志展
アクセス数が増えていく度、とてもうれしく感謝の気持ちでいっぱいになります。これからもどうぞよろしくお願いします。
「で、でかい……」
そんな遠い目をしたのは警察組織の一員となる予定の伊作だった。現在紺星、青花、伊作、寛の四人は警察のビルの入り口付近にいた。ユレと骸斗の二人がいないのは、被疑者である皐月を牢獄に連れて行く為に先にビル内に入っていったからだ。
伊作はこれから警察組織の人間になる為、このビルが伊作の新しい家ともなるのだ。伊作はこれから自分の家となる巨大なビルを目の前にして足が竦んでいた。
因みに弓絵はというと、ユレに回復魔術をかけてもらった後に紺星たちが家へと送り届けたのだった。弓絵は生存している被害者である為、後で事情聴取を行う必要がある。またすぐに再会できるのだ。
「お前見たことなかったのか?まぁ百階建てだしデカいはデカいよな」
目眩しかけている伊作を尻目に紺星たちは組織の本拠地へと足を踏み入れた。紺星たちはビル内にあるエレベーターに乗り込むと、寛が階数のボタンを押した。寛が押した数字が百であるのを目視した伊作はギョッとした表情をした。
「ひゃ……百階って……まさか……」
「あぁ、お前を総括に紹介するから、腹括れよ?伊作」
紺星が鬼畜そのものの面持ちで伊作をからかうと、何故か伊作はその場の空気に似つかわしくない暗い表情をした。これから羽草に対面する緊張も忘れてしまったようだった。その表情の原因は紺星の話の内容ではなく、紺星が呼んだ伊作の名前にあったようだった。
「どうした?」
「……その名前、捨てちゃダメでしょうか?葛城さんにつけて、欲しいです」
「お前青花と同じこと頼むんだな」
「えっ……?」
俯きながら申し訳なさそうに懇願した伊作に、紺星がそう呟いた。伊作は思わず顔を上げ、エレベーター内にいた青花に視線を向けた。青花はその視線に頷くことで返した。紺星が発した事柄については肯定らしい。
「コイツの揺川青花って名前も俺がつけたんだ。前の名前は要らないって言われて」
「……俺も同じです。俺を家族と言ってくれたのはあなただけです。名前って家族に最初に貰うものでしょう?」
伊作は己の両拳を握り締めると、紺星を真っすぐに見据えた。皐月は伊作にとって家族でも何でもなかった。伊作にとって皐月は、ただ己を搾取するだけの存在だったのだ。伊作が家族と認め、忠誠を誓うのは紺星ただ一人。だからこそ紺星に名前を付けてもらいたかったのだ。
「……分かった。少し考えるから待ってろ。そういえばお前、初めて会った時と一人称も違ってるな」
紺星の言葉で青花は右手拳をポンっと左手に乗せた。青花は今気づいたようだった。そう、伊作は当初自分のことを〝僕〟と呼んでいたが今では〝俺〟に変わっていたのだ。本来〝俺〟の方が素なのだろう。そんな細かいところに即座が気が付いた紺星に青花は感嘆の声を漏らした。
紺星が自分の名付け親になることに承諾した為、伊作が安堵の表情になるとエレベーターが百階に着き、ポーンと音でそれを知らせた。伊作にとってそれは現実へと引きずりおろす合図の音だった。
紺星たちが総括の部屋の前に着くと、伊作が首を傾げた。周りを見渡すと更に困惑したような顔をした。その顔を覗き込んだ青花が伊作に声をかけた。
「何か変?疑問」
「いえ……警察組織のトップのいる階なのに、警備とか誰もいないんですね」
「下の階には私たちがいる。異変があればすぐに察知できる。警備は不必要」
「……あぁ、なるほど」
伊作は総括の周りに警備の人間が誰もいないことを危惧していたのだ。警察組織のトップにしては無防備すぎやしないだろうか?と。だがそれは青花の言葉で杞憂に終わった。当たり前である、すぐ下でこの国最強の隊が目を光らせているのだから。万が一にも総括の身が危険に晒されることは無い。
それなのに警備などに人件費を割けば、それこそ税金の無駄遣い。税金泥棒と言われても反論できないのだ。
そんな会話を交わしている際、伊作はふと青花の伝声魔術が気掛かりになっていた。青花の首に残る古傷には気づいていた為、伝声魔術で会話する理由には見当がついていたのだが、ユスティー隊員が一体どこでそんな傷を負ったのかという事柄が気になっていたのだ。
だがそんなことをズケズケと聞く程、伊作はデリカシー無し男ではなかった。骸斗であれば一発で空気を悪くすることが容易に想像できるが。伊作は問題児ではないらしい。
紺星が扉をノックすると、羽草の「入ってこい」という返答が来た。紺星が扉を開けると、椅子に腰かけながらコーヒーを飲んでいる羽草の姿があった。伊作は初めて見る警察組織トップの男の姿に鳥肌を立たせていた。
「君が最上伊作か?」
「あっ、はいっ」
がちがちに緊張している伊作を見た羽草が思わず吹き出した。そんな反応を返されると予想していなかった伊作は恥ずかしそうに汗を噴き出した。だが羽草はそんな笑顔から一変、伊作の目を見据え、真剣な表情になった。その表情で途端に背筋が凍った伊作。そんな伊作を尻目に羽草が絶対零度の表情のまま口を開いた。
「君は弱い」
「っ……はい」
「君はこれからこの厳しい環境で強くならなければならない」
「はい」
「だが君はこの世界において幸せな部類の人間だ。どんなに辛いことに直面したとしても、それを忘れてはいけない」
「はい」
「君は今までの人生を悲観しているようだが、君の過去より不幸な人間などいくらでもいる。それも忘れてはいけない」
「……はい」
「君は弱い自分から強い自分を見出すことができるか?」
「っ……はい!」
伊作は目の前の男に全てを見透かされていることを理解した。そしてその上で、改めてこの組織に骨を埋める覚悟をした。伊作の勢いの良い返事を聞いた羽草は破顔するとゆっくりと頷いた。その場にいたユスティー隊員たちは総括からの正式なお許しが出た為、ほっと胸を撫で下ろした。伊作はというと、感無量で泣きそうになるのを必死に堪えていた。
「君をどこに所属させるかは追って知らせよう」
総括への挨拶を終えたため、紺星は伊作をビル内の寮へと案内した。寮はビルの50から60階にあり、家族のいない警察組織に属する人間ほとんどがここで生活している。伊作は55階の部屋に住むことになった。因みに寮に暮らしているユスティー隊員たちは皆、50階の部屋に住んでいる。
「ここがお前の部屋だ。あ、寮に女とか連れ込むなよ」
「連れ込みませんよ!」
伊作の部屋の前に着いた途端紺星がそんなことを言ったのには訳があった。以前やらかした奴がいたからである。当然犯人は問題児なのだが。そんな事情を知らない思春期真っ盛りの童貞くんは、顔を真っ赤にして大声を上げた。
「あ、お前の名前永浜志展にしたから。それでよろしく」
「……永浜志展……どういう意味ですか?」
伊作の反応を見て破顔した紺星はふとそう言った。伊作は突然のことでポカンとしていたが、紺星がこの短時間で自分に名前を付けてくれたのかと、感慨深く新しい己の名前を口にした。
永浜という苗字は紺星が潜入捜査中に使っていた、永浜昴からとったものである。そのことにはすぐに気づいた伊作だったが、名前の方の意味は見当がつかなかった為紺星に尋ねたのだ。
「〝展望〟からとってつけた。お前には過去に囚われず、志した未来を見据えることができる男になって欲しいからな」
「それで……志展……。ありがとう、ございます」
〝志展〟は涙がこぼれそうになるのを必死で抑えた。紺星が志展を思い、強くなるようにとつけた名前で涙を流すなど、紺星に対して示しがつかないと思ったのだ。
「その心がけは立派だが、泣きたいときは泣いてもいい。俺だって泣く時は泣く」
「はっ、はい」
一瞬心を読まれたのかと錯覚した志展は、慌てた様子で返事をした。だが志展は内心紺星が泣く姿など想像もできないでいた。この強靭な精神と力を持つ男が泣いたりするのだろうか?と。
「葛城さんはいつ泣くんですか?」
心で思っていたことをそのままに口に出してしまった志展。顔中にしまったという言葉を散りばめていた志展を紺星は不思議そうに眺めていた。一方の志展は紺星の発言を疑うようなことを口に出してしまったことを後悔しまくり中であった。
「俺は……お前たちのことでなら泣くと思う」
「俺、たち……」
志展は紺星が自分のことで泣いてくれるのかと、信じられない気持ちと歓喜で打ち震えていた。紺星が仲間というものを大事にしていることは、知り合ったばかりの志展にも分かっていた。だが本当に自分がその仲間の一人になってもいいものかと思っていたのだ。志展は現在、ユスティー隊員でもないただの警察関係者だ。そんな自分がユスティーの隊長にこんな言葉を貰ってもいいのだろうか?と、グルグルと考えていると、紺星と志展以外の人物の声がした。
「あのぉ、二人の世界作ってるとこ悪いんだけどさ、そろそろ俺たち、仕事あがってもいいか?紺」
「……あぁ、いたのか」
「居たわ!」
「……紺、鬼畜」
すっかり青花と寛の存在を忘れていた紺星は、長い沈黙の後そう呟いた。紺星の言葉に青花と寛を少しばかりジーンとしていたが、明らかに存在を忘れられているのに気づいた為、各々不満を口にし始めた。紺星が腕時計を見ると既に夜十時になろうとしていた。残業のし過ぎはよろしくない。
「もうこんな時間か。もう休んでいいぞ。悪かったな、長いこと働かせて」
「へーい。あーあ、明日から報告書作りめんどくせぇ」
「右に同じ。奇遇」
寛と青花はこれから作成するであろう、変死事件の報告書を想像し苦虫を嚙み潰したような顔をした。完全武闘派なユスティーでそういった事務作業が得意なのは福貴だけなのだ。福貴はユスティー隊員だけあり、戦闘能力は化け物クラスなのだが、ユスティーの中で比べるとあまり目立たない。その代わりに拳銃の製作や、頭脳労働を得意としているのだ。
それが災いし、福貴は寛に仕事を押し付けられることもあり、寛のパシリ?ポジションに納まっているのだ。
翌日。紺星は志展の配属先を総括から聞き、それを志展に伝える為、55階の寮に出向いていた。55階の寮で生活している人たちは、普段顔を見ることの無いユスティーの隊長が突然現れた為、慌てふためいていた。
紺星たちはそんな人たちを尻目に志展の部屋に向かった。そしてノックをすることなく扉を蹴り上げて開けた。その姿は当に借金取りのヤクザである。
「おーい、志展!さっさと起きやがれ!」
「……ンン……?はっ!?葛城さん!?」
扉が豪快に開けられる音と紺星の大声で目を覚ました志展は、魔術で入れないはずの部屋に紺星がいることに驚愕した。志展は即座にベッドの上で正座をし、眠い目を擦った。
「どうやって中に?」
「この程度の魔術が俺に解けないとでも?」
「あ、いえ」
問題はすぐに解決してしまった。この組織の各部屋には部外者が立ち入ることができないように、該当する人物以外が扉を開けることができない魔術が組み込まれている。だがその魔術も絶対ではない。紺星のような化け物クラスの人間にかかればこの程度の魔術はすぐに解けてしまうのだ。そんな簡単なことにも気づけないのか?という無言の抗議を一身に受けた志展は、即否定した。
「総括からお前の配属先を言い渡された」
「はいっ!」
紺星の訪問理由を理解した志展は背筋を伸ばした。寝巻き姿なうえ、髪がぼさぼさな為格好は良くないのだが。紺星は志展の必死の繕いに破顔した。
「永浜志展、貴殿のエントライ入隊を命ずる、だそうだ」
「エン、トライ?」
紺星から発せられた隊の名称が聞き覚えの無いもので志展は首を傾げた。紺星はベッドに腰かけると、手にしている書類を光にかざしながらエントライの説明を始めた。
「エントライの名前を知らないのは当然だ。潜入捜査を主とした隊だからな。知ってたら大問題だ」
「潜入捜査ですか?」
「あぁ、警察への通報の中には、これから犯罪を犯すかもしれない集団を知らせるものもある。夜中におかしな音が聞こえる、とかな。そういった通報を受けた後に潜入捜査をして、危険性があるかないかを判断し、前者なら、犯行を未然に防ぐ。そういった任務を行う隊だ」
「なるほど」
基本潜入捜査はエントライの管轄なのだが、変死事件のような特殊な事件の場合ユスティー隊員が潜入することもあるのだ。それ以前に変死事件の際は高校への潜入捜査だった為、年齢的にもユスティー隊員にしかできない任務だったのだ。
志展は紺星が称賛した変身魔術を組織に買われたのだ。だからこそ、変身魔術を有効活用するには打ってつけのエントライへの配属が決まったのである。
「エントライの本拠地は66階にある。報告はもう行ってるから、支度が済んだら向かえよ」
「はい」
志展が返事をすると、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。紺星と志展が扉の方に目を向けると、十乃が志展の部屋に入ってきた。十乃は酷く慌てた様子で、紺星を見つけるとすぐに傍に寄った。志展は十乃を知らなかったため、突然見知らぬ美人が自分の部屋に入ってきたことに目を白黒させた。
「紺様大変です!柳瀬が……」
「寛がどうかしたのか?」
「とっとにかく、早く来てください!」
十乃は切羽詰まった様子で紺星の腕を掴むと、転移魔術で99階へと移動した。志展は突然目の前にいた二人が消えた為、呆けた面で立ち尽くしていた。
「一体……なんなんだ」
カオス。その一言に尽きるような状態だった。ユスティーの本拠地は机や椅子、壁や天井の破片が飛び交い、それらを涼しい顔で避け続ける隊員たち。骸斗に至っては満面の笑みである。部屋中に何かの破壊音が鳴り響き、隊員たちはそのカオスの中心にいる人物に声をかけ続けていた。
その中心にいる人物は――寛だった。
「寛のアホ、馬鹿、間抜け、抜けみそ、チャラ男、さっさと力抑えて。制御」
「寛先輩~、どうしたんだ……ですか?欲求不満で魔力暴発したの……ですか?」
青花は障害物をよけながら、このカオス状態の原因を作っている寛の注意を引こうと、思いつくだけの罵声を浴びせた。もし相手が紺星であったら、こんなことはできないだろうが。だが寛はそんな青花の言葉には見向きもしていなかった。
骸斗はこのカオス状態を楽しんでいながらも、寛の普段とは違う様子を一応危惧していた。一方の寛は二人の声が全く届いていないのか、ただ部屋の中央で立ち尽くしていた。その表情はまさに憤怒そのものだった。
骸斗には何故寛がそんな表情をしているのかが理解できなかった。今までの一連の流れは知っていても寛の過去は知らなかったのだ。寛はユスティー内では骸斗の次に新人なため、骸斗以外の人間は寛の憤りの理由を知っていた。骸斗ただ一人が訳も分からずこの状況を受け止めていたのだ。
〝魔力暴走〟このカオス状態に名前を付けるとすれば、これが適切である。寛は今朝ユスティーに言い渡されたとある任務をきっかけに感情が爆発したせいで、魔力暴走を起こしてしまったのだ。
寛の目は血走り蟀谷には血管が浮き出て、今にも出血しそうな勢いであった。いつものへらへら顔が嘘のようである。紺星はそんな寛を見て、
(昔のアイツみたいだな)
と、記憶を巡らせていた。そう、寛は紺星と出会った当初、今のようなへらへらが顔に張り付いたちゃらんぽらんではなかったのだ。
「ちょっとぉ。私戦闘は不得手だって言ってるのにぃ、柳瀬くんの馬鹿ぁ」
「若いもんは元気が有り余ってていいな!おじさん嫉妬しちまうぜ」
「雅園さん、今はそんなことを言っている場合では……」
ユレ、裕五郎、福貴が口々に文句?を言い始めた。普通の人間がこのカオス空間にいれば一発で死ぬのだが、ここに普通の人間など存在しない。全員が化け物クラス、そのため平気でしゃべれる程度には余裕なのだ。戦闘が不得手などとユレは言っているが、それはユスティー内ではという話で、一般人からすれば十分超人である。それが無くてもユレは治癒魔術の技術が高い為、ユスティー隊員として申し分ないのだ。
「何があった?青花!」
「説明あと!紺しか止めるの不可能!確実!」
青花が少しイラついた様子で紺星に話すと、紺星は少しため息をつきながら寛の傍に寄った。寛は今まで他の誰にも見向きしなかったにも拘らず、紺星が近づくとハッとしてその姿を目にとめた。何故かと言えば紺星がとんでもないプレッシャーを寛に対してかけていたからである。そこに殺気などは含まれていなかったが、常人が当てられれば膝から崩れ落ち、失禁してしまうレベルのものだった。
そんな紺星を隊員たちは静かに眺めていたが、十乃という変態ただ一人は目を潤ませ、頬を蒸気させながら艶やかな表情で見つめていた。十乃はドMなのだ。
「寛、てめぇの家族をてめぇの手で傷つけるのは、お前が一番したくないことだろう?」
紺星は低く重い声でそう問いかけると、自分の拳に〝制御魔術〟を込めた。制御魔術は膨大な自分や他者の魔力を抑えるための魔術だが、これが使えるのはユスティー内で紺星だけなのだ。だからこそ青花は紺星にしか止めることができないと話したのだ。魔術を得意とする十乃でさえも使えないのには訳があった。端的に言えば必要がないからである。
普通、制御しなければいけない程の魔力を人間は保有していないのだ。だが紺星ただ一人は常時膨大な魔力を所持しているため制御が必要になる。その為制御魔術を使えるのが紺星だけになってしまったのだ。
しかし紺星以外のユスティー隊員の魔力量も膨大。日常生活に支障は無いが、精神状態が不安定になった時などに魔力が暴走することがあるのだ。それを今絶賛発症中なのが寛という訳である。
紺星は普段から自分の体中に制御魔術をかけて生活しているのだが、今は寛を止めるため、体中に張り巡らせている魔術を右手拳ただ一点に集中させていた。
「寛……ちっと痛いかもしれねぇけど、我慢しろよ!」
紺星は制御魔術を込めた右拳で寛の腹をものすごい勢いで殴りつけた。拳が当たった瞬間寛の体から骨と臓器がぐちゃぐちゃになるような不快音が聞こえ、寛はそのまま部屋の端の方へぶっ飛ばされた。
「グホォッ……」
寛は吐血しながら呻き声をあげた。その瞬間制御魔術の効果が表れたのか、部屋中を舞っていた机や椅子は地面に叩き落ちた。それを確認すると隊員たちはようやく一息つけることに安堵のため息を漏らした。ただ一人を除いて。
「ユレ、寛を診てやってくれ。寛相手だとあまり加減ができなかった」
「言われなくても治療するわよぉ。紺ちゃんは柳瀬くんを止めてくれたんだから、気に病まなくていいのよぉ」
他の隊員とは違い、治癒魔術を得意としているユレは寛の怪我の具合を心配していたのだ。普段であれば最年少組以外の心配はあまりしないのだが、魔力暴走に加え、紺星の割かし強めの一撃を喰らったため流石のユレも危惧していたのだ。強めの一撃と言っても、身体強化魔術をかけていない上に本気で殴ったわけではないので、紺星にとっては手加減している方なのだが。
寛は口からしか出血はしていなかったが、腹には紺星の拳の痕が赤黒く残っていて、酷い状態だった。寛はあまりの衝撃のせいで気を失っていたが、それは逆に幸いだったかもしないと、ユレは思案していた。これだけの傷では相当な痛みと苦痛があることは容易に想像できた。それを感じる間もなく気絶できたのは運が良かったのか、将又紺星の腕なのか、ユレには判断できなかった。
ユレは寛の傍にすぐさま近づくと怪我の具合を入念に調べた。しばらく寛の腹を眺めていたユレは傷の部分に手をかざして、治癒魔術をかけ始めた。ユレが治癒魔術をかけている間、他の隊員たちは部屋の修繕に取り掛かっていた。福貴だけは魔力暴走のことを羽草に報告しに行ったのだが、轟音が一階上の羽草の部屋に届いていないわけもないので、だいたいは把握していると考えて良いだろう。
壁や天井はボロボロになってしまった為、修繕の専門業者を呼ぶことになるかもしれない。流石の紺星も建物の修繕魔術なんてものは極めていないのだ。そういうことはプロに任せるのが一番いい。
しばらくしてユレの治癒が終わると、紺星は寛の傍に寄った。寛はまだ意識を取り戻しておらず、悪い夢でも見ているかのように苦悶の表情を浮かべていた。そんな寛の顔を紺星が躊躇なく往復ビンタし始めた。
「おーーーーーーい。さっさと起きやがれーーー」
「っ……んぅん……あ……?……っていってぇー!!」
「おぉ、起きた起きた」
紺星からのビンタによってようやく目を覚ました寛。その頬は紺星の手形がはっきりと浮かび上がり、真っ赤に膨らんでいた。寛の目に映ったのは目の前の紺星と、ぐちゃぐちゃになった部屋と、疲労を顔に張り付けている仲間たちと、寛の顔に大爆笑している失敬な骸斗の姿だった。
「……あぁ、俺魔力暴走しちまったのか……紺、止めてくれてサンキュな」
「いや、止めるためにお前のあばら数本折っちまったから気にすんな」
「あはは……さようでございますか」
寛が申し訳なさそうに礼を述べると、紺星が爆弾発言をしながら右親指を立てた。寛は既に治っている自分の腹部を恐る恐る見て、どこか遠い目をした。紺星の拳大に服が破れていたのだ。攻撃を受けた後意識を飛ばした自分を寛は死ぬほど褒めてやりたいと思った。そして傷を治療してくれたであろうユレの方を向き神の如く崇めた。
「で?何があった?お前の口から教えろ」
紺星から魔力暴走の原因を問いただされると、寛は暗く怒りに満ちた顔になった。骸斗は普段からは想像もできない寛の表情を見て、まるで別人ではないかと思っていた。骸斗はユスティーの新人な為、自分の知らない何かがあるのだろうと予測を立てた。
「……アイツらが……春を、殺した連中の生き残りが、また犯行を始めたらしい」
「……そうか、それは……徹底的にぶっ潰さねぇとな」
寛に原因を聞いた紺星は、深く深く納得した。それは寛の人生において、最大の地雷だったのだ。紺星はそれを誰よりも知っていた。その地雷こそが、寛がユスティーに入る要因にもなったのだから。
紺星は寛同様怒りを露わにした。自分が引き入れた仲間を苦しめ続けた元凶。その破片のようなものが寛に襲い掛かったのだ。紺星はその破片から仲間を守り、その破片を灰にすることを心に、寛に、仲間に誓った。
ユスティーの仲間たちは紺星から独特のプレッシャーを感じ、鳥肌を立たせた。そして再確認し破顔した。この男に仲間と呼ばれることが人生最大の誉れだと。そして同情した。この男に殺気を向けられている連中に。
ただ寛一人だけは、別の人物に思いを馳せていた。自分が仲間に出会う、最初の最初の要因。ある少女の、ある愛した少女の、ある季節の名を持つ少女のことを。
読んでくださってありがとうございます!