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2017年/短編まとめ

息苦しくて生苦しい

作者:文崎 美生
ぺたり、水槽のガラスに張り付いた女は、真っ黒な瞳でつぶらな瞳を見詰める。
水槽の中を悠々と泳いでいたのは、白っぽい灰色の巨体を持つジュゴンだ。
丸々としたまるでぬいぐるみのようなジュゴンは、女の熱心とも言える視線を受け、水槽のガラスに体を寄せている。

ジュゴンのいる水槽の前から、動こうとしない女の華奢な背中を見る男は、まるで懐かしい友人にでも出会ったようだと思う。
それくらい、女はジュゴンの水槽にべったりで、ジュゴンもまた、女の目の前から泳ぎ去ることはしなかった。

小さな女の子とその両親がその水槽の前を通ると、髪を二つに結い上げたその女の子が、水槽と女を指差し「おねーちゃん、すごいねぇ!」と嬉しそうに声を上げる。
それまで水槽に張り付いて動かなかった女が、ゆったりと首から上だけで振り返った。
あ、と男の口から小さな呟きが漏れたが、それは誰にも届かない。

女は、二度程瞬きをして、口元をゆっくりと引き上げた。
それは薄い笑みだったが、左右に揺れる右手を見て、女の子がきゃっきゃと笑う。

「おねーちゃん、おさかなさんとお話しできるの?」

無邪気な声音で、両の手を繋いでいた両親を振り切り、女の元へ駆け寄る。
驚いた両親が慌てて女の子を追い掛けた。

「……秘密だよ」

その場に屈み込み、女の子と視線を合わせると、振っていた右手の人差し指を立て、自分自身の口元に押し当てた女。
その間もジュゴンは女に寄り添うようにしており、くるり、その場で一回転して見せる。
まるで手品を見ている気分になった女の子は、柔らかな白い頬を林檎のように染め上げ、女と同じポーズで「しぃーっ」と並びの良い歯を見せた。

動こうとしていたはずの男は、その場で蹲り、目の前の光景の尊さを拝み出す。
それに気付いた女が、僅かに目を細めたことには気付いていない。

両親が駆け寄り、揃って女に頭を下げる。
別段悪いことはされていないと女が首を振り、女の子は両親の手を取った。

「おねーちゃん、またね」
「うん。ばいばい」

女の柔らかな対応に両親共にほっとしたような息を吐き、やはり揃って頭を下げていく。
それを見届けた男が、やっと女に近付き、揃ってジュゴンを見た。
ぺったり、女の右手が水槽のガラスに張り付き、ジュゴンの頭部を撫でるように動く。

(サク)ちゃんって、ジュゴンと話せるの?」
「……はぁ?何言ってるの、崎代(サキシロ)くん」

先程の女の子とほぼ同じことを口にした男――崎代くんこと崎代に、女――作ちゃんこと作は眉を寄せた。
眉間に二本のシワが刻まれる。

「話せるわけ、ないでしょう」

はぁ、と浅い溜息と共に吐き出された言葉に、崎代は首を竦めた。
「もちろん、冗談だよ」そんな風に言って、崎代は甘く笑って見せる。
山なりの眉が、その笑みに合わせて眉尻を下げ、同時に目尻も下げた。

それを見た作が、目を伏せ、長い睫毛が不健康なほど白い肌に小さな影を落とす。
水槽の中では、その顔を覗き込もうとするように、くるりくるりと泳ぎ回るジュゴン。
やはり、言葉が通じているのではないかと、崎代は考える。
否、言葉は通じなくとも、心が通じているのか。

そうして顔を上げた作は、膝も腰もと真っ直ぐに伸ばし、その動きに付いてくるジュゴンへと視線を向けた。
白魚のような指先で、ガラス越しに撫でるその手付きは、愛おしげで優しげだ。
今度は、崎代が赤縁眼鏡の薄ガラス越しに目を細める番だった。

「もう良いの?」

随分ゆっくりと歩いていた。
館内にある順路を見たいものからではなく、それこそ順番に歩いていたが、その速度は牛よりも遅いと言っていい。
元よりマイペースな作は良いとして、歩幅も違う崎代は、黙って作の歩幅と自身の歩幅を考え、調整していた。

「良いよ。……またね」

満足したような返答だが、その声音は名残惜しい色を乗せている。
現に、ジュゴンも水槽の隅まで作を見送っていた。
まるで、離れ難いとでも言っているようだ。

歩幅の小さな作に合わせて歩く崎代は、ゆらゆらと歩く速度に合わせて揺れる作の手を取る。
自分の手にすっぽりと収まるその手は、ガラスに触れていたからか、妙にひんやりしていた。

「何?」
「こっち。俺こっち行きたい!」

今の今まで、順路通りだっただろう、と作の眉が歪められた。
それでも崎代の声は弾み、こっち、と作の体を引き寄せ、こっち、と指を差す。
その指の先を見た作は、顎を突き出すように首を捻り、出入口前に立てられた看板文字を読み上げる。

「アート、アクアリウム」
「すごいキレイってネットに書いてた!」
「何でそんな、デートマニュアル的なサイトを見てるの崎代くん」

ネットと言いながら、手を握っていない方の手で、ポケットから携帯端末を取り出す崎代。
手帳型のケースに収まった薄型端末は、煌々と画面を光らせ、そのサイトを映し出していた。
そのサイトを上から下へと流すように見た作が、温度の下がった声を上げても、嬉しそうに笑うばかりだ。

結局は、握られた手を引かれるままに、そのアートアクアリウムが設置された通路へと向かう。
通路を通って行くと、拓けた場所に出る。
そこは、水族館らしい青よりも、目を引くような赤や、まるでライブ会場で見かけるペンライトの色で溢れていた。

視線を動かした作は「はぁ……」と困惑したような息を漏らす。
それを予想していたのか、崎代は曖昧に笑って見せるだけで、歩き出した。

青で、落ち着きのある水族館というイメージを変えるような場所だと作は思う。
ギラギラとしたショッキングピンクの光が眩しく、無意識に目を眇めている。

まるでカットダイヤモンドのような形の水槽の中で、真っ赤な金魚が優雅に泳いでいた。
四方八方どこから見ても水槽の中身を覗ける、真四角の水槽でも沢山の金魚がまるで通勤ラッシュ時の電車内のような状況で泳いでいる。

水晶玉のような水槽の中、上下を入れ替わるように泳ぐ金魚を覗き込み、作の表情が薄くなっていく。
ジャングルジムのように全方位透明な水槽が重なっているものや、金魚鉢のような形をした水槽がシャンパンタワーのようになっている水槽もある。

どれもこれも、普通の水族館という概念を覆すような造りだ。
勿論それは水槽だけではなく、館内のどこよりも照明を落とし、ペンライトのような明かりをしようしていることも含まれる。

壁を見る作は、埋め込まれた水槽の中、プロジェクトマッピングで映し出された日本庭園の中、まるで空を泳ぐように目の前を行き来する鯉を見た。
まるで、ファンタジーだと思う。
幻想的と言えば良いのだが、そう表現するには作の心根は些か捻くれている。

大きな長方形の水槽を覗き込む作の顔は険しい。
思考の海に飛び込んだのか、いつの間にか離された手にも気付いておらず、これはあまり好きじゃない、と一人でに首を振る。
長い前髪が視界に入ったり外れたりしていた。

幼少期、作は水族館にいる魚達が可哀想だと称したことがある。
まるで箱庭のようなそこしか知らず、狭い檻の中に閉じ込められて泳ぐ魚が哀れで堪らなかったのだ。
否、本当にそれが箱庭だとするならば、本人ならぬ本魚達には幸せ極まりない話なのだが。

しかし、そんな幼少期を持つ作でも、水族館が好きだ。
静かで青の空間と、本来なら見れない水の中の世界がそれこそ、神秘的だと思った。
幼少期のような可哀想という哀れみは、目の前の金魚にこそ向けるものだと、成長した作は考える。

水族館の魚達は良く言えば飼育されているのだ。
否、飼育しその姿を見せ観察のためにいると言って良いだろう。
だと言うのに、目の前の水槽は、如何に美しく魅せるかだけに視点を置かれている。
生き物を芸術に昇華させる、というアートアクアリウムは悪趣味だ、というのが作の答えだった。

「見せると魅せるじゃ訳は違うし。もっと言えば極論、見目の良い人間がいたら生きたままホルマリン漬けして良いのと同じだね」

コツリ、小さなガラス片のような爪が、水槽を叩いた。
ぼんやりとしていたが、独り言を言っているつもりはなく、返答がないことに、作がやっと顔を上げる。
首を振るように、左右にキョロキョロ。

「崎代く、ん」消え入りそうな呟きは、目の前の水槽にぶつかり、作が眉だけではなく顔を歪めた。
水槽越しに、呼び掛けた相手がいたのだ。
人懐っこいような笑みを浮かべ、手の平をしっかりと水槽に当てて、作を見ていた。
その間を泳ぐ金魚には目もくれない。

いつの間に、と溜息を吐いた作は、一度目を合わせるとゆっくりと歩き出す。
両手は着込んでいたパーカーのポケットに突っ込んでいた。
水槽をぐるりと回って、崎代と合流することにしたのだ。

だと言うのに、崎代本人は動くことなく、水槽越しに横を向いて歩き出す作を見ている。
愛おしそうに細められたアーモンド色の瞳は、三日月のように弧を描く。

「キレイだけど、作ちゃんの好みではなかったかぁ」

間延びした声がぽつり呟く。

「俺は結構好きなんだけど」

水槽の透明度の高いガラス越しに、作に触れてみる。
作がジュゴンに対してしていたように。
慈しみを持って、愛おしげに指を動かしてみるが、作はジュゴンの時と違い振り返らない。

残念だなぁ、と演技掛かった動きで肩を竦める崎代は、それでも一心に作を見た。
紫の光が水槽の仲で屈折し、幻想的に揺らめき、ゴポリと水の音が聞こえて来そうだ。
光る水の揺らぎの中で歩く作は、まるで泳いでいるようにも見える。

そう、それこそが――。

「……まるで、人魚みたいだね。作ちゃんは」
「何か言った?」

水槽の周りを歩いて合流した作の顔は未だ険しく、声にも棘があるように感じる。
鼻筋に沿って落ちていく眼鏡を押し上げながら、勿体ぶるような間を挟む崎代は、柔らかく、甘く、笑む。

「なんでもないよ、作ちゃん」

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