1-8 鮮血姫
実験室という物々しい名前がついている以上、相当な耐性を持っているはずの扉だが、ヨーコとリディで普通に開く事ができた。この辺りはシナリオの都合と解釈するしかないだろう。
「待って」
ワタルが足を踏み入れたところでリディの制止が入る。目線の先、ドライアイスなのか霧なのか粉塵なのかよくわからないがモヤの先。何かが、いる。
「戦闘態勢」
なんとか声を絞り出した。実際はワタルが言わなくても皆構えただろう。だが言わずにはいられなかった。
これはそう、ボス戦だ。
「おや? 人間は全て逃げたと思っていたのだが」
奥から声がする。女性の声。
「我々と戦うつもりか? 敵わぬ事は分かっているだろうに」
コツ、コツ、と足音。霧の先から姿を現したその者は、
「なあ、人間」
人の姿をしていた。人間の、少女の姿。
「な……人間!?」
ヨーコが驚く。結構ポーカーフェイスなリディの顔にも驚愕が浮かんでいる。
(あれ? もしかしてこれは「驚愕の事実」って感じなのか?)
ワタルの認識と齟齬があってちょっと混乱してしまう。だって世界観に普通に人の姿をしてるって書いてたじゃないか。
ただ、よく見ると目の前の『ウルフ』の少女は人間とは違ってケモミミが生えている。しっぽもどうやらあるみたいだ。見た目の年齢としては12-3歳くらいか? かなり小柄だ。
「ほう、この感覚。貴様ら紅玉の力を扱っているのか」
少女が言った。見た目からは想像できないニヤリとした笑顔で。
「司令官、どうする?」
小声でヨーコが尋ねてくる。ぶっちゃけここで戦う以外の選択肢はない。ワタルは頷く。それだけで隊員の皆には伝わったようだ。
「私が先行する、司令官は指示を」
リディが飛び出しものすごい勢いで『ウルフ』の少女に向かう。まだスキルは使えない。
少女はリディのナイフを指一本で受けた。指が斬り飛ばされもせずにナイフを受けきる。
「なっ!?」
驚くリディの後ろからヨーコ。急激に進行方向を捻じ曲げ、少女の鳩尾に拳を見舞う。が、これも外れ。ふわりと少女は3歩後ろあたりに着地する。
ワタルも動きが見えなかった。
銃撃。避ける。神速の抜刀術。避ける。
「ライジングインパクト!」
避ける。
「当たらない……!」
少女は最初の一撃以降全ての攻撃を避けてしまう。これが柳を相手にしているようだと言われる状況だろうか。
ワタルは一つの可能性に思い至るが、それを肯定したくない気持ちが非常に強い。認めたくない。だってそれは、
「こんなものか。どれ、わらわが手本を見せてやるとしよう。参考にはならんと思うがの」
少女の体が紅く輝き、認めたくない事象が発現してしまう。
「『紅吹雪』」
負けイベント、という事象が。
少女の体から紅い光が無数に現れる。紅い吹雪の名の通り。遠目には紅い紙吹雪のようにしか見えないだろう。
しかしそれらは全て殺傷能力を持ち得る紙吹雪。
「司令官!」
誰かに突き飛ばされた。そのままのしかかられる。視界が塞がれた。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。いや、悲鳴ではない。呻き声だ。ダメージボイス。悲痛なまでの。
耳元でもそれは聞こえる。この声はリディだ。リディがワタルを庇って吹雪に身を斬られている。
「リディ、駄目だ! どいてくれ!」
「その命令は聞けない。司令官を守るのは我々の責務よ」
ワタルはもがくが、リディを押し返すことができない。
彼女の好感度イベントが頭に浮かぶ。
「両親にまた会うんだろ!? その為に戦いを終わらせるって!」
「だから司令官を守るの。戦いを終わらせるために必要だと私が信じるから」
クソイベじゃねえか! ワタルは心の中で慟哭した。お涙頂戴か!? まだ序盤だろ! 一昨日頬に触れた唇は何でもない、本当に血の通った人間のものだ。
(死なせるものか、絶対に!)
そもそもガチャ排出キャラが死ぬとかないだろうという思考は既にワタルにはなかった。隊員の皆を助けたいという事しかこの時には頭に浮かばなかったのだ。
ワタルの体から閃光が溢れる。ケモミミの少女がそれに気づいた。
「なんだ?」
首を返し、ワタルを捉えようとした瞬間に、それは起こった。
「うおおおおおおおお!」
光の爆発。紅ではない、純粋に白い光。光は紅の吹雪を飲み込み、消滅させる。
周囲が元に戻った際には、猛威を振るった紅はどこにもなくなっていた。
「む、これは」
少女がワタルの方に体を向ける。既にワタルは立ち上がっていた。傍らには傷だらけのリディが横たわっている。傷は深いが息はある。
「さっきの光は貴様か。何者だ?」
「お前こそなんなんだよ」
心底、初めて、腹の奥底から声が出た。これほど怒りを押し殺した声を、ワタルは出したことがなかった。
「わらわは『ウルフ』の鮮血姫よ。紅い紅い、鮮血の姫。汝は危険よな。ここで排除させてもらう」
鮮血姫が再び『紅吹雪』を放とうとする。ゲームシステム的にはクールタイムがあるのだがイベント演出なのでそんなものはない。
――ザザッ
「司令官!」
そこに割って入る声があった。トワだ。姿はなく、声だけが聞こえる。
「大きな力の衝突を確認しました。ご無事ですか?」
「無事、なのかな。いや、無事じゃない」
周りには隊員5人が転がっている。全員生きてはいるが満身創痍だ。無事な訳がない。
「そう、ですか。ですが今の司令官であればこの情勢を逆転することができます」
「ん?」
負けイベントだと思っていたが、これはもしかして。
「貴方は唯一のクリムゾンクリスタルに適応する男性です。その力を開放する事ができれば」
力が湧いてくる、そしてその使い方も。
「なんだ貴様は!」
鮮血姫が力を感知し構えた。しかし遅い。
「さあ、指揮官!」
「食らえ!」
掌を開き鮮血姫に向ける。解かる。撃つ。白い光が、鮮血姫を撃ち抜いた。
ゲームシステム的には「閃光砲」と呼ばれる所謂隊長技であることをワタルは後で知った。
昨日読んだリファレンスにはそんな記載はなかったが、後で確認すると追加されていた。司令官スキルと呼ぶらしい。
どうやら機能がアンロックされるとヘルプに追加されるようになっているようだ。
そう、この一連のイベントは負けイベントではなく、追加機能イベントだったのだ。
鮮血姫は光に撃ち抜かれたが、急所は外していた。ただし、体の一部がごっそり無くなっている。
「貴様、名は?」
「ワタルだ」
「紅玉を操る指揮官か。覚えていろよ、貴様は私が必ず殺す」
名乗った意味がなかった。鮮血姫は捨て台詞を残して消える。敵だけに許される瞬間移動だ。
鮮血姫が消えて少ししてから、トワと他の隊員数名が姿を現す。タイミングとしては完璧だ。
「指揮官、大丈夫ですか?」
「ああ、助かったよ」
「私は指揮官の補佐ですから。ご無事で何よりです」
システム的には指揮官は死なないのだが、そんな事を気にせずトワは言う。
「みんなは?」
「クリムゾンクリスタルがあります。大丈夫ですよ」
釈然としない回答だが仕方がない。本当の事なのだから。