第四十一話 二度目の襲撃、その狙い
気を抜いていた、と言われるとそうかもしれない。アダン領から出て、真っ直ぐにジャルダン領に戻るだけだと思っていた。行きのような緊張感は欠けていたと思う。
「襲撃だ!」という武官の声が上がった瞬間に、ひゅっと息が漏れ出てしまった。ランベールとメルヴィルは主を守るために車から飛び出し、外で戦っている。わたしはフェデリカに守られて、ひたすらに車の中で小さくなるのみだった。
キンッ、キンッという剣同士がぶつかり合う金属音が遠く聞こえる。怪我人など出ていないだろうか、と不安になるが、わたしの力ではどうにもならない。
「帰りだけでもアルベルトと乗っておけば良かったな……」
「そんなこと言わないでください! 武力はないですが、隙を作ったり、盾になったりはできますから!」
「そんな必要はない!」
後悔のような弱気な言葉を吐くヴィルヘルムに対して、わたしは伏せながら励ます。わたしたちどちらもお守りは持っているので、最悪攻撃されても一度は防ぐことができるはずだ。
いや、狙われているのはヴィルヘルムだからわたしの耳飾りも渡してしまうか? そちらの方が武官たちも安心だろうと判断して、わたしは耳に付けていた耳飾りを乱暴に外す。
「領主様! わたしのお守りもお持ちください!」
「何を言っているのだ!」
「緊急事態なので早く受け取ってください! 持っておくだけでいいので!」
フェデリカやパトリシアが居ようが今は関係ない。命を守る方が重要だ。わたしは無理矢理ヴィルヘルムに耳飾りを押し付ける。すると外から「あの車か!?」と場所を特定しようとする声、その後に何人かが駆けてくる足音と「あそこだけはお守りしろ!」という怒号が聞こえてきた。覆い被さるフェデリカの体が強張っていく。
……ごめんなさい、こんな怖い思いをさせてしまって……。
巻き込んでしまった気がしてわたしはきゅっと唇を結んだ。
「ヴィルヘルム様、お逃げください! 敵は手練れです!」
扉を乱暴に開け、ランベールが叫ぶ。状況は良くないようだ。可能ならば逃げるのが一番だと判断したのだろう。ヴィルヘルムは一瞬躊躇った様子を見せたが、わたしとフェデリカたちを一瞥して腹を括ったかのように立ち上がった。
「わかった。ランベール、頼む」
「はっ!」
ヴィルヘルムはランベールから剣を一つ受け取ると、彼に導かれながら車を降りていく。すると外から「領主が出てきたぞ!」「あそこだ!」という敵の声と「領主様を守れ!」という武官たちの声が飛び交い、多くの足音が聞こえた。ヴィルヘルムを追っているのだろう。
言い方は悪いが敵の狙いが遠くに行ったため、覆い被さっていたフェデリカは小さく息を吐き、体をゆっくりと起こした。残されたパトリシアも伏せていたが、同様に体を起こした。
「オフィーリア様、大丈夫でしょうか? 覆い被さっていましたからどこか痛いところはありませんか?」
「いいえ、問題ありません。ありがとう、フェデリカ」
固い笑顔になっている気がするがわたしは何とか頷いた。フェデリカもわたしの返答に安心したのか真剣な眼差しでこくりと頷いた。
そうしていると明るかった車内が突然フッと影で暗くなった。
「いたぞ! 銀髪の子どもだ!」
後ろから叫び声が聞こえる。突然のことで反応が遅れた。振り返ると同時にガタイの良い男性の手がこちらに伸びてきていた。
「オフィーリア様!」
フェデリカの焦りを含んだ声が飛んでくるが、何も反応できない。何が起こっているのか理解しようとしても頭が働かない。するとお腹の辺りが軽く痛くなると同時に体が地面から離れる。
『リア! 敵は領主様を追ってない!』
わたしは抱きかかえられているのだと気付いた時、イディの焦燥の声が響く。敵の狙いはヴィルヘルムではなかったのか? 何故わたしなのだ? 疑問ばかりが浮かぶが、考えている場合ではない。わたしは手足をバタバタとお行儀悪く動かして何とか拘束を解こうとする。しかし向こうの力が強いのか、子どものわたしの力が弱いのか全く拘束は解けない。
わたしを担ぐ男性は足も速いのか、車から降りた瞬間に動くスピードが速くなる。春になったばかりの少し冷たい風を感じながらぐんぐんと乗っていた車が遠ざかっていくのを見る。
このまま離れたらダメ……!
そう思い、わたしは必死に身を捩ったり、足で男性の体を蹴ったりと抵抗するが、なかなかその手を離さない。
「申し訳ありません、暴れるので……」
「わかった」
小さな話し声が聞こえた瞬間、ブンッと空を切る音がするとお腹辺りに鈍い痛みが走った。
『リア!?』
感じたことのない痛みに抵抗することを忘れ、必死に動かしていた手足はぶらんと垂れ下がる。痛みの処理が追いつかず、「痛い」と叫ぶこともできず、痛みに顔を顰め耐え続ける。
『リア!? 大丈夫!? 生きてる!?』
イディの必死な問いかけにも答えられないくらい痛い。ちょっと待って、痛みが消えるまで話せる気がしない。
「ああ、見えた! 車に乗り込んだら口を塞ぐぞ。騒がれたら困るからな」
「わかりました。やっと仕事が終わりましたね……」
そう言いながら、軽いステップで車に乗り込む。車はゆっくりだが、走っていたようで、中に入るとガコンガコンと揺れていた。殴られた痛みが幾分マシになったので、車の座席に下ろされた瞬間にわたしは連れ去った二人を睨みつけた。
「何故わたしを連れ去るのですか!?」
「……あるお方の命令だ。口を塞げ」
「はっ!」
わたしの質問にきちんと答えてくれるはずもなく、わたしに猿轡を嵌めてきた。口の自由が奪われるが、うーうーと唸り声をあげ抵抗しても男性たちはそれを無視して手足を縛り上げる。
「何のためか私もわからん。狙われる原因を作ったのはお前だろう。運命を呪うのだな」
この言い振りではヴィルヘルムを狙っていたのではないようだ。ヴィルヘルムを狙っているのは第一夫人であるギルメット領関係……。第一夫人がわたしを殺さずに連れ去る原因はわたしにあるのか?
もしかすると第一夫人の仕業に見せかけた別の誰かかもしれないが、わたしの存在はそこまで明かされていないのでそれはないか。
ただヴィルヘルムが前回の襲撃は中途半端だったと言っていた。
そう考えると全てはこの時のためだったのかもしれない。ヴィルヘルムの命を第一に考えると自領ならば土地勘もまだあるので、逃げられるならば逃げる方を選択するだろう。ヴィルヘルムの守りは強くなるが、それ以外の守りは弱くなる。特に少数精鋭なのでそうなりがちだ。
しかし真の目的がわたしの誘拐だったとして、その理由がわからない。わたしはヴィルヘルムの婚約者という特別な立場ではないし、仕えている文官でもない。ただの力のない子どもだ。
見張りが多すぎて動けないし、助けを待つしかないか……。
恐怖は感じるが、何故かかなり冷静だ。じわじわと痛む腹のおかげだろうか。それとも隣で騒いでいるイディのおかげだろうか。
……リア! 聞こえますか?
急に念話が飛んできてわたしはイディを見るが、すぐにその声がシヴァルディであることに気付く。声を出すことは叶わないが、念話ならば意思疎通可能だ。わたしは聞こえると一言念じた。
無事なのですね、良かった……。私がそちらに行くことは可能ですか?
安堵したシヴァルディの声にホッとしつつもわたしは目の前の男性をチラリと見た。
……今、車でどこかへ向かっています。敵も近くにいますので、降臨のために光るのはマズイかと。
呼び出すことはできるが、精霊力を込める過程で光るのだ。もしかするとわたしにしか見えないのかもしれないが、ここで冒険する必要はない。
なるほど。……それではイディを偵察に出して大体の場所の把握を。もし一人になったらその時点で呼び出してください。ヴィルヘルムと視覚共有をします。
了承すると、念話が終わったのか静かになった。わたしは隣で騒ぐイディに車の外に出て向かう方角と目印になるものを探すようにお願いした。この領地の土地勘はわたしたちにはない。引き篭もり生活だったのが災いした。
しかし敵側はわたしがシヴァルディを通じてヴィルヘルムと繋がっていることを知らない。どこに連れて行くのかはわからないが、領外に出るならば先回りして関所をマークしておけば良いのだ。
ガタンガタンと車が揺れる。道が悪いのか、車が悪いのか。わたしは塞がれた外の景色など見えない窓を見つめた。
イディによると、車は南東へ向かっているようだ。太陽の位置と今の時間を計算して間違いないとのことだ。すぐにシヴァルディに報告しておいた。
南東……ねぇ……。
ジャルダン領から南東に向かうと辿り着くのはギルメット領だ。真っ直ぐにギルメット領に向かっていることからこの敵はギルメットのものだと予想できる。実際に敵はジャルダンの者ではなさそうだ。彼らに灯る精霊色が違っていた。
そして日が落ちる前に車は突然止まり、わたしは目隠しをされ、外へ連れ出される。イディにわたしの目の代わりとして建物や周りの風景を見てもらっているから、後で教えてもらってシヴァルディに伝えよう。
既にギルメット領の関所付近に武官を送り出したそうだ。日が落ちるまでに通過していたら手遅れだったが、そこは何とか間に合いそうだ。
いろいろと考えているうちに床に下ろされる。手足を縛られているので、床に這いつくばる形だ。そしてすぐにされていた目隠しと猿轡を外され、暗い視界が明るくなる。
そこは一つの豪華な部屋だった。
まるで今まで巡ってきた各領地の屋敷のようだった。調度品や下に敷かれる絨毯、壁紙全てに金がかかっているように思う。
そして目の前には女性が椅子に座って優雅にお茶を飲んでいた。
「アリーシア……様……」
わたしは思わずその女性の名前を呼ぶと、第一夫人はカップをソーサーに戻し、こちらに妖艶な笑顔を向けてきた。
「オフィーリア様、お久しぶりですわ」
ここで出てくるとは思わなかった人物にごくりと息を呑んだ。何故このようなところにいるのか。
しかし今回わたしを攫うように命令した人物が第一夫人であることがこれで明らかになった。
「何故……わたしを……?」
「そうですわね。貴女のことはディミトリエから聞いていたのですよ」
ディミトリエ……久々に聞く名前ですぐに繋がらなかったが、前孤児院長であることを思い出す。
「ディミトリエからどうしても手に入れたい子どもがいると聞いていたので幾つか助言をしましたが、結局は失敗したようですね。欲に塗れた男でしたが、良い手駒を失ったのは残念でしたわ」
前孤児院長のあの用意周到な計画は第一夫人の助言の下で行われていた言い振りだ。結局はヴィルヘルムに今までの悪行を暴かれ、処刑されてしまったが、それが第一夫人にとって不快なものだったようだ。確かに便利な手駒を奪われるのは辛いものだ。
「貴女のことを調べるとディミトリエのいう通り、豊富な魔力、能力があることがわかりました。ヴィルヘルムに近くなる前に殺してしまおうかと考えましたが、それは惜しいですわ。それならば別のところに閉じ込めて、人知れず使えば良いでしょう?」
笑顔が深まる。一見美しい女性の笑みだが、その奥には企み深さが窺えた。




