第九話 報告書作成と変な様子の領主
作業が終わり、そのまま車に乗せられてジャルダンの別邸に帰された。その後、暮れの鐘がなったのですぐに夕食となったが、後のこともあるので時間をかけずさっさと終え、与えられた部屋へと戻る。
記憶が鮮明なうちにまとめておくと、だらだらと報告書を書くことはなくなるだろうと考え、ブルクハルトから借りたインクとペンと紙を広げた。こんな高価なものをぽんと渡せるなんて、と驚きを隠せないが、コンラディンが目を通すことになると納得なので、遠慮なく使わせてもらうことにする。木札を主に使うことが多かったので、少し新鮮だ。
『今日の報告ってほとんど表題を読んでただけじゃない。まあそれを書くしかないんだけど……』
「どんな本があったかを小出しにしておこうかなと考えてる。精霊の情報が得られるっていう希望があるだけでもコンラディン様のお気持ちは違うでしょう?」
『希望があればどんなに時間がかかっても待てるとは思うね。プローヴァ様の情報はどのタイミングで解禁するつもりなの? 前、領主様が「交渉材料として持っておけ」って言ってたけど……』
今回は精霊王に関する資料を探すための表題読みだったので、精霊王に関する情報を探っていることは伝えなければ今日一日の作業の意味を説明することは難しい。しかもブルクハルトにも言ってしまっているので尚更だ。
イディのその言葉にわたしはどこで交渉をしかけるべきなのかを考える。全てを知ろうとするとかなりの時間がかかってしまう。わたしはまだ未成年で、王都に一人で行く、かつ滞在することは難しい。
つまり今回の春の会議が終わり次第、ヴィルヘルムたちとともにジャルダン領に戻ることになるだろう。アルベルト、またはヴィルヘルムがもう少し王都に滞在することになれば延長は可能だろうが、それも多少の時間で、次また王都へとなると会議の期間に合わせて一年後になる可能性だってある。未成年であることが幸いでもあるが、時間の縛りにもなっているのだ。
「……少なくとも精霊王の石碑? のようなものがある場所がわかるまでは、解禁しない方が良いかもしれないとは考えてるかな。場所がわかり、存在を確認しないと交渉のカードにすらならない。……でも、領主様との相談次第、かな」
シヴァルディやクロネのように眠る石碑があるはずだと予想している。そこが精霊王のいる部屋なのだろうと。それを見つけ、場所を教える代わりにわたしの身の安全と自由を保障するようにコンラディンに交渉しなければならない。婚姻は結ばないと言質を取ることはできているので、王都に永久定住を回避する方に持っていけばいい。
『プローヴァ様の場所、か……。多分、感覚的にあの古城のどこかだとは思うんだけどな……。ブルクハルトはそんな話してなかったから知らなさそう……』
「イディもそう思う? 直系の城って聞いた時からそうじゃないかな、とは思ってた。城の中じゃなくとも、森の中とか……。あ、それならシヴァルディが何か言うよね」
『シヴァルディ様の様子だと、シヴァルディ様も知らない感じだと思う。直系が亡くなる前までは秘密裏に伝えられていた隠し部屋とかがあったのかもしれないね』
隠し部屋、と言われて確かにと思い、顎に手を当てて考え込む。古代の国王が住んでいた城なのだから隠し部屋の一つや二つあってもおかしくはない。それを傍系が知るはずもないので、今伝わっていないと考えると辻褄が合う。
ブルクハルトに古城の見取り図を貸してもらえるように頼むかと考えるが、今は時ではないとすぐに否定する。こちらが何を狙っているのか悟られないように動くためにはうまく動かなければならない。
「隠し部屋のことも考えて明日から動くね。……じゃあ、さっさと今日の作業報告書書いちゃうね」
『うん、頑張ってリア』
いろいろと考えることは多いが、時間は無限ではない。この短期間にある程度の情報を得るために、思考を巡らせながら動いていかなければならない。この時間も大切な時間だ。だからさっさと面倒な……ではなく、すぐに終わらせられる課題は先に終わらせることにした。
イディの激励にわたしは微笑ましく思いながら、メモしておいた表題たちと睨めっこしながら端的にまとめ始めた。内容はほぼないので、鐘半分の時間があれば十分だと思う。
『リーアー! リアったら!』
集中が切れた途端にイディの騒がしい声が耳に飛び込んできた。わたしは肩をぴくりと震わせて、声の主の方に目をやった。
報告書はほぼ終盤だった。「こんな資料が転がっていましたよ」という丁寧な言葉とともに、表題の一部を添え、こちらの目的を書き示しておいた。あとは結びの言葉と「気になるところがあれば教えてください」的な文章を添えるだけだったが、イディの揺さぶりと大声で集中していたのがぷつりと切れてしまった。あと少しだったのに、何だとジト目になりかけたところで、自分の胸が光っているのに気が付いた。
『シヴァルディ様の色だから、シヴァルディ様が呼んでるよ!』
「……ホントだ。何だろう」
わたしの胸を指差してイディが指摘する。わたしは呼応するために、胸に手を当てる。
……良かった、やっと答えてくれましたね。
申し訳ありませんと謝罪しながら、かなり長い間呼びかけていたことを知る。念話に気付かないとかあるのか? と不思議な気分になってしまうが、実際そうなってしまったので有り得ることなのだろう。ごめん、と心の中でぽつりと呟きながら、わたしはシヴァルディに用件を尋ねた。
ヴィルヘルムが話したいことがあるそうで、こちらに来ることは可能かという伝言を承っているのですが……。もう夜の鐘も鳴りますし、どうかと窘めたのですが、明日のこともあると言っていまして……。
明日からはヴィルヘルムも会議でいないので、すぐに相談することは叶わない。そう考えると時間がある今のうちに打ち合わせしておく方が無難かと考えるが、何故わざわざ出向く必要があるのかと首を捻る。ヴィルヘルムから与えられた精霊道具があれば十分ではないか。今日の出来事も含めて、ヴィルヘルムは何だかおかしい。
婚約者という立場ではあるので、遅すぎなければ会うのは問題はないとは思いますが、時間的に鐘一つ分の時間くらいですね。リアが嫌ならば、私から突っ返しておきます。
どうしようかと考えるが、出来上がりつつある報告書に目を通してもらわなければならないことを思い出し、わたしは話を承諾した。シヴァルディは突っ返されると思っていたのか驚いていたが、報告書のことを話すと納得していた。フェデリカたちが難色を示してもこれで堂々と向かうことはできる。……時間制限はあるけれども。
わたしはすぐに向かうことをシヴァルディに言うと、未完成の報告書を片手に席を立つ。そしてもうすぐ就寝のため準備をしているであろうフェデリカを呼ぶように扉の外に呼びかけた。
ヴィルヘルムが過ごしている部屋に向かい、フェデリカに来訪のベルを鳴らさせる。
ここに来るまでに「婚約者であるのは間違いないですが突然は少し……」とフェデリカに苦言を呈された。わたしに言うのではなくヴィルヘルムに言ってほしいと思うが、応じているわたしもわたしなので黙って聞いて非礼を詫びた。でも手に持っている報告書を掲げて、「コンラディン様やブルクハルト様に失礼があってはいけませんから……」と下手に言うと、「ですから『駄目です』と言えないのですよ」と苦笑された。
「入りなさい」
部屋の中からヴィルヘルムの声が聞こえ、わたしはフェデリカに後の準備のことを、メルヴィルに扉の前に残るようにお願いし、入室した。ヴィルヘルムの武官であるランベールが部屋の外で待機しているので、彼女らを排して話す内容であることはわかりきっているので先回りだ。
『リア、申し訳ありませんでした。……ヴィルヘルムの我儘を聞いてもらってしまって……』
中に入ると、シヴァルディが申し訳なさそうに眉を下げた状態で謝ってきたので、わたしは問題ないと伝わるように精一杯微笑んだ。シヴァルディの奥にはヴィルヘルムが机に向かって書き物をしていたようだが、わたしが入室してきたと同時に手を止めて、立ち上がっていた。
「領主様。こんな夜更けに何でしょうか?」
にこりと笑顔で尋ねると、ヴィルヘルムは「ああ」と言いながら来客用の椅子に座るように勧めてきた。珍しいと思いながら席につき、机の上に報告書をぱさりと置いた。
「……報告書か」
「はい、ついでに見てもらおうかと思いまして」
「先にそれを見ておく」
いや、それより話を先にして、と思うが、有無を言わせない雰囲気を漂わせてヴィルヘルムは報告書を手に取り目を通し始めた。まあ短い文章なのですぐに読み終わるだろう。
「……良く書けているな。内容もこれが妥当だろう」
「……読むのがお早いことで」
すぐに読み終わるとは思っていたが予想以上に早かったので呆気に取られてしまった。しかし問題ないと判断されたので、これで残りを書き足して提出してしまおう。ホッとしたのか、胸に手を当てて「良かった」と声を漏らした。
『ヴィルヘルム、早く用件を話してください。婚約者という関係ではありますが、もうリアは就寝の時間なのですから』
「……そうだな」
ヴィルヘルムは報告書をわたしに返しながら、言いにくそうに呟いた。若草色の後れ毛がはらりと落ちる。
何故そんなに言いにくそうなのかと首を傾げるが、その答えは見えそうもない。
「明日からは言っていた通りシヴァルディを付けることになっている。もし何かあれば、シヴァルディを通じて連絡してくれ」
「わかっています。今日の感じから特に問題はなさそうですが、困ったらすぐに相談させてもらいますね」
「そうなのだが……。わかっていないのか。そうか……」
歯切れの悪いヴィルヘルムの言葉に益々首が傾いていく。
「何か問題があったのでしょうか? わたしは感じなかったのですが……」
わたしが見えていないところで失敗していたのかと思い、尋ねると、ヴィルヘルムは大変言いにくそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「其方は……、ブルクハルト様と婚約を望んでいるのか?」




