ヴィルヘルムはこんなことが確認したかったのだろうか。気になるのなら仕方がないけれど。フェデリカを呼び、わたしはヴィルヘルムの部屋を後にした。
次の日、ヴィルヘルムたちは会議のため王城へと向かって行った。わたしは朝はゆっくり過ごし、迎えの車に乗って古城に行く。もちろんイディとシヴァルディも一緒だ。
「おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」
丁寧な口調でそう言うとブルクハルトはにこりと爽やかな笑顔を向けてきた。昨夜のこともあるので曖昧な笑顔で「こちらこそ」と返しておく。シヴァルディの目がギラリと光っているのが少し怖い。いつもの笑顔なんだけどな……。
わたしは寝る前にササッと仕上げた報告書をブルクハルトに手渡し、ざっと内容を説明する。昨日はそこまでの成果は得られてないから簡単なものだ。
「……まだ成人前ですよね? ここまでのものが書けるとは流石です」
目をざっと通したのかブルクハルトは報告書を凝視しながら驚きの声を上げる。……そこまでのことを書いていないけど、と思いつつ、褒められたので「恐れ入ります」と返しておいた。
古城に到着し、資料室へと入ると昨日座っていた席へと一目散に向かう。時間は有限なので、できるだけ多くの情報が欲しいところだ。優先度が高い精霊王関連が書かれているであろう本の一冊に手を取り、一ページ目を開く。ブルクハルトはここでできる仕事を持参しているようで、別のテーブルを陣取っていた。
……まあ作業中は大丈夫でしょう。
わたしはプローヴァ文字表を引っ張り出して変換をスタートさせた。




