第四十七話 王族の教科書
夏に入る前に儀式の再現のための助力願いの依頼がヴィルヘルムから正式に来た。ここで断るのもおかしいし、シヴァルディの願いを叶えるためにも承諾の返事を出しておいた。多分ヴィルヘルムだけではあの石柱に精霊力を注ぐのは厳しいと思う。
それまでにクロネを呼び出してジギスムント宛の手紙を渡してやりとりしたり、プローヴァ文字の解読作業に勤しんだり、勉強を再開させたりとある意味充実した日々を過ごすことになった。
特に解読作業がたくさんできたのは嬉しい。かなりの時間があったので作業は大きく進展した。
まずは表作りが終わった。母音の列と子音の行を作成し、その組み合わせがどのような文字になるのか示した。
この世界の母音は七種類ある。現代の日本語の発音ならば「あ」「い」「う」「え」「お」の五つだ。それと子音が合わさったり、単一で表したりすることで音が生まれる。その音の組み合わせで言葉がつくられるのだ。だから小学一年生の教室やお風呂などでよく見られる母音五つ、カケル、子音十の五十音表とその発音、そしてその発音が織りなす意味が理解できていれば、書かれていることは理解できるのだ。
それで、実はプローヴァ文字とプロヴァンス文字の仕組みはかなり似通っていることがわかった。それがわかった時はスーッと胸の痞えが下りたようにすっきりとし、あとからふつふつと悦びと興奮が湧き上がってきたのを今でも思い出して身悶えしてしまう。
さて、プローヴァ文字の仕組みが理解できたならば、解読は簡単だ。ひたすら変換していく作業になるのだ。
『それで何かわかったことはあるの?』
「そうだね……」
プローヴァ文字の解読を始めてからだいぶ経ったところで、イディはその進捗を尋ねてきた。イディはわたしの作業中、精霊殿文字についてまとめた本を作成するための作業をしていた。進捗を尋ねてきたということは作業が大方終わったのかもしれない。
わたしは以前より増え、輝いている金色の文字に目を向ける。そして必要な部分を見つけ、手で招くようにして引き寄せた。
「あの本は、昔の王族の誰かが書いて意図的に隠していたものだったみたい。精霊王を含めた全ての精霊のことが書かれていて、王になる方法、義務とか……とても大事なことだらけだった」
『国王になるための教科書だったってこと?』
イディの問いかけにわたしは静かに頷いた。そう、教科書と言う方が近い。もしかすると、あれを使って他者に秘匿にしながら勉強していたのかもしれない。何よりも精霊力をある程度注がないと読めない、というのが核心的だと思う。そして精霊殿文字ではなく、プローヴァ文字になっているということは、プローヴァ文字は王族に伝わる文字なのだろう。
でも何故そのような大切な本をアダン領主になど渡してしまったのか。今の王族に伝わっていない部分があるのかもしれない。
『それで、精霊様のことはどんなことが書かれていたの?』
「それは精霊殿文字でも読めるようになってるから、きっとイディでも読めるよ。この部分だから練習がてら読んでみたら?」
そう言いながら写真の数枚を差し出して指差した。イディも文字という素晴らしい文明に多く触れ、感動するべきだと思う。見た目は春乃だが、きちんとした言の精霊なのだからそれくらいはできるだろう。
何か苦笑いをしている気がするが、イディはわたしが差し出した写真を受け取った。
『じゃあ、精霊王のことは? さすがにそれは書かれてないでしょ?』
「そうだね……。精霊王は特殊な立ち位置みたいだし、謎に包まれている感じだったけど、この本から得られる情報は有益だと思ったよ」
『そっか。さすが教科書!』
イディが拍手をしながら喜ぶ姿を横目に精霊王の記述部分の写真とその記述部分に当たる黄金色に光る文章を目の前に広げる。精霊王の情報はシヴァルディでもほとんど持っていなかったので、ここにある記述に目を通すことができたのはラッキーだった。
「まず、精霊によって色があるのはわかるよね? イディが橙で、シヴァルディが翠……って感じで」
『うん。クロネ様は灰色だったよね? これはその地の精霊殿の色を見たらわかると思うけど……』
「そう。日の精霊アティーティアは金、月の精霊フィディーティアは紺、武の精霊サルアーカッエースは銀……というようにね。でも精霊王プローヴァはどうだと思う? その精霊殿は王都にはなかったよ?」
そう、プロヴァンス領に行った際、孤児院などの存在を聞いたのだが、存在しなかったのだ。基本豊かなプロヴァンス領では孤児が出ることもなく、仮に出たとしても隣領のフォンブリュー、トゥルニエあたりが引き取ってくれるそうだ。
元々プロヴァンス領は王族が暮らす領地のため、一番小さな面積だ。地図を借りて実際に精霊殿らしき建物を探してみたが、王城と貴族らが使う屋敷、商業施設、少ない平民が暮らす家屋があるくらいだった。ということは、精霊王が祀られているのは王城か、またはその近くの可能性が高い。だってないのだから。
わたしの質問に対して、イディは首を捻って考える。しばらく考えていたけれど、肩を竦めて降参のポーズを取ってきた。意外に早い。
「精霊王の色は全てに染まれる白。だからそれに連なる王族も白色の精霊力を持っている、はず。この本も白色の光だったしね」
『なるほど……、白、ね。そっか……』
わたしを見てイディはそっと目を伏せる。何か気になることでもあるのだろうか、と思い、声をかけようとしたところで、イディはニッとすぐに笑顔を作って話題を転換する。
『精霊の色についてはわかった。精霊王について他には?』
「え、うーん……。全ての精霊を制する存在だから、精霊を一気に動かすことができる、全ての精霊の適性を持っている、不死、そして呼び出すには相当の精霊力が必要で、専用の部屋でしか会えない、と書いてあったね。あとは容姿とか」
『専用の部屋? 中庭じゃなくて?』
イディが小首を傾げる。シヴァルディやクロネを呼び出した時は中庭の石碑に精霊力を注いだが、どうやら精霊王はそうではないらしい。
以前、彼はこの世界に姿を見せないとシヴァルディが言っていたが、その専用の部屋にしか降臨しないようになっているようだ。現段階で精霊王が降臨したような情報はないので、王族はこの事実を知らないのか、知っているがどうにもできない状態にあるのか、ということになる。
「『間にて、国王、精霊王より告げを受け、国守る』……。間、だから『何とかの間』みたいな部屋かな、と。それで、その部屋に降臨して啓示を国王にしていたみたい。精霊王は未来を見通す力があったのかもしれないね」
『そこまで書いてあるのって凄いね! だからこれを作ったのは王族の誰か、というわけね』
「伝わっていない精霊王のことを良く知るのは王族だしね」
精霊王はイディやシヴァルディのように自由に姿を見せない。それは未来を見通す力を持つからこそ、この世界への干渉を減らす制限なのかもしれない。未来が見えるということは大きな力だ。
「それで王になる方法は、精霊王を含め、全ての精霊を従えることって書いてあった。クロネが『王になるの?』と聞いてきた意味がわかったよ。わたしが各地の精霊を従えることが国王に近づいてるってことだったみたい」
全ての精霊を従えるくらいの精霊力を持つ人間がこのプロヴァンス王国の王に相応しいということだ。それについては納得だが、以前にも言った通りわたしは王様になるつもりはない。メリットがあるならば考えても良いが、世の中そんなに甘くはない。
『リアは国王になりたい? 各地を回れるし、文字、読み放題だと思うよ?』
「う……、それは思った、んだけど……」
何かあるの? と言いたげにイディはキョトン顔になる。
壁文字には「王、この地、歩まむ」とあったので、イディの言っていることは正しい。精霊力を石碑に注ぐために各地を回っているので、その地の未解読文字の発見率は高くなるだろう。王族特権を使えば……なんて都合のいいことを考えたけれど、本当に現実は甘くないのだ。
「義務、というか国王がやることが多いの。直系と傍系と仮に分けられてるみたいなんだけど、国王、王妃、次期国王が直系、それ以外が傍系ってなっててね。王妃は城を守るんだけど、国王と次期国王でこの土地を回るの。傍系は各地の納税の整理、武官・文官の育成、精霊道具の作成、作物類の改良・栽培、孤児院などの慈善活動の補佐とか他にもいろいろやってたみたいだから敢えて仕事を振ってないみたい」
『じゃあ国王がほぼ一人で……?』
「そう、この地を歩んで精霊力を注ぐのは国王ほぼ一人。だから精霊王の器がいるんだよ。一人じゃとても足りないから」
国王の義務は儀式を行い、精霊力を注ぐことだけだが、分担なしの一人っきりだ。石柱に注ぎながらのため、車に乗りっぱなしでは難しいので、基本行脚になる。また、各地の税の回収も行っていたのならばかなりの時間を要する。
ということは、わたしにはゆっくりまったり文字と向き合っている時間はないのかもしれない。そのために傍系に全て仕事を押し付けていると考えれば辻褄は合う。
そんな楽しみもないような生活などわたしには到底耐えられない。仮に見つけられても、見つけて終わりだ。そんなの辛すぎて、血の涙が出てしまうだろう。
「もし国王になっても、未解読文字を解読する時間を得られないのならわたしはわたしらしくいれない気がする。だからわたしは国王になる気はないな」
『そう……、まあリアらしいとは思うよ』
ふふっと小さく笑いながらイディは言った。思わずわたしも笑みが零れてしまう。
「今のところはこんなものかな。また後で領主様に報告書書かないと……」
『まだあるの? あと何があるんだろう……?』
メモ帳を取り出したところで、イディが不思議そうな顔をした。その問いに答えるために、次の見出しの部分を変換することにした。表を手前に持ってきて、一つひとつ文字を確認し、プロヴァンス文字に変換していく。昔はひらがな、カタカナ、漢字を使っていたが、この世界の文字に馴染んでしまったので報告する際に楽な方になってしまった。せっかく覚えている前世の故郷の言葉なのだから大切にしたいところだ。
見出しは短かった。けれどその意味は重く、わたしの気持ちを暗くした。
『どうしたの? リア。暗い顔してるけど……』
わたしの顔を見て驚いたイディが駆け寄ってくる。わたしは変換した見出しを指差した。金色に淡く光り輝いている一節にイディは目を向けた。
『精霊の呪い……?』
イディは口元に手を当てた。




