第四十六話 パタの畑とその結果
本人はああ言っていたが、正直に言うとヴィルヘルムは無視すると思っていた。しかし彼は、はあとため息をつき、胸の前で腕を組んだ。
「オフィーリア、叔父上が呼ばなかったことを知ったらどうすると思う? あの性格だぞ?」
「……乗り込んできますね、絶対……」
想像してすぐに乾いた笑いが出てしまう。
領地の仕事など関係なく、放り投げてこちらに突進してくるだろう。そしてあの暴走した状態で捲し立ててくるか、もう一度するように懇願するか……。どちらに転んでも面倒臭いことは目に見えている。
「予測不可能な事態を生まないためにも手を打つ必要があるのだ。……さて、大まかな報告は以上だ。細かくはまた後に」
「お忙しいところお時間をいただきありがとうございました」
ヴィルヘルムが話を纏め、締めの言葉を言うと、クローディアは報告に対する礼を述べた。わたしも同様に首を垂れて同調する。
アルベルトの下城のために妻であるクローディアと側仕えは彼の手伝いをしに部屋を出て行った。すぐ戻るので待っていて、と言われたので大人しく執務室で待たせてもらうことにした。
「……そうだ。オフィーリアに見せるものと返すものがあったな」
保護者たちが出て行ってから暫くして、ヴィルヘルムは仕事の手を一度止めて、そう口を開いた。フェデリカなどの他者の目もあるのでプロ―ヴァ文字の資料を大ぴろっげに広げることができず、その辺に置かれていた歴史本に目を落としていたわたしは視線をヴィルヘルムに移した。彼は疲れた目でこちらを見ているのだが、正直仕事をしている場合ではないと思う。一刻も早く寝てほしいのだが、彼にはその言葉はきっと届かないだろう。
「見せるもの? 返すもの? それは何でしょうか?」
こてんと首を傾げ、そんなものあったかと思索するが、全く思い当たらない。特に返すものなんて、わたし何か貸しただろうか?
ヴィルヘルムは机の横の引き出しを開け、綺麗に折り畳まれた真っ白なハンカチを取り出した。もちろんわたしのものではなかったはずだ。そして机を離れ、真っ直ぐにわたしの前まで向かい、それを差し出した。
「使うことはなかったので返却する。今後、無謀なことはしないように」
「はあ……」
訳が分からないが返却しようと押し付けてくるので、わたしは仕方がなしに受け取ると、ハンカチの中心部分に固いものがあることに気付く。どう触ってもそれはハンカチの柔らかさではない。
不思議に思い、中を見るためにそっと開くと、小さな耳飾りがコロンとハンカチの中で小さく転がった。
それを見て、襲撃の時にヴィルヘルムに無理矢理押し付けたことを思い出した。その後にごたごたといろいろなことがあったのですっかりと忘れていた。
中身を確認したところで、わたしは目線をまたヴィルヘルムに戻すと、彼は綺麗な笑顔を貼り付けていた。顔と考えていることがどう見ても違うことははっきりとわかる。しかしそれを口に出すのは憚られるので、「受け取りました」と答え、ハンカチを懐に仕舞った。耳飾りは隙を見て、どこかで付けよう。
「あと見せたいものだが、庭だ。覚えているか?」
「あ……、畑、ですね?」
春の会議に出る前にパタの種蒔きをしたことを思い出し、そう返すとヴィルヘルムはニッと楽しそうに口を吊り上げた。どうやら正解のようだ。
けれど今、庭に出てアルベルトたちと入れ替わりにならないだろうか。その考えが透けていたのか、ヴィルヘルムはわたしの近くで控えていたフェデリカを呼んだ。呼ばれた彼女はすぐに目線を下げながら近づいてくる。ちなみにフェデリカたちの解雇は何とか免れた。しかし代わりに減給処分を受けたようだが、それで済んだことはかなり稀だったらしく、有難がられた。わたし自身は二人がいなくなる方が困るので、そんな思いを抱く必要はないと思うけれど。
「今から外庭に行くので、もしアルベルトたちが帰ってきたらそこにいることを伝えてくれ」
「はい……、ですが私が付いていかなくてもよろしいのでしょうか? 外ですのに……」
「問題ない。代わりにメルヴィルを途中まで連れて行く」
「わかりました」
フェデリカの了承を確認して、ヴィルヘルムはメルヴィルを呼び、「行くぞ」と一声かけた。わたしは立ち上がり、フェデリカに改めてお願いして庭に向かうため、部屋を出た。
二回目の畑は小さな苗が伸びて畑らしくなっていた。春になって間もないが、小さな命が芽吹いている。この感じ、孤児院の畑を思い出す。懐かしさを感じつつ、きょろきょろとしながら精霊力を注いだパタの畑へと向かう。
「私自身も忙しくて種蒔き以来ここに来ることができていなかった。しかし、下働きの報告によると……」
「わ、芽が出てますね!」
ヴィルヘルムの言葉を遮ってわたしはパタの畑に駆け寄る。芽の形はパパタタと変わらず、双葉であるが、その大きさは違うと思えるくらい大きい。まだ間引きの段階まで来ていないので、ごっそりとたくましく生えている。
しかしそれは、精霊力を多く注いだ土地だけだった。注いでいない所はおろか、少なめのところは芽吹いてすらいない。
「ここだけしか芽が出なかったのですね……」
わたしは二列分の畑を指差した。そこは精霊力をマックスである百入れたところと、八割程度に抑えたところだ。
ヴィルヘルムは「ああ」と低い声で肯定し、頷くと、懐から一枚の木札を取り出した。
「水やりを全ての土に行うように指示して今も行っているが、それ以外は芽吹く様子もないと言っていた。下働きたちは『そこだけ種が悪いのかもしれない』と言っているそうだが、これは土地のせいだな」
「そうですね。どう見ても精霊力の差ですね」
「これだけ明らかならば、パタは精霊力不足で育たなかったという結論が出せる。……シヴァルディ、種子が悪かったという可能性はないよな?」
ヴィルヘルムがそう問いかけると翠色の光を纏いながらシヴァルディが姿を現した。
『生命あるものなので多少はあるとは思いますが、一列全滅するようなことはないと思います』
「そうか。そうなると儀式の重要性は高まるな」
シヴァルディの答えを聞き、ヴィルヘルムは顎に手を当て、パタの苗に目を落とす。
パパタタとは違い、逞しく真っ直ぐ伸びるパタの苗。どのような実をつけるのだろうか。収穫の時が楽しみである。
「本来の形である器を使う儀式は不可だが、直接注ぐことで近い形には持っていけるだろう。またそれは言っていた通り、夏前に行おうと思う。……あと一つ、気になる報告があるのだが……」
「はい?」
そう言いながらヴィルヘルムは持っている木札に視線を向けた。
「今年、芽吹きの数も成長速度も去年、一昨年よりより良いとあるのだが、他の土地も注いだか? 今年は偶然の可能性も考えたが、この枯渇している土地で考えにくくてな……」」
「いえ……、そんな大変なことしていませんけど……」
思い当たることもないのでわたしは首を横に振って否定した。ここに来るのは今日で二回目なので、前回の行動を思い出すが、パタの畑以外に注いだ覚えはない。
すると温かみのある橙の光の粒を纏わせながらイディがスッと現れる。
『ワタシ、わかったかも。リア、あれ、触ってなかった?』
そう言って指差す先には、腰を下ろすためにあるかのような支柱石。それは、旅の際に様々な領地で見た精霊道具と同じ大きさ、形をしており、アダン領の石柱に精霊力を注いだことで土地の植物が急成長したという不思議な効果のあるものだった。
「触った、かも……」
『精霊力を注いだ後の疲れてた時だからちょろっと漏れたんじゃないかな?』
「ええ!?」
あまりに突飛な発想で驚きの声を上げてしまうが、それしか考えられないし不安になっていく。「あー疲れた」と触れてもたれかかったのは覚えているが。
『リア、精霊力は自身の体を常に巡っているのです。触れたことで回路が繋がった可能性が高いと思います』
『軽く吸われたって感じですね。元々多めのリアの力、だいぶ増えたし、リアにとってちょっとの量でも周りから見たらそうでもないんだよ?』
蚊に吸われたと同じ感覚なのだろうか。よくわからないけれど、精霊力のことを良く知る二人がそういうのだからきっとそうなのだろう。
わたしは「そういうことみたいです」と視線で訴えかけるようにヴィルヘルムを見ると、彼は腕組みをしてため息をついた。
「そういうことならば理解した。とにかくオフィーリアがしたことによるものか。まあ後々、この領地での実験の際は手伝ってもらう予定なので何とでも誤魔化せる」
『やっぱりリアも手伝うのですね、領主様』
イディの言葉にああ、と頷く。
わたしが問題を起こした的な言い方をされているけれど、それはおかしいのではないか。知らなかったので仕方ないと思うが。
「では以前、アダン領で石柱に精霊力を注いだ時、どのくらい使ったか覚えているか? それによって試せる数も変わる」
「……そうですね。前はそこまで注がなかったので同じ量なら六、七回程度。限界までなら三回程度でしょうか」
わたしの答えに成程と呟くと、ヴィルヘルムは楽しそうに口元を上げた。しかし目の下には隈がうっすらと見えるので、傍からみると不気味だ。
「オフィーリア様、アルベルト様方が来られましたよ!」
メルヴィルの大きな声に釣られて振り返ると、畑に向かうアルベルトたちの姿が見えた。
どうやら今日はここまでのようだ。
プローヴァ文字の解読についての報告とクロネを通じて先にジギスムントに実験の伝言をヴィルヘルムに頼まれ、挨拶を交わし別れた。アルベルトに声をかけないのかと思ったが、どうやらクローディアに休むようにと小言を言われるのが嫌だったようだ。そういうところは何だか子どもらしいな、と思わず苦笑してしまった。
ヴィルヘルムに呼ばれるまでは多少は時間ができそうだ。隙を見て、プローヴァ文字の表を完成させ、文章に移りたいところだ。
果たして儀式のこと、精霊王のこと、古代のこと、どれが書かれてあるのか。そして誰があれを作ったのか。読み解くのが大変楽しみだ。




