ユスティー
都内にそびえる巨大なビル。それはこの日本という国において、敵に回してはいけないという点では最高峰を誇る組織の本拠地である。そしてこのビルが堕ちるということは、この国の終わりを意味してしまう。
そんなビルの99階、つまり最上階の一つ下の階。その廊下を威風堂々たる態度で歩を進めている男がいる。180センチ以上の身長に、オールバックにした茶髪。42歳とは思えない屈強な肉体と項に窺える古傷には今まで潜り抜けてきたであろう歴戦が容易に想像できる。
その男雲雀羽草は、このビルの最上階を本拠地としている男である。最上階というので分かると思うが、つまりはこの組織においての最高権力者である。その証拠に羽草とすれ違う人すべてが、その姿を見た瞬間、顔を真っ青にしたかと思えば勢いよく敬礼をする。
別にそうしなければならないという訳ではないのだが、そこは力ある者の定めといったところだろう。それを分かってはいるものの、毎度毎度堅苦しい挨拶しかされない現状に、羽草は内心ため息を漏らさずにはいられなかった。
ビルの99階、そこは最も敵に回してはいけないこの大組織の中で、更に最も恐れられるチームの本拠地であった。このチームが本気になれば、例え羽草が指揮する大組織であろうとも三日程度で壊滅されてしまうだろう。
羽草はそんなチームにとある任務を言い渡すため、本拠地の目の前にまでたどり着いていた。
羽草の目に入った扉には〝ユスティー〟というこのチームの名称が記されている。ちなみにこのビルにおけるすべての部屋は関係者以外立ち入り禁止で、部外者が侵入できないように魔術で扉に細工がされている。
そんなチート魔術が組み込まれた扉を羽草がノックする。返事がないため、扉をそのまま開ける。アポを取っていなかったため、隊員全員が出払っているのならまた出直さなければならない。だがそれが杞憂であったことは羽草にはすぐ理解できた。
扉を開けると、男女二人の姿が羽草の目に入った。
「あれ、総括?どうしたんすか?こんなところに来るなんて。紺に用っすか?」
「葛城と揺川はいるか?」
「紺はともかく青もっすか?」
羽草の目に映る男は予想外の回答に首を傾げる。そう、羽草が普段呼び出すのは紺と呼ばれた男だけであり、今同じ空間にいる青と呼ばれた女はそうそう羽草自ら話に来ることはないのだ。
羽草に対してそんなフランクな話し方をするこの男は柳瀬寛といい、このユスティーの隊員である。羽草よりも少し低めの身長に、きちんと揃えられた薄い茶髪。常に顔にまとわりつくへらへらとした表情はこの男のチャラさを十二分に表現してくれている。そのチャラさに加え、セクハラ常習犯ということもありユスティーの女性隊員には大層嫌われている。
そんな貴重な女性隊員の一人である揺川青花は、自分が呼ばれたという事実に少々驚きつつも、それを顔には出さずに羽草の目の前に現れた。女性の平均身長よりも少し低めの背丈に、ショートカットの白髪。髪と同じく透き通るような白い肌には大きな瞳が可愛らしく配置されている。
「何か用?総括」
「葛城はどうした?」
青花の質問に質問で返す羽草。実は羽草は青花との会話を得意としていなかった。その理由は彼女の喉の古傷を見れば分かる。青花は過去、のどに傷を負ってしまったせいで自分の声帯で話すことができない。そのため彼女は声を相手に送る魔術で、会話を成立させている。羽草は青花との会話のたび、彼女が送ってきた悲惨な人生を想像してしまうのだ。そのため普段からよく対話している紺と呼ばれた男に助け舟を出してほしかったのである。
「紺なら通り魔が出たという通報を受けて、被疑者を捕らえに行った。任務執行中」
「え、そうなの?流石は紺のストーカー」
羽草の質問に素直に答えた青花に、紺と呼ばれた男の居所を知らなかった寛がサラリととんでもないことを言い出す。ストーカーと言っても、自分が最も尊敬している人物の後をついて回っているだけなので、青花からすれば不名誉極まりないことこの上ないのである。
もちろんそんな暴言を放った寛がただで済むわけもなく。寛の腹には青花の拳という名の制裁が加えられた。
「な、何か任務があったんすか?ぐうぇ……」
「あぁ、だがいないのであれば致し方ない」
青花の制裁により寛は腹を抱えたまま、羽草に質問する羽目になった。青花の拳を受けながら、プルプル震えてはいるものの倒れないというのは、腐ってもユスティーの隊員ということだ。そんな寛の様子は気にも留めず、羽草は質問に答えながら次の訪問についての算段をつけている。
「問題ない。紺ならすぐに戻ってくる。心配無用」
羽草の心を読んだかのように、青花がここに止まることを羽草に勧める。そんな最中、羽草が先刻歩いてきた道を、同じようにユスティーに赴くため進んでいく男がいる。違う点と言えば、その肩に自分より大柄な男を背負っていることである。
その男は葛城紺星といい、隊員たちの話に出てきた〝紺〟その人である。寛と大差ない身長にサラサラな黒髪。その容姿は非常に整ったものである。紺星はユスティーの隊長という地位についており、その実力は羽草でも底が知れない程である。
紺星が扉に手を掛け、部屋の中に入ると自分にとって唯一の上司の姿が目に入る。
「総括、お久しぶりです。今日はどうしたんですか?」
「葛城と揺川に任務を言い渡しに来た」
「任務ですか?」
羽草の言葉を聞き、紺星が即座に肩に背負っていた通り魔を床に放り投げる。通り魔は両腕の骨を折られており、あばらの骨も何本も折られていた。
「うへぇ……随分と派手にやったなぁ……」
通り魔の酷いとしか言いようがない状態に、寛が哀れみの目を向けるのは必至である。寛とは対照的に青花は興味深そうに通り魔の顔をジロジロと覗き込んでいる。青花は紺星の力に憧れているため、通り魔のけがの具合で紺星がどんな技を繰り出したのか頭の中でぐるぐると考えているのだ。
「今、政府隊員養育高等学校で起きている連続変死事件は知っているな?」
そんな中、羽草は通り魔には目もくれず、任務について話し始めた。紺星はその事件の凄惨さを知っていたため真剣に聞いているが、青花は自分も当事者だということをすっかり忘れ、目の前の通り魔(紺星の闘った痕跡のある者)に夢中である。
「えぇ、一応。確か高等学校の生徒、教員がもう7名殺されているとか。その殺され方はどれも残忍で、今他のチームが捜査しているはずですが」
「あぁ。だが他のチームの手には負えない事案だと判断した。よって今からこの事件はお前たちユスティーの管轄だ」
興味なさげに聞いていた寛と青花も連続変死事件について思うところがあったようで、自分たちが捜査することになり、気合の入った顔になる。
「捜査はユスティー全体でするとして、俺と青花の任務っていうのは一体……?」
「葛城と揺川には事件の起きている政府隊員養育高等学校に潜入、捜査し犯人の特定を命ずる」
「潜入捜査……だから私と紺なのか。納得」
紺星と青花の二人はユスティー内で最年少の18歳である。高等学校の生徒に扮するにはうってつけの人材なのだ。未だかつて経験したことのない捜査を前に、青花は期待を抑えられないのかそっと呟いた。
「総括~、俺も教員って設定で潜入捜査しちゃダメっすか?流石に27になってまで生徒役なんて愚かな望みはしないっすからぁ」
「すまんな。高等学校の校長には生徒として二人の隊員を向かわせると既に報告してしまった」
自分だけ仲間外れにされたように感じ、両手を顔の前で合わせ寛が羽草に懇願するが、その望みは叶えられなかった。寛自身、誰も27歳のおっさんの生徒コスプレなんて見たくないだろうと思い、教師役でなら……と、わずかな希望を抱いていたが、それは塵と化してしまいその様子を青花が面白おかしく窺っている。
寛が意気消沈していると、今まで気絶していたせいで空気と化していた通り魔が突然目を覚ました。そしてそのままの勢いで一番最初に目に入り、尚且つ一番弱そうな女の青花に襲い掛かる。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「?」
だが通り魔は決定的なミスを犯していた。このユスティーという最強最悪なチームにおいて、弱い人間がいるなど万に一つもあり得ないということを理解すべきだった。だが時すでに遅し。大声をあげながら向かってくる通り魔を、興味なさげにチラ見する青花。
「死ねぇぇぇぇ!」
「両手+あばら折れてるうえ、手錠かけられてる癖に私に向かってくるなんて、逆に尊敬。笑止。」
にやりと笑うと、目にもとまらぬ速さで通り魔の首に思いきり後ろ回し蹴りを喰らわす。その瞬間ボキっという心地の悪い音がしたのを聞き逃さなかったのは通り魔と寛ぐらいであった。
「ぐわぁぁぁぁぁ!」
首の強烈な痛みに通り魔は首を抑えたまま気絶してしまう。一日で二度気絶させられるという不運に見舞われた通り魔には目もくれず、青花が何事もなかったかのように元いた位置に戻る。先刻まで食い入るように観察していた癖に、紺星の戦闘スタイルにだいたいの目星をつけた青花はもう通り魔には全く興味がない様子だ。しかし紺星は多少の動揺を見せた。当然だ。自分が倒した相手が仲間に襲い掛かり、またもや倒れるなんて非日常的な状況に狼狽えない方が狂人というものである。
「すまないな、青花。足の骨も砕いておくべきだった……」
「ううん、平気」
どうやら紺星も狂人だったようだ。そういうことじゃねぇよ!!と寛が内心突っ込みを二人に入れる。そんな寛の二人対する薄ら目に紺星たちが気付くはずもなく。そんな異空間が羽草の言葉で崩された。
「話を戻してもいいだろうか?」
「はい、お騒がせしてすいません、総括。潜入捜査の件ですが、俺たちのことを知っているのは校長だけですか?」
「あぁ、そうだ。それ以外の人間には悟られぬよう気をつけろ。お前たちの情報は一般には氏名、年齢しか公開されていないんだからな。」
そう、この大組織の情報は一般にはほとんど公開されていない。一般市民全員が知っていると言っても過言ではないこのユスティーというチームでさえ、隊員の名前と年齢しか公開されていないのだ。それはなぜかと言われれば、もちろん捜査に支障をきたすからである。
「総括の判断を疑うわけではないのですが、その校長、信用できるんですか?」
紺星が言いたいことは要するに、その校長が一連の事件の犯人だったら元も子もないということである。疑うことが警察の仕事とはよく言うが、実際に疑われて気分のいい人間などいない。しかし羽草は紺星のその抜かりのない姿勢に思わず笑みをこぼした。
「あぁ、問題ない。あの高校の校長とは古い付き合いだし、あの事件でしっかりとしたアリバイのある数少ない人物だからな」
「了解です。ではその潜入捜査、ユスティーの名に懸け、絶対に成功させてみせます」
「あぁ、期待している。潜入捜査は月曜からだ。揺川もよろしく頼む」
校長に対する疑いが晴れたところで、要件を済ませた羽草が部屋から出て行った。任務を言い渡された紺星と青花はその頼もしい背中に敬礼を送る。扉が閉まる音と同時に二人が楽な姿勢になる。
「そうと決まれば、寛。捜査資料をコッチに運ぶぞ。手伝え、青花も」
「りょうかーい」
「いや、それはいいんだけどよぉ。……お前ら、完璧こいつのこと忘れてるだろ?」
淡々と話しを進める二人に我慢の限界が来てしまった寛が、地面を指さす。何のことやらと寛の指の先を目で追う紺星と青花。そこには地面に転がる哀れな通り魔がぴくぴくと痙攣していた。
「「……」」
しばし流れる沈黙。そして紺星と青花が顔を見合わせる。その間約十秒。その均衡を崩したのは紺星だった。
「青花、頼めるか?」
「……了解」
約30分後。青花が通り魔をビルの50階にある監獄に入れ、紺星と寛が連続変死事件の捜査資料をユスティーの前に管轄だったチームから運び出す作業を終えた。
「これは……酷いな……」
「あぁ、今までいろんな骸を見てきたがこれはかなり酷い。被害者の苦痛が痛いほど伝わる」
「……」
捜査資料に入っていた被害者の遺体の写真を見た寛が、その悲惨な状態に顔を歪ませる。ユスティーの隊長であり数々の事件に関わってきた紺星でも、これを見て平然としていられる訳ではない。何も言わない青花もその表情は普段より暗いものである。
「一人目は眼球が両目ともえぐられてるし、二人目は首と胴体がサヨナラしちゃってるし、三人目はレイプされたうえに殺され、四人目は体中の関節ごと骨折させられてるし、五人目は両手両足の指が全部切断されてるし、六人目は全身丸焦げで、七人目は耳と舌削がれてるし……まったく、はらわたが煮えくり返る事件だねぇ?」
「ん?あぁ、ユレか。遅かったな」
三人の後ろから遺体の状態を事細かく説明し、紺星に〝ユレ〟と呼ばれた女は浅見ユレといい、ユスティーの女性隊員である。女性の平均身長ほどの背丈にふわふわと柔らかな金髪のボブヘアー。ユレはユスティー内で最も治癒魔術を得意としており、医者のような仕事をしている。その証拠にいつも羽織っている白衣は今日も健在である。
ニコニコとした笑顔は常に彼女の顔に張り付いているが、ユスティーの隊員たちは知っている。彼女を怒らせてはいけないということを……。
「もぉぉ、紺ちゃんのせいなんだからねぇ、遅刻したの!今朝紺ちゃんが捕まえた通り魔、青ちゃんに『シクヨロ』とか言われて私が治療したんだからねぇ?両手、あばら、首の骨折れてて治療大変だったんだからぁ」
ユレが青花の声真似をしながら頬を膨らませプンスカ怒っている。そんな怒られ方をされてもただ可愛いだけなので、彼女が本気で怒っているわけではないというのはその場にいる全員に分かった。それ程までに彼女が本気で怒るとヤバいのだ。
「首をやったのは青花だぞ」
「むぅ、裏切ったな紺。非道」
「それにしてもすまなかったな。ユレの仕事を増やしてしまって」
「いいのよぉ。それが私の仕事で、二人だって仕事しただけなんだしぃ」
自分のだけのせいされた紺星が青花の方を指さす。要はチクリである。紺星にあの後ろ回し蹴りの件を暴露され、ユレ同様頬を膨らませる青花。その様子を柔らかく微笑みながらユレが見つめる。ユレは隊の最年少である紺星と青花を非常に可愛がっており、こうして注意しながらも結局最後は笑って許してしまうのだ。
「それはともかく、この事件ってうちの管轄じゃないよねぇ?」
「今朝総括が来てな。他のチームの手には余ると判断したそうだ。それで俺と青花が高校に潜入捜査することになった」
「えぇ~、そうなのぉ?二人とも気を付けてねぇ?」
紺星が事の経緯を説明した途端、ユレが親のように二人の心配をし始める。これは二人が任務に向かう度にある恒例行事のようなもので隊員全員があきらめている事案でもある。
「でもぉ、ユスティーが捜査するならこの被害者たちも少しは浮かばれるかもねぇ。紺ちゃんたちならこんな事件、すぐに解決できるもんねぇ」
「買いかぶり過ぎだ。だがそうなるように精進する。な?青花」
「うん、任せろ」
ユレの二人に対する期待の声に紺星が苦笑いを浮かべつつも、被害者のために一刻も早い事件解決を誓う。青花もそれに同調すると紺星がにかっと笑い、青花の頭を荒っぽく、でも優しく撫でる。
そんな何この幸せ家族空間?な様子を外野で眺めていた寛がふと思い出したようにつぶやく。
「そういや、名前ってどうすんだ?」
「あらぁ、柳瀬くんいたの?全っっ然気づかなかったわぁ」
「お前ちょいちょい俺の扱い雑だよな?」
「えぇ~、そんなこと無いよぉ」
ユレの言葉はあながち嘘ではない。なぜならユレの塩対応は寛に対してだけという訳ではないからだ。本来の彼女がこうなのであって、紺星や青花に向ける砂糖対応の方が異常なのである。
「それにしても名前か……考えてなかったな」
「だろう?潜入捜査するんなら本名語るわけにもいかねぇし」
最初の寛の言葉を聞き逃さなかった紺星が、偽名を作らなければならないという事案に頭を悩ませる。羽草の言っていたように、ユスティーは隊員の名前と年齢しか公開されておらず、一般市民が隊員の顔を知る術はない。だからこそ本名を語るなど愚の骨頂なのである。
「うっし!俺がつけてやんよ!」
「却下」
今まで大した出番がなかった寛が痺れを切らし、自分が二人の偽名をつけると提案するが、即座に青花の魔法仕掛けの声によって却下された。
「じゃあ寛に頼むかな?」
「お、おう!任せとけ!」
「紺、正気?」
ユレが淹れたコーヒーを静かにすすりながら、紺星が予想外の返事をしたため、寛と青花がわずかの動揺を見せる。しかし隊長からのお許しが出たため、喜々として早速寛が紺星と青花の偽名作りに勤しむ。一方青花はそんな寛と紺星を疑わしそうに交互に見つめる。
コーヒーの香りが漂うユスティーの本拠地内部。期待と疑いと危惧と決心を孕んだそれぞれの瞳が輝く。
これが、とある高校で起こった連続変死事件にユスティーが足を踏み入れる最初の一歩であった。