第二章 「心中に巻き込まれた男子小学生」
そこそこ広くて遊具も色々と揃っている児童公園だけど、普通に隠れたんじゃ面白くないよね。
何しろ鰐淵君は外遊びの得意なガキ大将だから、遊具の物陰みたいな単純な隠れ場所じゃ、簡単に見つけちゃうよ。
そこで僕は、児童公園に設けられた駐車場の傍らに長い間雨ざらしになっている、古びたセダンタイプの自動車に目をつけたんだ。
車体後部のトランクに隙間があったので、なんの気無しに力を加えたら簡単に開いちゃったんだよ。
-このトランクの中に入って内側から蓋を閉めたら、外からは絶対に見つからないだろうな…
そんな僕の考えは、面白い程に上手くいったんだ。
「ねえ、鰐淵君…修久の奴ったら、一体何処に隠れたんだろうね?」
「アイツに隠れんぼの才能があるなんて信じられないぞ。黄金野が言うように、先に家へ帰ったんじゃ…」
僕を探している黄金野君と鰐淵君の声が、微かに聞こえてくるよ。
それにしても、鰐淵君ったら疑り深いなぁ…
黄金野君の言ってる事を鵜呑みにしちゃって。
とはいえ、あの二人は案外馬が合うからなぁ。
ガキ大将とお坊ちゃんって、意外に相性が良いんだよね。
「そんな事を言うもんじゃないわよ、二人とも…枚方君も、一生懸命隠れたのよ。鰐淵君や黄金野君に負けたくないと思ってね!」
君だけだよ、メグリちゃん…
僕の事を信じてくれるのは。
「枚方く〜ん、あなたが最後よ〜!もう隠れんぼはお開きにしましょうよ〜!」
メグリちゃんが言うには、どうやら僕以外の子は全員見つかったみたい。
これ以上みんなを待たせても悪いから、そろそろ車のトランクから出ようかな。
「あれっ、開かない…」
ところが、僕が内側から幾ら力を加えても、ピッタリ閉じられたトランクはビクともしなかったんだ。
きっと、僕が潜り込んだ時の振動で蓋が閉じちゃったんだね。
「しまった!閉じ込められちゃった…」
暗くて狭いトランクの中は落ち着かないけど、こんな時こそ焦りは禁物だね。
冷静に考えれば、活路は見えてくるよ。
「そうだ、このタイプの車だったら…」
トランクへ潜り込む前に確認した、自動車の種類と構造。
それを思い出した僕は、トランクの開閉部に背を向けると 、目の前の壁を力一杯に押したんだ。
「可動する部品が傷んでいなければ、上手く開くはずだけど…」
次の瞬間、全体重を掛けて押していた壁が、バタンと倒れた。
「えっ、うわああっ!」
不意に手応えがなくなって倒れ込んだ僕は、思わず素っ頓狂な悲鳴を上げてしまったんだ。
密室なので空気は籠もっていたし、光だって窓からしか入ってこない。
だけど、暗くて息苦しいトランクに慣れていた僕にとっては、とっても明るくて空気の美味しい場所に思えたんだ。
「ふう、助かった…」
今の自分の居場所が車の後部座席である事を確認した僕は、深い安堵の溜め息を漏らしてその場に突っ伏したんだ。
このセダンタイプの車がトランクスルーで、本当に良かったよ。
こうして無事にトランクから後部座席へ移動出来た訳だし、後は堂々とドアから出るだけだよ。
トランクと違って、ドアなら内側からでも開けられるからね。
「あれっ?」
ところが奇妙な事に、ドアと車体の隙間にはガムテープがピッチリと隈無く貼られていたんだ。
まるで車の中を厳重に密閉するみたいにね。
「おかしいな…こんなガムテープ、外から見た時は無かったのに…えっ!?」
運転席か助手席から脱出しようと車体前部に目をやった僕は、我と我が目を疑ったんだ。
運転席と助手席に腰掛けた、ジャケット姿の御兄さんとコート姿の御姉さん。
こんな人達、さっきまでいなかったはずなのに…
「あっ、ごめんなさい…隠れんぼをしてたら入っちゃって…」
トランクから脱出するのに夢中になっていて、この人達が車へ戻って来るのに気付かなかった。
そう常識的に結論付けた僕は、直ちに頭を下げて謝ったんだ。
御兄さんも御姉さんも、大人しくて穏やかそうな感じの人に見えるから、キチンと謝ったら許してくれるよね?
ところが運転席と助手席の二人は、僕の事なんかお構い無しで、勝手に遣り取りを始めちゃったんだ。
まるで僕なんか眼中に無いって感じ。
「樹里、後悔はないね?」
「構わないわ。こんな逃げ隠れの毎日なんて、いつまでも続けていられないもの。」
声のトーンは重いし、二人とも物凄く悲しそうな顔をしているよ。
よく分からないけど、何か深刻な悩みを抱えているみたい。
「君が父親違いの妹じゃなかったら、僕達は結ばれたはずなのに…」
「言わないで、路夫さん!私、貴方に会えた事は決して後悔してないから!」
こういう遣り取り、御母さんが好きな昼ドラで見た事があるよ。
要するに「道ならぬ恋」ってヤツだね。
「連れ戻しに来た連中に見せつけてやろう!僕達の愛は純粋だったってね!」
「貴方と一緒なら…私、怖くないわ!」
この人達、どうやら駆け落ちの末に心中しようとしているみたいだ。
そう言えば、御兄さんもコンロと練炭を持っているし…
「や、止めて下さい!生きてたらきっと…きっと良い事もありますから!」
所詮は部外者でしかない僕の、月並みな説得が届くかどうかは、正直言って分からなかった。
それでも僕には、目の前で誰かが死のうとしているのを黙って見過ごす事なんて、とても出来なかったんだ。
だけど、懸命になって僕が試みた説得は、あの人達には全く届かなかった。
いや、そもそも僕の声なんて最初から届いていなかったのかも知れない。
「たとえ此の世では許されない恋路だとしても…僕達は天国で結ばれるんだ!」
「これは天国へのハネムーンね!ずっと一緒よ、路夫さん!」
まるで僕の事なんか存在しないかのように、自分達だけの世界に浸っている御兄さんと御姉さん。
これは例え話なんかじゃなくて、あの二人は本当に、僕達とは違う次元の人達なのかも知れないな。
そう言えば、さっきから御姉さんの肩を揺さぶろうとしても、御兄さんの手から練炭を奪い取ろうとしても、何故か手がすり抜けてしまうんだ。
まるで、雲か煙を掴むみたいにね。
ドアから逃げて助けを呼ぼうとしても、隙間を埋めるように貼られたガムテープが邪魔をして開かない。
このガムテープも実体が無いみたいで、剥がそうとして爪を引っ掛けても、まるで手応えがないんだ。
「やるよ、樹里!僕達を引き裂く全ての物にオサラバだ!」
脱出しようと僕が試行錯誤を繰り返しているうちに、とうとう運転席の御兄さんが練炭に火をつけてしまったんだ。
「うっ…ぐっ!」
車内に立ち籠める灰色の煙を吸い込まないように、ポケットのハンカチを口に当てて息を止めたけど、これも果たして何時まで保つ事やら。
煙の一酸化炭素を吸っても死んじゃうし、息を止め続けても死んじゃうし。
こんな事なら、車のトランクなんかに隠れるんじゃなかったよ。
-早く見つけに来てよ…鰐淵君、黄金野君…メグリちゃん…
灰色の煙の向こうに、さっきまで一緒に遊んでいた友達の顔がボンヤリと浮かんでいる。
これが走馬灯ってヤツなのかな…




