レイフォルド様の天使
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま。今日一日のアルの様子は?」
屋敷につくなり、レイフォルド様は一言目には弟のアルフレド様のことを聞いていた。出迎えてくれた家令とおぼしき中年紳士は恭しい態度でこたえる。
「アルフレド様は、午前中は自室で読書をなさったあと、その内容に感銘を受けたからと、作者の方にお手紙を書いておられました。昼食には野菜をたっぷりはさんだサンドウィッチを完食し、お薬をのんだあとは自室でお勉強を。その後、サンルームで旦那様が取り寄せた紅茶を楽しんでおられました。体調もすこぶる良く、旦那様のお帰りを心待ちにしているご様子」
旦那様のお帰りを心待ちにしているご様子……の所で、レイフォルド様の頬が緩んでいく瞬間を、私はバッチリ見てしまった。
「そうか……今は?」
「夕日が綺麗だからと、サンルームに……」
「夏とはいえ、冷えてくる時間だな」
そう呟くなり、レイフォルド様は目にも止まらぬ早さでどこかに行ってしまう。
大好きな弟さんのところに行ったに違いない。
ぽつんと取り残された私に、家令さんがにこやかに声を掛けてくれる。
「旦那様が仰っていた、お針子の方ですね?」
「はい、衣装屋【ローズヴィメア】のお針子、カルナディア・ロイシタンと申します。今日はよろしくお願いします」
「わたくしは、この屋敷の筆頭家令にございます。どうぞヴォヌールとお呼びくださいませ」
ヴォヌールさんの案内のもと、私はレイフォルド様のところに向かう。
長い廊下を歩きながら、滅多に招かれることのない貴族のお屋敷を観察して、思わず溜息を漏らす。
お庭も広そうだったし、壁にかけられた絵画も美しいものばかり。
さすがお金持ちはちがうわねぇ。
「すごい」「これ高そうですね」と庶民丸出しな反応する私に、ヴォヌールさんは小さく笑っている。ちょっと恥ずかしい。
「念のため、と申しますか……カルナディア様に確認したいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「旦那様からは、今回の依頼をどのように聞いていらっしゃいますでしょうか?」
「どのように……ですか?」
探るように聞いてくるヴォヌールさんの意図は分からないけれど、私は真実のままを話す。
「レイフォルド様は、弟さん……アルフレド様のお誕生日にドレスをプレゼントしたいと来店されました。そして、大好きな「女魔術師・ミスリルライラ」のドレスを、アルフレド様が着用するために寸法直しをして欲しいと」
「他には?」
「他には、口の堅いお針子を希望されました。見たこと、聞いたこと、他言しないようにと」
「どうやら、旦那様からはちゃんと聞いているようですね……。いいですか? アルフレド様を傷付けるような真似は絶対にしないこと。旦那様の怒りに触れたら、下町の衣装屋なんて簡単にひねり潰されるんですからね」
「は、はい……気をつけマス……」
分かってるから、そんなおっかないこと言わないで欲しい。
私だってこんなところで職を失うわけにはいかない。
レイフォルド様は「天使」と言っていたけれど、例えただの変人だったとしても、私は自分の仕事を全うするだけ。
……ただ、ひとつだけ気になることがある。
私は思い切ってヴォヌールさんに質問してみることにした。
「あの……アルフレド様は、本当にドレスを着用されるのですか? 自分の意思で?」
「その事については、実際にご覧頂ければ分かりますよ。さあ、こちらです」
ある部屋の前までくると、ヴォヌールさんは扉をノックした。
ここにレイフォルド様がいるのだろう。
ゆっくりと扉をヴォヌールさんが開けてくれる。
ぱああっと、夕暮れの黄金の光が洪水のように溢れている。
覚悟を決めて、私は部屋の中に足を踏み入れた。
そこでまず見えたのは、眩い夕陽を浴びて立つレイフォルド様の後ろ姿……。その凛々しい佇まいは、さっき見た絵画にも負けないくらい美しいと思ってしまった。
レイフォルド様が片腕をあげ、手を差し出す。
その向こうでフワリ……と白いなにかが舞った。
——てっ、天使!?
……なワケ無いのに、そう思ってしまったのは、真っ白でとても柔らかいシフォンのドレスを着た美少女がいたからだ。
ええっ!? アルフレド様……だよね!?
レイフォルド様に支えられるようにして立つ姿は、か弱い女の子にしか見えない。
背中まで流れる真っ直ぐな髪の毛は、レイフォルド様より明るい銀髪……今は夕陽を浴びて、琥珀色に輝いている。儚げに揺れる瞳。華奢な両肩。細い腰。背は私よりも高い。
「もしかして、君が、兄様の連れてきたお針子さん?」
「!」
男の人の声だ。
か細い中低音の声音。年齢は私と同じくらい? 少しだけ幼さの残る声と容姿だ。
「はじめまして。衣装屋【ローズヴィメア】のお針子、カルナディア・ロイシタンと申します」
「はじめまして。僕はアルフレドだよ。わざわざ来てくれて有難う。兄様がドレスをプレゼントしてくれるって言うから楽しみにしてたんだ」
「ご期待に添えるよう、精一杯頑張ります」
「うん。有難う」
にっこりと微笑んだアルフレド様。
隣に並ぶレイフォルド様と交互に見比べて、その似た面差しに、ああやっぱり兄弟なんだなと思った。
それから私は、アルフレド様の部屋にきた。
レイフォルド様も付いてきたのだけど「兄様は外で待ってて!」と、部屋に入ることを許可されず、しょんぼりと肩を落としていた。
「じゃあ、採寸をしていきますね」
「うん。……ちょっと緊張してきた」
「気楽にしてていいですよ。辛いとか、なにかあれば言ってくださいね」
実は私も緊張している。
アルフレド様は女の子みたいに可愛いけれど、本当は男の人だもの。
男の人に触れることなんて、滅多にないから……。
「では、失礼致します」
私はアルフレド様の手を取り、巻尺を当てる。
細い指先がピクリと震えた。それに触れた手が氷のように冷たい。
アルフレド様を見るとさっきまでの笑顔が消えていた。ものすごく緊張しているのかもしれない。
「ちなみに、アルフレド様はどんなドレスがお好きですか?」
「え……?」
「今日お召しになっていたシフォンのドレスもすごくお似合いでしたよ」
「あ、ありがとう……。その……男なのに気持ち悪いって思ったでしょ? だから無理してお世辞言う必要ないからね?」
そう言ったアルフレド様の瞳は、とても寂しげで、胸が痛くなる。
「気持ち悪いなんて思ってませんよ」
「うそ……」
「嘘じゃないです。男だろうが、女だろうが、似合っていればそれで良いんです」
「!」
「って……私が尊敬している上司の言葉なんですけどね。でも、私もそう思います。だからアルフレド様のことを気持ち悪いとは思ってませんよ」
嘘じゃないって伝えたくて、ちゃんとまっすぐに目を見て言った。
するとアルフレド様の肩から力が抜けていく。
良かった……、緊張しっぱなしじゃ疲れちゃうものねぇ。
「僕、ずっと病気がちで、静かな田舎の村で暮らしていて、女の子の友達しかいなかったんだ」
「そうだったのですね……」
話を聞きながら、私は採寸を進めていく。
「……別に、女の子になりたいわけじゃないけど、綺麗なドレスが好きで、ドレスを着ていると落ち着くんだ」
ぽつぽつと自分のことを話し始めるアルフレド様。
幼少の頃、女の子の友達とお揃いのドレスを買ったことがキッカケで「女装」をするのが定着してしまったらしい。
「兄様は僕の好きにさせてくれるけど、本当は男らしくない僕のことイヤなんだと思う……」
それは絶対にないな、と私は思う。
だって本気で嫌なら「アルは天使」とか口が裂けたって言わないでしょ。あの恐ろしいほどの溺愛ぶりが伝わってないなんて、なんだかレイフォルド様が気の毒に思えてきたわ。
「アルフレド様、レイフォルド様のお気持ちは、誕生日にプレゼントされるドレスを見れば分かりますよ」
「え?」
「楽しみにしててください。アルフレド様にぴったりの素敵なドレスなんですから!」
それだけは自信を持って言える。
ミスリルライラのドレスは、未来に向かって頑張る人のためのドレスだ。
ただ可愛いだけじゃない。
ただ綺麗に見せるだけじゃない。
物語の主人公のように、どんな困難にも立ち向かう、気持ちを前向きにさせてくれるドレスだから。
きっと伝わってくれるはず……!
「うん。楽しみにしてるね。兄様は、僕のこと……家族だから仕方なく色々してくれるんだとしても、ドレスをプレゼントしてくれるのは、本当に嬉しい。僕のこと本当に大切にしてくれてるみたいで」
「みたいじゃなくて、本当に大切にしていらっしゃいますよ。……家族だから大切にするわけじゃないです。アルフレド様だからこそ、大切で大事なのでは?」
そう言うと、アルフレド様の瞳が涙で潤んでいく。
これは私の本音だ。
私が今までの人生で掴んだ真実。
「家族だから大切にされるって、そんなのは、ただの幻想なんですよ」
みんな自分のことが一番大事なんだ。
自分のことが一番可愛くて、自分が幸せになるためなら、たとえ血の繋がった子供だろうが犠牲にできるものなんだ。違うっていう人もいるけど、少なくとも私の親はそうだった。
私も自分が一番大切。自分のためだけに仕事をしてる。
それが誰かの役に立てたら嬉しいけど、でも、全部自分のためにしてることだ。
だから私は一人で生きていこうって決めた。
どんなに寂しくても、自分の寂しさを紛らわせるために結婚するとか考えられない。それって、私を犠牲にして生きている親と同じな気がするから。
ああ……でも……。
ふとレイフォルド様のデレた顔が浮かぶ。
もしかしたらレイフォルド様は違うかもしれない。実の弟を「天使」と呼ぶのはどうかと思うけど、本気でアルフレド様を慈しんでいるのは伝わってきた。
まるで自分のことよりも大切な存在であるかのようにアルフレド様を溺愛している。
いるのかな……。
そんなふうに、他人を本当に大切にできる人……。
答えはでないけれど、レイフォルド様のことを考えたら、少しだけ胸のなかが温かくなった気がした。
「カルナディア、さん……?」
「はい。終わりましたよ!」
私はニッコリと笑った。
寸法を書き留めた紙を見ながら、今後の作業について考える。
アルフレド様はそこそこ身長もあるから着丈は直さなくても大丈夫ね。
問題は「胸まわり」よねぇ。
男だから胸がないのは当たり前だけど、筋肉も無いから、ぺったんこなのだ。
現在着ているシフォンドレスも、胸に詰め物をしているわけじゃないから、じゃっかん緩みがある。
ミスリルライラのドレスは、胸元の大きなラッフルが特徴だ。小さな胸をカバーしてくれるけど、緩みがありすぎると今度は着映えしなくなる。慎重に作業しなければ……。
「あの、カルナディアさん……」
「あっ、すみません! ドレスのことは心配しないでくださいね!」
いけない。考えるのは帰ってからにしよう!
「あの、これを……」
アルフレド様が私の手を取って何かを握らせる。この感触は!
実際に見て吃驚する。
「こんなに多額のチップ……い、いただけません!」
ただのお針子に渡すには多すぎる金額だ。これがあれば、私は余裕で一ヶ月は暮らせる。
チップは貰えると思っていたけれど、まさかアルフレド様からだとは。
大した働きはしてないのに……。
「受け取って? 僕だっていつか自立するために色々して稼いでるんだ。ずっと兄様の脛をかじるわけにはいかないから」
「でも……」
「じゃあ、これも受け取って?」
アルフレド様が、今度は白い封筒のようなものを私に差し出す。
手紙? 差出人の場所には、アルフレド様の名前?
「これは……?」
「誕生日パーティの招待状だよ」
「!」
「来週の僕の誕生日に、カルナディアさんもきて?」
「い、いいんですか? だって私は庶民ですよ?」
「関係ないよ。それに、兄様と僕の二人きりのパーティだから気楽なものだよ。来てくれたら嬉しい」
「じゃ、じゃあ、レイフォルド様が良いと言うなら、ぜひ一緒にお祝いさせてください」
私はチップと招待状を握りしめて言った。
思わぬところで、日銭を稼ぐことができた。
お読み頂きまして、有難うございます!