第四十二話 情報
「本当は秘密裏に殺してしまう方が楽なのですが、貴女にはこの領地を去り、ギルメット領に行ってもらおうかと思いまして。そうすることでヴィルヘルムからも遠ざけられ、その力をこちらで利用できるではありませんか。……もちろん振る舞い慣れた平民に戻ってもらいますわ。窮屈な世界から出られて貴女も幸せでしょう?」
自分が言うことが絶対だと言わんばかりの態度に価値観の違いを突きつけられた気がした。
話からわたしはギルメット領で平民として軟禁されるということだということがわかる。前孤児院長からわたしの話を聞いて、実際に自分でも調べてみてそちらの方が利になると判断したのか。
「あとわざわざ危険を冒してでも貴女に会いに来た理由ですが……」
そう言って第一夫人は席から立ち上がった。その手には小さなナイフが一つ。
何も言わずニタリとした笑顔を浮かべながら近づいてくるが、彼女が何を考えてきているのかがわからない。
わたしを殺す? ……いや、殺さずにギルメットに連れて行くって言ってたし、わざわざ自分で手を下す必要はない。
何とか第一夫人から離れようと必死にもがくが、縛られていて身動きが取れない。もごもごと縛られた手足が動くのみだった。
「前回の襲撃の時に起こった奇跡は貴女のせいなのでしょう?」
『リア!』
第一夫人はわたしの前に膝をついた。イディはわたしの名を叫び、必死に第一夫人の手を小さな体で押す。しかし微弱な力では全く通じず、しかもイディの存在に気付かないのでそのまま手に持っていたナイフをわたしの首筋に当ててきた。金属の独特の冷たさが伝わるとともに、恐怖が湧き上がってくる。
前回の襲撃の奇跡はおそらくヴィルヘルムへの攻撃を跳ね返した出来事を指しているのだろう。
今までそのようなことなど起こらなかったが、突然あったことに第一夫人は疑問を感じ、わたしの関与を疑っているのか。奇跡を起こすためのお守りは連れ去られる前にヴィルヘルムに渡してしまったので、わたしを切りつけても跳ね返りは発動しない。元から大怪我するくらいでないと発動しないように念じているので、持っていてもこのくらいでは無理だろうが。
しばらくナイフを押し付けてきていたが、何も起こらないことに第一夫人は眉を顰めると、そのままナイフを下した。軽くヒリヒリするので多分薄皮が切れて血が出ているのだろう。イディは一目散に飛んできてわたしの傷を心配する。
「貴女のせいかと思いましたが、私の考え過ぎだったようですわ。大切なことはきちんと自分で確かめなければ、ね」
第一夫人はにこりと作り笑顔で言った。
バクバクとなる心臓が煩い。恐怖感に心も体も支配されかけている。わたしはそれを振り払うように、キッと第一夫人を睨みつけた。
「わたしを攫っても関所は監視の目が入ります。このようなことをしても……」
「そうですわね。本当は今日ギルメットに入ってしまう方が良かったのだけれど。明日にはギルメットへつながる関所は押さえられているでしょう。ですが、それはどのくらいの期間だと思いますか?」
「え……?」
突然の問いかけにわたしは言葉を失った。どのくらいの期間、関所に張り付くのか。一週間? 二週間? 日が経つにつれて割ける人材の数は減ってくるのは間違いないだろう。領主一族ではないから、プレオベールの人材に頼るしかなくなってくるのだ。
「関所を通らねばギルメットへは行けませんが、向こうの目が少なくなるまで貴女は荷物としてジャルダンの地に留まってもらいますわ。子どもですし、きっとわかりません。長期戦は得意ですの、私」
灯台下暗しの作戦ということか。第一夫人はふふ、と笑っているが、それを聞いて逆に安心をしてしまう。わたしにはシヴァルディが付いている。つまりシヴァルディと繋がっているヴィルヘルムにわたしの居場所を知らせやすく、しかも自領内なので確保もしやすい。ジャルダン領をウロウロすることになれば、多少は時間はかかると思うが、わたしを見つけ保護することは容易くなる。視覚共有できる精霊がいるのは大きいのだ。
「私はすぐに城に戻りますわ。私が関与していることはわかっているとは思いますが、証拠がありませんもの」
「じゃあわたしを運ぶのは……?」
「あらそんな心配をするの? それとももう諦めたのかしら?」
わたしが弱音を吐いたのだと判断したのか、第一夫人は笑みをさらに深くする。諦めたわけではない。一つでも多くの情報を手に入れて伝えなければならない。
「わたしの手の者をこちらに潜り込ませています。フロレンツィオ領から入っているので、ギルメットばかりに目がいっている向こうには誰が動いているかわかるはずがありません」
「……そう、ですわね」
勝利を確信しているのかよくしゃべってくれる。おかげで情報を手に入れられるので助かるが。
「ギルメットでは然るべき人物が貴女を活用してくれますわ。それではごきげんよう」
その言葉でわたしは近くに控えていた武官らしき男性に無理矢理立たされ、退出させられる。妖艶な笑みを浮かべた第一夫人が遠ざかって行く。
部屋の外に出るとひょいと軽々と担がれ、あっという間に別の小さな部屋に連れて行かれた。そこに下ろされると縛られていた手足が自由になった。
そして「食事の際は人を寄こす」とその男性が言い残すと、部屋を出て行った。外からガチャガチャと音が聞こえ、鍵がかけられたのだということがわかる。軟禁状態じゃないかと、前孤児院長との間で起こったことを思い出しつつ、わたしはできるだけ扉から遠い位置に移動する。縛られていたので手足首が痛いが、常時監視の目がない甘さに感謝しよう。
『リア? 大丈夫?』
「大丈夫。心配してくれてありがとう」
命を取られることはないとわかったのでわたしは小声でそう答える。首がヒリヒリしたり、所々痛かったりするのは仕方がない。
わたしは胸に手を当てシヴァルディに呼びかけた。
今、一人になりました。出てきても大丈夫です。
そう念じた瞬間にわたしの胸辺りが翠色に光った。そして光の粉がわたしの目の前で集まると、パンッと弾けてシヴァルディが現れた。
『リア! 無事でしたか?』
シヴァルディは心配そうな表情をしながら、わたしに手を伸ばした。わたしがこくりと頷くと、安心したような顔を見せた。
「シヴァルディ、ここは敵の手中なので小声で手短にいきます。領主様と繋がった状態ですか?」
『はい、既に。視覚と聴覚を共有していますわ』
シヴァルディが頷いた。それならば早く報告してしまおうとすぐに話を切り出した。
「アリーシア様にお会いしました。露見する危険を冒してでも確かめたかったことがあったのですが、それは不発だったので後にします。わたしはしばらくの間、ジャルダン領を放浪することになっているそうです。関所の監視の目が減るまでは、ということです。わたしはギルメット領で平民落ちして利用されるそうです。だから殺されることはなさそうです」
わたしは一度話を止めた。シヴァルディは頷いている。
「アリーシア様は自分の手の者をこの領地に潜り込ませていると言っていました。そして長期戦になる、とも。あと、その者はジャルダン領へと抜けることは確定ですが、フロレンツィオ領から入った者が犯人です。貴族で入った者がいないか調べてください」
『わかりました。……あ、ヴィルヘルムが通信道具を出すように言っています』
一方的な報告なので聞きたいことがあるのだろうか、と思い、わたしは通信道具を取り出し、精霊力を注いだ。音量をできるだけ下げ、外に漏れないように配慮する。あと、急に部屋に入られても見られないように扉に背を向ける形に向きを変えた。
『とりあえず無事だったのは幸いだ。殺されることがないというのも良かった……。そして、情報も感謝する。第一夫人は精霊を通じて繋がっているなど思ってもいないだろうから、ここで一気に叩くことができる。千載一遇の好機だ。……さて、其方の情報によるとしばらくはジャルダンの地を放浪するということだが、それならば貴族が動いているとは思わない。おそらく商人だ』
「商人……ですか?」
第一夫人の手の者なのでてっきり貴族だと思っていたが、平民の商人であることを指摘されて聞き返してしまう。
『貴族ならば用もないのにうろうろする訳がない。各町で商売をする旅商人ならば目立たずに動くことができる。フロレンツィオ領から入ってきた旅商人ならば絞ることができる。すぐに動向を調べさせる』
「ありがとうございます」
『今からシヴァルディを其方に付ける。……シヴァルディ、外を偵察し場所を特定してくれ』
『わかりましたわ』
そう言ってシヴァルディは姿を消した。
『巻き込んでしまってすまない。あとはこちらで動く。すぐに助け出すので待っていてほしい』
「しばらくはジャルダンの地に留まっているので問題ありませんし、詫びの言葉は直接会って言ってください」
『……そうだな。それでは、また後で』
わたしの言葉にヴィルヘルムは少し柔らかい声で返すと、通信を切った。これから夜通しで調べるのだろう。申し訳ないが動いてもらって助けを待つしかない。
『大丈夫だよ、リア。微力だけどワタシが付いてるから!』
「うん、わかってる。助かるよ、イディ」
イディに言葉に励まされ、わたしは何とか笑顔を作る。周りには強がって弱音を吐いていないが、本当は不安で仕方がない。しかしここはヴィルヘルムの動きを信じるしかない。
食事もほとんど食べられなかった。そして大好きな解読作業もできなかった。死ぬことはないけれど、もしわたしを見つけ出せずギルメット領に行ってしまったら……? そう考えると怖くて仕方がなかった。
その日は全く眠れずに一夜を過ごすことになってしまった。




