瞳に、酔う
「あっ、と。じゃあ……バーボン」
必要以上におどおどとしながら、マスターに注文をする。カクテルなんて洒落たものは分からなかった。
――初めてジャズバーに入った。カッコつけてみたかったのだ。結局は店の雰囲気に呑まれて、しどろもどろになってしまっているが。
「どうぞ」
音もなく、カウンターにグラスが置かれる。どうも、と小さく会釈して手に取った。二重構造のグラスの中に、丸い氷と琥珀色のウィスキー。
しまった。なんとなくイメージで頼んでしまったが、バーボンなんて飲んだことがない。だが、ここでもたついていては初心者だとバレてしまう。それはカッコ悪い。
堂々としていればいいんだ。そう意を決して、一気に煽る……!
「ぐっ、ゴホ! ゲホッ!」
なんだこれ? 喉が焼けるように熱い。そのくせ、胃は氷を流し込まれたように冷たく感じる。
「……ダメよ、そんな飲み方したら」
右隣から優しく諭すような声。咳き込みながら視線を向けると、赤いドレスを着た女性が、一つ開けて隣の席に座っていた。
「あなた、こういうところ初めてでしょ?」
図星を指され、恥ずかしさを覚える。ようやく呼吸が落ち着いてきて何か言葉を返そうとしたが、何も思い付かず結局押し黙ってしまった。
「あぁ、バカにしているわけじゃないの。ただ、お酒は楽しく飲まなきゃ。……マスター」
彼女がマスターに何かを伝える。すると、俺の前に小皿が置かれた。
「これは?」
「このお店特製のビーフジャーキーよ。バーボンを飲むなら、これが一番」
そう言って、食べるように視線で勧めてくる彼女。
「……」
突っ返すのも変だと思い、厚意に甘えることにする。ジャーキーを口に運び、次いでバーボンをちびりと喉に流し込む。
「あ」
思わず声が漏れた。さっきと全然違って感じる。なんだろう、少し甘くなったような……。
「……気に入ってもらえたかしら?」
彼女が微笑を浮かべ、下から覗き込むようにこちらを見てくる。その、どこか子供っぽい仕草にドキッとした。
「え、えぇ。ありがとうございます。……あ、そうだ、お金」
「いいわよ、そんなの。それじゃ、私そろそろ出番だから」
彼女は席を立とうとして、
「あ、マスター。『アイ・オープナー』を」
そう、マスターに注文した。
「……それじゃあね。気が向いたら、また来て」
「え、ちょっと?」
頼んだものはどうするんだ? そう思ったが、強く呼び止めることも出来ず、彼女は店の奥に行ってしまう。
「どうぞ」
残された俺の前に、マスターが小さなグラスを置いた。薄い黄色のお酒――カクテルだろうか?――が注がれている。
どうするべきか迷っていると、店の照明が落ちた。すぐに店の奥が照らし出され、赤いドレスに身を包む女性が、闇の中で唯一輝いているように浮かび上がった。
不意に音楽が流れ始める。彼女は閉じていた瞳をすっ……と開き、マイクにその唇を近付けた。
「――――」
アンニュイでスモーキーな歌声。後で調べたところ、そのように形容するらしい。
耳元で囁かれているような、深く心地よい声が、耳朶に染み込む。
「……カクテル言葉ってご存知ですか?」
「え?」
マスターから急に声を掛けられ、やや動揺する。振り返って彼を見ると、何故だか少し上機嫌な様子。
「いえ、知りません……花言葉みたいなものですか?」
「はい。カクテルにも花や宝石のように、それぞれ意味があるんです」
マスターはそこで、俺の前に置かれたグラスに視線を送る。彼女が頼んだ『アイ・オープナー』。
「調べてみると、存外面白いものですよ?」
やはり上機嫌に微笑みながら、マスターはグラスを磨く仕事に戻って行く。
「……」
俺はもう一度、店の奥に視線を遣った。彼女の艶やかな声と表情に魅せられながら、『アイ・オープナー』に口を付ける。一瞬、彼女の瞳がこちらを見た……気がした。
芳醇で甘い香りが胸の中で広がり、俺は次第に、酔っていった。