90 白狼の巫女
ここは、ブリーリバー、オールコック邸の食堂。俺を含めた3人の男とひとりの獣人の女性が大きな白いテーブルを挟んで着席していた。
目の前にフレイム、フレイムの横にダスティン。俺の横に幸介という席順だ。フレイムが俺と幸介を見比べながら話しはじめる。
「妾が巫女の血を引いているのはすでに伝えたが、妾には癒しの力ともうひとつ別の力があるのじゃ」
語りだした内容が何のことか分からず、幸介、ダスティンと顔を見合わせる。
もうひとつの力? 巫女が起こす奇跡とかだと神託とかかな。でもそれがどんな役に立つのか。
「おう。力ってどんなやつだ?」
唐突に不思議なことを言われて首を傾げていた俺と幸介をよそに、ダスティンがストレートに聞く。その声に応える形でフレイムが横にいたダスティンの方を向く。頭の上の耳がぴくぴくと動いた。
「話しても信じてもらえんかもしれんので、実際におんしにかけてみてもいいかの?」
「うん、俺にか? なんか面白そうだな。やってみな」
ダスティンは軽く答えて白い歯を見せた。フレイムが席を立ちダスティンの後ろに回る。そして、ニャーロクたちを治したときと同じように後頭部のあたりに掌を翳すのかと思ったが違っていた。
フレイムはダスティンの後ろに立ち、両方の掌で両側から頭を持つよう形を取った。手は頭には触れてはいない。5センチくらいは離れている状態だ。
ダスティンが何事かと後ろを振り返ってしまい、胸を張って姿勢を正したフレイムに『おんしは前を向いて目を閉じていてくれ』と注意される。
怪訝そうな表情をしたダスティンだったが、大人しく言う通りにすると、フレイムが目を閉じて、詠唱をはじめる。俺と幸介は何がはじまるのかを興味深く見守っていた。
「我は白狼の巫女。虚像と幻影の彼の方よ。彼の者の罪を贖い摂理に背く理を見せたまえ」
二度、三度と詠唱を続けるフレイム。最初のうちはダスティンの表情も普通であったが、というかどちらかというと口元が緩んでいるように見えたが、三度目の詠唱でダスティンの様子が激変した。
椅子が後ろに倒れるほど勢いよく立ち上がると大声で叫ぶ。
「ダン、生きていたのか!!」
叫んだと思ったら机を超えて幸介のところに突進し、そのまま飛び付くように抱き付いて幸介と一緒に床に転がった。
「うわっ。おい、こら。おっさん。何してんだ!」
「ガハハハハハハハ。それも懐かしいな。うっ……」
ダスティンは溢れだす涙を気にせずに幸介の顔を両手で掴んだり、肩を揺すったりしていた。
えっ。何が起こったの? これって催眠術みたいなもの? 驚いた俺は号泣するおっさんに抱き付かれてそのまま床に倒れてキレそうになっている幸介を見てから、成功してほっとした様子を見せたフレイムに視線を移して尋ねる。
「幻でも見せたんですか?」
フレイムは大きく頷いた。
「そうじゃ。今、ダスティン殿には幸介殿が昔の親友か戦友に見えているのじゃろう。妾も何が見えているのか、内容まではわからんのだがな。これが妾のもうひとつの力、幻術じゃ」
「幻術……」
そうか……。フレイムは蛍にこれをかけて戦わせようとしているのか。蛍に昆虫たちを他の敵か物に見せてあの状態から解き放つ。確かに幻術ならそれが可能かもしれない。それでレウに術をかけていいかどうかの許可をもらうために俺に話したわけか。
全てが繋がった。やはりフレイムは蛍のぎこちない笑顔の意味を分かっていたのだ。
「フレイムさん、これを使えば、ほたるが戦えると思っているんですね?」
「そうじゃ。上手くいけば昆虫ではなく、他のやつらとの戦いになる。相手が何かは、ほたる殿次第なのじゃが、虫けらにはならんじゃろ。……妾は戦闘能力もなく取り柄もないのじゃが、なんとか父上の仇討ちの戦いに参加させてもらえんかの」
確認すると、やはり思った通りであった。フレイムは自分に何かできることはないかと考え、蛍の様子を見て幻術を使えばあるいはと思った上での今回の行動だったのだ。
レウたちがどう思うかは分からないが、話す価値があることだ。それに自分では取り柄がないと言っているが、フレイムには回復の術がある。
前線で剣を振るうだけが戦いではなく、今度の戦いはどう考えても大がかりなものになる。レウたちほどではないにしろ回復の術を使えるフレイムが戦場にいれば、心強い味方になるはずだ。
「分かりました。レウさんたちに話してみますよ。それで、この術はどうやって解くんですか?」
「うーん。それが妾にも分からんのじゃ」
だめじゃん。ずっと幻の中のままなの?
フレイムはペロッと舌を出した。『「てへぺろ」はそうじゃないですよ』と思ったが、それは言うのをやめて、逃げようと暴れる幸介に抱き付いたまま完全に抑え込んでいるダスティンに視線を送った。
仕方がないので号泣するおっさんが幸介に抱き付いているのを放置して、しばらくフレイムの父の思い出話を聞いていた、というか聞かされていた。
その内容は、ベック・ハウンド城の側にはきれいな湖があってよく父と釣りに行ったものだとか、城の近くの大森林で仲間たちとバーベキューをするのを父がとても好きだったなどという、とりとめのないものであった。
その後、30分くらい経ったころ。ダスティンにかけられたフレイムの術が解けた。
はっと我に返ったダスティンは目の前の幸介の顔をまじまじと眺めてから、ふらふらと立ち上がり、ドカリと椅子に腰を降ろした。そして、それから頭を抱え込んだ。
「何してんだ。俺は何してたんだ」
ダスティンは机につっぷし、しばらくぶつぶつと呟き、ようやく開放された幸介は大の字で転がったまましばらく放心状態で、声を掛けても『ほっといてくれ』としか言わなかった。
30分かそこらの時間が経てば自然と解ける。フレイムの幻術の結論だけはしっかりと見定めた俺であった。
◆◇◆◇◆◇
「あっ。紅君。聖母様、聖母様は?」
エドワードが食堂に入ってきて、項垂れて呆然としている幸介とダスティンをチラリと見て、首を傾げながら俺に声を掛けてきた。
髪の毛が後ろに流れピタリと張り付いたようになっている。いつもの落ち着いたエドワードではなく、衣服も乱れていて、かなり焦っている様子である。
「ほたるならキャサリンたちと2階にいると思いますけど……」
「そうか。無事なんだな。良かった。レウ様たちは出かけているし、街はパニック状態だし、何がどうなっているんだ……」
レウたちが出かけている? そうなのか? と思ったが、エドワードは俺に向って言った訳ではなく、呟いただけだった。そしてすぐさま軽く頭を下げると、2階へと駆け上がって行った。
「聖母様ぁ~。どちらですか~」
2階で叫ぶエドワードの声を聞きながらも、フレイムの問い掛けが俺の耳に届く。
「あれは、誰なのじゃ?」
そういえばフレイムさんは初対面だったな。エドワードさんも気が付かなかったのか、それどころじゃなかったのかは分からないが、何も言っていなかった。
「この屋敷の主、エドワードさんです」
そう言って、エドワードとキャサリンのことなどを説明すると、フレイムはなぜか嬉しそうに笑った。
ふと視線を落とすと、フレイムのもふもふの尻尾がさかんに揺れていた。




