下町のお針子
「ねぇ、カルナー、少しのあいだ店番頼めるかしら?」
作業部屋の扉を開けて声を掛けてきたのは、この店のオーナーのミイサさん。
もう何時間も刺繍の作業をしていた私は、しょぼしょぼする目を瞬きながら、顔をあげて返事をする。
「はい大丈夫です。じゃあ、すぐに店頭に立つ準備しますね」
「納期が近いのに悪いわね。でも助かるわ」
「いえいえ、その分のお給金は頂いてますから!」
私は膝の上にのせていた、いずれドレスになる予定の大きな布を机の上に置く。
刺繍針は危ないから一度外して裁縫箱に戻す。
ぱんぱんと、軽くエプロンについた埃をはたきながら、同じ作業部屋にいる同僚のメルさんとレーナさんに声をかける。
「……というわけで、私これから、お店に立ってきますね」
明日には完成させなきゃいけない作業を抱えてる二人は、昨晩もほとんど寝ずに働いていたみたい。
高速で手を動かしながら、こっちを見た二人の目が血走っている。
ひぃ……すごい迫力。
「いってらっしゃぁ〜い」
「がんばってね、カルナーちゃん」
自分の仕事で大変なのに、励ましてくれるメルさんとレーナさん。
二人とも私より少し歳上でお姉ちゃんみたいな存在。面倒見いいし刺繍の腕前もピカイチ。
色々教えてくれるから、私はココで働けて本当に良かったって思う。
ーー衣装屋【ローズヴィメア】
ミイサさんが女手ひとつで事業をおこして数年。
今ではこの下町で知らない人はいないほど有名な衣装屋さん。
デザイナーでもあるミイサさん曰く『わたしの好きを全部詰めこんだお店』なんだそうだ。
取り扱い商品は、主にご婦人向けのお洋服や雑貨などなど。
一般市民が少し頑張れば買えるくらいの値段のドレスから、稀少な外国の織物で仕立てた高級ドレス、手のこんだ刺繍入りのストールなど、値がはるものも取り扱っていたりする。
下町に店を構えていることを活かして、ドレスを作るときに余った端切れを利用して、気軽に買える値段の刺繍入りハンカチや手袋などは、学生達にも人気があった。
そんな女子達の憧れが詰まったローズヴィメアで、私は「お針子」として働いている。
急いで作業部屋を出て二階へ上がると、着替え用の部屋に入る。
糸屑のついたエプロンを脱ぐと、皺にならないように吊るしておいた真っ赤なワンピースを手に取った。
これはローズヴィメアで通年販売している袖の無いワンピースだ。
身頃はゆったりと締め付けのないデザインで、リボンをウエストに巻いて体型に合わせる仕様だから、細身の女子や妊婦さんにも好評なのよね。
着ていた立ち襟の真っ白なブラウスの上から、ワンピースを身につけて、姿見用の鏡を見ながらウエストの位置に、くるりとレースのリボンを結ぶ。
あとは髪を整えて……そうだ、売り子になるんだから、ちょっとはお化粧もしなきゃね。
白粉をはたいて、お手製のポーチから、ころんと小さなガラスの容器を取り出して蓋をあける。
ん〜、みずみずしい薔薇のいい香り……。
これは蜂蜜と、あとは薔薇から抽出したオイルに染料をくわえて出来た口紅だ。小指の腹で掬って唇に塗ると、ほんのり赤く色付いた。
よしよし、地味な私の顔もちょっとはマシになったわね。
化粧品を持っていなかった私に「もうすぐ十八歳になるし恋人のひとりくらい作らないと」って、メルさんとレーナさんがプレゼントしてくれたんだよね。
恋人ねぇ……。
そもそも出会いすらないないんだけど?
来る日も来る日も私は作業部屋にこもってばかりだし。
休みの日は普通に街に買い物とかは行ったり、友人の家に遊びに行ったりはするけど、そんな日常のなかで男の人に出会う機会なんて滅多にない。
……もっと可愛かったら、違ったかもしれないけど。
鏡を見ながら「売り子」用の笑顔をつくってみる。
焦げたような色のブラウンの髪も、沈む夕陽の褐色を映したような燻んだ橙色の瞳もパッとしない。まぶたは切れ長だし、可愛らしさどころか、なんていうか華のない容姿なのよねぇ。
それに……本気で恋人が欲しいなら努力すれば良いんだと思う。
でも正直言って、恋愛や結婚に対して良い印象のない私は、出会いを求めるよりも、部屋にこもって刺繍をして日銭を稼いで生きていたいと思う。
……恋より、お金よねぇ。
小さな頃から両親のせいで、お金に苦労してきたし、結婚したからって幸せになれる保証なんてどこにもない。
辛かった私の日々を支えてくれたのは「刺繍」だ。
だから歳をとってもできる「お針子」という職業は、私にとって真の希望であり天職だ。
今からしっかり貯金をして、老後は、ちまちまと大好きな刺繍をしながら生きていくのよ!
「さ、身支度よしっ!」
地味な私でも、ローズヴィメアのワンピースを着ると、背筋がぴんと伸びるし、前向きな気持ちになるから不思議。
急いで階下に併設されたお店に向かう。
そこには出掛ける支度を終えたミイサさんが、私を待っていた。
ローズヴィメアの新作ドレスを完璧に着こなしたミイサさんは、街でたまに見かける貴族のご婦人たちに負けないくらい美しくて見惚れてしまう。
独身で、見目麗しくて、自分の仕事に誇りを持ってるっていうとこもカッコいい!
……私にとってだれよりも憧れの女性。
それがミイサさんだ。
新連載、はじめました。
ゆっくり更新になりそうですが、どうぞ宜しくお願いします!