第一話 萎えた心
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……青過ぎる空。風が吹く丘。自分の双眸には、緑々とした草原が映っていた。
「……どこだよ、ここ」
都内の制服に身を包み、鞄を胸に抱えた俺は数時間前までの出来事を思い出す。
9月8日。 新学期が始まり、就活が現実視され始めた高二の夏。
「やっべ! 進路希望の紙、まだ書いてねェよ」
「おい神原。お前書いたのか?」
神原真也。 俺の名前。
「神原! 聞いてんのか?」
「あぇ!? あ、ごめん……何?」
「チッ……いちいち腹立つ奴だな。もういいよ」
「ご、ごめん……」
クラス内ヒエラルキーの一番下。
それが俺。
中学から遠く離れた土地に移り、これでもう誰も俺をいじめるやつはいないと思った。
だが、入学式の日。俺は現実を知った。
「神原ってお前だろ? いやぁ俺の友達がお前と同じ中学でさぁ……ってこんな話はいいか。はは……実はさ、俺今金に困ってんだよねぇ」
同じクラスの志賀サトシとの、ファーストコンタクトだった。
そこから先は簡単なもので、噂が噂を呼び結果として俺は今、志賀とその取り巻きの進路希望調査の紙を書かされている。
「くそ……なんで俺がこんなことを……」
「んじゃそれ、帰りまでによろしくねェーん。お前らー便所いくぞー」
志賀は乱暴にスライドドアを開き、開けっ放しで厠へ行った。そのままトイレに流されたらいいのに。
開け放されたドアから担任の体育教師が入って来た。
「あ……おい、『また』か神原! 『プリント』は原則家でやれって、いつも言ってんだろう? ったく、何回言やぁいいんだか……」
さも、担任してますと言いたげに言い放す。
いまの、何回言やぁいいんだか。で分かるように、提出物の『代筆』は俺にとっても周囲にとっても日常茶飯事なのだ。
「腹立つな…はげ」
……と、小声で悪態を吐く。
だが、小声ではげに反撃される。
「嫌なら、学校辞めてもいいんだぞー……」
「……」
虫以下の担任だな。
ん? なんで担任に他人のプリントを書いてる状況が知られているのかって?
俺への、いや、クラス全体の暗黙の了解だからだ。
俺がプリント代筆をしているのは当たり前。
俺が志賀から暴言を吐かれるのは当たり前。
俺が担任から見て見ぬ振りをされるのは当たり前。
……俺がクラスから孤立するのは、当たり前。
だから俺は教室という現実を見放し、捨てることにした。
だから俺は友という選択肢を無くし、孤立を選んだ。
……放課後。
「じゃあな神原! あとよろしくう」
「チッ! いまんとこ皆勤賞だな」
この学校はクラス替えが無い。故に三年間、放課後の掃除当番が志賀になる事はない。
志賀の代わりにやってるのは俺だからな。
俺は毎日が掃除当番。本来週替わりのはずだけど。
だから皆勤賞なのだ。
教卓の前に居座っている女子たちが俺を横目で見ながら話していた。
「神原ってさ……もはや志賀君の使用人だよね」
「わかる、てか、使用人っていうか、下僕だよね!」
「奴隷の方が近いんじゃなぁい?」
きゃははという黄色い声が、俺にはどす黒く聞こえて仕方がない。
「てかさぁ神原。お前何見てんの?」
「キモいんだけど。視界に入らないでくれない?」
「せんせー。神原が視姦して来まーす」
女子が視姦とかいうんじゃないよ!
全く、最近の子はこれだから困る。
くらいにしか思わなくなっている自分がいる。慣れてしまったのだ。
その後、担任が俺を『怒るふり』をしながら、俺の脳天に拳が落ちて来たのは言うまでもない。
17時。俺はこの時間帯になるとやっと帰路につける。
掃除の後に部活の手伝い、生徒会の手伝い、更には先生方の手伝いをして俺は帰る。
なぜそんなに沢山のことをするかって?
確かに代筆と掃除は嫌々やらされているが、部活の手伝いと教師陣の手伝いは俺が進んでやっている。
部活の手伝いとは、テニス部員の対戦相手、陸上の機材修繕と言ったところだ。
生徒会にいたってはただの書記、たまーにイベント事の運営補助に回ったりする。
先生方の手伝いはただのプリントのコピーや運搬をしているだけだ。
俺は昔から器用貧乏で困ってる人が見過ごせない。助けを求められれば大抵のことにはイエスと答えるようにして来た。
で、結果がコレ。
なんでもソツなくこなす故に周りからは便利屋として扱われている。
「ふー疲れた……」
学校出て徒歩で約30分、街路樹が美しく並ぶ道を一人で歩く。道の両脇を森に挟まれた通い慣れたこの道。
ほぼ毎日こんな生活を送っているため、精神的にかなり参っていた。
そして、なにを思ったか俺は、
「たまには違う道行ってみるか」
いつもの道から離れ、脇にある森に入ってしまう。
あ、こんなところに獣道があったのか。
草が倒れただけの通り道だが、どこか魅力的に見えてしまう。これが自然の力……?
なんて、中二チックな言葉が頭に浮かんでくる。
……しばらく歩くと陽の光が円く差している場所に出た。陽光を避けるかの様に木々が湾曲して生えている。
そこはまるで、童話の中に出てくる妖精の踊り場の様で目を奪われる。
「すごい……こんなの初めて見た……」
風の音以外なにも聞こえない。そのお陰か目の前の神秘の事しか考えられなくなる。
「誰かが整地したのかな……」
日々のストレスなんて、どうでもよくなる。
__prrrrrr!!!
「わぁ!? あ、携帯……?」
突然の電話に驚き、咄嗟にスマホを取り出す。
「うわ! なんだこれ」
[着信] 母 19:00
[着信] 母 19:30
[受信] 母 20:00
[着信] 母 22:00
この下にも3、4件着信がある。
そして驚くことにスマホの画面にはデカデカと22時37分と記されている。
「22時!? いやでもまだ太陽が……」
……出ている。目の前の妖精広場にはしっかりと太陽光が降りてきている。
俺の頭には『神隠し』の言葉が浮かびつつあった。
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