第四十九話 力を注いだ土地、本来の地
手のひらからたくさんの精霊力が出ていく。それは自身に溜まった熱が吐き出され、すっきりするような感覚だ。やりすぎると気分が悪くなるが、一定までは心地よいものだ。わたしはその感覚に身を委ねる。
「……オフィーリア、そろそろ手を離しても良い」
後ろから聞こえるヴィルヘルムの声にわたしはハッと目を開けて、我に返った。そして精霊力を注ぐことをやめ、手を引っ込める。
「……素晴らしい……!」
後ろを振り返るとジギスムントが目を見開きながら、力強く独り言を言っていた。近くにいるヴィルヘルムたちも唖然とした表情をしている。何が素晴らしいのかわからず、わたしはジギスムントたちから視線を畑へと移した。
「わあ……!」
目の前に広がる景色は今までのものと全く異なっていた。
地面が草原のように植物が生い茂っていた。中には小花を咲かせるものもあり、その土地の豊かさを象徴するような景色だ。
また、パタを含む畑の作物は高く太陽に背を伸ばし、茎は太く、葉は生命力に溢れていた。花は大輪を咲かせ、実がなっていた作物の中には大きくなっていたり、鮮やかな色に変わっていたりと大きく変化していた。
土地に直接精霊力を注いでいた時は部分的な変化しか見られなかったが、今回は一気に景色が変わった。緑豊かなその景色にわたしの眼はきっと輝いているに違いない。
『すごい……! 一気に大地に生命が……!』
『私の眠る前と同様の景色です……! 精霊力で満たされた景色です……!』
イディ、シヴァルディが喜びの声を上げる。特にシヴァルディにとっては見覚えがあり、地が喜ぶ好ましい状態なのだろう。彼女はぱあ、と花が咲いたかのような美しい笑顔を浮かべている。その顔を見ていると、注いで良かったと思わずにはいられない。
「ああ……! これは奇跡です……! このような素晴らしき事象、夢なのか現実なのか……、混乱してしまいます……」
ジギスムントは両手を広げて感激しながらも、目の前で起こったことを飲み込むのに精一杯のようだ。
「……これはこの国の行く末、王族、全てをひっくり返す発見です……」
「……ああ」
アルベルトは目の前に広がる景色をただ一点に見つめ、呟いた。ヴィルヘルムはその呟きに同意するように小さく頷いた。
この儀式自体は古代に当たり前に行われていたことだ。しかしシヴァルディたちが眠りについてから廃れ、忘れ去られてしまった事象である。この儀式を取り仕切っていた王族が何か関係していると踏んでいるが、どこまで知っているのか不明だ。しかし王族も消えた精霊の情報は欲しがっているのはわかっている。
「この儀式を復活させれば各領地の収穫量を上げることができるが、誰しもができるわけではない……か。うまくいかぬな……」
ヴィルヘルムがぼそりと呟く。
この領主であり、シヴァルディが仕えたジャルダンの出であるが、彼すらも石柱は拒絶した。王族が注ぎ回っていたのは彼らにしかできないからだという裏付けとなってしまった。
……王族にしかできないことを何故わたしができるのかは謎で仕方がないけれど。
「……領主様。この後どうされますか? まだ余力はあるので他の場所も注ぎますか?」
皆、その場に立ち尽くし唖然とするばかりなので、わたしは小声で話しかける。終わるならば終わっても良いが、収穫量を上げたいのならばできるだけ注ぐ方が良いのではないだろうか?
話しかけたわたしをヴィルヘルムは何か言うわけでもなく、じっと見つめてきた。その青磁色の瞳からは何もわからない。キョトンとしていると、ヴィルヘルムはすう、と目を細めた。
「……今後、オフィーリアが鍵となるか……」
「え?」
言っている意味がわからず、わたしは聞き返してしまうが、ヴィルヘルムは無言で首を横に振って「何でもない」と一蹴した。
「ここまでの成果が得られるならば、少しずつでも良いので注ぎ回ってほしい。あとどのくらい行けそうだ?」
「……少量ずつならばあと十程は可能だと思います」
先程の精霊力量以下ならば、数多くの石柱に注げるだろう。ただわたしの保有量にも限界はあるので、この領地全ては難しいと思う。
ヴィルヘルムはわたしの答えが想像以上だったのか、一瞬驚いた顔をするも、すぐに真顔になり頷いた。
「では頼む。……アルベルト、予定通りの経路で行く」
「わかりました。次は南の方ですね」
アルベルトが返事をすると、手配していた車に乗り込むように声をかけてきた。石柱と石柱の間は距離があるので、この準備の良さは有難いことだ。
その後、わたしの調子が悪くなるギリギリまで精霊力を領地の三分の一ほどの石柱に注ぎ回った。限界量を伸ばすには倒れるくらいまで使うのが良いのだが、今後の相談をしたいとのことなので軽く頭痛がしてきたところで切り上げたのだ。
「さて……」
城に戻り、可能な限り人を排した状態でヴィルヘルムが切り出す。この部屋にはヴィルヘルム、ジギスムント、わたしの三人しかいない。それぞれについている武官は部屋の外で見張りを頼んでいる。
本当は保護者であるアルベルトも同席しなければならないが、精霊が見えない彼に余分な情報は与えられない。知らぬが仏、という言葉があるくらいだ。情報を与えることで心労をかけてしまいかねない。
「儀式ができるのは其方らの言う白の精霊力を持つ者だということがわかったので、我々では執り行うことができない」
『しかし、このまま作物を作り続けることで精霊力は使われていきます。そしていつかは作物すら育たない地になるでしょう』
補充をする儀式を行いたいが、できる人員は限られている。けれどこのまま何もせずにいると、この地は飢饉に見舞われるだろう。シヴァルディはそれを危惧している。
「……王族に報告するのもあり、か。しかし器が作れないとなると注ぎ回るのも厳しいのか?」
『今の王族の保有量では厳しいでしょう。コンラディンの精霊力は今のジギスムント以上、ヴィルヘルム以下です』
「では満たされるくらい注ごうと思えば厳しいのですね……」
眠りにつく前の国王でさえ器がなければ厳しかったので、コンラディンでは力不足は否めない。わたしでも全力で注いだら一日二、三個が限界だ。しかも寝込むのもセットなので、全ての領地を回るには年単位の時間が必要になりそうだ。
「少量でも効果はあるので注いではおきたいな。オフィーリア、また頼めるか?」
「わかりました。問題ありません」
少しでも多くの実がなれば平民たちの暮らしは良くなるはずなので快諾する。育てても育てても実りが得にくいのは辛いものなのは理解しているので、できるならば力になりたい。そうすれば食い扶持を減らすために捨てられる孤児も減るはずだ。
「しかし何故オフィーリアはアレに触れるのか、考えても全くわかりません。貴女は実は王族の隠し子なんてことはないのですか? 孤児院に居ましたし……」
『ジギスムント。それならオフィーリアは真っ白の精霊力のはずだよ? オフィーリアの色は薄橙なんだから王族とは関係ないよ』
クロネの言う通りわたしは王族とは無縁のはずだ。父母はあの権力に弱い下位貴族なのはわかっている。だから生まれも育ちもジャルダンの人間だ。
石柱に触れられる理由として考えられるのは、おそらく転生が絡んでいると思うのだが、それを明かしているのはイディとシヴァルディのみなのだが、話すべきなのか悩んでしまう。非現実的な話なので話しても信じてもらえるかわからない。
『……でも』
考え込んでいるところにクロネがぽつりと声を落とした。視線を彼女に向けると、クロネはいつものあどけない幼顔ではなく、ひどく神妙な顔つきになっていた。
『初代王も初めは真っ白じゃなかった……。彼は橙ではなかったけど少しずつ白くなっていったの。昔のことだけど覚えてる。わたしが彼と初めて会ったのはプローヴァ様と心通わす前だったから……』
「初代王が、わたしと似ている……?」
クロネの言葉にわたしは思わず聞き返した。彼女はこくりと頷き肯定する。
初代王の情報は乏しい。創世記くらいの知識しかない。わたしの特殊性が転生だと踏んでいたが、もしかすると違うのかもしれない。
「初代王のことも含め、わからないことだらけだ。儀式もオフィーリアでないと今はできない……。しかし王族に目をつけられているので、近いうちに婚姻の話も来るはずだ……」
ヴィルヘルムは混乱しているのか、頭を抱えた。土地を潤す方法がわかったのに、また壁にぶつかってしまった。このままではわたしという人材を引き抜かれてしまう。
「婚約者を据えてもダメなのですか?」
当初の予定であったこの地の貴族と婚約をしてわたしを縛る話を持ち出す。この話に対して、ジギスムントは首を横に振った。
「時間稼ぎにしかなりませんね。王族がそれで引き下がるとは思えません」
「……やはりそうですか……」
ヴィルヘルムははあ、とため息をついた。その悲壮な顔とは対照的に、ジギスムントは笑顔を作ると、テーブルに肘をついた。
「ですが、私に考えがあります」
何か良い策があるのかとわたしはジギスムントを見つめた。
「交換条件を出すのです。こちらの情報と向こうの情報の交換。王族が情報を掴みたいのも事実ですが、根底には今の地位を脅かすであろう人間を排除する思いもあると思います。こちら側としてはそれは望んでいませんから持っている情報を盾にして迫るのです」
『排除って……!』
イディの叫びにジギスムントは「少し違いますよ」と意味を否定する。
「王族にとって一番困ることは、血筋でない者が王になることです。それによって今の王族は王族ではなくなる。元王族ですね」
『コンラディンたちが恐れているのは下剋上。オフィーリアが精霊に近いことで王として担ぎ上げられるのを回避したいってことね』
「さすが、クロネフォルトゥーナ様です! 素晴らしい!」
クロネの考察にジギスムントは目を輝かせ、拍手喝采を送る。その様子はアイドルとそれを推す熱狂的ファンだ。
「王族がオフィーリアを身内として迎え入れようとするのは、監視が目的ということですか?」
「言い方は悪いですが、オフィーリアを王にさせず、良いところだけ利用すると言う方が正しいですね」
何と都合の良い話なのだと思うが、この考え方は嫌というほど理解していたではないかと思い直す。貴族の考え方として平民は物であるように、王族にとっても自分たち以外の人間は物なのだろう。ジギスムントの言葉を聞いて王族への嫌悪感が出てきてしまった。
今までヴィルヘルムを含め、わたしの周りにいる貴族はその意識が薄かったのか、それを感じさせることはなかったので勘違いしていた。




