最悪な現実
今回も寛の過去編ですが久しぶりに主人公が出ます。
「いい加減、言わないとな……」
春が症状を訴えてから五日目。春の体温は下がる一方で今では26度にもなっており、食事も喉を通らない状態だった。この症状が出始めて分かったことは、やはりこれはただの低体温症ではないということである。春は急に襲ってきた寒さに耐え切れず急いで体を温めたが、一般的な低体温症の対処法としてはそれが一概にもいいとは言えないのだ。
慌てて手足などを温めると心臓に負荷がかかることもあるのだが、春の場合そんな体の不調は無かった。ただ体温が奪われていくだけで。
調べれば調べるたびにこれがただの病ではないということを思い知らされ、春は肩を落とした。そんな春はこれから何が起こってもいいように、今まで寛に隠していたことを言う決意を固めようとしていた。
春が神妙な面持ちで布団にくるまっていると、寛が温かいココアを持ってやってきた。春が甘いものが好きなのを知っていた寛は自分が良く飲むコーヒーではなくココアを持ってきたのだ。
寝室中にココアの甘い香りが広がり、春は寒さで強張った顔を僅かに綻ばせた。この五日間、寛は春の柔らかい笑顔を見れていない。
笑うことはあっても、それはどこかぎこちない硬いものだったのだ。寛が欲しいのは春の柔らかな包み込むような笑み、ただそれだけなのに。
「あ……りがと、寛くん」
寛からココアの入ったマグカップを受け取ると、春は精一杯の笑顔で礼を述べた。それが逆に寛の胸を締め付けていることを春は自覚していたが、やめることはできない。自分の笑顔は寛が好いてくれたものだから。
寛が汗をぬぐいつつ椅子に腰を掛けるのを確認すると、春は無理に作った笑顔を崩し寛と向き合った。
「寛くん、大事な……話があるの」
「……何だ?」
寛は少し聞きたくないような聞かなければならないような、そんな複雑な心境を抱えながら春の話を聞くことにした。不調の春が勇気と掠れそうな声を振り絞って切り出したことを無下にはできなかったのだ。
「私の名前……」
「っ……」
春が口にしたのは己の名前についてだった。春は寛に自分の苗字を名乗っていなかったのだ。しかし今回の件で警察が事情を伺いに来た際、寛もようやく春のフルネームを知った。
〝桃瀬春〟それが春の本名だった。寛が春の名前について今まで追求してこなかったのにはいくつか理由があった。
まず春が言いたくないことを無理に聞き出そうという気にはなれなかったからだ。それに寛にとっては、春が春である限りそんなことは関係ないと思っていた為、春が打ち明けるまで待つ所存だったのだ。
「もう、気づいた?」
「気づいたって……?」
「私の苗字、桃瀬って……」
そう春が呟いた瞬間寛は理解した。春が寛に名前を隠していた訳を。春があの海で寛に声をかけてきた訳を。春が今こんなにも苦しそうな顔をしている訳を。漸く理解した自分自身に寛は腹が立って仕方がなかった。こんなことにも気づけなかったのかと。
「まさか……母さんの旧姓?」
「そう、だよ。私のお父さんは……寛くんのお母さんの弟。つまり……私たちは……従兄妹、なんだ」
全てのピースがはまったのに寛は暗く呆然とした表情をした。春と寛は従兄妹なのだから親族同志の集まりなどで当然顔を合わせたことがあるはず。つまりあの海での出会いが初対面という訳ではないのだ。寛は本当に家族以外には無関心だったらしい。会ったことのあるはずの春の顔をすっかり忘れていたのだから。
「……春は当然、気づいてたんだよな?」
寛の投げやりな問いに春は静かに頷いた。春は寛とは違う。あの海で出会った時には寛が自分の従兄妹の柳瀬寛だということには気づいていた。寧ろ気づいていたから話しかけたと言っていいだろう。
「ごめんね、黙ってて。私……寛くんの家族が交通事故で亡くなったって、聞いて、すごく心配になった。寛くんは家族が全ての人だったから……。それで様子が気になって……」
「あの海に来たのか?」
寛の問いにまたも春は静かに頷き答えた。寛と違って春は従兄妹の性格まで把握していたらしい。今まで他人が目に入らない程家族を愛していた人間が突然家族を奪われればどうなるかなんて、誰にでも容易に想像できる。それで春は寛の様子を見にあの海に来たのだ。
「寛くんの家に行こうとしたら、砂浜にいるのを見つけたんだ。本当は、様子を見るだけの……つもりだったんだけど……今にも海に飛び込みそうな、雰囲気だったから……」
「……そうか」
「寛くんは相変わらず無口で、無愛想で……でもそんな寛くんが、少しずつ心を開いてくれるのが、すごくすごく嬉しかった……」
気づけば春の声は震えていて視界は歪んでいた。両目にたっぷりの水が溜まったせいで春は寛の姿をしっかり確認できなかった。その感情を一言で言い表すことなんてできない。目の前の人物に対する愛情、そんな相手に隠し事をしていた罪悪感、もうすぐ訪れるかもしれない死に対する恐怖、それに抗いたい強い思い。この幸せを奪われたくない、その気持ちは寛も同様に。
「春……」
気づけば寛の瞳からも涙が零れていた。寛は春と出会ってからよく泣くようになったが、それは寛にとって弱さの証ではなく、強さの象徴だった。感情を表に出せるという強さの証だったのだ。
「寛くん、いつでも笑って。笑っていれば人は元気になれるから。笑っていれば自然と大事な人が周りに増えるから。笑っていれば、また必ず〝春〟はやって来るから。季節は巡るものだから」
「何だよ……それ」
寛は春がまるで別れのような言葉を話したことに心臓を抉られたような気持ちになった。そんな言葉を春が寛の愛した柔らかい笑顔を浮かべて言うから。寛はとっさに春の左手を両手で包み込むように握った。目の前の愛する家族が苦しみながらも自分の存在で笑みをこぼしてくれる。その事実に寛の胸は沸騰しそうなほど熱くなっていた。
春にはもっといろいろ言いたいことがあったが、うまく伝えられないことが歯痒かった。自分にとって寛の存在がどれだけ愛しく、大切で離れがたいものか。一秒一秒時が過ぎて行く度に寛に対する愛情が溢れていくか、その全てを。
(苦しい、苦しい、苦しい……嫌だ、まだもっと寛くんと……)
もうすぐ別れが来てしまうことがどれだけ春の心を締め付け、苦しく、寛に申し訳ないか。せめて最期にしっかりと春は伝えたかった、自分の気持ちを。従兄妹という秘め事を言い訳ににしっかりと言えなかったことを。
「寛、くん……寛くん、大好きだよ。本当に本当に愛してる、よ……寛くんが幸せになってくれるなら、もう何もいらないからっ……だからっ……」
春は溢れる涙をそのままに、柔らかな笑顔をそのままに、寛の両手に自分の右手を重ねた。その手に額をそっと寄せて。
「その時は、笑ってね」
「……はるっ!」
それが春の発した最後の言葉になった。
三日後、春は安らかに息を引き取った。寛の愛した柔らかい笑顔を残して。寛はそんな春の手を強く強く握りながら止めどなく涙を流した。その水滴で冷たくなった家族を濡らして。症状が出てから八日目のことだった。
また、春が過ぎ去っていってしまった。寛の暦は冬に逆戻りである。春が死んでからというもの寛は一日中テレビニュースを見るだけの空虚な日々を送っていた。
だがそんな無意味な生活の中にも収穫はあった。あの事件の管轄がユスティーになったのと同時に、事件の原因が解き明かされたのだ。寛はユスティー云々よりその原因に目を見開いた。
春が死んだ原因が寛の父が愛した、寛と春をめぐり合わせた、海だったのだから。
ニュースによるとどうやら特定の海に何らかの魔術がかけられており、そのせいで被害者たちは寒さに苦しみ亡くなったらしい。詳しいことはそのニュースでは語られなかったが、寛は絶句してしまった。
確かに春は海に入っていた。脚を軽くつけた程度だったが。あの行為が春を死へと導いていたと思うと、寛は居た堪れなくなったのだ。
寛がしばらくニュースを見ていると、ユスティーの捜査でこの事件には〝アカライ〟という犯罪組織が深く関わっていると発覚し、現在居場所を捜査中と知った。
(春を殺した奴が、まだのうのうと生きてやがるのか……)
寛の中で怒りと憎悪の感情がふつふつと湧き上がっていた。両手を強く握りしめすぎて、血が滲み始めていた。その表情はあの冬の日、家族を失い死を決意した時のものに酷似していた。
そしてその時寛は決心したのだ。春に与えた苦しみを何倍にもして犯人共に与えてやると。愛する家族を、愛する春の命を奪った愚か者に報復すると、そう心に決めたのだ。
それからの寛はまるで何かに取り憑かれたようにアカライの情報をかき集めた。情報屋、あくどいことに手を染めている者などに金を渡して情報を聞き出した。
碌に食事もせず、睡眠時間も削ってアカライのアジトを見つけ出すことに躍起になった寛。目に隈を作りながら周りの人間を射殺さんばかりの目つきをしていた為、寛の形相は鬼のようになっていた。
「殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す!絶対に!」
春の苦しみ続けたあの八日間を、春のあの柔らかい笑顔を思い出す度にそれを奪った相手に対する憎悪で寛は体が沸騰しそうになった。
そして情報収集を始めて四日目。寛はアカライについての有力な情報を手に入れることが出来た。情報を提供してくれた情報屋は気弱そうな男だった為、寛の鬼の形相に一瞬たじろいだが、金を受け取ると態度を一変させて敵のアジトを話してくれた。
「今あの連中は四丁目の倉庫を拠点にしているはずです」
情報屋の話を聞いた途端、寛はその場所へと急いで向かった。アカライが逃げる前に殺すために。ユスティーが奴らを捕らえる前に自身で罰を与えるために。
寛が倉庫に着くと中から複数人の話声が聞こえてきた。話の内容は窺い知れなかったが何やら焦っている様子だった。考えれば当然である。この国最強の隊が自分たちを追っているのだから。逮捕されるのは時間の問題なのだ。寧ろこの状況で慌てない方が愚の骨頂である。
寛はお構いなしに倉庫の扉を蹴飛ばした。ガン!という激しい音でアカライのゴロツキたちは顔を強張らせた。ユスティーがとうとうやって来たのだと勘違いをしたのだ。
しかしゴロツキたちの視線の先にいるのは寛ただ一人。男たちは焦りから一転、困惑の表情を浮かべた。
「おいお前!何者だ!」
「……お前らが海での事件の犯人か?」
「だったら何だ?」
アカライのボスのような男が寛に向かって怒鳴ると寛が怒りに満ちた低く重い声で尋ねた。アカライの男たちは一瞬たじろいだが、ユスティーでないことは分かった為、大きな態度で返した。
「もしかしてお前、被害者遺族か何か?笑止……大した力もない癖に怒りに任せてのこのこ殺されに来たのか?俺たちは何もしてねぇぜ、お前のアホな家族が海に入ったのが悪いんだろ」
寛が黙っているとボスの男は挑発するような言葉を寛に投げかけた。寛はただ黙っているだけでは無かった。愛する春を侮辱されながら、この男たちをどう殺すかを考えていたのだ。どうすることがこの男たちにとって最も地獄か、ただそれだけを。
「……もういい」
「は?」
ボスの男が間の抜けた声を出すと同時にアカライの半数の人間がその場に倒れこんだ。寛が捕縛魔術を使ったのだ。倒れていない半数はそれなりに手練れなのか、寛の捕縛魔術をすんでのところで防いだ。
だが仲間の半分が地面の上で歯噛みしているのを目の当たりにして、アカライの面々に焦りの表情が見え始めた。漸く理解し始めたのだ。目の前の男が敵に回してはいけない部類の人間だと。
「ってめぇ!」
怒りで我を忘れた男の一人がナイフを片手に寛に襲い掛かると、寛は右に避けつつ帯刀していた日本刀を抜いた。男はいとも簡単に避けられたことと、魔術が発展したこのご時世に日本刀なんていうレアな武器を寛が取り出したことに目を見張った。
寛はあらゆる武術の中で剣術を最も得意としていて、この日本刀は祖父から授かったものなのだ。寛からすればこの日本刀さえあれば魔術など使わなくても男たちを一掃できるのだが、寛は復讐のためにここにいる。だからこそ苦しみを与えながら殺す必要がある。今手の中にある武器でさっさと殺すなど論外なのだ。
寛は相手を殺さぬ様に刃の向きを逆にすると、諦め悪く再度ナイフを振り下ろす男の鳩尾当たりを日本刀で斬りつけた。男は倉庫の端へ吹っ飛ばされると同時に息の漏れるような声を上げた。
それを合図に残りの男たちが一斉に寛に襲い掛かってきた。寛は一人一人を日本刀一本で次々と倒していき、気づけば半数残っていた男たちの中に立ち上がっている者はいなくなっていた。
意識を失っているか、朦朧とした状態の男たちに寛は再度捕縛魔術をかけてその動きを完全に封じた。寛の目に光は無かったが怒りの炎だけは確かに燃え盛っていた。寛にとってはこれからが本番なのだから。
「じゃあ手始めに指からいくか」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
そこからは当に地獄絵図、阿鼻叫喚。男たちは寛の拷問に悲鳴を上げ泣き叫び、失禁する者や、意識を手放す者もいた。
寛は男たちの動きを封じた後、一人一人の指を一本ずつ切り落としていったのだ。倉庫中に無数の指が散らばっている光景は酸鼻を極めていた。寛は意識を失ったものは無視し、次は耳を切り落とし始めようとした。
「次は耳かな……って、そうか。指と耳を切り落とせば触角と聴覚が使い物にならなくなるから、後で眼球と鼻と舌も切り刻んで、五感全てを遮断するのもいいな」
「ヒィッッ!」
「……でも流石そこまですると死ぬのか?」
これから行われるかもしれない更に残酷な仕打ちに男たちはただ震えることしかできなかった。寛はそんな男たちはお構いなしに顎をさすりながら思案していた。
すると何かを決心したような顔をすると、失神した男たちを強制的に目覚めさせた。意識を取り戻した男たちは手に集中する痛みと目の前にいる男に対する恐怖で悲痛な声を漏らした。
「喜べ愚か者ども。次で最後だ。次でお前たちのことを殺してやる」
「っひ……嫌だ、やめろっ!ひぃにたくない!」
ボスの男は恐怖で呂律が回らなくなりながらそう訴えたが、大半の男たちがこの苦しみから逃れられるなら死んだ方がマシだと考えていた為、ボスの訴えは少数意見だった。
「誰が勝手にしゃべっていいと言った?お前の意見なんて聞いてねぇんだよ」
寛はボスの男に冷酷な視線を向けそう言い放つと、手近にいた男から一人ずつに〝凍結魔術〟をかけていった。寛にとってこれが最良の復讐方法だったのだ。春に与えた苦しみを、目の前にいる男たちに与えることで寛は復讐を完遂しようとしたのだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!かっ体がっ……凍っ……」
足先から徐々に凍っていった男の声は凍結が顔に差し掛かると同時に途絶えた。周りの男たちは仲間の一人が死んだと分かると必死に逃げようとしたが捕縛魔術のせいで動きが取れなかった。死んだ方がマシだと思っていても実際に死が近づくと本能的に逃げたくなったのだ。
男たちはもう恐怖で震えているのか、凍結魔術の冷気で震えているかも分からないほど混乱状態に陥ってしまった。
「春の苦しみは、こんなものじゃない……」
寛はずっと嫌悪していた。春を殺したこの男たちに。春の苦しみの方が何倍も強かったというのに、死の恐怖で暴れ、叫ぶことしかできない無能だと蔑んだ。春は必死に最期まで笑顔でいたというのに、男たちに与えられた苦しみに耐えてきたというのに、そんな思いが積もり積もっていった。
寛はまるでゴミを見るような目で一人一人を凍らせ、その息の根を止めていった。寛は人を殺めていく度に、春の顔がチラついていた。春はこんなこと望まない、復讐したところで春の柔らかい笑顔をまた見れるわけでもない。
もし春があの世で自分が人殺しに堕ちていく姿を見ていたらきっと嫌われるだろう。だが目の前の男たちに対する憎悪が消えることは無い。春の苦痛を知っているからこそ何も知らずにのうのうと生きていることが寛には許せなかった。
寛はボス――最後の一人に凍結魔術をかけようとした時、自分も後で適当な方法で死のうと思っていた。方法なんてどうでもいい、海で死ぬ以外なら。その死に方は春が嫌悪し、春が死んだ要因だったから。
(つくづく海には俺、縁があるな)
寛が自嘲じみた笑みを浮かべるといきなり倉庫に見知らぬ人間数人が寛の周りを取り囲んでいた。気付けなかったのはきっと相手が気配を消していたからだろうと寛は予想を立てた。
(全然気づかなかった、誰だこいつ等?)
寛は虚ろな目で様子を窺っていると、軍団の長のような少年が口を開いた。
「何このスプラッタ状態」
少年は十代前半ぐらいのただの子供だった。いや、ただのというのには誤りがある。寛は気配を全く察知できなかったというのに認識した途端、その少年の発する存在感と圧力で押しつぶされそうになったからだ。
周りにいた仲間らしき人間は全部で四人、男二人と女二人だった。この中で一番の年長者に見えるガタイの良い男と、そこそこ歳はいってそうだが年長者に比べると頼りない体系の男。女の方はスタイルの良い美人系と、少年と同い年ぐらいの色気ゼロの少女。
タイプは様々だが全員が寛と互角か、それ以上の強さに感じた。しかしその少年は別次元だと寛は感じたのだ。きっとこの少年には敵わない。そして、もし自分が殺されるのならこの少年になのだろうと、寛は思った。
寛がよく見ると全員がユスティーの制服を着ていたため合点がいった。目の前に佇むこの少年が隊長、葛城紺星なのだろう。ニュースをあまり見ない寛でも流石に知っていた。何でも最近前隊長が殉職したらしく、もともと前隊長より秀でた実力を持っていた葛城紺星が新しい隊長になったことで世間では大騒ぎになっていたのだ。
「俺みたいな一般人に先を越されるなんて、ユスティーっていうのも大したことないな」
「そうだな、兄ちゃんの執念の方が俺たちより上手だったらしい」
挑発じみた寛の発言に女二人は顔をしかめたが、隊長の紺星があっさりとした態度で返した為すぐに平静を取り戻した。
「すごいな兄ちゃん。ここまで惨くできるなんて、相当恨んでるんだな」
「……俺を逮捕するのは勝手だが、俺がコイツを殺してからにしろ」
惨いと言っておきながら、表情一つ変えない紺星は純粋にそう呟いた。寛は紺星の発言は完全無視でボスの男を睨みつけた。まだ寛の復讐は終わっていないのだ。
「それはダメだ。こっちには事情聴取ってもんがある。それにその男を殺すと兄ちゃんにとっても都合が悪いぞ」
「何?」
あっさりとそういった紺星に寛は鋭い眼光を向けた。こんなクズを生かしておいて都合のいいことなんてあるものかと、寛は内心思ったがユスティーの隊長の意見を素直に聞くことにした。
「確かにこのアカライは一連の事件に関与しているが首謀者じゃない。ただ金で雇われただけだ。魔力を貸すことでな」
「魔力を、貸す?」
「あぁ、被害者の死因だけどな、兄ちゃん凍死だと思ってないか?」
「違うのか?」
予想外の返答に目を丸くした寛。寛はニュースを見て以来、きっと海に凍結魔術に似たようなものが組み込まれていて、その海に入ったせいで春は死んだのだと思っていた。しかもアカライは首謀者ではないという。寛は紺星の言いたいことは理解できた。ボスを殺せば首謀者への手掛かりが途絶える、そう言いたいのだろう。
「兄ちゃん、被害者の関係者だろ?もしかして桃瀬春か?」
質問に質問で返され、その上図星をつかれた寛は眉をしかめながら肯定した。
「症状が出てから看病したか?」
「?したに決まっているだろう」
イマイチ意思の疎通ができていない、寛はそう感じた。紺星の質問の意図が理解できなかったのだ。紺星は寛の顔をじっと見た後、そこら中に転がる氷漬けにされた遺体と指を眺め、何やら思案していた。
「兄ちゃん、被害者の死因を聞いたらきっと自分を殺したくなると思う。それでも聞くか?」
「?……聞く。春がなぜ死んだのか、教えてくれ」
紺星が真剣な表情で不穏なことを口にした。寛はきっとこれから自分にとって良くないことを知るのだろうと、寛はその表情で悟った。だが寛は愛する春のことに関しては無知な愚か者にはなりたくなかったのだ。
「被害者の死因は……熱中症だ」
寛は正直意味が分からなかった。この少年がバカなのか自分の理解力が足りないのかも分からない程に寛はポカンとしてしまい、声も出なかった。
あそこまで寒さで苦しんだ春が熱中症で死んだなんて、そんな荒唐無稽な話があるものかと寛は疑ったが、紺星が嘘をついているようにも見えなかった。そんな寛の様子を察した紺星は話を進めることにした。
「犯人が海にかけた魔術は〝幻覚魔術〟の一種であることが分かった。かなり高レベルな魔術だからアカライの連中を雇って魔力を補充したんだろう。今回の事件では、実際には低体温状態になどなってもいないのに、尋常じゃ無い寒さを感じているように錯覚する魔術が海に組み込まれていたんだ」
「……え、それって」
寛は察しが良かった。そして最悪な真実への道筋も見えてしまい、寛には紺星の言葉以外の雑音は何も入らない状態になっていた。
「しかも厄介なことにその魔術は他人や機械にも影響するせいで、体温を確認しても誰もそれが錯覚だと気づけないところだ。気づけないから、寒さを和らげるために無理に体を温めようとする。兄ちゃんが桃瀬春にやったようにな。本来は低体温になんてなっていない人間がそんな環境にさらされ続けたら、どうなるか、もう分かるよな?」
熱中症。その言葉の意味がしっかりと寛にも理解できた。どうして春が死んだのか、そして犯人の邪悪さも寛には理解できた。きっと真犯人は目の前に転がるアカライの連中など比べ物にならない程のゲスだ。
「要するに被害者の死んだ理由は、幻覚魔術によって低体温状態だと勘違いさせられた被害者たちが、無理に体を温めようとしたことで起こった〝熱中症〟というわけだ」
ガタン。それが寛が膝から崩れ落ちた音なのか、寛の、寛と春の人生が絶望のどん底に落ちた音なのか、寛に知る術など無い。寛の頭はグラグラと回りそのまま意識を失ってもおかしくない程だった。寛は自分が呼吸できていることも、のうのうと生き延びていることも不思議でならなかった。
〝寛くん、大好きだよ〟
「春を殺したのは……俺?」
春の愛しい言葉が思い起こされると同時に、寛は最悪な現実を突きつけられたのだ。
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