ゴブリン退治
風が流れて、周囲の木々がさわさわと音を鳴らす。俺は今、森の中にいる。
【サヴァン森林】
都の近くに存在するこの森は、規模こそ大きくないが豊かな実りをもたらしてくれる採取指定区域に設定されている。採取物として山菜や木の実等だが、特に有名なのはジバ鶏だ。脂がたっぷりと乗ったその肉は都の食堂では重宝されている。煮てもよし、焼いてもよし、揚げてもよし。どんな調理法にも合い、更に値段も手頃ときている。飼育されたジバ鶏が主流だが、何よりもうまいのが野生だ。
「野生のジバ鶏、考えただけで涎が出そうだよ」
俺の隣で危ない目つきをしながらニヤニヤしている女。黒いボブカット。青を基調とした衣服に、軽鉄の胸当て。下半身はショートパンツに黒のスパッツといった動きやすい格好をしている。そいつを横目で見ながら、思い切り右手を振り抜く。
「ギギっ!」
握られていたショートソードが血に濡れる。喉を斬られたゴブリンが一匹、うめき声を上げて仰向けに倒れた。倒れたそいつの後ろには、複数のゴブリンが見える。どいつもこいつも、手には木で作られた槍や、ボロボロの剣や斧等の武器が握られている。
「涎を出す前にやる気を出せね?俺ら囲まれてるんよ?あと、ここ国の土地だからジバ鶏いても狩猟禁止だからね?俺達許可貰ってないんだからね?」
俺が声を掛けると、女・・・アスティアは翡翠色の眼を輝かせ、ニヤついた表情のまま腰の剣を抜いた。いつ見ても綺麗な剣だと思うそれは塚の部分に美しい銀細工がされており、刀身と持ち手を繋ぐ羽のような形状鍔がある。そして鍔の中央にはめ込まれている宝玉が、日の光を反射して何とも言えない輝きを放つ。
「よいしょ!」
アスティアが動く。流れるような動きでゴブリン達の輪に入り込み、一番近い個体を斬り付けた。走り込みの勢いを込めた一撃でまず一体。そのまま、更に後方の個体に接近し一撃を振るう。
「ギアっ!」
ゴブリン達も黙っていない。知性はあるが、元々本能の方が強いのだろう。同族を殺したアスティアに向かって、一斉に反撃を始める。全部で7体。
「そのまま適当に斬ってくれよ。周りは俺が撃っとく」
「わかった」
アスティアは俺の言葉に短く返事をし、剣を振り回す。2体目のゴブリンを斬り倒し、右側にいる個体に向かう。錆びた鉈とアスティアの剣が鍔迫り合う中、俺は左手に装着された器具を展開する。籠手型短弓だ。腰の筒から矢を取り出し、つがえる。
「らっ!」
気合いの入ったかけ声と共に引き絞った弦から指を離す。矢は瞬時に放たれて、アスティアの背後のゴブリンに突き刺さる。悲鳴を上げるそいつは放っておき、新しい矢をつがえて別の個体を狙い、撃つ。それを繰り返す。俺の役目はアスティアのフォローだ。数で負けているなら、まずは残りのゴブリン達を攪乱する。
「私に当てようとしてない?してるでしょ?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?何でそんなこと言うの今?」
鍔迫り合いを制し、2体目を仕留めたアスティアは俺に心外な言葉を放ちながら、木の槍で襲いかかるゴブリンを迎え撃っていた。俺は展開していた籠手型短弓を閉じ、腰のショートソードを片手に握り距離を詰める。
「せいっ」
気合いと共に振り抜かれたショートソード。矢を射られて弱っていたゴブリンの喉から血が吹き出る。更に近場で足に矢を受けていた個体の胸にショートソードを突き立てる。これで2体。残り3体、いやアスティアが槍ごと相手を叩き斬った。これで残り2体だ。
「ギギアっ」
「ギ!」
この状況に焦ったのか2体のゴブリンは俺目がけて特攻仕掛けてきた。2体同時の攻撃。しかし、俺は間髪入れずに後方に下がる、身体は奴らに向けたまま。バックステップというやつだ。ゴブリン達は距離を詰めるも、攻撃に移れない。
「後ろから失礼」
攻めあぐねているゴブリンの腹から剣を飛び出す。アスティアの見事な背後刺撃が決まった。同志が倒れたことで動揺した最後の1体。俺は素早く短弓を展開し、矢をつがえ放った。
「ギギィっ!」
矢は眉間に命中し、ゴブリン退治は終了した。
〇
「お疲れさんです。いんや、ほんと助かりましたわ」
森林から出た俺たちは木造の小屋にいた。10畳程の空間には同じく木で出来た丸テーブルに少し歪な椅子と、最低限の生活雑貨が置いてある。小屋の入り口付近に設置されている看板には、【サヴァン森林管理所】と記されている。
俺とアスティアは、壮年の管理人さんと向かい合う形で丸テーブルに着いて依頼達成の話をしていた。
「大変でしたね。でも管理小屋はよく無事でしたね?ゴブリンが人間を見たらまず襲いかかってくるんじゃないですか?」
「そこはほら、曲がりなりにも国が管理している区域ですからね。この建物内にはいざという時の結界魔道具があるんですわ。規模は小さいですが、小屋の周囲位でしたら何とか覆えるんですよ」
管理人さんの話では機能森林内の様子を見るための日課の散歩をしていた際、妙な足跡を発見。足跡を辿ると、食い荒らされた木の実や貪られたようなジバ鶏の死体があり、慌てて小屋に引き返した。小屋に戻る途中、ゴブリンに遭遇し間一髪で小屋に辿り着き結界魔道具を起動。籠城に成功した、ということらしい。
「あとは通信盤で騎士団に連絡して救助と討伐を待った、ってことだね」
隣に座るアスティアは呑気に笑って尋ねる。まったくこの娘はもっと言葉遣いをしっかりしないとその内苦労するって言ったのに。そういった俺の心配等意味もなく、アスティアは管理人さんと話を続ける。
「精霊脈が生きてたんでね。そんなに深刻ではなかったんですよ。水に火、明かりも問題なく使えましたし。まあ、ゴブリンが気になって、夜に明かりなんて殆ど付けていませんでしたがね」
ことの発端は簡単。俺たちは通りすがりの冒険者で、とある依頼を済ませた後にアスティアの「近道だ!ちょっとだけ通らせてもらおう!大丈夫、大丈夫!」という提案に流されて森林を突っ切ろうとしていたわけだ。その際に森林内をうろついているゴブリン達と遭遇し成り行きで退治した・・・というわけだ。その後管理小屋にいた管理人さんを発見、今に至る。
「いやはや、しかし本当に助かった。やっと生きた心地がしましたよ。落ち着いてお茶を啜れるのがこんなにありがたいとは」
「ですね。まぁ、昨日通信したってことはもうすぐ応援がきますよ」
しかしまぁ、生活精霊脈が生きていたのは不幸中の幸いだな・・・お、アスティアの眼が輝いている。こいつの狙いが何となくわかる。4年の付き合いは伊達じゃないな我ながら。考えているうちに、彼女は嬉々として質問を投げかける。
「そうだよねぇ、落ち着いて飲み食いできるって素敵なことだよねぇ。ねぇねぇ、精霊脈が生きてるってことは、台所は使えるってことだよね?」
「え?ええ、特に問題はないと思いますが」
その言葉を聞いたアスティアは、とびきりの笑顔を見せて立ち上がり、管理人さんに言った。
「どうせならお茶だけじゃなくて、美味しいもの食べようよ!ってことで、お昼ご飯作るから台所貸して!」
〇
「で、何をすればいい?」
目の前には青いエプロンを身につけたアスティア。その眼が見つめる先には、調理台に置かれた食材達。管理小屋に備え付けられた台所は大きくはない。流しの左横に申し訳程度の調理スペース。右横に一口の火精鍋があるだけだ。限られたスペースに置かれた食材も、多くはない。
ハーブであるバルシとロエンテの葉。そして、ジバ鶏の腿肉の切り落とし。それだけだ。
ジバ鶏は野生ものだ。管理小屋の食料庫に保存されていたものを融通してもらったのだ。まあ、アスティアから言い出したことなのだが、管理人さんは二つ返事で了承してくれた。
「いやー、話のわかる人でよかったよ」
「いや、命を助けた直後に『野生のジバ鶏のお肉って美味しいんですよねー?』なんて言われたらまず断らないだろう。しかも涎を垂れ流しながら」
アスティアの後ろで食器を出しながら俺が言うと、彼女は全く悪びれず笑顔を見せている。ああ、この笑顔は『美味いもの食えるんだから黙ってろ』の意だ。こと食事になると一気に肉食系になる。普段の人付き合いは草食どころか断食系の癖に。
「いいから準備しておいてよ。手早く出来る料理だからね!」
そして調理が始まった
●
木製のまな板上で、ジバ鶏の肉にフォークで穴を開ける。肉を柔らかくして、更に火の通しをよくするためだ。処理を済ませたら次は肉をバットに入れて塩と胡椒を振りかける。目分量だが、味をしっかりつけるために気持ち多め。
「よしよし、いい感じじゃないかさ」
バット内の肉にヴァシロとロエンテの葉っぱを細かく刻んだものをまぶし、手で押す。浸透、浸透!さて、次の工程だ。といっても今回の料理は簡単。何しろ、あとは焼くだけ!私の目は、平行して火霊鍋に準備してあったフライパンに向かう。
「ギガファイアー!」
炎熱系上級魔術を嘯きつつ、クレアオリーブオイルを敷いたフライパンに肉を投下。そっと、そっとね!するとどうだろう。ジュジュジュと素敵な音がしてきたんじゃないですか?してきましたねこれは?香りもフワフワ漂ってきましたねー?
「火加減に気をつけてー、こんがり焼き目がついたならー、ひっくり返して蓋をするー」
うん、乗ってきた。蓋をしたら後は蒸し焼きだ。閉じ込めるよー、美味しい香りを!
「この位かなー?蓋を開けましてー?」
パカリとフライパンの蓋を開けると、同時に開放される香ばしい匂い。空腹中枢が刺激される。出来たー!
「ジバ鶏の香薬草焼き、完成!」
○
「いっただっきまぁーす!」
「すみませんね、私までいただいてしまって」
「何を言ってるんですか。野生のジバ鶏が食べられるのは管理人さんのおかげなんですから」
勇んで肉をフォークとナイフで切り分けるアスティアを横目で見て呆れつつ、俺の嗅覚にも素晴らしく食欲をそそる匂いが流れ込んでくる。レアバジルの独特な香りが、肉と風味と混ざり合あっている。美味そうだ。いただこう。
頭の中でゴーサインを出してからは早かった。目の前にある魅力的な鶏肉にフォークを刺し、ナイフで一切れ切り分ける。純白の肉から脂が一滴落ちる。たまらぬ!いただきます!
「ぬぅ!」
「いやぁ、美味しいですね!」
口に入れた瞬間、肉汁が溢れる。レアバジルのほんの少しの苦みと野生のジバ鶏の肉の甘みが調和して、たまらない。うまいぃ!
「うまい!」
「だろうが!」
俺の様子を見てどや顔のアスティア。既に肉と一緒に、パンを頬張っている。これも管理人さんが出してくれたものだ。表面が堅く、中はふっくらしているヴァモスパンだ。輪切りにされたそれに、切り分けた肉を挟んでモシャモシャと食べるアスティア。うん、合いそうだな。俺も!
ヴァモスパンの味は、ほぼないと言っていい。作る過程で、ほぼ素材味付けを行わないため、素材であるヴァモス麦の味が主張される。そして、ジューシーかつ、香り立つ肉と同時に口に含み、噛んだときの味が、たまらぬ!
「うまいぃ!」
「だろうが!そうだろうが!」
俺とアスティアのあまり行儀が良いとは言えない食事。ふと、目を向けると、管理人さんがニコニコと笑っている。慌てて口元を隠して軽く頭を下げる。いかん、飯を食うとテンションが上がってつい外面を忘れてしまう。
「いやいや、よいものですね。こういった食卓というのは。私も週末には家に戻っていたのですが、今週は帰れなかったですからなぁ。少し恋しくなりますね」
「何だ。そんなこと?もう解決したんだし、慌てなくてもすぐ会えるって」
アスティアの飄々とした物言いに少し呆れながら、俺も同意見だ。管理人さんの顔を見て頷く。それに管理人さんも笑みを返し、肉を一切れ口に放り込んだ。
〇
「それじゃ、早く家族のとこに帰ってね!」
「アスティア、言葉遣い。それじゃ、スミスさんお気を付けて」
俺とアスティアは管理小屋から離れた林道にて管理人、スミスさんに別れを告げていた。
「いやはや、本当にありがとう。ゴブリンの件だけじゃない。美味しい食事だったよ。レシピももらってしまって、すまないね」
レシピって程のものじゃないけどね。そう言うアスティアはカラカラ笑っているが、スミスさんはそれを穏やかな表情で見ている。
「これを持って行ってください。個人的なお礼です」
不意に、俺の所へ歩いて来たスミスさんが葉包みを差し出した。
「これってひょっとして、ジバ鶏の切り落とし?」
「野生の、ね」
スミスさんの和やかな返事にアスティアは飛び上がり、俺は頭を下げる。冷静を装いつつも、今日の夕飯のことを考えると俺の胸は高鳴り、涎が口の中に溢れていた。
■
「なるほど、確かに結界魔道具が壊れている・・・しかし」
【サヴァン森林】の中央に設置された結界魔道具が壊れた。そのため今回ゴブリンが森林内に侵入したと考えられる。
「壊れた、ではなく壊された・・・か」
そう考えて、自分の足元のものを見る。そこには、真っ二つにされた結界魔道具。刃物で切り裂いたかのような綺麗な断面図だ。
「団長、こんな所にいたのですか。少々よろしいでしょうか?」
「何だフェリオ。ああ、そちらが管理人の」
「スミスです。いやはや、騎士団長殿にご足労願うとは、申し訳ない」
部下の後ろから現れた壮年の男は頻りに頭を下げるが、落ち度はそもそもこちらにある。
「いや、我々は事後処理をしているだけだ。昨日来た冒険者達が賞賛されるべきだな」
そう。我らが到着する前に通りかかった冒険者が居座ったゴブリン共を退治していたのだ。簡易結界があったとはいえ、魔物相手・・・火急の解決が望ましい。出来れば彼らには直接礼を言いたいものだが。
「スミス殿、その冒険者達の名前はわかりますか?」
「男性の方はわからないのですが、女性の方はアスティアさんと言いましてな。いや、気さくで面白い方達でしたよ・・・おや?団長殿?」
スミス殿が怪訝な顔で私を見るが、今はいい。アスティア、その名前が問題だ。
「おやおやぁ、面白い巡り合わせってやつだね。ねぇ、団長」
声は私の前方。スミス殿の背後からだ。眼を見開いた私の視線の先には、いつの間に現れたのか一人の男が立っている。スミス殿も気がついたようで慌てて振り返り、そして更に慌てる。
「おお!貴方はひょっとして・・・!これは嬉しいですな!私、勇者殿とお会いするのは初めてですよ!」
海のように蒼い頭髪のマッシュルームカット。薄い水色の外套を着こなした男はスミス殿に軽く会釈をしてから、軽薄な笑みを浮かべる。そして金色のブレスレットがはめられた右手をスミス殿に差し出した。
「何を仰るジェントル。貴方は既に勇者に会っているではありませんか」
握手をしながら笑顔で告げる男に、眼を丸くするスミス殿。
「第12勇者アスティア。末席ですが正真正銘の勇者ですよ?そして僕の最も尊敬する先輩でもあります」
「全く、定例会にも呼ばれない落ちこぼれ殿は気楽に生きているようだな」
今回のゴブリンの事件を含め、魔物の活性化を感じさせる事件が各地で目立ち始めている。そのため我ら騎士団も対応に追われ今回到着が遅くなってしまったが、まさか彼女に借りを作るとは。
「まあまあ、それよりもロア山の方でドラゴンの目撃情報があったってさぁ。しかも、ヒドラ種のねぇ」
軽薄な笑みを浮かべて近づいてきた勇者殿は、耳打ちするように私にそう伝える。まったく笑える話ではないとうのにこの男は・・・しかし、今はいい。まずは対処だ。
「私は彼とロア山に向かう。フェリオ、事後処理はお前に一任する」
優秀な部下はそれだけ聞くと『了解しました』と実に訓練された返事を返してくれる。問題ないだろう。私はすぐに歩き出す。ロア山までは騎士団の竜馬車で3時間あれば到着する。装備、人員共に問題ない。後方では助けてもらった相手が勇者だったことに驚く声と、それに対応する部下の声がするが、構わず進む。
「あーあぁ、アスティア先輩に会えてたら一緒に行ってもらえたかもしれないのになぁ」
「私とお前がいれば問題ない。時間が惜しい、急げ」
「おぉう、ヒドラ種は最低でも一個師団での討伐が基本だってのにねぇ。騎士団長様は剛毅だねぇ。まぁ、実際僕一人でも事足りるけどねぇ」
ヘラヘラ嗤いながら着いてくる勇者と共に、私は歩を進める。落ちこぼれの勇者など今はどうでもいい。モンスターの活性化、早く原因を解明せねば。
「・・・まだ“あの男”と一緒にいるんだねぇ、先輩。まったくぅ」
そろそろ返して欲しいなぁ。
隣で呟かれた感情の消失した声を聞きながら、私は溜息を吐く。ああ、勇者にまともな奴はいないのか・・・