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フェイクニュースだらけのこの世の中で、どう物事を判断するべきか ~主にリスク管理の観点から

 最近、僕はMMT理論というものを勉強しています。少しずつですけどね。

 これは経済理論の一つなのですが会計理論が中心で、正直に告白すると、僕は会計があまり得意ではないので、苦労しています。

 二冊ほど買って読み、更にネットでも調べて勉強してって感じでなんとか理解を深めていっている最中なのですが、そんな折に本屋で“MMT理論”がタイトルに入った本を見かけたのです。それで、

 「できる限り多方面から勉強した方が良い」

 と考え、それも買ってみたのです。人によって観点や解釈が異なる事が多いので、意外にそーいうのって重要なんですよ。

 ところがどっこい、この本、タイトル詐欺でした。

 読んでも読んでもMMT理論についての説明が出て来ないんです。後半に入って、ようやく出てきましたけども、少ない……。

 ただし、収穫はあるにはありました。この本の著者の方、どうやら右翼らしいのですが(ただし、反安倍政権派らしく、本の中で安倍政権を批判しまくっていました)、MMT理論を都合よく解釈して、公共事業の拡大を訴えていたんです。

 MMT理論を丁寧に読むと、本来ならば民間が使うべき資源を国が奪って経済成長力を削ぐ事には警鐘を発しているので、必ずしも公共事業を肯定している訳じゃないのですが、どうもそういった箇所は無視をしてしまっているようです。

 (これは意図的なものではなく、本当に“見えていない”のかもしれません。僕は今までに何度か経験があるのですが、思想が偏っている人達って、無自覚に情報を改ざんして記憶しているとしか思えない事がままあるのでですよ)。

 MMT理論を初めて読んだ時、「多分、これ、公共事業拡大派に悪用される危険性が高いな」と僕は予想していたのですが、どうも予想通りだったようです。

 

 さて。

 話は変わりますが、この本を読んでいて、太陽光発電について気になる話が出てきました。

 「太陽光発電で、原子力発電所一基分の電力を得る為には、山手線内側の面積と同等の広さが必要」

 といったような事が書かれてあったのですね。

 これ、随分前に話題になっていた巧妙な印象操作で、僕は「フェイクニュース」と判断してしまっても構わないと思っています。未だに使っている人がいるみたいですね……

 “山手線内側の面積”と書くと、さも広く感じてしまいますが、実は約65平方キロメートルほどしかありません。東京の面積は、約2188平方キロメートルですから、決して広くはないのです。

 つまり、具体的な面積を書かずに印象操作することで、太陽光発電の発電力は低いと勘違いさせようとしているのですね。

 更に“原子力発電所一基分”という表現もあまりよろしくはありません。何故なら、原子力発電所は発電のコントロールがし難く、無駄に電力を発電してしまっているからです。

 (参考文献:「見せかけの正義の正体 辛坊治郎 朝日新聞出版(24ページ辺り)」)

 例えば、電力需要が低い夜間でも、原子力発電所は発電を停めることができません。その為、その無駄な電力の使い道が必要で、揚水発電所を建設しなければならなかったほどです。無駄に発電した電力は、揚水発電用の水の汲み上げに使われているのです(因みに、何故かこの為のコストは原子力発電のコストとしては計上されていません。不可解ですね)。

 太陽光発電は、夏ならば特に、電力需要のピークに発電できるので無駄に発電する可能性は低いです。

 無駄に発電を行ってしまう原発との単純比較では、太陽光発電の発電能力を評価する事はできないでしょう。

 また、この本には「太陽光発電を行うには農地を潰す必要がある」といったような事が書かれてありましたが、既に農業と太陽光発電を同じ土地で同時に利用する研究が進んでいるので、少々情報が古いです。

 その他にも、原発は水不足などで停止せざるを得ない状況に陥る事があるので実は不安定である点等、他にも色々とツッコミどころはあるのですが、きりがないのでここらで止めておきます。

 

 ■フェイクニュースだらけ

 

 似たような印象操作や情報操作のフェイクニュースは、実は他にも数多くあります。そして、もちろん、それらは何か目的があって流されているはずです(いえ、中には単なる勘違いといったものもあるのでしょうけどね)。

 今回の事例だと、恐らく主な目的は“既得権益”の確保だと思います。

 “既得権益”というのは、“ある組織が既に維持している権益の事”ですが、この既得権益を守る為、政治家や官僚などが新規産業の誕生を阻もうとすることがよくあるのです。要するに、今回の場合なら、ネガティブキャンペーンで、再生可能エネルギーの普及を阻もうとしているのだと考えられるのです。

 ただし。

 なにも何か特定の団体だけがこのようなフェイクニュースを流している訳ではありません。テレビのニュース番組でも、この手の印象操作はよく指摘されています。

 例えば、テレビ朝日の「報道ステーション」で、自民党の世耕さんの年末の予定についての発言を切り取り、まるで当時話題になっていた「桜を見る会」疑惑についてのものであるかのように印象操作したニュースが流れていた事がありました。それで無責任だと自民党を批判していたような記憶があります。

 個人的な意見ですが、流石にこれは悪質でしょう。このような事例が、様々なメディアなどで散見されるんです。

 ところがですね、様々な団体で行われているにもかかわらず、その団体同士では互いに「印象操作や情報操作が行われている」と罵り合っていたりするんです。

 中立の僕の立場(と言っても、原子力発電には反対していますがね)から言わせてもらうのなら「“同じ穴の狢”だよ」って感じなのですが。

 更に言うと、そこには多分に勘違いも混ざっていると思うのです。

 例えば、ネット上で反安倍政権のある方は「選挙当日なのに、テレビで選挙をほとんど取り上げない」と主張していました。

 それで即座に僕はテレビ番組を確認してみたのですが、確かにその人が言っているように、その時の選挙では、日中、テレビで選挙特集が組まれているケースを発見できませんでした。

 そんな事をして何か意味があるのかと思う人もいるかもしれませんが、投票率が低いと組織票を持つ政党に有利になるのです。全体に対する組織票の割合が増えますからね。つまり、ある政党が(まぁ、ほぼ確実に与党だと思いますがね)、選挙戦を有利にする為にメディアに働きかけたというのです。

 夕方辺りからは流石に選挙特集番組が組まれていましたが、そんな時間に流れても、選挙に興味のない人がそれを見て「投票に行こう」とはあまりならないでしょうから、やはり投票率を低くする効果はあるように思えます。

 ですが、その人が言っていた別の情報操作は恐らくは勘違いです。

 その人は「れいわ新選組が、選挙報道番組で取り上げてもらっていない」と怒っていたのです。ですが、それはテレビ局側が“放送法第4条”を守る為にした、致し方ない処置なのではないかと少なくとも僕は判断しました。

 “放送法第4条”では、「政治的に公平であること」が規定されているのですが、これを完全に守ろうとすると全ての立候補者の政策案を紹介しなくてはなりません。

 ところが、完全にそれをやろうとすると、ほとんど力を持っていない個人の候補者の為にも時間を割かなければならなくなります。すると、とてもじゃありませんが、政策の中身を説明している時間は取れなくなります。

 更に言うと、有権者の立場からするのなら、仮に当選してもほとんど影響力を与えないような候補者の言葉よりも、充分に影響力のある候補者の言葉を聞きたいでしょう。

 だから、テレビに出演させるのは既に政党として認められている団体に限定しているのです(それでも時間がないくらいなんですがね)。

 (参考文献:「見せかけの正義の正体 辛坊治郎 朝日新聞出版(144ページ辺り)」)

 当時、れいわ新選組は政党ではありませんでしたから、選挙番組の対象から外れてしまったのではないでしょうか?

 当時、政党として認められていなかったれいわ新選組だけを紹介すると、政党に所属していない他の立候補者達を差別する事になってしまうから、取り上げられなかったんです。

 実際、れいわ新選組が正式に政党として認められると、多くのテレビ番組で取り上げられ、中には応援しているようにしか思えないものもありました。

 ただし、当然ながら、安倍政権支持者の中にも勘違いをしている人もいると思います。

 大手メディアにはそもそも“権力の監視”という役割があります。だから権力が集中してしまいかねない政策には敏感に反応し、仮に“疑わしいだけ”であったとしても、批判的な報道をする傾向があるのです。

 つまり、メディアの都合だけで報道内容を決めている訳ではないという事です。

 また、仮に公平に報道していた場合でも、見ている側が自分達にとって都合の悪い内容にばかり注目し「~は、安倍政権に対して攻撃している」、或いは「~は、安倍政権を無理に擁護している」などといった解釈をしてしまっているケースも多分にあるのではないかと思われます。

 例えば、「安倍政権の観光ビジネス」についての報道ですが、これについて全く正反対の主張をしている人達がいます。

 反安倍政権の人が、「マスコミが、安倍政権の観光ビジネスの成功を喧伝している」と主張しているかと思えば、それとはまったく反対に「マスコミが、些末な点を取り上げ、安倍政権の観光ビジネスを批判している」なんて言っている人達もいるんですね。

 「一体、本当はどっちなんだ?」

 と、思ってしまいますが、僕の記憶ベースで言わせてもらうのなら、どちらも見た事があります。

 つまり、マスコミが「観光ビジネスの成功を称賛している」のを見た事もありますし、反対にマスコミが「観光ビジネスの問題点を指摘している」のも見た事があるんです。

 これって、つまりは公平に報道しているって事じゃないですかね?

 「成功している点は認めるべきだけど、問題点もあるんだよ」

 と。

 ところが、自分達にとって都合が悪い報道があると、それが印象に残ってしまって「マスコミが印象操作の為のフェイクニュースを流している」と互いに言い合っているのじゃないでしょうか?

 つまり、「フェイクニュースだ!」という主張がそもそもフェイクニュースなのかもしれないのです。

 ……こう書くと、なんかどっかの大統領みたいに思えて来てしまいますねー

 (あの人、どこまで本気でああいうのを言っているのでしょうかね?)

 因みに、僕は安倍政権の観光ビジネス政策について、今までほとんど触れて来ませんでした。

 その理由は観光ビジネスはリスクが高いと判断していたからです。

 例えば、災害や政治的な問題が発生した際に、旅行客が減って、観光ビジネスは大ダメージを受けてしまいます。もし、社会全体が観光ビジネスに依存するような状態になってしまったなら、社会全体がピンチに陥ります。

 だから、「確かに、観光ビジネスは成功はしているようだけど、本当に大丈夫か?」と思って、何も言って来なかったんです。ま、反対も賛成もできないって感じですね。

 そう思っていたら、ウィルスでその懸念が現実になってしまった訳ですが。まさか、ウィルスとは。当に、「事実は小説より奇なり」ですね。

 余談ですが、「デフレの正体 藻谷浩介 角川新書」って本で、観光ビジネスの活性化による経済政策が提案されてあります。もしかしたら、安倍政権はこれを参考にしたのかもしれせん。

 また、反安倍政権側のマスコミでも、必ずしも批判ばかりをしているという訳でもありません。例えば、よく安倍政権支持の方がテレビ朝日の「報道ステーション」の偏向報道を批判しています。

 「安倍政権を意図的に貶めようとしている!」

 と。

 確かにそんな証拠も山ほどあるのですが、僕は何度か報道ステーションで、安倍政権を庇っているような発言をしているのも見た事があります(記憶ベースで語るので、詳細を言えば違う部分もあるかもしれませんが)。

 消費増税の時の電子マネー優遇政策で、世間の批判に対し「安倍政権には、電子マネーを普及させたいという意図がある」とフォローしていたり。なんとあの加計問題の最中に「規制緩和自体は素晴らしい。だからこそ、疑われるような行動は執って欲しくなかった」といったような発言をしていたことも。

 これを見たら反安倍政権派の人達は、「マスコミが権力に屈した」と言い、安倍政権支持派の人達はスルーするのじゃないでしょうか?

 「マスコミがフェイクニュースを流している」

 という主張の少なくとも一部は、誇張されたものだと僕は思っています。

 

 こんな感じで、本当にこの世の中はどう判断したら良いのか分からないニュースだらけなんです。そして、それを完璧に見抜く術があるか?と問われたなら僕は「ない」と答えるでしょう。

 非常に巧妙に表現が工夫されていたり、そもそも部分的に切り取られて都合良く情報が加工されていたりした場合、「色々な人の意見を参考にする」以外に対処方法はないのですが、互いに矛盾がある場合、結局は「どの情報を信じるのか?」という信念の問題になってしまいます。

 検証ができれば良いのですが、都合良く検証できる主張なんて滅多にありませんから。時間と労力の制約もありますしねー。

 また、一読で矛盾点が分かる場合でも、多くの人が「正しい」と主張しているような情報ってついつい信じてしまうのが人間です。

 随分前なのですが、ネット上で「LINEを通して、日本人の情報が韓国に流れており、その事実を日本政府が掴んでいる」みたいな記事がネット上で話題になった事があります。

 それを読むと、どうも政府の多くの人間達がそれを知っているような感じになっていたのですが(自民党もそれを知っているとか)、もしそうなら、もっと大騒ぎになってしまうはずですよねぇ……

 結局、その記事の真偽は確かめられず、いつの間にか自然消滅してしまいました。

 もしあの記事が正しかったなら、日本政府や自民党は、日本人の情報が韓国に盗まれ続けているのを放置してしまったって事になります。

 今も盗まれているのですかね?

 これが事実なら、酷い政権です。

 僕は、まぁ、どちらかと言えば日本政府には批判的な人間ですがね、それでも流石にそこまで酷くはないと思っています。

 一応断っておくと、「LINEによって、日本の情報が盗まれているか否か」は分かりません。僕が主張しているのは、その記事の内容がおかしいって点です。

 もう忘れてしまいましたが、他にも色々とツッコミどころがその記事にはありました。

 ところが「絶対に、正しい」みたいな事を言っている人達が世の中にはたくさんいたんです。そういったおかしな点は、目に入っていなかったみたいで。

 因みに、当時の僕の知り合いにもその話を信じている人がいたのですが、その人は「ネット情報を簡単に信じるものじゃない」みたいな事を言っている人だったんです。

 集団心理って怖いですよね。

 そういう意識がある人でも、「皆が信じている」ってだけでそれを信じてしまうんです。

 

 ■リスクを評価、管理する

 

 ――と、話が長くなりましたが、このようにそれがフェイクニュースであるかどうか見抜くのは非常に困難です。

 繰り返しますが、非常に巧妙に印象操作されている場合もありますし、嘘が分からないように工夫されている場合もあるし、おかしな点だらけでも、「皆が信じている」ってだけでそれを信じてしまう場合もある。

 その上、それを検証する時間も労力も限りがあるので知識人の意見を参考にしてそれらを節約しようとしても、普段は合理的なのに、自分が支持する団体の話になると途端に合理性がなくなってしまうような人もいるので、これも危険です。

 ならば、どのようにして、それらを判断して僕らは行動に結び付ければ良いのでしょうか?

 完全に正しい行動を選択するのは不可能でしょうが、それでも「ある程度は正しい」行動を選びたいと思うのは当然でしょう。

 そこで今回、僕は「リスクの評価と管理」の観点から、確率的にしか情報の正しさが分からない状況下での、適切な行動を選ぶ方法を提案してみたいと思います。

 ただし。

 断っておきますが、僕はリスク管理のプロでも何でもありません。

 この手の話を本格的にやろうと思ったなら、恐らくは“ゲーム理論”あたりを勉強し、数学的に考えるべきなのでしょうが、僕は一冊だけしかゲーム理論の本を読んだ事がありませんし、その中で身に付いたと思える内容もごくわずかです。

 僕はシステムエンジニアをやっているのですが、開発の仕事をやっていた頃は、色々な企業の職場に出向いて業務を行っていました。数は少ないですが、その頃のいくつかでリスク管理を行っていた職場があり、そのお陰で触れられたという程度です。

 だから、申し訳ないのですが、今から書く内容は、どうか「素人の戯言だけど、参考くらいにはなるかもしれない」程度の認識で読んでいただけると助かります。

 

 ■リスク評価と管理の方法

 

 まず、リスク評価では行動と条件の結果から考えることが重要です。

 行動1を執った場合の結果はA。

 行動2を取った場合の結果はB。

 では、結果AとBを比較して、より好ましいのはどちらで、それぞれの行動にどれくらいコストがかかり、そうなる可能性はどの程度あるのか?

 仮にAの方がより好ましい結果であったとしても、行動1にかかるコストが非常に大きいのならば選択しないかもしれません。すると行動2を選択するべきとなりそうですが、これには条件の要素が抜けています。それも加えた場合、また執るべき行動は変わって来てしまいます。

 

 ――こんな感じで、結果とそれにかかるコストを鑑み、執るべき行動を選択していくのですね。

 

 次に実践編です。

 これを2020年1月~2月頃から問題視されていた新型コロナウィルス(このエッセイでは、以降、これを“コロナ19”と呼ぶことにします)への日本の執るべき対応に当て嵌めてみましょうか。

 

 ■コロナ19の初期対応

 

 コロナ19対応の初期、2020年1月の段階で、中国人の入国を受け入れるか否かが議論されていました。

 しかし、この段階では、コロナ19の脅威がどれほどのものかはまだよく分かっていませんでした。

 もし、日本で蔓延させてしまった場合、医療が崩壊し、経済活動を抑制せざるを得ないレベルになるのか、それともインフルエンザ程度なのか。

 中国の武漢では、深刻な被害が既に出ていましたが、それは医療体制や衛生管理が整っていないからだ、などとも言われていました。日本では大丈夫だろう、と。

 一応、整理して表現すると以下みたいな感じのパターンになります。

 

 1.『中国人の入国制限をしない(危険なウィルスだった場合)』 → 『医療や経済に深刻なダメージがあり、人命が失われる』

 2.『中国人の入国制限をしない(それほど危険なウィルスではなかった場合)』 → 『深刻なダメージはなし』

 3.『中国人の入国制限をする(ウィルスの危険性は関係ない)』 → 『深刻なダメージはなし』

 

 ま、当たり前ですがね。

 これだけを見ると、パターン3の『中国人の入国制限をする』が正解のように思えます。ウィルスが危険でもそうじゃなくても、深刻なダメージはないですからね。がしかし、ここには行動のコスト(またはデメリット)が考慮されていません。

 『中国人の入国制限をする』という行動を選択してしまった場合、日本の観光産業が大ダメージを負ってしまいます。それに、政治的に中国との関係が悪くなってしまうかもしれません。

 つまり、もっとも望ましい楽観的なシナリオはパターン2って事になるのです。入国制限しないで、大して危険なウィルスでもないってやつです。

 ただし、当然ですが、コロナ19の危険性をどの程度に見積もるかによって、パターン2になるかどうかが分かれます。

 この頃、既にコロナ19に感染しても無症状や軽症で終わるケースがあると分かっていました。そして、それだけの情報でも、少なくとも「感染力が強い」という点は導けなければいけないんです。

 ネットワーク科学という分野があるのですが、この分野ではショートカットリンクが少しでもあると一気にネットワーク全体の距離が短くなる事が知られているのです。がしかし、誰にでも強い毒性を発揮するウィルスの場合、感染するとその人が動けなくなってしまうので、実質的にそのショートカットリンクは機能しません。

 ですが、感染しても無症状や軽症であるのなら、このショートカットリンクは活きてしまうんです。

 つまり、コロナ19にとって人間社会はとても狭い場所になっているって事です。

 また、毒性の強い感染症は、普通は感染を繰り返せばその毒性は弱まっていきます。強い毒性で宿主を殺してしまう病原菌は、自滅していき、人体に適応した結果、比較的弱い毒性に進化するだろうからです。

 が、このように無症状や軽症で済む人達が大勢いる場合は、この淘汰圧もあまり望めません。無症状や軽症の人達が、強い毒性を持つウィルスの安全な宿主となって生き残ってしまうからです。実際、無症状状態が長く続くHIVウィルスではこのような現象は起こっていません。

 もし毒性が弱まるにしても、それには長い時間を要するでしょう。

 なので、コロナ19には警戒をしなければいけないはずです。が、当時、日本政府にそれほど強く警戒しているような素振りが見られなかったのです。

 「うーん……」って、感じですね。

 正直、この時期、エッセイか何かで警告を発してやろうかと僕は悩んでいました。自分程度の情報発信力じゃ短期間で国の政策に影響を与えるのは無理だろうと思ってやらなかったのですが、今では後悔しています。一か八かでやってみれば良かった……

 結果的に、当時、国は中国人の入国制限をしない方針を選択しました(それからしばらくが経って、入国制限するようになるのですが)。

 つまり、コロナ19のリスクを低く見積もってしまったようなのです。

 しかも、その後、本当か嘘かは分かりませんが、日本には充分な検査体制や医療体制がなく、コロナ19への対応が難しい事が分かってしまいました……

 一般の人は、コロナ19が日本に侵入してからその事実を知ったのですが、流石に国は知っていたでしょう。

 と言うか、知っていなくてはいけません。

 なら、より大きくコロナ19のリスクを高く見積もる必要があると思うのですが。

 もっとも、このように国が…… と言うか、(感染症の担当は厚生労働省ですから)厚生労働省が、論理的に物事を考えていたかどうかを僕は大いに疑っています。

 薬害エイズ事件って知っていますか?

 厚生労働省が、HIVを感染させてしまう危険性があると知りながら、血液製剤を市場に流通させてしまったという信じられない事件で、現在、600人もの人が亡くなっています。はっきり言って、国が行った大量殺人事件です。

 (因みに、似たような事件で薬害肝炎事件ってのもあります)

 この件に関して、僕は厚生労働省(当時は、厚生省ですが)を擁護する気はまったくありませんが、それでも事実を述べるのなら、この血液製剤でHIVウィルスが感染するかどうか当時はまだ確実ではありませんでした。その可能性がある事が分かっていただけです。

 これは単なる想像ですが、「HIVウィルスが感染しない」という楽観的な見通しに厚生労働省は賭けたのではないでしょうか? お金が損しちゃいますからね。

 つまり、論理的思考ではなく、ただの願望での予測を信じてしまった…… そういうタイプの人達なのではないかな?と。

 そう考えると、今回のコロナ19でののん気としか言いようのない初動対応を説明できるような気がするんです。

 まぁ、その時とまったく同じ事をしてしまっているってことなんですがね。

 もっとも、厚生労働省をもっと悪く評価する事もできます。

 『厚生労働省にとって“人命の価値”は低かった。だから、仮にウィルスが危険で人命が失われても構わないと判断し、ウィルスの蔓延を許す“中国人の入国を制限しない”選択をしてしまった……』

 とか。

 ただ、流石にこれは邪推に過ぎるとは思います。考えないようにしましょう。

 

 リスク管理の基本は、常に最悪の事態を想定しておくことです。そして、出来る限り安全策を執っておく。

 そうしないと、そういった事が繰り返されるうち、いずれは社会全体が大損害を被ってしまいます。

 もちろん、そうして執った行動が、後になって適切ではないと分かる場合も多々あるでしょう。ですが、それは結果論に過ぎません。「心配し過ぎ」と評価されてしまっても、そこは曲げるべきではありません。

 特に、今回のように一国の社会体制が大きく傾きかねない事態では。

 リスク選好性が良い結果を産み出す場合ももちろんありますが、それは何度もチャレンジできる小さな企業のような場合の話です。大きな組織では、むしろ安定性こそが望まれるのです。……いえ、まぁ、それも時と場合によるのですがね。

 つまり、今回は、『中国人の入国制限をする』 という行動を選択し、『深刻なダメージはなし』という結果を得るのがより適切であったと少なくとも僕は判断します。

 中国からのコロナ19の侵入は防げていたってな調査結果もあるみたいですが、それは結果論に過ぎないでしょう(その調査結果が必ずしも正しいとは限らない訳ですし)。

 

 ――なんて感じの思考をするのです。大体のやり方は分かった思います。では、次の話にいきます。今度もやっぱりコロナ19の話題です。

 

 ■経済活動自粛か否か

 

 先程、リスク選好性の話をしましたが、日本の芸能人の中で明らかにこのリスク選好性が高い人がいます。

 堀江貴文…… ホリエモンさんですね。

 チャレンジ精神が旺盛で、小さな会社を大きくした実績があります(その所為で捕まっちゃったりもしましたが)。

 このような行動力を発揮する為には、少々のリスクを恐れてはいられません。積極的に行動する必要があります。その意味で、リスク選好性は役に立っていますね。

 そしてそのホリエモンさんが、

 「コロナ対策の為に、経済活動を自粛するのは反対、感染予防をした上で、普通に経済活動を行うべき」

 といったような主張しているのを見かけたんです。

 当にリスク選好性が高い行動パターンそのままの主張です。これ、何度でもチャレンジできる小さな組織の場合は、間違いなく有効な方略の一つでしょう。損害は比較的小規模で、もし成功したならばリターンがでかい!

 (いえ、日本の場合はそうとも限らないのですが、話が長くなり過ぎるのでここでは詳しくは述べません)

 ですが、果たして日本社会全体を捉えた場合は、どうなのでしょう?

 ちょっと深く考えてみましょうか。

 

 ――と、その前にいきなり謝罪です。

 ホリエモンさんの主張を僕はそこまで熟読はしていません。

 なので、これは“ホリエモンさんの主張の有効性を考察する”と言うよりは、経済自粛ではなく、感染予防のみでコロナ19対策を行った場合のリスクの考察になります。その点はご了承ください。

 

 今回は、先程とは違い、既に日本社会の広範囲にコロナ19の感染が広がっているという条件の違いがあります。

 つまり、より広範囲の経済活動を抑制せねばならず、自ずから、その抑制によるダメージも大きくなるのです。

 では、先程と同じ様にパターンを整理してみましょうか。

 

 1.『経済活動自粛を行う』 → 『経済は大ダメージを負うが、コロナ19は抑制できる』

 2.『感染予防のみで対応』 → 『経済のダメージは軽微だが、コロナ19の抑制効果はあまり期待できない』

 

 本当はもっとパターンは多いのですが、全てを書くと収拾がつかなくなるので、シンプルにこれだけにしてみました。。

 なので、補足します。

 『経済活動自粛で、コロナ19は抑制できる』と便宜上書きましたが、実はこれには反論があります。

 自粛しても、それほどコロナ19を抑制できていないってデータがヨーロッパではあるそうで、日本でのコロナ19抑制の成功は「季節が変わった事が原因ではないか?」と言っている人がいるのです。

 (2020年7月現在、自粛解除で、コロナ19の感染が再び広がっているので、どうも違っていたようですが)

 つまり、もしかしたら、感染予防のみでもそれほど結果は変わらなかったかもしれないのですね。

 ただ、歴史にタラレバはありませんから、これは確かめようもありません。

 ので、ここではコロナ19の抑制効果はあったという前提で話を進めます。

 もしかしたら、これを読んで「コロナ19を抑制できたなら、死者が減る。経済よりも人命の方が価値があるのが当然だ」と思う人もいるかもしれません。

 だから、当然パターン2の『感染予防のみで対応』では駄目だと。

 がしかし、経済がダメージを負っても人は死んでしまいます。生活困窮で自殺に追い込まれてしまうかもしれませんし、犯罪が多くなってその犠牲になってしまうかもしれません。

 つまり、仮に“死者の多さ”に注目をするならば、「コロナ19による病死」と、「経済的ダメージによる死者」のどちらが犠牲者が多くなるかを見積もって、その差を比較するという手続きを執らねばならないのです。

 ただ、これ、単純にはいきません。

 何故なら、経済活動を自粛したとしても、国が充分に生活困窮者を救うような対策を行いさえすれば、「経済的ダメージによる死者」は減らす事ができるからです。要するに、今なら“安倍政権の経済政策の実力”によって判断が変わってしまう事になりますね。

 安倍政権の経済政策の実力を低く見積もるのなら、経済活動の自粛で経済にダメージを負わせるような選択は適切ではなくなってしまうんです。

 ただ、もちろん、これは一要因に過ぎません。他にも色々と考えなくてはいけない要因はあります。

 『感染予防のみで対応』だけで対応し、コロナ19を蔓延させてしまったなら、訪日客が減るでしょう。そして、日本人の国外への渡航も制限され、国際イメージにも傷がつきます。それでも経済にダメージがあります。

 また、同じ“死者”でも、年齢層などに大きな違いがあります。

 「コロナ19による死者」はどうやら高齢者や基礎疾患を持っている人達が中心になりそうですが、「経済的ダメージによる死者」は経済の自粛で悪影響を受ける職種の貧困層で、多くは現役世代となるでしょう。

 高齢者世代には年金がありますからね。

 シビアな話、仮に次代を担う若い世代を優先させるのなら、パターン2の『感染予防のみで対応』を選択するという判断もあるかもしれません。

 ただし、ウィルスの感染を広げていくと、その過程で変異を遂げてどんな悪質なウィルスになるか分かりません。それによっては、若い世代の犠牲者も多くなってしまう危険性はあります(実際、既に欧米でそんな報告があります)。また、医療崩壊が起こった場合、更に悲惨な事態になります。

 色々と煩雑に書いてみましたが、つまりはコロナ19の犠牲者の多さを見積もろうにも、コロナ19の特性がまだ充分には分かっていない状態ですから、それが極めて困難になってしまうんです。

 一応、まとめてみます。今回は、一つずつ書いて補足していきます。

 

 1.『経済活動自粛を行う』 → 『経済は大ダメージを負うが、コロナ19は抑制できる』

 

 経済縮小によって、貧困による自殺などの被害が考えられ、それは現役世代が中心になると考えられます。

 また、充分に国が経済対策を行えば被害を最小限にとどめる事が可能です。つまり、日本政府の実力をどう見積もるかで判断が左右されます。

 もちろん、民間の自助努力能力も考慮しなくてはなりませんが、日本は規制が多過ぎて、民間があまり自由に行動できないので、どこまで期待できるかは分かりません。

 

 2.『感染予防のみで対応』 → 『経済のダメージは軽微だが、コロナ19の抑制効果はあまり期待できない』

 

 コロナ19の感染による病死などの被害が考えられ、それは高齢者や基礎疾患を持つ人達が中心になると予想できます。

 経済へのダメージは比較的低く抑えられますが、国内に感染者を蔓延させてしまうことで、貿易取引などで経済的な不利を抱えてしまいます。国際的な日本の評価も下げてしまうかもしれません。

 また、コロナ19の特性がまだ充分には分かっていない上に感染を経るとウィルスは変異しどんな特性を身に付けるか分からない為、蔓延によってどういった被害が出るのか、予測する事が極めて困難です。

 

 スウェーデンのように、“集団免疫”を獲得する事で対応しようとしている事例もあります。パターン2の『感染予防のみで対応』にも一理はあるかと思います。

 ただし、それは“賭け”でしょう。

 ならば、対策を充分に行いつつ、『経済活動自粛を行う』方が無難な気がします。もしかしたら、結果的に被害の程度は『感染予防のみで対応』の方が低かった…… なんて評価になるかもしれませんがね。

 

 また、コロナ19が超長期化した場合のみの選択肢になるかもしれませんが、

 

 3.『産業構造を変化させる』 → 『コロナ19を抑制でき、経済活動も活性化』

 

 なんてパターンもあります。

 既に一部では産業構造の変化は起こっていますが、それを更に広範囲、かつドラスティックに行うのです。

 オンラインでの経済活動を中心にし、どうしても直接触れなくてはならないケースに限り、検査や予防を徹底させる…… とか。

 いえ、もっと色々と工夫の方向性はありそうですが(後に述べようと思います)、そのように感染症に強い構造に社会を変えてしまえば、どちらの犠牲も抑える事ができます。

 ただし、産業構造を変えなくてはいけないので、かなり大がかりな作業になってしまいます。社会的コンセンサスを得るだけでも大変になるのが目に見えていますね。

 これは『経済活動自粛を行う』よりも、更に日本政府の実力を問われる選択肢になるでしょう。

 が、リターンの大きさを考えるのなら、覚悟を決めてこの道を進むのもありかもしれません。

 さて、ではこんなところで次に移ります。

 次もやっぱりコロナ19対策関連の話です。タバコ。喫煙リスクについて、です。

 

 ■喫煙リスクの評価

 

 コロナ19がまだ武漢のみで深刻で、世界にどれだけ感染が広がるか分からない状況下で、既に「コロナ19の感染症に喫煙は特に悪く作用するのではないか?」という話が出ていました。

 死者の数が女性よりも男性よりの方が2倍近く多いらしいのですが、その原因がタバコではないか? と言われていたのです。喫煙は死亡リスクを3倍も高めるのだとかいった話もあります。喫煙は免疫を弱くするからという仮説ですね。

 そして、喫煙をしていた人でも(若ければ特に)、禁煙をすれば2週間ほどで、免疫力は回復するのだそうです。

 つまり、この仮説が本当だとするのなら、感染症が広がる前に喫煙を止めさせれば、コロナ19による重症、及びに死者を減らせる可能性があるって事になるのですね。

 ですが、当然ながら、喫煙者がこれで減ってしまうとタバコ産業が経済的なダメージを負ってしまいます。

 例によってこの話をまとめてみると、こんな感じになります。

 

 1.『禁煙を訴える(タバコの害が本当だった場合)』 → 『重症者・死者を減らせるが、タバコ産業に損失』

 2.『禁煙を訴える(タバコの害がそれほどでもなかった場合)』 → 『重症者・死者はあまり変化しない。タバコ産業に損失』

 3.『禁煙を訴えない(タバコの害が本当だった場合)』 → 『重症者・死者はあまり変化しない』

 

 補足説明をしていきます。

 “タバコの害がそれほどでもなかった場合”

 というパターンを一応は設けてみましたが、この可能性は低いのじゃないかと僕は今のところ考えています。

 かなりの相関関係を示すデータが出ていますからね。

 因みに、WHOや日本呼吸器学会もコロナ19のタバコの害について警告を発しています。

 また、禁煙を訴えても、喫煙者を減らす効果があまりない可能性も考えられますが、これはそのコストが低い事を考えるのなら、それでもやってみる価値はあると判断できます。

 もし効果があったなら、それで死者数を減らせるんです。ならば、取り敢えず、警告を発してみるべきでしょう。

 「タバコの害など周知の事実。ならば、今更強調する事もない」

 と、考える人もいるかもしれませんが、多くの人が警告を発するのとそうでないのとでは喫煙者の意識はかなり変わります。そして、コロナ19の拡大以降、実際、禁煙治療を受ける方は急増しているそうです。

 因みに、僕は比較的早い段階でこの話題を取り上げ、小説とエッセイでコロナ19におけるタバコの害を訴えました。

 その前に投稿した短編が、幸運にもバズったみたいだったので、その短期間だけわずかに強くなった情報発信力を利用して何か価値のある事を訴えようと考えた結果なんですがね。

 これは国のトップの方の人達にまで伝える必要はなく、一般の人達に伝えられれば充分ですから、僕程度の発信力でも価値があるんです。

 大手マスコミでも志村けんさんがコロナ19の犠牲になった事を切っ掛けにタバコの害が訴えられましたが、僕はそれよりも2週間ほど情報発信が早かったです。

 それを考えるのなら、(ネット上で他にもタバコの害について訴えている人達がいましたが、そういう人達の力も合わせて)コロナ19の犠牲になるはずだった人達をこれで数人くらいは救えているかもしれません。

 計測は不可能ですから、どうかは分かりませんけどねー。

 ただ、そう思っておいた方が気分が良いのでそう思っておくことにします!

 一応付け加えておくと、タバコの害について国は未だに発表していないようです。コロナ19による死者が男性の方が2倍近く多いという話を発表しただけ……

 タバコ産業に気を使った…… つまり、人命よりも“金”を優先させたのじゃないかと思わず邪推してしまいますね。

 「マスコミや何らかの思想団体などがフェイクニュースを流している」

 と、前に述べましたが、実は日本の場合、フェイクニュースを流す代表格の組織は“国”だったりします。

 完全失業者数に就職活動していない人達をカウントせず、意図的に低く見せているようにしか思えませんし、カロリーベースの食糧自給率も、予算を多く欲しいが為の誤魔化しにしか思えません。それ以外にも甘すぎる年金の試算や、原子力発電所に関する発表など、数え上げれば枚挙に暇がない程なんです。

 最近では、厚生労働省による勤労統計のデータ改ざん問題が発覚したりしましたね……

 こんな状況で信用してくれってのはいくら何でも無理があると思いますが、実はコロナ19に関してもフェイクニュースを流しているという疑惑が国にはあります。

 検査数が日本は妙に少ないと各国から批判されていますが、これについて「オリンピックの開催を控えているので、感染者数をできる限り低く発表したいのではないか?」なんて疑われていたりしています。

 もちろんこれで騙せるのは、素直な日本国民だけだと思います。国際的にはむしろ逆効果で、信用を下げ、日本に来てくれなくなりそうな気がしますが……

 検査数が少ない事については、他にもまだ説があります。民間に頼ると厚生労働省の権限が弱くなるのを嫌がっているとかなんとか。

 いえ、真相はどうだか分かりませんよ? 本当に検査能力が低いだけかもしれません。がしかし、だとすれば、やっぱり「感染症に対するリスク管理体制がなっていない」って、なっちゃいますけどね。

 話が逸れてしました。

 戻します。

 

 “禁煙を訴える”ことのコストは低いので、問題点は、タバコ産業に与える経済的ダメージのみとなります。

 先にも述べましたが、経済的ダメージでも人は死に追いやられます。

 ただし、仮にコロナ19がなくても、タバコは健康被害や火災の原因になる点から、「ない方が社会的にメリットがある」と今まで世界的に訴えられてきました。

 総合的に判断して、マイナスの方が大きいというレポートを世界銀行が発表しているくらいです。

 これを信頼するべきかどうかという問題もありますが、ならばこの機にタバコ産業で働ている人達に他の仕事を行ってもらうという事も考えてみるべきかもしれません。

 今現在、世界的に“昆虫の養殖”が注目されています。直接の食糧にするという目的の他にも、魚の養殖の餌にする事で、天然資源を節約する効果が期待されているのですね。

 もちろん、これは一つの案に過ぎません。何か他にアイデアがあれば、別の産業でも全然構わないと思います。

 

 日本は特に酷いのですが、従来の産業を保護する為に、規制によって新産業の育成を阻むという事をやってしまっているケースが、人間社会には往々に観られます(冒頭の既得権益の話で、似たような事を述べましたが)。

 ですが、そろそろ発想を転換して、衰退する産業を無理矢理に保護するのではなく、何か別の必要とされる産業で働いてもらう事で、なくなる産業で働ている人達を助けるようにした方がより建設的であると思います。

 因みに、社会全体に負荷になっても、衰退する産業を無理矢理に保護するって発想は、どちらかと言えば社会主義的なものですね。日本って本当に社会主義っぽい……

 

 ■検察庁法改正案(2020年5月)のリスク評価

 

 さて。

 先程の“従来の産業の保護”の話は、主に官僚の権限にまつわる“規制”と関わりがあります。

 官僚達やその官僚に協力する政治家(族議員)は規制によって民間に対して圧力をかけ、日本の経済力を衰退させてしまっていると多くの人達が訴えているんですね。

 今度は、それに関連する話題です。

 2020年の5月頃に様々な方面で取り上げられ、物議を醸した“検察庁法改正案”について。

 なんでこれと官僚の規制が関係あるのか分からない人の方が多いと思いますが、少々、待ってください。順を追って説明していきます。

 

 まずは軽く時系列で説明していきます。

 検察庁法改正案は「検察官の定年を65歳まで延長しよう」というもので、2年以上前から議論されていたのですが、その間に「黒川検事総長の定年延長」という事件が起こりました。

 自民党安倍政権が、黒川検事総長の定年延長という異例の決定を下してしまったのです。本当か嘘かは分かりませんが、黒川検事総長は安倍政権に近い人物とされ、「自分達にとって都合が良い人事であったが為に定年延長を行った」という疑惑が持たれています。

 もし仮にこの話が本当だったとするのなら、大いに問題があります。権力の集中が起こり兼ねません。世界には民主主義が崩壊してしまった事例が多くあるのですが、そういった兆候の一つに、このような“政権が自分達の都合でのみで従来のルールを曲げて行う人事”があるそうです。

 (参考文献:「民主主義の死に方 スティーブン・レビツキー ダニエル・ジブラット 新潮社」)

 これ自体は、検察庁法改正案とは直接は関係はありません。がしかし、この定年延長の後で検察庁法改正案に手が加えられたことで物議を醸す事となってしまったのです。

 「検事総長などの重要ポストの定年延長を内閣の判断によって、特例で最大で68歳まで伸ばせる」という条文が追加されたのですね。

 繰り返しますが、これ、“黒川検事総長の定年延長”とは直接は関わりがありません。何故なら、黒川検事総長の定年延長は半年で、この法案が施行されるのは2年先ですから(まぁ、そもそも、辞職しましたが)。

 ただ、この件で「法律違反だ」という指摘がされたので、それに対しての批判をかわす為、印象操作目的で条文を追加した可能性はあるかもしれません。

 いや、ま、分かりませんけどね。

 そして、この検察庁法改正案に追加された「検事総長などの重要ポストの定年延長を内閣の判断によって、特例で最大で68歳まで伸ばせる」という条文が「三権分立の破壊だ!」と批判される事となってしまったのです。

 内閣には検事総長の任命権があるのでこれくらいは問題がなさそうに思えます。

 が、任命された後は検事総長は自由に判断が下せます。特に内閣の縛りを受ける訳じゃないんです。少なくとも、法律上は。

 ところが、「内閣の判断」によって定年が延長できるようになるとこれが変わります。検事総長って給料が滅茶苦茶高いですから、

 「定年延長して欲しいから、内閣の味方をしよう」

 なんて考える検事総長が現れたとしても不思議ではありません。すると、検察と裁判所は、日本ではとっても仲良しなものですから、内閣にとって有利な判決を裁判所が下すようになるかもしれません。

 これは一例に過ぎませんが……。

 通称共謀罪と言われる犯罪を計画しただけで逮捕が可能になる法律が随分前に作られてやはり物議を醸しました。

 「この共謀罪を利用して、政権が邪魔者を排除するのじゃないか?」

 なんて事が言われていたんです。ただ、もし仮に本当にそのような事が起こったとしても、裁判所が「無罪」と判決を下してくれるのなら、抑止力になります。

 ですが、検事総長が政権の味方になってしまったなら、「有罪」とされてしまうかもしれないんです(繰り返しますが、検察と裁判所は、日本ではとっても仲良しなんです)。そうなれば、政権が権力を好き勝手に使えるようになってしまえます。

 もちろん、これは現政権だけの問題ではありません。法律が残り続ける限り、この危険はついて回ります。

 一応断っておきますが、実際にこのような事が起こらなくても、その危険性があるってだけで問題なんです。

 時折、

 「特定秘密保護法も共謀罪も散々批判されたが、結局、言われたような問題は何も発生していないじゃないか!」

 なんて怒っている人を見かけますが、そういう人はリスク管理をまるで分かっていません。

 飛行機に乗る時に爆発物を持っていたら、完全にアウトですが、これは実際に使われるかどうかを問題視しているのではなく、“使われる可能性”があるだけでアウトなんです(そもそも特定秘密保護法は情報が隠されてしまっているので、問題が発生しているかどうかすらも分からない訳ですが)。

 更に言うのなら、法律の評価ってこんな短期間で判断できるようなものじゃありません。下手したら、100年後にだってまだ残っている可能性があるんですから!

 ……と、少し話が逸れましたが、検察庁法改正案にはこのように政治家の権力を暴走させてしまうかもしれないリスクがある事になります。

 もっとも、権力を持っているのが政治家だけとは限らないので、これはそんなに単純な問題ではないのですが……

 

 ――と、なんてところで、話の途中ですが、一度、ここで切ります。

 

 “検察庁法改正案”と言えば、多くの芸能人がこの法案に反対した事で有名になりましたね。

 これはもしかしたら、一種のカスケード現象で、雪崩が起きるのが偶然なのと同じ様に、偶然にそれが起こった可能性もあるのですが、それでもその背景を想像する事は可能でしょう(飽くまで“想像”です)。

 共謀罪のような検察庁法改正案よりも不穏な法律にはあまり反応しなかった芸能人の方々までがこの法案には激しく反応しましたから、背景に“感情的なものがある”と捉えるのは、あながち強引な結びつけとも言い切れないでしょうし。

 この反対運動は“コロナ19禍”と関係があるとよく言われています。

 「コロナ19の対応で大変な時期に、なんでこんな法案を熱心に通そうとしているんだ!」

 って、感じですね。

 芸能人の方の中にも、コロナ19の犠牲になって亡くなった人達は少なくありません。しかも、日本政府の初期対応は酷かったですから、

 「もし、最初から日本政府がコロナ19に真っ当に対応してくれていたなら、自分達の仲間は助かっていたのじゃないか?」

 と、口には出さなくても、ついこのように考えてしまう人達がいても不思議じゃないでしょう。しかも、コロナ19禍の影響で収入が激減する俳優達への支援を日本俳優連合が求めたそうなのですが、歯牙にもかけられない感じだったそうです。

 いえ、それどころか、「国に何でも頼るな!」みたいな感じで、ネット上などで批判すらされてしまったのだとか。

 僕は、この批判をした人達って一部の自民党安倍政権支持者の方達が含まれているのでは?と疑っています。

 いえ、ネット上で何度か安倍政権支持者の人が、似たような感じで「国に何でも頼るな!」って怒っているのを見かけた事があるもので……

 一応断っておきますが、芸能人の人達って大御所になれば、かなりの額の税金を納めていますし、社会に貢献もしています。ですから、こういう仲間のピンチの時に「仲間達を助けてくれ」と訴えるのは当然の権利でしょう。

 しかも、自助努力をしようにも、日本の場合は規制が多過ぎて、はっきり言ってかなり難しいんです。

 早い話が、この扱いはかなり理不尽じゃないかと思うんです。だから、芸能人の中に

 「おのれ、安倍政権!」

 って、思っちゃう人が現れても不思議ではないと思うんです。そしてそんな状況の時に、大御所的な立場の人が「検察庁法改正案に反対します!」ってな表明をしたら、賛同する人がたくさん現れるのは自然の流れのように思えませんか?

 しかも、この話にはまだ続きがあります。

 一部の安倍政権支持者の人達が、そういった芸能人を叩き始めてしまったのですね。

 “検察庁法改正案に対する不安”って、要点だけを言ってしまうのなら「議論を通さず、力だけで政策を押し通されてしまう事に対する不安」なんです。それなのに、当にその通りの行動を安倍政権支持者達の一部が執ってしまったって事になります。

 「不安していた事は本当だったんだ!」

 と、思われても仕方ない話ですよね。だって実際に力で反対意見を潰そうとしているのですから。

 この騒動を知った一般の人の中にも、そんな風に感じてしまった人はいたのじゃないでしょうか?

 もちろん、一部の過激な安倍政権支持者の人達と安倍政権は違います。ですが、理性では分かっていても、感情にそれが追いつかないのが人間です。絶対に印象は悪くしてしまっているでしょう……

 と、まぁ、あのー…… 僕は別に安倍政権の支持はしていませんから、心配するのも変な話なんですが、こういった、ネガティブ・キャンペーンのように世間から反発を受けそうな態度はむしろ逆効果で、安倍政権の足を引っ張るだけなので、はっきり言って止めておいた方が無難ですよ。

 僕みたいな力のない人間ならいざ知らず、今回のケースは、相手は芸能人ですから、特にまずい。

 芸能人って、インフルエンサー集団な訳ですよ。そのインフルエンサー集団を政治団体が敵に回すような真似をしても、絶対に良い事なんてないです。

 しかも、少なくとも“黒川検事総長の定年延長”に関して言うのなら、自民党側の答弁は「潔白を信じてくれ」とはとてもじゃないですが言えないような内容でした。仮に本当に潔白なのだとしても、あんな答弁をした自民党に非があると思います。

 自民党安倍政権を擁護したいのなら、今回のケースならば、芸能人をターゲットにするのではなく、マスコミのみを批判するべきだったのではないでしょうか?

 「なんで、正確な報道をしないんだ?!」

 と。

 

 ……あ、ここで一応書いておきます。

 “検察庁法改正案”を書く為に、僕は安倍政権擁護派の意見もいくつか勉強してみたのですが、僕が見つけられたものは論点がズレていました。

 「成立過程に問題がない」という点ばかりを強調していて、法案に反対している人が気にしている「法案が悪用される可能性」については、何も触れられていなかったんです。

 包丁は料理の道具ですが、人を殺傷する事が可能です。どういう経緯や理由で作られたかは、法案の危険性とはあまり関係がありません……

 意図的に論点をずらして誤魔化そうとした訳ではないと思いますが、気を付けた方が良いと思います。

 

 この件で、芸能人への批判で、「ちゃんと勉強してから批判しろ」といったようなものがありました。僕もこれにはある程度は同意します。最低限度の知識くらいは身に付けるべきでしょう。ですが、これは「賛成する側」にも言える事だと思うんです。

 安倍政権を支持している人達の一部には、安倍政権の政策を理解しないまま、安倍政権を支持してしまっている人達がいます。

 これまでに僕は何度もそういう人達を見かけているからそう主張するのですがね。

 できれば、賛成意見も反対意見も理解した上で自分の意見を持つべきでしょう。

 ……まぁ、こういう人達は、宗教団体みたいなもんで、仲間達とは違う意見をなかなか言えないものなのかもしれませんが。

 

 さて。

 長々と書いてきましたが、この辺りでようやく例によってパターン別に話をまとめてみたいと思います。

 

 1.『検察庁法改正案を廃案にする(権力集中リスクが本当だった場合)』 → 『検察庁の人材が減ってしまうが、権力の暴走を食い止められる』

 2.『検察庁法改正案を廃案にする(権力集中リスクが本当ではなかった場合)』 → 『検察庁の人材が減ってしまう』

 3.『検察庁法改正案を廃案にしない(権力集中リスクが本当だった場合)』 → 『検察庁の人材を確保できるが、権力が暴走する』

 2.『検察庁法改正案を廃案にしない(権力集中リスクが本当ではなかった場合)』 → 『検察庁の人材が確保できる』

 

 今回も本当はもっとパターン分けをしなくてはならないのですが、そうすると煩雑になって分かり難くなってしまうので、取り敢えずはこの四つだけにしてみました。

 なので、補足していきます。

 今回のケースでは、廃案にしなかった場合のデメリットが「検察庁の人材が減ってしまう」以外はないのが重要なポイントになります。

 もし、法案が成立しなくても、その程度で済むのなら、“権力が暴走するリスク”の方が明らかに大きいので、廃案にしておいた方が無難って事になりますからね。

 (一応断っておくと、検察庁法改正案全体の廃案ではなく、「検事総長などの重要ポストの定年延長を内閣の判断によって、特例で最大で68歳まで伸ばせる」って部分だけの廃案です)

 つまり、リスクに対して、検察庁法改正案を成立させるメリットが明らかに低いんです。

 がしかし、先にも述べましたが、この話はそんなに単純ではありません。

 何故なら、これも先に述べた通り、権力を持っているのは政治家だけとは限らないからです。

 

 ここで、ようやく官僚達の権限である“規制”の話になります。

 

 コロナ19禍には様々な業界が苦しめられていますが、そのうちの一つにタクシー業界があります。

 客が激減してどうにもならない状況なのだとか。

 そんな最中に、こんなようなニュースが流れました。

 「タクシーによる宅配を、特例として国土交通省が認めた」

 もちろん、これは苦境に陥ったタクシー業界を救う為で、大いに認められるべきだとは思うのですが、このニュースには気になる点があります。

 “特例として国土交通省が認めた”

 はい。

 これはつまりは、これまではタクシーによる宅配サービスは認められていなかったって事ですよ。しかも、それを認めたのは国土交通省……

 政治家が新しい法律が作った訳でも、修正をした訳でもなく、官僚がそれを認めただけです。これって、実は凄い権限です。

 近年に入り、物流業界が人手不足に陥っているって話を知っていますか? お陰で運送会社の労働者達は過重労働で苦しみ、料金だって高くなってしまっているんです。もし、他の業界から参入してくれたなら大いに助かっていたはずです。

 なのに、コロナ19禍が広がるまで認められてこなかった。

 なんか、おかしいって思いませんか?

 完全にフリーにしろとまでは言いませんが、少なくとも敷居は下げておくべきだったのではないかとは思います。

 この官僚の権限が、正式に法律上認められたものなのか、それとも「官僚を敵に回したら商売ができない」という恐怖の下の慣例的なルールなのかまでは不勉強で申し訳ないのですが、僕は知りません。

 でも、官僚にこれだけの権限があるのは少なくとも事実なんです。

 世界の日本企業に対する評価を知っていますか?

 “クリエイティブ”と、そう評価されているんです。では、どうしてそのクリエイティブな企業にスマートフォン等の新技術を用いた製品の開発できなかったのか?

 いくつも要因は考えられますが、その大きな一つが官僚達のこの“規制”であると言われています。

 例えば「電気用品の技術上の基準を定める省令」という省令があります。検索をかけると簡単にヒットし、その内容を閲覧する事が可能です。

 とても読む気にはなれませんが、これには使用する電線の太さ、材質、ヒューズなどの様々な詳細な基準が罰則付きで定められているのだそうです。

 今でも、その基準を守りながら、日本の電機メーカーは製品を開発しているんです。スマートフォンなどのような基準違反になってしまう危険性のある製品は当然ながら自由には開発できません。

 実際、スマートフォンで操作できる機能を持つエアコンをパナソニックがリリースしようとした際、発売前に経済産業省から脅しとも取れる電話がかかってきて、消去せざるを得なかった事があったそうです。

 (参考文献:「見せかけの正義の正体 辛坊治郎 朝日新聞出版(90ページ辺り)」)

 その他にも、車の自動ブレーキ機能を世界に先駆けて日本企業が発売しようとしたのを国土交通省が止めてしまった事もあったらしいですし、コロナ19禍が始まってから、ようやく認められたオンライン診療も、長い間、厚生労働省が規制をし続けて来た所為で、必要だとは随分前から言われていたにもかかわらず、普及しては来ませんでした。

 こんな話は、まだまだあります。

 オンライン授業も同じ様に必要だと言われていたのですが、文部科学省がそれを嫌がっていた為に普及していませんでした。もし、積極的に取り入れていたなら、情報技術の学習だって遅れる事もなかったはずです。

 (参考文献:「岩盤規制 誰が成長を阻むのか 原 英史 新潮文庫」)

 かつては、これら規制は日本社会の経済成長に効果的に働いていました。官僚の指導に従い民間企業が切磋琢磨する事で、日本経済は大きく発展を遂げたのです。

 ですが、今は違います。

 この官僚達の規制が利権の温床になり、私利私欲の為に利用されています。それが民間企業の活動を制限し、日本社会にとっての足枷になってしまっているんです。

 もちろん、官僚達がAIやIoT等の先進技術に明るく、日本社会全体の為に行動してくれるというのなら、今でも規制は役に立つかもしれません。

 が、既に彼らの知識は先進技術に追いついていません。

 もし、早くから規制が緩和されていて、オンライン診療やオンライン授業が日本で普及していたなら、コロナ19禍で社会が受ける損害はもっと少なくて済んでいたでしょう。

 中国は或いは、国の腐敗は日本よりも酷いかもしれませんが、それでも先進技術を取り入れて社会を成長させようというモチベーションは非常に高いんです。それに比べて日本はまるで成長を拒んでいるかのような状態。このままいけば、衰退は必然です。

 

 実は第二次安倍政権で掲げられた経済政策の“アベノミクス”の三本の矢の一つには、この状態を打ち破る為の“規制改革”が盛り込まれていました。

 「ドリルの刃となって岩盤規制を打ち破っていく」

 といったような勇ましい台詞を、安倍首相自身が語っていたのを覚えいる人も多いのではないでしょうか?

 ですが、この規制緩和、規制改革はいつの間にか随分とトーンダウンしてしまいました。もちろん、進んではいるのですが、随分と遅々としているのです。

 何故なのか?

 当然ながら、これには利権を手放したくない官僚達の抵抗が考えられます。

 (因みに、規制で守られている業界の一つにマスコミがあり、だから「規制を緩和しようとしている安倍政権の邪魔をしている」なんて主張をしている人達もいます。本当なのか、単なる想像に過ぎないのかまでは分かりませんが)

 実はかつてニュースを賑わしていた“森加計問題”も規制緩和がらみで発生した問題です。そして、ここで検察の話に戻って来るのですが、どうもこの話には検察も絡んでいるようなんです。

 森加計問題は、マスコミにリークされた情報であると言われていますが、その疑われている情報源のうちの一つが検察庁なんですね。

 2020年5月頃、黒川検事長が、マスコミ関係者と賭けマージャンをしていた事件が世間を賑わしましたが、まぁ、繋がりがあるのは明らかです。

 そして、実は勘違いをしている人も多そうですが、検察は“司法”、“立法”、“行政”のうち、行政(内閣府)に所属しているんです。行政(内閣府)ってのはつまりは官僚って事です。もっとも、限りなく司法に近い行政ですけどね。だから、

 「もしかしたら、検察は官僚とも繋がりがあって、安倍政権が行おうとしている規制緩和を邪魔したいのかもしれない……」

 なんて、想像も(飽くまで、“想像”です)思わずしてしまいそうな位置にいる事はいるんですよ。検察って。

 政治家で権力を持っている人達は、ほぼ確実に悪い事の一つや二つはやっているでしょう。だから、検察に睨まれちゃったら、活動がし難くなるのは当然の話で、もしかしたら、安倍政権もそんな立場なのかもしれないんです。

 

 つまり、

 「検事総長などの重要ポストの定年延長を内閣の判断によって、特例で最大で68歳まで伸ばせる」

 ってのが、検察庁法改正案で認められて、検察が政治家達に手出しし難くなったなら、官僚達の権力が抑えられるかもしれないんです。

 そして、それによって規制緩和が進むかも……

 いや、もちろん、「政治家が悪い事をやらなければ良いのじゃない?」ってな話でもある訳なんですが、悪い事をやらずに権力を得ている政治家なんてごくわずかだと思いますから。

 

 ――いや、まぁ、もっとも、その前に、これ、単なる想像なんですけどね。

 

 ただ、もしこれが正しかったとするのなら、検察庁法改正案の問題は、“官僚の権力”を選ぶのか、それとも“安倍政権の権力”を選ぶのか? って選択の問題になります。

 どっちもどっちですけどね……

 

 あ、もう一度しつこく繰り返しますが、この話は飽くまで僕の想像ですよ?

 

 2020年6月に自民党の河合夫妻が逮捕されました。一部の人達は、彼らの為に“黒川検事長”が必要だったなんて主張をしていましたが、黒川検事長が辞任するなり事が進んだのは単なる偶然なんでしょうか。

 いえ、考え過ぎかもしれませんが。

 考え過ぎついでにもう一つ語っておきます。

 

 曖昧な記憶で申し訳ないのですが、このコロナ19禍の中、文部科学省が芸能人達を招いてパーティを開いたなんてニュースが流れていました(ごめんなさい。この内容は裏が取れていません。ひょっとしたら、記憶違いかもしれません)。

 そして、2020年5月27日に、「文化芸術活動への緊急総合支援パッケージ」として役者も含めたフリーランスの人間達への支援が決まりました。

 検察庁法改正案への反対運動で、芸能人達の世の中へ与える影響の強さをまざまざと見せつけられた後のタイミングです。

 これ、偶然ですかねぇ……

 また、この“検察庁法改正案への反対運動”自体が一つの論連ずらしで、本当に重要なのは検察庁法改正案とセットで通そうとしていた“公務員の定年延長”ではないかという話もあります。

 民間企業は既に定年延長されていますが、定年延長した後はサポート役に回り、給料も大きく削減されるのが普通です。ところが、公務員の皆さんは違っていて、高い給料のまま延長だそうで、その批判をかわそうとしているのだとか。

 本当なのか嘘なのかは分かりませんが、だとすれば、芸能人達はこれに協力しようとしていたって事になりますね。

 いえ、すいません。

 やっぱり、考え過ぎだと思います。これじゃ、どっかの陰謀論と同じですよね。

 

 ■種苗法改正

 

 最近、芸能人が政治に関わるニュースが増えてきましたが、この“種苗法改正”も柴咲コウさんが問題提起した事で有名になりました。

 種苗法改正とは、簡単に言ってしまえば作物の品種にも“著作権・特許権”を与えようというもので、今までは認められてきた農家の自家採種(自分で種を取って、次の年の作物を育てること)を登録品種に限っては、禁止しようというものです(今現在で、全体の一割程度だそうです)。

 当然ながら、その分、農家のコストは上がる事になる訳で、その点を中心に一部の人達が反対運動を行っています。育種産業は海外の巨大企業が圧倒的に強く、もしこのような法律が認められれば、日本の育種産業は外資に乗っ取られるとかなんとか……

 中には「日本の農業が滅びる」とまで主張している人達もいます。

 僕は詳しくこの話を調べようとする前に、まずこれを聞いて秒で疑問を感じました。

 この種苗法改正は、当然ながら、自民党が通そうとしている法案です。そして、自民党が選挙で勝つ為に重視している票田の一つが農家なんです。

 その農家が大ダメージを負うような法案を自民党が通そうとしますかね?

 いえ、もちろん、その犠牲を払っても良いくらいのメリットが自民党にあるのなら話は分かるのですが、どうも種苗法改正についてはそんな事もなさそうなんです。

 それで「怪しいな」と思って、まずはどんな人が反対をしているのかを調べてみました。すると、“元農林水産大臣の山田正彦さん”って人が出てきました。

 “元農林水産大臣”

 物凄く怪しいです。この人は政治家ですが、政治家の中にも族議員って言って、官僚達と協力関係にある政治家はいるんです。

 ならば、ここで疑うべきなのは、この種苗法改正で何か不利益を被る利権団体があるかないかです。

 そんな訳で、その観点で調べてみました。

 すると、種子法という既に廃止された法律がそれと絡んでいる事が分かりました。

 

 今現在、米の品種ブランドは都道府県がほぼ独占している状態です。それが可能だったのは種子法によって、都道府県の米ブランドが奨励されて来たかららしいです。

 これは“規制”ではありませんが、実質的にそのように機能していたようなんですね。

 “都道府県”ですから、当然ながら米の育種には税金が使われています。ならば、これはお決まりのパターンで、その税金に群がる利権団体があるって事になります。

 そして、税金で運営されているから当然なんですが、この利権団体にとって市場の需要動向なんて関係ありません。だから無視してせっせと品種開発を進めます。つまり、別に求められている訳でもないのに、お米の品種を新たに開発しているって事です。税金の無駄遣い…… いえ、資源の無駄遣いですね。

 もちろん、社会からそれが求められているのならば育種をすれば良いのですが、そうじゃないって事です。お米の消費量、年々下がってますからね、日本……(僕はお米大好きですが!)。

 これを社会から求められて行われる育種に変える為には(資源を適確に使ってもらう為には)どうすれば良いでしょうか?

 はい。

 民間企業に任せる事ですね。

 民間企業ならば、求められている品種の開発しかしません。だって、種や苗を売って利益を出さないといけませんから。

 では、民間企業に育種を任せる為には、どうすれば良いでしょうか? 取り敢えずは、種子法を廃止しなくちゃ始まりません。それで、恐らくは種子法は廃止されたんです。

 ですが、それでも民間企業が米の育種を始めるかどうかは分かりません。蓄積された技術がないので、そのままでは税金が資金源になっている都道府県には対抗できないでしょうからね。

 だから、恐らくはその前年に、農業競争力強化支援法で、種子生産に関する知見を民間企業に提供・促進することが公的な試験機関に求められるようになったのだと思います(すいません。これ、どの程度実施されているのか、正直分かりません。検索をかけても情報が出て来ないんです)。

 そして、資金源の問題を解決する為に、“種苗法改正”を成立させ、種苗メーカーの収益を上げようとしているのではないでしょうか?

 

 まず、お米だけに限って言います。

 確かに種苗法改正が通れば、農家のコストは上がるでしょう。すると、普通に考えるのなら(農家がコストカットなどで努力すれば別ですが)、そのコスト分は食糧品の価格に上乗せされるはずです。

 つまり、お米の価格が上がるって事です。

 こう考えると悪い事をのように思えますね。

 ――ですが、実はこれまでもその育種のコストは無料って訳じゃないんです。

 税金を介して払っているから分かり難くなっているだけで、ちゃんと僕らはお米の育種に対してお金を支払って来たんです。

 要するに、種苗法改正によって、今までは“税金で育種コストを国民が支払って来た”のが、“食糧品の価格に上乗せする形で支払う”ように変わるって話です。

 どれくらい食糧品の価格が上がるのかは分かりませんが、低所得者にとっては、或いはこれまで通り税金から支払われる方が良いかもしれません。

 低所得者はあまり税金を支払っていませんし、食糧品ってのは説明するまでもなく、生活に直結しますから。

 がしかし、公的機関ってのは無駄な資源の使い方をしますから、その無駄が省かれる事を考えるのなら、今までよりも社会全体の育種コストは安く済むようになるはずです(スケールメリットを活かせる場合など、必ずしもそうとは言い切れないのですがね)。

 民間企業の方が資源を上手く使ってくれますから。

 ただし。

 ここで言う“民間企業”は、日本の企業だけを示している訳じゃありません。

 当然ながら、海外の企業も含まれています。

 それが、種苗法改正反対派の主張ですね。このままでは、「日本の育種産業が、外資に乗っ取られてしまうぞ!」と。

 ですが、当然ながら、これには反論があるんです。

 

 既に廃止された種子法について触れて来ましたが、この種子法の対象は“米、大豆、麦”のみを対象としていて、野菜は含まれていません。

 つまり、野菜の育種に関しては、既に民間企業による自由競争がずーっと行われて来たって事です。当然、海外の企業とも競争していますね。

 では、この野菜の育種産業の日本市場は、外資に乗っ取られてしまっているのでしょうか?

 これが全然、そんな事はなくて、日本市場で活躍している野菜の種苗メーカーは日本の企業が多いんです。もっとも、海外からの輸入が多い事は多いのですが、これは日本の企業が海外で生産したものなんだそうです。

 どの程度、それで日本に利益が入って来ているのか、或いは出て行っているのかまでは分かりませんが、少なくとも、外資に乗っ取られてはいません。

 しかも、野菜に限って言うのなら、日本の種苗メーカーは、世界でもそれなりにシェアがあって、2009年のデータで(少々古いですが)、約10%ほどあります。

 つまり、日本の種苗メーカーは、実力がありそうだって話です。

 今までは、日本の法律や慣習の所為で、その実力が発揮できて来なかった。それを「発揮できるようにしよう」というのが、種子法の廃止や、種苗法改正といった一連の流れなのじゃないでしょうか?

 これは厳密にいえば官僚による“規制”の話ではありません。ですが、話の構造自体はとてもよく似ています。

 一応断っておきます。

 種子法で定められていない農作物以外の登録育種については、種苗法改正で自家採種が認められなくなれば、そのままコストになってしまいます。

 がしかし、そもそもどの程度行われ来たのか分かりませんし、自家採種にかかっていた農家の労働コストは減ります(登録品種以外は、今まで通りですし)。

 それに、これで育種産業の収益性が上がれば、研究費用を高くする事が可能になり、たくさんの企業が参入する事で価格競争が起こって、価格が低下するなんて可能性も考えられます。

 

 色々と雑多に書いてきましたが、例によってパターン別にまとめてみます。

 

 1.『種苗法改正実施(日本種苗メーカーの実力が高かった場合)』 → 『育種に関するコストの低減ができ、日本の育種産業が成長する。税金は節約できるが、食糧品の価格は上がってしまう可能性がある』

 2.『種苗法改正実施(日本種苗メーカーの実力が低かった場合)』 → 『育種に関するコストの低減ができるが、海外にシェアが奪われてしまう。税金は節約できるが、食糧品の価格は上がってしまう可能性がある』

 3.『種苗法改正を実施しない』 → 『育種に関するコストの低減ができない。税金も節約できないが、食糧品の価格は上がらない』

 

 巷では、“種苗法改正”というと、「日本が開発した苺などの品種が海外に盗まれるのを防ぐ事ができる」という点を中心に議論されているようですが、本当にそんな効果があるかどうかは分からないですし、またどちらであったとしても、種苗法改正の目的は“税金の節約”と“日本の育種産業の成長”だろうと判断して、ここでは重視しませんでした。

 種苗法改正のポイントは、「日本の育種産業が育つか否かどうか」と、「税金という形で育種コストを支払うのか、それとも食糧品の価格に上乗せする形で育種コストを支払うのか」、「育種のコストをどの程度削減できるか」といった点になると思います。

 種苗法改正をどう評価するかは、立場によってそれぞれでしょうから、ここでは結論を出しませんが、僕個人の意見としては、進めてしまっても問題ない法案だと思っています。問題点は幾つかあるかもしれませんが、それは解決可能な範疇でしょう。少なくとも、致命的な問題点にはならなそうです。

 

 ■原子力発電所

 

 福島原発事故が起きた当時は、原発への反対運動がかなり盛り上がりましたが、それから数年が経ち、随分と反対の声は弱くなってしまいましたね。

 恐らくは、国の方でもそれは予想していたと思います。そしてまた原発を推進してやろうとか考えていそうな雰囲気がプンプン漂っています。

 ですが、それでは国が福島原発事故によって得られた教訓を充分に活かし、そのリスクを充分に評価した上で推進しようとしているのかと言えば、恐らくまったくそんな事はないだろうと思います。

 まぁ、コロナ19の初期対応を観ても明らかですけど、そもそもリスク管理をするつもりがなさそうに思えますから。

 一応断っておきますが、「原発事故が起こらない」という事を証明するのは不可能です。安倍首相が発言したことで有名になりましたが「ない事の証明」は「悪魔の証明」と言われ、証明する事は非常に難しいのです。原発事故の場合は、不可能です。“科学的に安全性が証明できる”はずがありません。

 大事故が起こる確率だってだから求めようがないんです。「千年に一度」とか、色々と言っている人がいるようですが、全部嘘だと思ってくれて間違いありません。

 もしかしたら、原発が爆発する確率は50%かもしれないし、80%かもしれないんです。そして、一度でも起こったなら、最悪の場合、冗談でも誇張でもなく、日本が、否、北半球の人間社会が国家級の大損害を受けてしまうんです。

 今回は、早々にパターンを出しますが、

 

 1.『原発推進(大事故が発生した場合)』 → 『電力を得られるが、国家の存亡にかかわる大ダメージを受け、核廃棄物の管理を半永久的に行わなければならない』

 2.『原発推進(大事故が発生しない場合)』 → 『電力を得られるが、核廃棄物の管理を半永久的に行わなければならない』

 

 こんな感じです。

 “電力を得られる”というリターンに対し、リスクが大き過ぎるのが明らかに分かるでしょう。

 電力を得られる手段は他にいくらでもあるのに、国家が滅亡するかもしれないリスクを背負うなんてはっきり言って馬鹿げています。

 “大事故”と書きましたが、もちろん、これは事故ではなく、テロリストなどに狙われた場合でも同様です。

 日本の原子力発電所のセキュリティはとても脆弱で、もし狙われたなら、あっけなく占拠・破壊されてしまうだろうと言われています。

 しかも、相手が人間の場合はどんなに対策をしても、その対策に対する対策をして来るのでいつまで経っても安心ができません。

 また、狙われる対象が核廃棄物でもやはり大変なリスクがあります。もし、核廃棄物を盗まれて、水源にばらまかれでもしたらそれだけで人々の生活は脅かされます。

 その点を考慮すると簡単に分かると思いますが、それは核廃棄物の管理にコストをかけなくてはならない事を意味してもいます。

 しかも、核廃棄物は半永久的に毒性の強い放射線を放出し続けますから、半永久的にコストがかかるという事になります。

 当然ながら、原子力発電所を稼働している間に得られる電力を遥かに超えるコストがかかってしまいます。

 そして、そのコストは将来世代の僕らの子孫が無理矢理に負担させられるんです。

 日本社会がこれほどまでに発展して来たのは、僕らの先祖が懸命に働き次の世代に遺産を残してくれたからです。そのお陰で僕らは豊かな生活を送れているのです。

 が、原子力発電所は完全にその逆です。

 将来世代に負担を負わせ、今の世代が楽をしているんですから。

 まるで、日本社会の衰退を狙っているようじゃありませんか?

 つまり、リターンに対して、リスクだけでなく、コストもかかり過ぎてしまっているんです。

 主に経済産業省が原発利権を握っていると言われていますが、これまで説明して来た通り、官僚達は日本社会全体の利益などほとんど気にしてないように思えます。

 だからこそ、リターンに対して、リスクやコストが大き過ぎても、構わず原子力発電所を推進して甘い汁を吸おうとしているのでしょう。

 ただし、実は原発推進にはこれ以外にも理由があると言われています。

 一部の日本の核武装を夢見る勢力が、原発推進に賛成していると言うのですね。原子力発電所の技術は核武装に転用できるんです。

 つまり、リターンが“電力”だけでなく、“核兵器”もあるという事ですね。

 こうなると話が少し違ってきます。

 核兵器については、価値観によって大きく判断が変わるので、このリターンをとても高く評価する人も中にはいるでしょう。

 例えば、中国の脅威を高く見積もっていて、対抗手段として核兵器が絶対に必要だと考えている、とか。

 がしかし、そういった人でもやはり高過ぎるリスクとコストを真っ当に評価できているかどうかは怪しいと僕は踏んでいます。

 

 ここで、少し進化心理学の話をします。

 軍事志向が高い人達は、どうもリスク選好性が高いらしく、リスクに対する恐怖心が麻痺している傾向があるらしいです。また、“子供を守り育てる”という意識も低く、子供を犠牲にする事にも比較的無頓着です。

 (参考文献:「暴力の解剖学 エイドリアン・レイン 紀伊國屋書店」)

 これは“できる限り多く遺伝子をばらまく”という一部の男性が執っている方略の一つと考えられます。

 つまり、

 「他の社会を侵略し、相手を支配し、相手の社会の女性達に子供を産ませて育てさせる」

 という行動を執ろうとするのです。

 子供をたくさん残せば、それだけ多く自分の遺伝子が残る可能性が高くなります。だから生まれた子供を大切に育てるよりも、別の新たな女性を見つけて子供を産ませようとするのですね。

 実際、戦争には(レイプも含めた)性行為が付き物で、歴史上、多くの事件が起こっています。

 軍事が伴わなくても、似たような行動を執る男性は多いですよね。子育てには無関心で浮気性の男達……。

 一応断っておきますが、“生き残りの為の方略”という目で見た場合、どんなに残酷に思えても、そのような価値観でそれを評価してはいけません。

 飽くまで、それが生き残りにとって有利に働くかどうかで判断しなくてはならないんですね。

 ただ、ですね。

 このような方略が、現代社会においても有効かどうかは分かりません。協調行動の方が明らかに高度でメリットも高いからです。実際、先進国と呼ばれる国々同士では、ほとんど戦争は行っていません。

 まぁ、戦争ってお互いに足を引っ張りあっているので、互いに協力し合い、補完し合っている社会に負けるのは当然なんですけどね。

 そしてだからこそ、前述したような男性的価値観は、近世に入り時代遅れになって来たのではないでしょうか?

 出産はとてもコストがかかるので、女性中心に考えた場合、子供を大切に育てようすると考えられますが、先進諸国はそのような社会体制を執っています。

 

 ――ところがどっこい、

 それでもこの世の中には、強い軍事志向を持ち、男性中心の方略を執ろうとするタイプの人達はいます。そしてそういう人達は、その方略を執る為の価値観を持っています。

 ここで、話が戻るのですが、そういう価値観を持った人達は、原発推進によって得られる“核兵器”はとても高いリターンだと判断するでしょう。

 そして、リスク選好性が高いので、“原子力発電所が爆発する”というリスクを過小評価してしまうかもしれません。

 “核廃棄物の管理”という重すぎるコストの負担を強いられるのは、将来世代…… つまり、僕らの子供達ですが、子供を大切に育てるという価値観を持たないので、それも気にしません。

 結果、原発を推進してしまおうとするのではないでしょうか?

 

 僕は国際社会における軍事力の役割は今でも充分に高いと判断しています。

 “平和な世の中”なんてのは、ちょっと何かが起これば直ぐに崩れる脆弱な体制でしかないでしょう。

 ですが、その一方で、軍拡競争はそろそろ限界なのではないか?とも思っています。

 既に一国を亡ぼせる程の破壊力を持った水爆が現実化しているのに、まだ軍事力拡大競争を続けるのか?と。

 ――いつまで続けるのか?と。

 (人類が滅びるまで?)

 

 これからの軍事は、AIを用いた無人の殺人兵器の時代と言われていますが、一体、何が起こるのでしょうね?

 取り返しのつかない事態になる前に、そろそろ本気で、軍事縮小の方法を、全世界規模で見出す努力をする必要があるのではないでしょうか?

 

 ■自民党安倍政権

 

 このエッセイは、“世の中はフェイクニュースだらけだけど、そんな不確定な情報からでも出来る限り的確にリスクを評価したい”という発想から書き始めたものです。

 ただ、このエッセイで言う“フェイクニュース”は、何も積極的に発信しているものばかりではありません。

 “情報を書くす事”

 それも、ある種のフェイクニュースと言えます。

 そして、自民党安倍政権には、とても重要なある“隠されている情報”があるのです(いえ、安倍政権だけではないのですがね)。

 安倍首相やその近い位置にいる国会議員達(自民党以外にも所属しています)は“日本会議”という名の右翼系の宗教団体(他にも自己啓発セミナーのような団体もあるようです)の連合体に所属しているんです。

 これの何が問題か分かりますか?

 普通に考えるのなら、総理大臣である安倍首相の方が立場が上のように思えるかもしれませんが、もしかしたら、安倍首相はこの宗教団体のトップの人には逆らえないかもしれません。

 すると、今現在、国政のトップに立っているのは実質的には日本会議のトップの人なのかもしれないって事になってしまいます。

 当然ながら、日本会議のトップの人は、国民から選挙で選ばれた訳ではありません。それどころか、ほとんどの人はまったく知りません。

 そんな人物が権力を持ってしまっているのかもしれないんです。

 もちろん、そこまで極端でなくても、国政に影響力を持っている時点で充分に問題があります。

 ですから、本来ならば、安倍首相が日本会議の操り人形ではない事と、日本会議の安全性を世間に向けて示さなくてはならないはずなんです。

 その当然しなくてはいけない情報の開示を行っていないのですね、安倍政権は。

 しかも、ジャーナリスト達の取材内容を信じるのならば、この日本会議はかなり特殊な思想を持っているようなんです。基本的人権などの近代国家なら当然持つべき思想を否定し、戦前の軍国主義の復活を望んでいるかのように思える発言をしているのですね(いえ、それとも少し違っているかもしれませんが)。

 そして、だからなのか、日本会議は現行憲法を無効にしたがっているのですが、実際にかつて麻生大臣が、憲法を無効にするのに「ナチスの手口に学んだらどうかね」といったような問題発言をしているんです。自民党が提示している憲法改正の草案の中にはそれが可能な緊急事態条項が入っているのですが、9条にばかり注目していて、ほとんどこれについての議論は行われていません。

 「ナチスの手口」と言うのは、こっそりといつの間にかに憲法を無効化するというものなのですが、まるで本当にそれを行おうとしているかのようです。

 しかも、共謀罪や特定秘密保護法など、不安を喚起するような法案を自民党安倍政権はいくつも通してしまっています。

 これでは「警戒するな」という方が無理でしょう。

 ただし。

 安倍政権が日本にとって必要な改革を行おうしているのもまた事実なのです。最近は忘れられていそうですが、無理だとすら言われていた“公務員が加入していた共済年金”と“一般企業の社員が加入している厚生年金”の統合を果たしたのは、間違いなく安倍政権の成果です(それ以前の政権の蓄積もあったのでしょうが)。

 共済年金は厚生年金に比べて厚遇で、不公平だという批判があったのですが、それが統合によってある程度は是正されました(それでもまだ公務員は優遇されているそうですが、随分とマシにはなったそうです)。

 そして、何度もこのエッセイでも取り上げていますが、これからの日本を考えるのなら、アベノミクスの一つに掲げている“規制改革”も絶対にやってもらわなくてはなりません。

 随分とトーンダウンしてしまいしたが、それでも現日本の政治勢力の中で、最も規制緩和・規制改革を実現してくれそうなのは自民党安倍政権です(維新の会にも意思はありそうですが、勢力が足らない)。

 まとめます。

 

 1.『安倍政権の政策支持(危険な思想を持っていた場合)』 → 『規制改革が進むが、日本が軍国主義化してしまう』

 2.『安倍政権の政策支持(危険な思想を持っていなかった場合)』 → 『規制改革が進む』

 

 もちろん、安倍政権の政策を支持したからといって、必ずしも規制改革が進む訳ではないのですが、そういった細かい点はここでは無視をしてしまってください。

 安倍政権の政策を支持した場合のリターンは、「規制改革が進み、日本経済が復活する」事で、そのリスクは「軍国主義化」です。

 ですが、「軍国主義化」はそんなに簡単に実現できはしません。その為には、(彼らにとっての)憲法改正が必須で、そして現段階で、それはかなり難しい状況にまで追い詰められています。

 つまり、「軍国主義化」のリスクが減っているのですね。ならば、安倍政権の政策に期待して良い理由が増している事になります。

 

 ただし、そう想定した場合でも、まだ懸念点はあります。

 果たして、安倍政権はどれだけ真剣に規制改革を行うつもりなのでしょうか? コロナ19対策の一環として、オンライン診療の解禁や、オンライン授業の普及が多少は進み、「スーパーシティ法案」も通りましたが、まだまだ不充分です。

 ですから、

 「憲法改正は諦めて、規制改革に注力してくれ」

 と、国民の側からもっと積極的に訴えるべきだと思うのです。今の安倍政権の現状から考えて、もう憲法改正に政治的リソースを割ける状況下ではないでしょうし。

 

 ■規制緩和・規制改革の重要性について

 

 このエッセイのメインテーマではありませんが、最後に規制緩和・規制改革の重要性についてもう一度語ってみようと思います。

 

 コロナ19禍が起こってから、安倍政権に対しての「コロナ19対策に集中しろ」という声をよく聞くようになりました。

 「今は規制改革なんて進めている場合じゃないだろ」

 っていうような主張ですね。

 ですが、僕はこれは違うのではないかと思うのです。

 オンライン診療やオンライン授業が典型例ですが、むしろコロナ19対策の為にこそ規制緩和・規制改革は重要だと思うのです。

 例えば、もし仮に日本社会にもっと電子マネーが普及し、どんな人でも気軽に安全にネット上で買い物ができるようになったとしたならどうでしょう?

 (すいません。全然、知識がない状態で書いてしまいますが、電子マネー読み取り機を家庭に普及させる、とか)

 芸能人達もこのコロナ19禍で被害を受けている人が多いようですが、それが実現すれば、もっとオンライン公演が普及し、彼らの仕事の場もできるでしょう

 特別に感染検査や予防を行ってもらえるようになれば、そういった公演も各段にやり易くなるはずです。

 すると、そのサービスを受ける為、VRゴーグルやタブレット、またはパソコンなどの売り上げが増える効果が期待できます。そして、そういった機器が普及したなら、今度は英会話などの一般家庭向けのオンライン授業や、今までよりも高度なオンライン婚活、オンライン診療などのサービスも可能になるでしょう。

 また、そのようにして、ネット上で電子マネーで売買する文化が定着をしたなら、飲食店の営業の幅を広げる事も可能になります。

 現在、コロナ19対策として、キッチンカーを購入する飲食店が増えているという話を知っていますか? それとネットでの売買を組み合わせれば、「ネットで注文を受け付け、ある程度の人数に達した地域にキッチンカーで向かう」といったビジネス形態が実現できます。

 今、都内の飲食店が特にピンチのようですが、都内でしか食べる事ができないような珍しい料理を食べられるのなら、郊外に住む人達からの需要も見込めるように思います。もちろん、普通に配達によって食べ物を届けても良いでしょう。

 そうしてネット上の売買が活性化すれば、物流の需要が増えます。その増えた需要を満たす為に、タクシー業界や旅行会社のバス運転手などに物流の仕事を行ってもらえば、コロナ19禍の影響で仕事がなくなっている彼らを救う事もできます。感染が起きそうなポイントを見極めて、重点的に予防するような取り組みをすれば、リスクも軽減できます。

 このような事が起こるせるのなら、コロナ19感染予防・対策をしたままの状態でも経済を活性化させられるんです(もちろん、普通の状況下でも経済を活性化できます)。

 仕事がなく、貧困で既に多くの人が困っていて、中には命を落としている人までいますが、そういった人達を救えるんです。

 

 ――ですが、

 今の国の状態では、このような事を実現する事は難しいでしょう。

 もちろん、様々な分野の産業が協調行動を執らなくてはならないので、元より国が“仲人役”として関わった方が絶対に効率は良くなり、そんな役割を国が担ってくれそうにないという問題点もあるのですが、それ以前の問題として、そもそも国がそれを邪魔しているんです。

 もちろん、日本が規制でがんじがらめにして、民間企業の行動を抑制する事によって。

 

 ……あ、余談ですが、もし自民党がこのような試みを実施して、それを見事に成功させたなら、物凄く支持率が上がるんでしょうね。

 そうなったら、また憲法改正させられてしまうリスクが高くなりますが……

 

 ■終わります

 

 様々な物事に対し、パターン別にまとめ、自分なりの分析を加えて適切な行動を導く試みをしてみましたが、もちろん、ここでの分析には多分に僕個人の価値観が加わっていますし、そもそも僕の考慮が足りていない部分もあるかもしれませんし、読み物としての体裁を整える為にカット、修正してしまった部分もあります。

 だから、恐らくはかなり不完全なものになってしまったと思います。

 ただし、それでも「リスク管理や評価には、こういうやり方もあるんだよ」ということは指し示せたかと思っています。

 

 以前僕は共謀罪に反対しましたが、その理由はリスクに対してリターンがほぼないと判断したからです。

 国が悪用する危険性(現政権とは限りません)に対して、共謀罪の防犯効果はほぼないと判断したのですね。

 実際、この法案が成立した以降も、ネット上で犯罪が計画され、それが実行された事例がいくつかありますが、それら犯罪をこの法律は防げませんでした。

 あの当時議論していた多くの人は、このような観点からこの法律を考えてはいなかったように思うのです。

 

 僕の結論に納得いかない人も多いかと思います。

 是非とも自分で分析してみて、自分なりのリスク評価を行ってみてください。


作中で書いた参考文献の他、主に参考にしたサイトなどです


・検察庁法改正案

https://www.youtube.com/watch?v=jDgWn0I4ciU


・種苗法改正

https://hirohitorigoto.info/archives/286

https://togetter.com/li/1191808


他もあるんですが、見ても時間の無駄になっちゃいそうな気がしないでもないので、載せていません。

知りたいって人がいたら、覚えている限り載せます。


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