番外編 志展とエントライ
今回少し短めです。
時間軸は第二章の冒頭部分です。
「〝展望〟からとってつけた。お前には過去に囚われず、志した未来を見据えることができる男になって欲しいからな」
志展。紺星から貰った新たな名前を心に刻んだ志展は、紺星の言葉を思い起こしていた。志展にとって紺星とは、母親に支配されるだけだった自分を救いあげてくれて恩人。どうやっても敵わない強い男、そんな存在だった。
大物政治家の愛人の息子として生まれた志展は、いつもいつも怒ってばかりいた母親に罵られ続けた。どうしてお前は不出来なのかと。志展の母親――皐月は正妻の娘である弓絵と志展を比べ、志展の方が劣っていると分かると、志展という存在を否定し続けたのだ。
志展はそんな母親に怯え続ける環境の中で、弓絵に対する劣等感を育てていったのだ。だが志展は弓絵自身を恨んでいた訳ではない。ただ弓絵という存在のせいで母親の機嫌が少し悪くなるということだけだったからだ。
だがついに志展の母親は一線を越えてしまった。犯してはならない罪を犯してしまったのだ。そして、それを止められなかった志展もまた、償いきれない罪を背負うことになったのだ。
そんな志展の実力を認め、警察に引き入れてくれたのが紺星だったのだ。志展の人生において自分の実力は必ず弓絵に劣っているもので、弓絵に敵う日など永遠に来ないのだと志展は絶望していた。
にも拘らず、紺星は弓絵ではなく志展を選んだのだ。はっきりと他意のない言葉で志展を認め、家族と言ってくれたことが、志展にとってどれだけ救いになったことか、紺星は自覚しているのだろうかと志展は思考を巡らせた。
そんな志展は現在、警察組織の66階、これから志展の勤め先となるエントライの本拠地の目の前に来ていた。今朝突然紺星に叩き起こされた志展は、紺星からエントライ入隊の事実を伝えられたのだ。
紺星は慌てた様子の十乃によって強制連行されたので、志展は訳の分からぬまま高校の制服に着替え、このエントライに足を運んだのだ。
志展は意を決して、エントライの本拠地の扉を叩くと、二人の女性が志展を出迎えてくれた。志展はその二人を見た瞬間、彼女らが双子なのだとすぐに気づいた。
可愛らしい瓜二つの顔に、パーマのかかったショートヘア。二人とも身長が低いところも酷似しており、違うところといえば、頭の上にちょこんと乗ったカチューシャの色ぐらいだった。
「新人さん新人さん」
「いらっしゃいいらっしゃい」
「は、初めまして。今日からお世話になるも……永浜志展です。よろしくお願いします」
志展を可愛らしく歓迎してくれた双子に志展は緊張しながらも挨拶をした。先に喋り始めたのが青いカチューシャをした方で、その次に話したのが赤いカチューシャをした方ということしか、志展には把握することができなかった。
「私は湯次螺良。双子の姉」
「私は湯次璃々。双子の妹」
そこでようやく志展は二人の名前を知った。青いカチューシャをつけているのが双子の姉の螺良。赤いカチューシャをつけている方が双子の妹の璃々。二人は本当に顔が似ている為、他人が二人を見分けるのにカチューシャの色を判断材料にすることは多いのだ。
「ユスティーの隊長さんからの紹介……期待してる」
「してるしてる」
「が、頑張ります」
螺良璃々姉妹は志展が紺星にスカウトされて、警察組織にやって来たことを知っていたようで、志展に期待の声を上げた。
「変身魔術が得意って聞いた」
「聞いた聞いた。やってみせて」
「あ、はい」
螺良璃々姉妹は志展の変身魔術に興味があったようで、志展の技術を見定めようとした。志展はそれを承諾し、螺良璃々姉妹の姿になることにした。
志展は大抵変身魔術に一分程の時間を要する。徐々に徐々に見た目を変化させていくのだ。一分後、完璧な螺良璃々姉妹の容姿を完成させた志展は、元々の服と現在の身長が全く合っていないせいで、服はぶかぶかになってしまい、ズボンもずり落ちそうになった。
「すごい、そっくり」
「すごいすごい」
「ありがとうございます」
螺良璃々姉妹は志展の変身魔術の完成度の高さに称賛の声を上げた。志展がお礼を言うと、その声までもが螺良璃々姉妹のものと酷似していることに二人は目を丸くした。
螺良璃々姉妹がぱちぱちと拍手をしていると、志展の背後からある人物が姿を現した。
「おや、君たち姉妹はいつから三つ子になったのですか?」
「隊長さんおかえりー」
「おかえりおかえり」
志展は突然背後から声がしたので、ビクッと肩を震わせた。その人物は長い黒髪に黒ぶち眼鏡、きっちりとしたスーツを着ていて、サラリーマンのような風貌だった。
「あぁ、もしかして変身魔術ですか?かなり高度ですねぇ」
その男性が変身魔術に気づいたので、志展は元の容姿に戻った。変身魔術は元々知っている者がいても解除はしないが、その事実を知らない者によって変身魔術がバレると解けてしまう仕組みなのだ。
「君はユスティーの隊長様が仰っていた志展くんですね?初めまして、私はこのエントライの隊長を務めている、東偽那知です。どうぞよろしくお願いいたします」
「初めまして、永浜志展です。今日からよろしくお願いします」
那知は志展に丁寧な挨拶をすると右手を差しだしてきた。その表情は常に笑顔で、志展は那知に好意的な印象をもった。志展の母親は常に怒っているか、笑っていてもそれは不気味な笑みだった為、自然と笑顔が多い人間に好印象を持つのだろう。
志展がエントライの隊長にも自己紹介を済ませると、螺良璃々姉妹は志展を自分たちの目線までしゃがませた。志展が首を傾げると螺良璃々姉妹は志展に耳打ちをした。
因みに螺良が志展の右耳、璃々が左耳にそれぞれ近づいた為、志展は両手に花状態だった。
「私たちの隊長さんは多重人格者だから、明日また会うとき性格がかなり違っている可能性があるから気を付けて」
「下手したら今日のうちにも別人格になることもあるから、その時はびっくりするかもしれないけど、その内慣れるから」
「え?どういうことですか?」
螺良璃々姉妹から告げられた事実の意味をよく理解できなかった志展は、疑問の声を上げた。そんな三人の会話が聞こえたのか、那知は笑顔のまま志展に視線をやった。
「私に隠れて話すようなことでもないでしょう、螺良璃々さん」
「「はーい」」
ひそひそ話をしていたことを軽く注意された螺良璃々姉妹は、ハモリながら返事をすると志展の耳から離れた。
「私はこのエントライという隊で潜入捜査を続けていくうちに、今まで演じてきた別人格が時折自分の人格として現れることがあるのです。特に潜入捜査中は例え警察内にいても、捜査の時の人格が抜けないのです」
「それで、多重人格者……」
志展は那知の説明で漸く多重人格者の意味を理解した。那知の中から今まで演じてきた様々な人格が完全に抜けるということはまずないのだ。その為、本来の那智の人格でいることより、別人格でいることの方が多く、同じ隊の螺良璃々姉妹でさえ那知自身の人格で接することはあまりないのだ。
ちなみに今の人格は、那知が現在進行形で潜入している犯罪組織の末端のもので、本物は警察組織の牢屋の中だ。
「えぇ、なので私はコロコロ性格が変わりますが、これはどうしようもないので慣れてください」
「はい」
那知は申し訳なさそうに志展にお願いした。人格の切り替えは本人の意思関係なしに訪れる事象で、那知にはどうすることもできないのだ。
志展としては確かに那知は異質な存在ではあるが、多重人格者というものに嫌悪感を抱いている訳ではないので、気軽に那知の申し出を了承した。
「とりあえず、志展くんには書類仕事をやってもらいましょうか。今のところ潜入捜査は私が担当しているものだけですし、初日からそんな重要な仕事を任せるわけにもいかないですしね」
「了解しました」
那知は志展に簡単な仕事を預けることにした。そもそも現時点でエントライは大して忙しくもなく、潜入捜査のような重要な仕事はほとんどなかったのだ。
「螺良璃々さん、志展くんにいろいろ教えてあげて下さい」
「「了解」」
那知が螺良璃々姉妹に志展の指導を頼むと、螺良璃々姉妹はハモリながらそれを承諾した。それから志展は螺良璃々姉妹の指導の下、初めての仕事に悪戦苦闘しながらもなんとか夕方まで乗り切ることができた。
「おや、もう定時ですね。この組織に定時なんて概念をまともに活用している人なんてほとんどいませんが……今日は初日ですし、志展くんはもう帰っていいですよ」
「ですが……」
西日が目に沁み始めた頃、時刻は五時。那知は志展にそう伝えた。だが志展は一番の新人の自分が真っ先に帰るのは失礼では無いのかと、那知の提案にすぐさま首を縦に振ることができなかった。
「遠慮と無理をするのは、別物ですよ。今日は疲れたでしょうから、休んでください」
「……分かりました。ありがとうございます」
疲れた様子の志展の心情を察した那知は、何とか志展を説得することに成功した。志展は那知に頭を下げると、部屋から退出しようとした。
「あぁ、志展くん。一つ聞きたいことがあったんです」
志展の背中を見て、ふと思い出したように声を漏らした那知は、志展を呼び止めた。志展は足を止め、那知の方を振り返り首を傾げた。
「君がユスティーの隊長様の紹介で、この組織に足を踏み入れたというのは知っているのですが、どういう経緯でそうなったのかを私は知らないのです。良ければこれからあなたの上司である私に、教えてくれませんか?」
志展は那知のお願いに答えるかどうか、少しの間立ち尽くしながら悩んだ。それはもちろん、経緯を話すとなると、事件のことも同時に話さなければならないからだ。
志展にとって自分の過去は、他人から見て決して褒められたものでは無いのだ。そんな過去を他人に自分から打ち明けるのは、誰だって躊躇ってしまう。
だが志展は紺星の〝強くなれ〟という言葉を思い起こし、自らを奮い立たせた。あれは一緒にいた弓絵に向けた言葉だったが、志展は紺星が自分に対しても言ってくれたような気がしていたのだ。
「……俺の母親はある政治家の愛人で、俺をいつも正妻の子供と比べるような人だったんです。母親は愛人という自分の肩書にコンプレックスを持っていて、それを誤魔化すためにせめて子供である俺だけは、正妻の子供より優れていてほしかったんでしょう。でも現実は正妻の娘の方が全てにおいて俺より優れているというものでした。そして母親の怒りを俺は一身に受けて育ちました。そんな環境が、俺の中の母親に抵抗する気持ちを殺していったんです。そしてある時、母親は越えてはならない一線を越えてしまいました。そして俺はそんな母親を止めることもできず、その犯行に協力する形になったんです」
「……政府隊員養育高等学校での連続殺人事件ですか」
志展の話をそれまで黙って聞いていた那知は、志展の発した犯行というワードに反応して、そう予想をつけた。志展があの学園の元生徒ということを、那知は知っていた為その結論に辿り着いたのだ。
志展は那知の言葉に小さく頷くと、話の続きを語った。
「そしてその学校に潜入捜査をしていた葛城さんたちに出会ったんです。葛城さんたちは早々に俺の母親を逮捕しました。そして、俺をこの組織に誘ってくれたんです。俺の過去や過ちを全て知ったうえで、受け止めて認めてくれたんです。本当の俺を、見つけてくれたんです」
「……そうだったんですね。ありがとうございます、教えてくれて」
那知は志展の話を聞き終えると、呟くようにお礼をした。志展はそんな那知の態度にほっと胸を撫で下ろした。そんな二人の様子を螺良璃々姉妹が温かい目で見つめていた。
「俺、母親の顔色を窺うせいで、本当の自分を隠して生きてきたんです。本当の自分を誰かに知って欲しいのに知られるのが怖い。そんな矛盾を抱えながら、生きてきたんです。だから俺もある意味多重人格者だったのかもしれません。本当の自分を知られるのは怖いことですけど、誰かには知って欲しいものです。だから隊長もいつか俺に本当の隊長を教えてください」
志展のそんな申し出に那知はずっと上げていた口角を無表情になるまで下げ、目を丸くした。そんな那知の様子に、志展は那知が機嫌を損ねたのかと危惧した。
「あぁ、すいません。少し驚いてしまって……」
そんな志展の心情をすぐに察した那知は、表情を戻して志展に弁解した。
「?そうですか、じゃあ俺はここで。お疲れさまでした」
「「お疲れさま」」
志展は那知の態度に首を傾げながらも、エントライの本拠地を後にした。志展の挨拶に返事をしたのは螺良璃々姉妹だけで、那知は何やら思いつめた様子だった。
螺良璃々姉妹はそんな那知を見て、互いの顔を見合わせ破顔一笑した。
「おはようございます」
「……」
翌日。志展は早い時間からエントライの本拠地に出勤した。すると先客として那知がいた為、志展は挨拶をした。だが那知は昨日とは別人のような無表情に加え、志展の挨拶にも無言を貫いた。
那知は長い黒髪を束ねず無造作に伸ばし、スーツを着てはいたがネクタイが酷く緩められていて、外見も昨日とは別人のようだった。
志展はそんな那知に一瞬たじろいだが、多重人格者という話は既に聞いていたのですぐに平静を取り戻した。そんな志展をじっと凝視し続けた那知は、ゆっくりと口を開き始めた。
「……これが俺の本来のというか、産まれた時から持っている人格だ」
那知のその小さな声に志展は目を丸くした。那知にとって多くの人格は偽物ではない。どれも本物だからこそ消すことができず、多重人格者になったのだ。だから那知本来の人格というのは明確にはないのだが、敢えて一つ挙げるのなら、那知が生まれ落ちた時から持っている人格なのだ。
「この俺は仏頂面な上に無口だから、俺はこの自分があまり好きではないんだ。だがこの俺も確かに俺だ。昨日志展が本当の俺を教えろと言うから、無意識のうちにこの人格の俺が出てきてしまった」
それは少なからず、那知がこの人格の自分自身を志展にも知ってもらいたいという気持ちがあったからこそ起きた事象だった。
「隊長も、俺に教えてくれてありがとうございます」
志展はそんな那知の気持ちが嬉しく、笑顔で那知にお礼を言った。那知はそれでも無表情を貫いたが、志展は心なしか那知が笑っているように見えたのだった。
ようやく志展の番外編が書けて大満足です。何気に志展くんが地味に好きな作者です。




