03 元皇帝は報われない恋を助ける①
──港町『オウアラーイ』、漁を生業とした人々が暮らす町。
町というからには、それなりの人口を有している。当然、漁だけでは唯の漁村止まりだが、オオアラーイを町に押し上げている事業が存在している。
それは、海運事業だ。帝国は大陸の北西に位置し、北と西を海に囲まれている。その利を生かし、遠方の国からの貿易は全て海運で行われていた。
陸路で荷を運ぶより、海路で運んだ方が圧倒的に早い。尚且つ、一度に沢山の荷を運べる海運は、迅速な物資供給をもたらしてくれる。
そして、ザルツ帝国で荷を卸せるのは北に位置する港町『オオーツ』と、此処オウアラーイの二ヶ所。勿論、他国からの貿易船からは関税を得て荷下ろしを許している。関税、漁の益、貿易に関わる人々が落とす金。その三点が、このオウアラーイを町に押し上げているのだ。
して、腰痛でぎこちない動きのライアンは、漠逆の友であるダンと、港町オウアラーイへ足を踏み入れた。
「──活気が有る町だな。国の人々が生き生きしている姿を見るのは嬉しいものだ」
腰を擦るライアンは市場で人々が賑わう姿を見て、そんな事を呟く。
「そうですな……死にもの狂いでザルツを守った甲斐があるというものです──して、ライアン様。とりあえず宿屋へ入りましょう。先ずは体を癒さねば」
「すまん……大人しくしていれば明日には良くなる筈だ」
市場で売られる新鮮な魚と、酒に合いそうな食べ物を売る屋台。それらを、唾を垂らして二人は通り過ぎていく。
「──ようこそ、宿屋オウアラーイへ!」
宿屋に入った二人に活力溢れる声が掛かる。病で無くなった亭主の代わりに、宿屋『オウアラーイ』を切り盛りする恰幅の良い女将だ。
「二人泊まれるか? 滞在は一週間ほどだ」
「ええ、大丈夫ですよ。それよりお隣の方は僧侶様ですか?」
ダンが女将に滞在出来るか聞くと、女将は真っ白なローブを身に纏ったライアンに視線を合わせ、そう答える。
「ああ。私は僧侶だが、何か問題が?」
ライアンが女将にそう問うと、女将は困った表情をして口を開いた。
「問題っていう訳じゃないんですが、戒律で食べられない物が有るかもしれないので……」
「それなら大丈夫だ。うちの宗派はそんな堅苦しい戒律などないからな。気を利かして貰ってすまん」
「それなら良かったです──では、お部屋は二階になります。ごゆっくりしていって下さいね。夕飯は新鮮な魚を使った品ですので、楽しみにしていて下さい!」
笑顔がチャーミングな気の利いた女将。宿屋の食堂兼ロビーを見回してみると、人々が笑顔で語らっている姿が目にはいる。この繁盛ぶりは、気の利いた女将のお陰なのだろう。
そんな女将の案内の元、二階に繋がる宿屋入り口側の階段を昇ろうと、ライアンとダンが足を掛けたその時、暗い声で帰宅を知らせる青年が現れた。
「ただいま、母さん……」
「カイル……あんた、またあの子の所に行ったのかい? あの子はもう──」
「そんな事分かってる!! ただ……遠くで眺める位良いじゃないか」
「カイル……」
宿屋の息子と思われる青年カイルと、女将のやり取りを聞いたライアン。失恋か、はたまた報われない片思いか、そんな想像を巡らせた。そして、面倒見が良いライアンはついつい項垂れる青年に声を掛ける。
「どうした青年? 私で良ければ話を聞くぞ」
「僧侶様? ……いくら僧侶様とはいえ、お客様に聞かせる様な話では……」
「そんな事気にするな。実は腰を痛めてしまって、明日まで動けそうにない。だから時間はたっぷり有るんだ──迷える子羊よ、そなたの懺悔を聞かせてくれ」
「僧侶様……分かりました。僕の懺悔を聞いて下さい」
宿屋の息子カイルの話を聞く事になったライアン達。カイルが女将から案内を引き継ぎ、二階へとライアン達を案内していく。
「この部屋になります。ご要望が有ればお申し付け下さい」
「うむ、すまんな」
部屋へ案内されたライアンとダン。ベッドが二つ、テーブルを挟む様に置かれたソファー、そして窓からは海が眺められる部屋。今回は旅の初日という事もあり、奮発して高い部屋を取ったのだ。
「あ痛たた、まったく情けない……」
「ほら、ライアン様ゆっくり座って下さい」
腰痛でぎこちない動きのライアンを、ダンが介抱する様にソファーへ座らせる。ゆっくりとソファーに腰を下ろしたライアンは、入り口に立ち竦むカイルをソファーに座る様に促す。
「──それで、どういった事情なんだ?」
「実は……僕は身分違いの報われない恋をしてしまったんです」
ライアンは柔らかい表情を作りカイルに問い掛ける。すると、カイルは遠くの愛しい人を見つめる様に話始めた。
「僕が想いを寄せる人は、この町周辺を治める領主様の一人娘、フローラ。僕も、フローラと出会った時はまさか領主様の娘だとは思いもしなかった。そんなフローラと、僕が出会ったのは暗い路地裏でした──」
ある日の夕方、カイルは市場から買い出しを済ませ、宿屋オウアラーイへと帰路についていた。そして、その日はたまたま近道として、暗い路地裏を通っていたのだ。
「──やめて下さい! 放して!」
カイルが路地裏を歩いていると、女性の嫌がる声が聞こえて来た。何事かと、急いで声の方向へ走るカイル。そこで見たのは、町娘風な衣装に身を包んだ女性が一人の男に捕まり、襲われている姿だった。
「何してるんだ!! 誰かー! 女性が襲われてます! 警備兵を呼んで下さい!」
「チッ! こんな所で女一人歩いてるのが悪いんだ。俺は悪くないぞ!」
カイルは襲われている光景に急いで駆け寄り、なるべく目立つ様に大きな声を上げる。すると、焦った男は捨て台詞を吐いて逃げたして行った。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございました……」
女性を起き上がらせ、優しく声を掛けるカイル。起き上がった女性を良く見ると、目鼻立ちが整ったとても美しい女性だった。高鳴る鼓動、茹で上がる様に赤くなる顔。それらを誤魔化す様に、カイルは一人で路地裏を歩いていた女性に注意の言葉を掛けた。
「だ、ダメですよ! 女性がこんな暗い路地裏を一人で歩いちゃ!」
「ごめんなさい……でも、私行く所が無くて、ううぅ」
泣き出してしまった女性。注意したものの、実際泣かれると困ってしまうものである。
「あ、いや、その……行く所が無いなら、とりあえず僕の家に来ますか? あっ、いえ! 僕の家と言っても、僕の家は宿屋を開いているので、僕一人じゃないので安心して下さい!」
しどろもどろになりながらも、何とか伝えたい事を言い切ったカイル。その姿が可笑しかったのか、女性はクスクスと笑い出した。
「ふふっ、ごめんなさい、笑うなんて失礼な事。その、良かったら連れて行って下さい。貴方のお家……」
女神の様な笑顔、美しいブロンドの長い髪、二重の中に見える青い瞳、華奢な体。それら全てが、立ち竦むカイルの心臓を撃ち抜いていた。
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