第七話 ブルクハルトの不可解な行動
やはり慣れなければ一日に読める冊数はたかが知れるものだ。しかし王族が隠していたものだけあって内容はなかなか精霊のことに突っ込んだものだった。
初めに何の気なしに手に取った資料は日の精霊であるアティーティアという精霊のことが細かく記されたものだった。特性や容姿、全ての精霊の中での立ち位置など普通に暮らしていたら知り得ない情報があり、進みは遅くとも目新しいものばかりだ。
でも、一冊一冊に目を通していたら会議が終わるまでには間に合わない……。次からは表紙を読んでから読む本を決めようか。
一冊目から目を離し、額に手を当てる。同じ姿勢で作業をしていたものだから、どうも体がガチガチになっている。若すぎる体とはいえ、無理は良くない。本当は思いっきり伸びをしたいところだが、ブルクハルトもヴィルヘルムも近くにいるので敢えなく断念した。
「どうですか? 進んでいますか?」
わたしの集中力が切れたことを確認したブルクハルトが優しい笑顔を向けながら尋ねてくる。わたしも同様に笑顔を作りながら肯定した。
「はい、本当に少しずつなのですが……。ブルクハルト様はお忙しいお立場なのに時間がかかってしまうこと、心苦しく思います」
ブルクハルトがこの待ち時間何をしているのかは全く知らないが、彼は王子様で成人済みなので、それなりに仕事も振られているはずだ。一応、時間をたくさんもらうことになるけど許してね、というアピールをしておくことにする。
するとブルクハルトは笑顔で首を横に振り、「問題ないですよ」と柔らかく否定した。アピールは成功したようである。
「もうお昼を過ぎているのですが、そのくらい集中されていたのは驚きです。寧ろ我々のためにここまでしてもらえるなんて、と感心していましたよ」
……いや、読むのが楽しかったのでそんなこと頭から抜けておりました。しかし、鐘の音なんて鳴っていたか? と首を傾げながらヴィルヘルムを横目で見ると、彼は呆れたように小さなため息をついて首を縦に振った。どうやらブルクハルトの言うことは本当のようだ。
……領主様、わかってたなら揺さぶるなりして止めてよ。
心の声が届くようにわざと表情に出してみるが、ヴィルヘルムに睨まれた。「やめなさい」ということか。ブルクハルトもいるし、一応伝わったようなのでやめておこう。
失礼なことをしてしまったが、ブルクハルトはそんなことを気にするそぶりもなく、にこにこと笑顔を浮かべている。感情が読めないように隠しているのか、本当に気にしていないのかわからないのが不安でしかない。
「では、今区切りも良さそうですし、簡単ですが昼食にしましょう。料理人をここに呼ぶことはできないので持ってきたものになりますが了承ください。ですが一流の料理人が作ったものですので冷めても不味くはないと思いますよ」
不安に駆られたわたしを他所にブルクハルトがそう提案をしてくる。提案と言っても一番身分の高い彼が言っていることは命令に等しい。わたしはドキドキしつつも「ご配慮ありがとうございます」と承諾し、礼をした。
「ではわたしがその料理を取りに行きます。車に積んであるのでしょうか?」
王子様、領主と高い身分の人物に囲まれる中、わたしが一番位が低い。となれば、わたしが率先して動かねばならないはずだ。
今回、側仕えを連れてくることができなかったので、身の回りのことは自分でするしかない。わたしはそれが当たり前の環境で育ったので問題はないけれどね。
そのわたしの申し出に対して、ブルクハルトは笑顔をわたしからヴィルヘルムに向けた。
「車に積んであるのは合っていますが、今仕事をしているオフィーリアは少しでも休んでください。代わりにヴィルヘルムにお願いします」
え、と唖然とした声が漏れ出そうになるが、寸のところで何とか止まれた。
わたしに休んでもらうためにわたしより身分が上のヴィルヘルムを動かすってどうなのか。これが普通なのか? いや、そんなことはないはずだ。
ブルクハルトは笑みを崩さず、にこにことしている。ヴィルヘルムはどう立ち振る舞うのが正解なのか、必死に考えを巡らせているようだ。けれど「お願いします」と王族であるブルクハルトに頼まれた以上、言いがかりや無視はよろしくはないだろう。ややあってからヴィルヘルムは「……わかりました」と顔を引き攣らせながら了承した。
「……ではすぐに戻りますので」
そう言いながらヴィルヘルムはこちらをじっと見つめてきた。「余計な話や承諾はしないように」と言いたげだ。勿論わかっていますよ、とジト目でヴィルヘルムの青磁色の瞳を見つめると、心配するような珍しい表情をしながらヴィルヘルムは名残惜しそうに部屋を出ていく。ここに来るまでそれほど時間はかからなかったからすぐに戻って来られるだろう。
部屋にわたしとブルクハルト二人が残され、その異様さが浮き彫りになる。気まずくてみじろぎしてしまうが、ブルクハルトはにこにこと笑顔を浮かべている。
「オフィーリアはジャルダン領主の第一文官の娘ですよね? だから文官を志しているのですね」
「は、はい! 父のような文官になれるように日々勉強中です……」
突然自分のことを尋ねられ、慌てて答える。落ち着かないとと胸に手を当てて呼吸を整える。
ブルクハルトはわたしが養子であることを知らないようだ。正しくはヴィルヘルムがわたしに文官の適性を感じたからアルベルトに頼んだので、アルベルトの娘だから文官を志しているわけではないのだが。彼は何を考えているのだろうか。
「第一文官の娘となると立場を優先することになりますね。大変でしょう?」
「……どうなのでしょうか。わたしはあまり感じたことはないのですが……」
「そうなのですか……」
ブルクハルトは眉を下げる。立場を優先するという言葉の真意が見えない。
けれど言葉通り、わたしは今は身分のせいでの困り感はあまり感じていない。おそらく成人しておらず、自分自身で動くことが少ないからだとは思う。だから今勉強して多くの知識を身につけて、今後に備えなければならないのだ。
「もし私の力で貴女の助けになることがありましたら遠慮なく言ってくださいね。貴女は地方領地で収まる人材ではないのですよ」
「……それは、どういう……?」
「言葉通りですよ、オフィーリア。ジャルダンにとってではなく、貴女の気持ちを優先させてくださいね」
「……はい?」
わたしの気持ち……? 全くピンと来ない言葉をかけられ、更に訳がわからなくなった。ブルクハルトは何が言いたいのか本当にわからない。
わたしの気持ちを優先して良いなら、さっさとこの作業を終わらせて仕事なんてほったらかして引き篭もりたい。昔の文献たちに囲まれて。一生かかっても良いからずっと古代文字に触れていたい。
……勿論無理なのは百も承知だ。そんなことを言えるわけもなく、何とか笑みを作る。
『リア、顔が引き攣ってる。……でもブルクハルトは何が言いたいんだろう?』
一部始終を隣で見ていたイディはわたしの表情を見て苦笑いする。イディもブルクハルトの真意がわからないようだ。ここにシヴァルディがいればと思うが、ヴィルヘルムを一人にするわけにはいかず一緒に行ってしまった。呼ぶかと考えたが、何が正解なのかわからない。
「オフィーリア、わたしは貴女の味方です。それはわかっていてくださいね」
「あ、ありがとうございます……?」
何か思い違いをしているのか話が噛み合わず、よくわからず礼を言う。ブルクハルトはにこりと爽やかな笑顔を向ける。
とりあえずブルクハルトはわたしの味方のようで、何か勘違いをしているみたいだ。その勘違いがわからないのが歯痒いが、あまり突っ込んでも藪をつついて蛇が出る結果になるのが怖い。まずはこの話自体を終わらせる方が良いかもしれない。
「ブ、ブルクハルト様は次期国王としてどのような国をつくりたいのですか?」
我ながら酷い質問だ。明らかに話を逸らした感が強い。しかしブルクハルトは予想外の質問に動じることなく、笑顔を貼り付けて答えた。
「……まあいいでしょう。今の状況を打開し、更なる繁栄を……でしょうか」
「打開、ですか?」
「ええ。単一王朝にも関わらずここまで来られたのは歴代の国王たちの力が大きい。ですが彼らでさえ精霊のことには至らなかった。私は彼らより運が良い。私はその運を掴み、国民の安寧のために精霊を復活させ、共存する世界をつくりたいと考えています」
精霊の復活を願うのはわたしたちもだ。象徴だからというのではなく、眠ったまま朽ちていくという運命があまりにも残酷でないかと思うからだ。シヴァルディたちに会うことがなければ知り得ない事実なので、これをブルクハルトに伝えるわけにはいかない。
『ブルクハルトはワタシたちのことを知らないからだとは思うけど、随分身勝手ね。精霊を安寧の道具みたいに思ってそう』
……イディ!
少し厳しめの念話を送ると、イディは口元を両手で塞ぎ、しゅんとなる。イディの言うことはわからなくもないが、こちらもブルクハルトたちのことを完全に理解しているわけではない。
わたしが「素敵ですね」と適当な返事をすると、ブルクハルトはにこりと笑った。
「そのためには貴女と仲良くなる必要があるので、短い期間ですが頑張ることにしましょう」
「……はい?」
また訳がわからない発言をされて首を傾げると、足音がコツコツコツ……と早足気味で近づいてきた。そして扉がギギギ……と開くと、大きめのバスケットを片手に笑顔を作ったヴィルヘルムが入ってくる。
「お待たせいたしました」
「……思った以上に早かったのですね」
「どこにあるのか手間取りましたが、お待たせする時間が少なくて良かったです」
一気にテンションが下がったのかブルクハルトの声はやや低い。ヴィルヘルムは笑顔を浮かべ、ブルクハルトの態度を無視して、ツカツカと机まで近づき、バスケットの中身を広げ出した。わたしも慌ててそれを手伝う。
『リア、ブルクハルトと何を話していたか後で教えくださいね』
何とも言えない表情をしているシヴァルディに対してわたしはこくりと頷くと、カトラリーを引っ張り出した。
……大人の世界は良くわからない。




