寛の桜
第二章完結です!
「本気の殺し合いを始めましょうか」
被疑者のその言葉を合図に、寛と被疑者との戦闘が始まった。最初に動いた被疑者は高速で寛の顔を目がけて斬りこんだが、寛は右に身体をずらしてその攻撃を防いだ……ように見えた。
寛が日本刀を抜くと、寛の左頬にうっすらと傷がつき赤い鮮血がツーっと流れたのだ。寛は被疑者の攻撃を完全には防げなかったらしい。
だが寛はそんなことはお構いなしに、迫ってくる被疑者の剣を日本刀で受け止めた。寛は相手の剣を跳ね返すと、下から手元を狙い斬りこんだ。
被疑者は剣を持つ手に走った痛みに顔を歪めると、一歩後ろに下がって悪い流れを断ち切ろうとした。だが寛は被疑者にそんな暇を与えてはくれなかった。
寛は床に放り投げた拳銃を咄嗟に日本刀の刃先で拾うと、その拳銃を左手で構えて被疑者に発砲した。被疑者は既に捨てられていた武器を寛が取り出したことに、少なからず動揺を見せた。
バーン!という激しい発砲音とほぼ同時に聞こえてきたのは、キーン!という不快な音だった。その音は被疑者が弾丸を剣で上手く弾いてできたものだった。
(上手いな)
紺星は被疑者というフィルターを抜きにした彼自身の実力を素直に称賛した。遅いものでも秒速350メートルはある福貴お手製の拳銃から発砲された弾丸を、剣一本で防ぐことなど警察組織にだってできる者は限られてくる。
それを目の前の被疑者はやってのけたのだ、あの土壇場で。それがどれだけ異質か、紺星はしっかりと理解したうえで、そう評価したのだ。
寛は被疑者が弾丸を防いだことで一瞬動きが止まったタイミングで、部屋の壁を超高速で走ることで渡った。天井の隅の方まで移動すると、寛は無防備な被疑者の背中に斬りこんだ。
「ぐっ……」
流石に被疑者もこれには苦悶の表情を浮かべた。背中の傷は深いようで、被疑者の白いシャツには真っ赤な鮮血が傷から広がるように滲んだ。
被疑者は負けじと寛の方を振り向いたが、視線の先に寛はいなかった。被疑者は自分の失態に気づきすぐさま視線を戻したが、時すでに遅し。
寛は被疑者が振り返る一瞬の隙をついて被疑者の正面側に向かったのだ。そしてそのまま被疑者の剣を己の日本刀で見事に弾いた。
武器を失ってしまった被疑者は、何らかの攻撃魔術を放とうとしたが、その前に寛に首を掴まれ頭から床に叩きつけられてしまった。被疑者が息苦しさと頭に走った痛みに動けないでいると、寛は日本刀の刃先を被疑者の鼻先に向けていた。
被疑者は己を生かすも殺すも、目の前の男の行動によって決まることを理解し、恐怖で震え上がった。寛の息は酷く上がっていて、その眼光からも被疑者に対する怒りが最高潮に達しているのは明らかだった。
(春……)
(寛……寛……寛……寛……寛……)
紺星はそんな寛の名前を心の中で何度も呼び続けた。今、誰よりも苦しんでいる寛に届くように。そんな紺星の思いが伝わったのか、寛はその体制のままゆっくりと瞼を閉じた。
寛は春という少女に出会い、救われ、愛し、そして春を失ってしまった。家族を失い、最愛の女性も失い、二度も最悪を味わった寛は、紺星が指揮するユスティーに出会った。
そして寛は再び救われた。二度目の春は、いつでも寛の先を歩いてくれていた、追いつけない程に。それが寛にとってどれだけ救いになったことか。
そんな春が寛を信じて、見守ってくれているという事実だけで、どんな敵が相手だろうと、例えその相手が自分だったとしても、寛は負ける気がしなかった。
寛は己の日本刀を思い切り振り下ろした。その日本刀は被疑者の顔すれすれで地面に刺さり、被疑者がその攻撃でけがを負うことは無かった。
紺星はほっと胸を撫で下ろし破顔した。そしてふらりと立ち上がった寛の頭を片腕で抱き込んだ。寛はふわりと香ってきた紺星の匂いに、目を見開くと、その目から大粒の涙を声もなく流し続けた。
「よくやった。寛」
紺星は大きくもないが、はっきりと通る声で寛に囁いた。寛は紺星の言葉に破顔すると地面に刺さった日本刀を抜いた。被疑者は腰が抜けてしまったようで、青い顔のまま動けないでいた。
紺星はそんな被疑者に捕縛魔術をかけた後、念のため手錠もかけた。捕縛魔術は解除されやすい魔術の一つなので、被疑者のような手練れ相手だと捕縛魔術を解除されることもあるのだ。その為紺星は物理的な捕縛も施し、二重に被疑者を捕らえたのだ。
寛は日本刀を鞘に納めると、被疑者の男を黙って睨み据えた。被疑者はもう抵抗する気は無いらしく、寛の鋭い視線を黙って受け止めていた。
「名前は?」
「……三枝満」
寛が重く低い声で被疑者の名前を尋ねると、被疑者は消え入りそうな声でそう答えた。紺星は被疑者の名前を聞くと、伝声魔術で日本にいる青花に呼び掛けた。
「青花、俺だ。三枝満、調べておいてくれ」
「お、紺だ。了解」
被疑者は日本人なので、当然日本に三枝満の情報がある。その為紺星は三枝満の素性を探るために、青花に情報収集を頼んだのだ。
「どうしてこんな犯行をしたんだ」
「……売るほどの金を持っているけれど、誰からも愛情を向けられない人間。貧乏で毎日生き延びるのに精一杯だけれど、誰からも愛される人間。どちらが幸せだと思いますか?」
「後者だな。人にもよるが」
寛は三枝満に犯行の動機を聞いた。すると三枝は唐突にそんな質問で返した。その質問はこの事件におけるキーポイントのようなもので、紺星と寛はその質問にあまり違和感は感じなかった。
寛が三枝の質問に簡潔に答えると、三枝は自嘲じみた笑みを浮かべた。
「私はかなり裕福な家庭に次男として生まれてきました。ですが生まれつき身体が弱く、家の後継者としては役立たずの人間だったんです。私の家は、控えめに言って狂っていまして。産まれてきた私を居ない存在として扱いました。小さな檻のような部屋に私を閉じ込め、一日一度、少しの食事を召使に運ばせるだけの生活。私は誰からも愛されなかった。その生き地獄から二十歳の頃抜け出し、決めたんです。……誰かから愛されるということが、どれだけ尊いことかも分かっていない連中を、その身をもって分からせてやろうと」
寛と紺星は三枝の話し始めた自分の生い立ちを黙って聞いた。寛は瞳に影を落としながら話し続ける三枝を、拳を握り締めながら睨み据えた。
「お前、今いくつだ?」
「?……25歳です」
紺星は三枝に年齢を尋ね、返ってきた答えに目を見張った。紺星の質問の意味を理解した寛も、三枝の返答には驚いたのか、手に入った力も抜けていた。
三枝は生まれた頃から部屋に閉じ込められ、その家から抜け出したのは二十歳だと言った。つまり赤ん坊に近い状態から五年の間で、あれほどの剣技を身につけたということになる。しかも三枝の話を聞く限り、誰かに稽古をつけてもらった気配もない。
三枝はこの犯行を成功させるためだけに、たった五年の間、たった一人で、その弱い身体で、あそこまで強くなったという訳だ。
「お前、20年間戦闘なんてしたこともなかったのに、五年でそこまでの剣技を身に着けたのか?」
「……」
「目的さえ間違えなければ、随分違った五年間だったんじゃねぇの?」
紺星の放った言葉に三枝は終始無言を貫いたが、時折その目から涙を零していた。僅かな時間ではあったが、三枝はユスティー隊員と互角に戦えるほどの実力を持っていた。使い方を間違えなければ、紺星の言う通り、三枝は違う人生を送っていたかもしれないのだ。
寛は声もなく泣き続ける三枝の顔を、複雑な心境で見つめることしかできなかった。
その後残りの被疑者を逮捕し終えたストラ隊員たちによって、三枝たちは連行されていった。後日三枝は三年前の事件の容疑で再逮捕され、未解決事件は漸く解決することができた。
三枝満について調べたところ、彼の証言は全て事実であったことが判明し、日本にいた青花たちによって彼の父親は監禁罪の容疑で逮捕された。
三枝と共謀していた仲間は、全員が三枝と似た境遇だったことで、今回の犯行に協力したことも、後の事情聴取で判明した。
全ての事件が一段落つき、紺星たちはルセカン国から日本へ帰国することになった。帰国する直前、紺星はストラ隊員たちにとある助言をした。
それは今回捜査に全く参加しなかったアルベルトに、手柄を横取りされないようにというものだった。ルセカン警察の総括、エルメスはアルベルトの愚行を分かったうえでそれを黙認し、今後の人生でアルベルトを揺する材料にするような男なので、紺星は念のためにとそんなアドバイスをしたのだ。
紺星のその助言をストラ隊員たちが後に大感謝しているという事実を、紺星が知るのは大分後のことである。
「たぁだいまぁ」
そんなこんなで紺星たちは転移魔術で日本警察のユスティーに帰ってきた。紺星が気の抜けた声でユスティー隊員たちに帰宅を報告すると、ものすごい勢いで十乃が紺星に迫ってきた。
「ごぉんざまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!どおのばぁぁぁぁざびじぐぁっだぁぁぁぁぁ(訳――紺様!十乃は寂しかったです!)」
「キモ」
十乃の顔面は涙と鼻水でべちゃべちゃで美人が台無しの、紺星が思わずそんな発言をしてしまう程のご面相だったのだ。紺星はいつものように十乃からのハグ攻撃を見事にかわし、例の如く十乃は扉の外に飛び出してしまった。
「息子よ、いくらなんでも女にキモイは酷いんじゃねぇか?」
「大丈夫ですよ、五郎さん。あれは罵られるのを好む変態ですから」
裕五郎が外に飛び出した十乃に哀れみの視線を向けると、紺星は更に十乃を罵った。十乃は紺星の罵声に瞳を更に潤ませ、頬を蒸気させたので紺星の意見は説得力がありまくりだったのだ。
「十乃の変態、アホ、ノミ虫。寛が帰ってきたら慰めるって決めたのに……」
そんな青花の発言に反応したのは当然寛だった。日本に残っていたユスティー隊員たちも、今回の事件が寛にとってどれだけ重要なものなのかしっかり理解していた為、寛が帰国した際には元気がないかもしれない寛を励まそうと決めていたのだ。
「え、なになに?お前ら俺のこと結構好きなわけ?」
「「調子に乗るな」」
寛は仲間の意外な気づかいに頬を最大限に緩め、茶化すようにそう言った。寛の態度にイラついた隊員たちは、寛に冷めた視線を送ったが、寛がいつもの表情に戻ったので、内心胸を撫で下ろしていた。
そう、常に顔に纏わりつくへらへらとした表情を見せる、いつもの寛に戻ったのだ。
紺星たちが日本に帰ってきた翌日。寛は仕事終わりにユスティー隊員全員を引き連れてある場所に向かった。
そこは桃瀬春が亡くなってから、寛が毎月欠かさず通っていた場所。そこは、いつも寛が険しい表情で赴いていた場所。だが今回は……今回からは違う。
寛は新しい家族と共に、晴れ切った表情で、春の墓場へと向かったのだ。
春が眠る墓場には、大きな桜の木が聳え立っているのだが、桜は既に散ってしまったようで、地面は柔らかな桃色に染まっていた。
「春。俺、やっと踏ん切りつけられた気がする。……こいつらのおかげで」
寛は地面の下で眠る春に向かって、そう話しかけた。寛が後ろにいた紺星に目線をやると、紺星は破顔しゆっくりと頷いた。
「お前の言う通り、俺は家族のためにしか生きられねぇから、新しい家族を作ったぜ。俺の百倍強い奴とか、口の悪い奴とか、変態とか、親父気質な人とか、おかん気質な人とか、問題児とか、チョロそうな見た目なのに計算高い人とか……変人しかいねぇんだけどな」
寛の話を無言で聞いた紺星もこれには流石に吹き出してしまった。否定的な意見を言われた隊員は不満気な表情を見せたが、それを口に出すことは無かった。
「でも……すげぇいい家族なんだ。こいつらのおかげで今、俺すげぇ笑って過ごしてるんだ」
寛は瞳に涙を浮かべると、目一杯の笑みを見せた。何故ならそれが寛が愛する春の一番の望みだったからである。
〝寛くん、いつでも笑って。笑っていれば人は元気になれるから。笑っていれば自然と大事な人が周りに増えるから。笑っていればまた必ず春はやってくるから〟
寛は春の願いを漸く本当の意味で叶えてやることができたのだ。そして寛はそれを伝えるために、今日この場所に向かったのだ。
寛は零れそうになった涙を右腕でゴシゴシと拭うと、勢いよく立ち上がり後ろを向こうとした。すると寛は視線の先に、もうこの世にいない春の雰囲気によく似た女性を見つけた。
寛はその女性を目で捉えてから、全く動けなくなってしまった為、紺星たちも寛の視線の先を辿り、女性の存在を確認した。
女性は春によく似た大きな瞳が印象的な、四十代後半の女性だった。女性はゆっくりと寛の方へ歩み寄ると、涙を滲ませながら綺麗なお辞儀をした。
「お久しぶりね、寛くん」
「あの……」
女性は寛と以前にあったような口調で話しかけてきた。だが寛には覚えが無かった為、困惑する他なかった。女性は長い間頭を下げ続けていたが、しばらくするとゆっくりと体を起こした。
「私は桃瀬春の母……つまりあなたの義理の伯母です」
「!」
女性の告白に寛だけでなく、他のユスティー隊員たちも言葉を失った。寛の母親の弟――つまり寛の叔父は春の父親という事実を寛は以前、春から告げられていた為知っていたが、春の母親のことについては聞いたことが無かったのだ。
寛は正直、春の母親に合わせる顔がなかった。それは春を死なせてしまった原因の一端を寛が背負っていたからである。春の母親が事件のことをどれ程知っているかも分からなかった為、寛は驚きと困惑と焦りで動けなくなってしまった。
「ごめんなさい。私はずっとあなたから……逃げていたんです」
「えっ……?」
春の母親から飛び出した言葉の意味を理解する術を寛は持っていなかった。だがその言葉で、この女性が寛をただの親戚としてではなく、娘の恋人として認識していたことは誰の目にも明らかだった。
「春は、あなたと付き合い始めた頃、とても幸せそうで。毎日のようにあなたの話ばかりして……でも、そのすぐ後に春は亡くなってしまって……事件のことを詳しく知っていたからこそ、あなたとどう接したらいいのか、分からなかったんです」
春の母親の言葉に、寛は止まった涙がまた溢れてしまいそうになるのを、拳を作ることで必死に抑えた。春の母親が春の死んだ原因を知ったうえで、自分に会いに来てくれたことに、寛はどうしようもない感情に襲われたのだ。
「……当然です。俺は……あなたに殺されても文句は言えませんから」
「っ違うんです!あなたを恨んでいた訳では無くて……ただ本当に、どんな顔であなたに会うべきなのかが、分からなくなってしまったんです。春を失ってあなたは私と同じ……もしかしたらそれ以上辛い思いをしていたというのに……すみません」
「謝るのは俺の方です……長い間、待たせてしまって……申し訳ありませんでした」
春の母親は三年間抱え続けていた胸の内を、寛に明かした。そんな春の母親に寛は、長い間犯人逮捕をできずにいたことを丁寧に陳謝し、深々と頭を下げた。その後ろで同じユスティー隊員である紺星たち全員も一緒に頭を下げた。
「そんなこと、ありません。今日、あなたに会おうと決心したのは、あなたたち警察が犯人を逮捕してくれたからです。三年という長い間、あなたは毎月欠かさずこの日に、春に会いに来てくれていたでしょう?」
「!知ってたんですか?」
確かに寛は春の命日に毎月、こうして墓参りに来ていたが、そのことを春の母親が知っているとは露程にも思わなかったのだ。
「もちろん。行く度にお墓がピカピカに掃除されていたら、誰だって気づきますよ。あなたがその三年という長い間、犯人逮捕のために頑張ってくれていたのかと思うと、お礼を言わないわけにはいかないと思って」
「っ……俺は、俺のためにそうしただけです」
春の母親は涙を一杯に溜めながら、春によく似た笑顔を寛に向けた。その笑顔が春と重なり、寛は堪えていた涙を零してしまった。
寛にとってあの犯人逮捕は復讐だった。だからこそ寛は春の母親にお礼を言われる筋合いなど無いと思ったのだ。
「でも、そのおかげで私は救われたんです。本当にありがとうございました」
春の母親は再度深く頭を下げて、寛にお礼を述べた。寛が溢れ出た涙を拭っていると、春の母親は頭を上げ口を開いた。
「最後に聞きたいことがあります」
「……何ですか?」
「あなたにとって春は、どんな存在でしたか?」
微笑みながら春の母親はそう尋ねてきた。寛にとって春とは――命の恩人で、最愛の女性で、家族で、自分に優しく微笑んでくれる可愛い存在で、自分では考えもしないことを言ってのける変わった存在で、自分に訪れてくれた春という季節そのもので――。
一言ではとても言い表せない程、寛にとって春とは大きな存在だったのだ。寛は答えを出すために大好きな春の笑顔を目一杯思い起こしていた。
「……桜みたいな奴でした」
「桜?」
春の母親が聞き返すと、寛は散ってしまった桜の木を見上げ破顔一笑した。その桜に春の姿を重ねて。
「春の知らせと同時に柔らかく咲き誇って、俺たちを笑顔にしてくれる……そんな桜みたいな奴でした。誰もがその花を愛するけれど、春が過ぎれば簡単に散ってしまう……そんな儚い存在でした」
寛の言葉に春の母親は、泣き声を必死で抑えながら大粒の涙を流した。
そう、寛にとって春は、家族という形で春という季節を連れてきてくれた存在。そして笑顔という名の柔らかい花を咲かせて自分を幸せにしてくれた存在。だからこそ、誰よりも愛おしかった存在。……だけど、誰よりも早く散ってしまった存在。
寛は枯れた桜の木を何時までも見つめ続けた。例え桜は枯れても、また綺麗な花を咲かせると、寛は知っているからだ。
その証拠に、そんな寛の様子を後ろから新たな春が――新たな桜たちが優しく見守っていたのだった。
次は以前予告していた志展の番外編を投稿する予定です。第三章はその後に!




