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01 元皇帝は旅に出る

「──お父様、ご相談が」

「──ライアン様、この書類にサインを」


 ひっきりなしに訪れる来客。荘厳な衣装を身に纏い、金髪をオールバックで纏めた壮年の男。執務室の椅子に座り、書類の山に埋もれながらその来客達の相手をこなす。


「ハァー、こんな筈ではなかった……」


 夜も更け、深いため息を吐きながら髪を掻き上げ愚痴る壮年の男。彼はザルツ帝国の初代皇帝ライアン・ザルツ、四十五歳。


 二十七年前、大陸は国々が領土を奪い合う戦禍が渦巻いていた。その中で、当時のザルツ帝国は小国の一つにすぎず、大国同士の戦渦に飲み込まれていく。


 焦土と化していく村や町の数々。家族、恋人、友人、大切なものを失った人々は未来を諦めかけていた。


「このままザルツは滅びるのか……」


 そんな人々の諦めの声が聞こえてきたその時、一人の男が立ち上がる──


 当時、心労で倒れた国王に代わり、ザルツ王国第一王子として矢面に立った男こそ、若き獅子ライアンだった。


 若きライアンは漠逆の友『ダン』と共に戦場を駆け巡り、敗戦濃厚だった戦場を次々と勝ち戦に変えていったのだ。大男を子供の様にあしらい、千の敵兵を炎獄の力で蹴散らしていった。


 そして一年後──攻めいる国々から見事にザルツを守ったライアンは、英雄として讃えられ、正式にザルツ国王として王位の座に着いたのだ。


 だが、相変わらず隣国から小競り合いを仕掛けられていたザルツ国。ライアンは国王ながら戦場に赴き、敵を蹴散らしていた。 


 そんな戦いばかりに身を置く日々。しかしある日、ライアンに恋の花が咲く。隣国との停戦協議に赴いたライアンが目にしたのは、心臓を撃ち抜くほどの可憐な姫の姿だった。


 一目で恋に落ちたライアンは、隣国の姫に猛アプローチを始める。ある時は山の様な恋文を送り、またある時は隣国の城に忍びこみ、数えきれない花びらで庭園に大きなハートを作った。


 そして一年後、猛アプローチの数々に心を射たれた隣国の姫は、ライアンの求愛を受け入れ、二人は夫婦となる。


 仲睦まじく暮らす二人。一男一女の子宝にも恵まれた。


 大切な家族を得たライアンは『二度と戦争などしたくない』、そんな思いにかられていた。


 そして、その思いを胸に抱き、ライアンは躍進する。


 少数精鋭の部隊を指揮し、敵国へと殴り込みをかけたのだ。敵の防衛を雷神の如く切り開き、敵城へと乗り込んだライアンは敵国の王に降伏を迫った。


 そんな中央突破一本の作戦にも関わらず、ライアンは敵国を次々と落としていく。そして、三十歳になる年──遂に敵対する国を全て降伏させたライアンは、ザルツ帝国初代皇帝として、大陸の覇者となったのだ。


 その後、ライアンが三十五歳の年に愛する妻が病で先立ち、悲しみを忘れる様に皇帝の仕事に没頭した。


「若い頃は良かった……」


 執務室の椅子に深く腰掛け、ライアンは若い頃に想いを馳せていた。若い頃は疲れなど感じず躍進出来たが、壮年になった今では腰痛に悩まさせる事も少なくない。最強の男と謳われたライアンも、迫る年波には勝てないという事だ。


「しかし、何故引退して仕事が増える? 理解出来ん……」


 現在、ライアンは息子に皇帝の座を譲り、今は気ままな引退生活を送っている筈だった。だが、ライアンを待っていた引退生活は、何かを楽しめる様な生易しいものではなかったのだ。


 息子にはまだ荷が重いから、と書類の山を持って来る大臣。相談と称して仕事を押し付けに来る息子。兵士の訓練をどうしたら良いか聞きに来る将軍。机にうず高く積まれた書類達が、不敵な笑みを浮かべライアンを見下ろしていた。


『コンコンコンッ』


「お父様、マリアンヌです。入って宜しいですか?」

「ああ、良いぞ」


 ライアンの執務室に訪れたのは、仕事を押し付けてくる息子ではなく、愛する妻に似た可憐な姫こと、娘のマリアンヌだ。


 妻に似た艶やかな黒髪と、つぶらな黒い瞳。ライアンにとって、娘のマリアンヌは目に入れても痛くないほど愛しい存在だった。


「どうした、マリアンヌ?」

「お父様、そろそろお休みになって下さい。お父様のお身体が心配です……」


 心配そうにライアンを見つめるマリアンヌ。その瞳に、ライアンもついつい目が潤んでしまう。


「ああ、分かったよマリアンヌ。私の事を労ってくれるのはお前だけだ……」


(この子は頭も切れるし人の動向に敏感だ。それに慈愛に満ち溢れている。いっそ、マリアンヌを皇帝にしてしまおうか……)


 そんな事を考えているライアンだが、本当の所はマリアンヌを嫁に出したくないだけだ。


「お父様、暫く休暇を取っては如何ですか? このままでは本当にお身体を壊してしまいますよ」

「休暇か……そうだな、考えておくよ。マリアンヌ」

 

 マリアンヌから休暇を勧められたライアン。頭の中ではバカンスなのだが、実際、そんな暇を取れる時間は無かった。此方を見下ろす書類の山がそれを物語っている。


 それから数日が経ったある日、とうとう起こるべくして事件が起きる。そう、ライアンがキレたのだ。


「ふざけるな!! 私はもう引退したのだぞ! これ以上は我慢できん! 私は旅に出る!!」


 そんなライアンの怒鳴り声が響いたのは、白鳥が湖で羽を休める様な、のどかな昼下がりの時だった。


 その日、相も変わらず仕事を押し付けに来る者達で、ライアンの執務室は賑わっていた。そして、山になった書類がとうとう机に乗り切らなくなるほど積まれた時、ライアンの堪忍袋の緒が切れたという訳だ。


 まさにプンプンという表現が相応しいほど、怒って執務室を出て行こうとするライアン。そこに、大臣の一人があっけらかんとした言葉を掛ける。


「あっ、ライアン様。旅に出るなら、ちゃんとお供を付けて下さいね」

「ああ、分かっておる!」


 大臣の言葉に、本当に分かっているのかどうか分からない様な返事をしたライアンは、執務室の扉を荒く閉め、出て行ってしまった。その光景に、執務室に残された息子や大臣達は、ホッと胸を撫で下ろす。


「やっと決心してくれたね」

「そうですな、ここまで長い道のりでした……」


 息子と大臣が安心した表情で会話を交わす。そう、彼等はこの時を待っていた。


 実際の所、ライアンは皇帝を引退した後も国の事が気掛かりで落ち着かず、誰に言われる訳でもないのに自ら仕事をしていたのだ。何度か息子や娘が休暇を勧めたのだが、ライアンは頷くばかりで休暇を取ろうとしない。その姿を見た息子や娘はある計画を練る。


『ライアン、バカンス誘導作戦』


 そう称した作戦でライアンに休暇を取らせようとしたのだ。抱えきれない仕事を与え、愛娘のマリアンヌに甘い言葉を吐かせる。しかし、ライアンは手強かった。


 絶対に無理だと思われた仕事の山を片付け、マリアンヌの甘い言葉にも動じない。流石、小国を帝国に押し上げた実力者なだけはある。だが、怒って出て行ってしまった所を見るに、ライアンの無駄な努力もとうとう限界を迎えたようだ。


 執務室に残された者達はとうとう成功した作戦に沸く。そして、ライアンの旅の無事を心から祈った。


 一方、執務室を飛び出してしまったライアンは、とある場所を訪れていた。


「──この中で、旅のお供に立候補する者はいないか?」


 城内の演習場でライアンがそう問う者達とは──頑丈な鎧に身を包んだ屈強な精鋭達、ザルツ騎士団だ。


「陛下のお供? なんて畏れ多い……」

「おい、陛下が睨んでるぞ……誰か手を上げろよ」


 ざわつく騎士団。最強の男、英雄ライアン・ザルツと旅をするなど畏れ多いと、誰一人として手を上げる者いない。


「誰も居らんか……ならばしょうがない、休暇はお預けだな。ハァー」


 わざとらしく溜め息を吐くライアン。啖呵を切って飛び出して来たものの、やはり国の行く末が気になり、旅に出るのを躊躇っていたのだ。


(お供が居ないならしょうがないな。うん、仕事に戻ろう)


 ライアンが踵を返し演習場を去ろうとしていたその時──


「私がお供致しましょう。ライアン陛下」


 そう言って手を上げたのは、斬られた傷で片目が塞がっている、偉丈夫な者。ライアンと変わらない歳の壮年の男だ。


「ダンか! いや、お前がお供してくれるなら問題無いが……お前も騎士団を鍛えるのに忙しいのではないか?」

「いえ、私も将軍の座を退き、暇をもて余しておりましたので寧ろ好都合です。ザルツ騎士団は私の様な老兵が居なくとも問題有りませんしな」


 漠逆の友、ダン・ベルトールがライアンの退路を断つ様に名乗りを上げた。ダンも『ライアン、バカンス誘導作戦』のメンバーの一人だ。


「そ、そうか。ならば出立はいつにする? 来週か来月か?」

「何を仰いますか。行くと決めたなら直ぐに出立致しましょう」


「え……いや、準備がだな──」

「さあさあ、行きましょう」


 何とか出立を遅らせようとしていたライアンの心情を知ってか、ダンはライアンの肩を抱き、捕獲して演習場を去った。


 そして、先立った愛しの妻の墓標に手を合わせたライアンに、とうとう出立の時が来る。


「行ってらっしゃいませお父様。旅のご無事をお祈り致しております」

「マリアンヌ……なあ、マリアンヌも連れて──」

「なりません。さあ、行きますぞ陛下」


「ああっそんな……マリアンヌ! 元気で待っていておくれ!」


 微笑みを浮かべ手を振る愛娘のマリアンヌに泣く泣く別れを告げたライアン。こうして、現役を退いたオッサン二人の旅が始まる──


「所で陛下。その格好はなんなんですか? まるで僧侶のようですが」


 城から離れ、城下を歩く二人。騎士の鎧を着込んだダンが、白いローブに身を包み、フードを被ったライアンに問う。


 「まるでではなく僧侶だ。この格好ならば元皇帝だとは思うまい。正体を知られてはつまらんからな」

 「成る程、でしたら陛下と呼ぶのは不味いですかな?」


「当たり前だ。昔の様にライアンと呼べば良かろう」

「いやはや、それは出来ませぬ。せめてライアン様で」


「ふむ……ならばそれで良かろう」

「それで、何処に向かいましょうか?」


「そうだな……先ずは帝国領を回るとしよう。小さな村や町までは見ておらんからな。民の生活が知りたい」

「そうですか。では、西側の海沿いの町に向かってみましょう」


 ダンの言葉にライアンは黙って頷く。どうやら旅の行き先が決まったようだ。帝国首都はザルツ帝国領の中央に位置している。ライアン達はその帝国領をぐるッと一回りする事にした。


「しかし、またこうしてライアン様と旅が出来るとは──考え深いものがありますな」

「うむ、そうだな。若い頃二人で武者修行に出た事を思いだす」


 帝国首都の門に向かっている二人。幼い頃からの友同士、昔話に花が咲くようだ。そんな二人の背中に若かりし頃の二人が重なるのだった。


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