第四十四話 全ては故郷のために
約一日ぶりの第一夫人の姿に一瞬、恐怖のようなよくわからない寒気が走った。けれど今回は縛られてもいないし、一人でもない。姿勢をピンと伸ばして奮い立たせるように奥へと進んでいく。
「昨日ぶりです、アリーシア様」
笑顔を繕い、わたしは第一夫人をそう言って真っ直ぐ見据えた。何で、と言いたげに第一夫人はガタリと席から立ち上がりかけるが、グッと堪えてもう一度席に着き直した。しかしその表情は困惑の色が見られる。
「オフィーリア、話しなさい。昨日あった出来事を」
「……はい」
ヴィルヘルムに促されてわたしはゆっくりと頷いた。
そしてわたしは昨日の出来事を思い出す。夕暮れ頃に館で第一夫人と会ったこと、そのやりとりとして前孤児院長から聞いてわたしに目を付けていたこと、そして敢えて殺さずにギルメット領に送られ、利用される予定だったこと、全てを包み隠すことなく話した。あの時に付けられた首の傷も見せておいた。何でされたのかは曖昧に誤魔化したけれど。
「……たかが子どもの言うことですわ。子どもは誇張するのが得意と言いますから」
彼女は全てを聞いても認めようとしなかった。しかし計画はわたしが登場した時点で破綻していることを理解したようで、瞳がわなわなと震えているのがここからでもわかる。第一夫人は負け、失敗したことを自覚したのだ。
ここでヴィルヘルムは扉の外に控えている武官に一声かけた。「はっ!」と応答とともにぞろぞろと縄に縛られた男性たちが入室してくる。生け捕りにした犯人であり、第一夫人の命令であったことを裏付けるための証人だ。
「彼らを見てもまだ白を切りますか?」
「……彼らは」
「貴女が一番良く知っているでしょう?」
「…………」
商人たちとギルメットの貴族らを見た瞬間、目を大きく見開き、「何故」と言わんばかりの表情を見せたが、すぐに俯き、表情を隠した。動揺、焦り、困惑……をヴィルヘルムに悟られまいとしている。しかし彼女の体の震えは明らかだった。
「誰に命令され、オフィーリアを誘拐したか明らかにしなさい」
「……はい」
領主というよりは貴族の命令に逆らえない商人が俯きながら返事をする。縛られた貴族たちは第一夫人を前にして真っ青な顔をしている。今にも「失敗して申し訳ありません!」と叫び出しそうだ。
「お前たちは誰に命令されたのだ?」
「……私どもは、アリーシア・ジャルダン様の命を受け、連れてこられた貴族令嬢をギルメットに連れて行くように言われておりました!」
「……ッ!」
商人の自白に第一夫人はカッと目を見開いて鋭い眼光を彼らに向けた。商人は怯むが、すぐに愁いを帯びた瞳に変わる。平民である商人はここで自白をしようが、第一夫人を庇おうが、貴族令嬢を攫うという罪を犯したことで死罪になることは免れない。平民とはそういう弱い立ち位置なのだ。
「自白から貴女の関与は明らかです。……あと、この書類。これは貴女が無断で作成した許可証ですよね? 今、この部屋を調べさせ、偽造のための印を見つけた方がよろしいですか?」
「…………」
「この許可証によってギルメットの貴族が不法侵入したのです。これは領地間で大きな問題となり得ますが……」
その瞬間に第一夫人の目の色が変わった。自身の破滅を諦めながらも何かを決意したような瞳で、印象的だった。
「……この者たちは私がジャルダンに嫁入りする前からの知り合いです。この問題にウォードグレイヴ様は関わっておりません」
「……認めるのですね?」
「はい。オフィーリア様を攫い、ギルメットへと送ることを指示したのは私です」
第一夫人はゆっくりと頷き、自供した。何故急にあっさりと認めてしまったのだろうと面食らってしまう。それに対してヴィルヘルムは第一夫人の考えが読めているのか、表情を変えない。もしかすると悟られないようにしているのかもしれない。
彼女が白状し、ヴィルヘルムは小さく息を吐くと、後ろにいたクローディアがゆっくりと第一夫人の前へと進み出る。
「理由を、聞いてもよろしいですか? 私は彼女の母親として知る権利があるはずです」
そっとわたしの肩に手を添え、第一夫人を曇りなき眼で見据えている。ああ、彼女は確かな決意を持ってわたしの母親になろうとしているのだと思い知らされる。養子だからと思っていたのはどうやらわたしだけだったようだ。
「オフィーリア様の能力、魔力量は素晴らしい。だからこそヴィルヘルムの婚約者などに据えたくなかった。領主の婚約者は私の娘リオレッタであるべきだと。そして私は愛する故郷の役に立ちたかった。それだけの理由です」
「ギルメット領主は関与していないのですか?」
「ええ、私が良かれと思ってやったことです。ヴォ―ドグレイヴ様は知る由もありません」
そう言って第一夫人はフッと笑みを浮かべた。そんな様子の第一夫人にクローディアは憐みの目を彼女に向けた。
「貴女は今も昔もギルメットしか見ておられなかったのですね」
「……そうね。ある日見知らぬ弱小の領地に嫁げと言われた絶望も、肉親から切り捨てられるとわかった暗然とした心もわからないでしょう? ですが私はギルメットを選ぶのです。ジャルダンではなく」
「哀れな方……」
第一夫人の告白にクローディアはそう小さく呟く。
第一夫人にとってこの政略結婚は本意ではなかったということだ。彼女の心は初めからずっとギルメットにあった。ジャルダンに嫁ごうとも、子を成そうともその固い信念は変わらなかった。だからギルメットの利になるような行動しかしていなかったのだ。自領を豊かにするために。
「私利私欲のために領地の人材を他領へ渡そうとしたことは重罪です。ですが全ての罪を明らかにした上で処遇をどうするか考えます。……アリーシアを捕縛しなさい」
「はっ!」
短く鋭い呼応とともにザザッと武官たちが第一夫人を取り囲み、逃げられないように縛り上げる。だが、それに対して彼女は全く抵抗などせず、大人しくなされるがままだ。
「最後にリオレッタは今回のことに関わっておりません。……それで領主様はどうなさるおつもりですか?」
縛られながら第一夫人は手腕を問うように尋ねる。母親として娘を守ろうとする思いなど全く感じられない。彼女の声にしては低く無機質な声からは何を考えているのか微塵もわからない。
「母親の罪を背負うのも彼女の役目でしょうね」
「……そうですね、それが正しい形。ギルメットにもなりきれず、ジャルダンにもなれずの人形ですもの。ねえ?」
目を細め娘を人形呼ばわりする母親の姿にぞくりと背筋が冷える。彼女は娘すら手駒だったのだ。母親を優先せず、故郷を優先する姿に言葉を失ってしまった。
「言ったでしょう? 全てを明らかにした上で判断します。……連れて行け!」
「はっ!」
号令に武官たちは第一夫人を立たせ、扉の外へと連れて行く。その直後にリオレッタも捕らえ、軟禁するように言いつけると商人たちを連れて行こうとする武官の一部が部屋を出ていく。
リオレッタは母親が捕縛されたことを知らない。そしてそれを知ったら彼女は何を思うのだろうか。リオレッタという少女のことを何も知らないわたしには想像もできない。
「とりあえず第一夫人の動きは止めた。これで余罪も見つかればそれなりの処遇を与えることができる」
「それならば夫人の部屋などを探りましょう。あとはこちらで指示します」
ランベールの言葉にヴィルヘルムは頷いた。
「それならば私もここに残り、必要な情報を集めましょう」
「ああ、頼む。他の貴族の罪も明るみになればまずは捕縛を」
アルベルトもランベール同様残ることを宣言し、クローディアに目配せをした。
「それでは私たちも屋敷へ戻ってもよろしいですか? オフィーリアを休ませてあげたいのです」
クローディアがそう切り出すとわたしの背中に手を添わせた。粗方のことが終わってホッとしたのかわたしも疲れがどっと押し寄せてきた。とても眠いので横になりたい。
「……本当は昨夜のことを改めて詳しく聞きたかったが、それどころではなさそうだな。今日は家に帰りなさい」
「お気遣いありがとうございます……」
わたしの顔色を見てヴィルヘルムは引き下がってくれたので、礼を述べた。一度話してはいるので記録のために聞きたいのだと思うが、今回はお言葉に甘えることにしよう。
そしてクローディアに連れられて一ヶ月弱振りに屋敷に戻ることができた。
先に戻っていたフェデリカに抱き締められながらたくさん謝られた。メルヴィルと同じように「守れなくて申し訳ない」と。本当は解雇となることだが、敵の狙いがわたしだとはわたし自身も含めて微塵も思わなかったし、わたしも何とか無事であるので解雇は免れるように頼んだ。未成年のわたしには決定権がないのでわたしの思いを汲んでもらい、アルベルトとクローディアに判断してもらうしかない。
そして自室に下がらせてもらい、簡単な夕食を摂り、湯浴みをしてからすぐに寝台に潜り込んだ。体も心も疲れ果てていたのか、眠りにつくのはあっという間だった。本当はプローヴァ文字の解読の続きがしたかったが、仕方がない。
次の日にアルベルトがわたしの話の記録を取るために一時帰宅したが、すぐに蜻蛉返りして行った。第一夫人が拘束され、処分が下ることが決定しているようなものなので、ジャルダンの地はバタバタと騒がしくなっていた。
クローディアから処分の最終決定の際はヴィルヘルムから説明があるだろうと伝えられたので、それまではプローヴァ文字の解読作業を落ち着いてさせてもらった。
やはり一文字の構成として、子音と母音を組み合わせたものなのではないか、という推測が生まれた。
例えば「va」の発音は、子音は「v」、母音は「a」と分けることができる。アルファベット、または精霊殿文字ならば子音と母音の二文字でそれを表すが、プローヴァ文字はそれで一文字となり、子音と母音が一文字に集まることで機能的に音を表現していたのだ。アルファベット的だが、表記的にはひらがなのようなその文字。これはハングル文字と同じような性質を持っているように思う。「ng」などの音も一文字の中に入れたら一文字で多くの音を出せる。実に面白い。
なので対応表を作れば誰でも読むことはできるので早速作り始めている。出来上がれば本の中身を読んでいこう。合っているかドキドキするが、そこもまた楽しみだ。
そんな幸せで落ち着いた日々を過ごしつつ、数日が経った後、ヴィルヘルムに城に来るように、と連絡が来たのだ。遂に最終決定の報告が来る。




