85 ブラウン将軍の正義
ブラッド・リメンバー陥落の報せを受けた直後、ボロ雑巾のようになった白猫の獣人ニャーロクが食堂に転がるように入ってきた。
悲鳴を上げたキャサリンが脱兎のごとく近寄り、倒れたニャーロクを抱きかかえる。
「キャ、キャサリン殿……。はぁ。は、早く、お逃げくだされ。はぁ」
「昆虫たちの仕業ですわね。こんなにされて……、可愛そうに」
息も絶え絶えの掠れた声でニャーロクは早く逃げろと言う。しかし、キャサリンは涙目になってニャーロクの頭を優しく撫でている。そこへ騒ぎを聞きつけてだろうが、フレイムが現れキャサリンとニャーロクに近づく。
「ひどくやられたようじゃな。妾に任せてくれぬか?」
「はぁ。はぁ。あ、あなた様は……。ひ、姫様では……」
ニャーロクはフレイムを知っていたようで、フレイムを見て驚き『姫様』と呟いた。
フレイムは獣帝国の、今ではもう旧となってしまったが第六軍将軍の娘であり、ニャーロクたちのような帝国民からは、姫様と呼ばれていた。特にキャット・タウンの住人たちからはフレイムは慕われていたようだ。
「フレイムさん。治せるのですか? 治せるならやってください!」
尋ねながら答えも聞かずにお願いするキャサリン。俺もキャサリンたちのところに近づき、蛍も近寄ってきて心配そうにニャーロクの体中の傷を見つめている。ニャーロクはおそらくスズメバチに刺されたのか、あちこちが大きく腫れていて、咬みつかれたあとのような切り傷も体中にあった。
フレイムはキャサリンにニッコリと笑顔を見せてから真剣な表情になり、ニャーロクの後頭部のあたりに掌をかざし、詠唱をはじめる。
「我は白狼の巫女。彼の者の傷を癒したまえ。ふんっ!」
幸介のときはわずかな火傷の跡であったが、そのときよりも早く傷が癒されていくように見えた。フレイムが漏らした最後の気合が効いているのか、種族が近いため効目が高いのかは分からないが、みるみるうちにニャーロクの体中の傷が治っていき、荒かった息遣いも整っていく。
「あんた。ほんまにそんなことできたんやな」
「ほんとね。今の癒しの術はかなりレベルが高いわね」
「まあ、うちほどやないけどな」
皆の後ろで様子を見ていたレウとラウラが驚きの声を上げた。この場にはそぐわない一言よけいな、いつものレウが一緒にいたようだけど……。
「ほんで。ニャーロクとか言うんか。話はできるか?」
「ニャーロク。ニャーロク。よかったですわ。ありがとうフレイムさん。ありがとう」
先を急いだレウだったが、キャサリンは気が付かずにニャーロクを抱きしめてフレイムにお礼を言っている。ニャーロクも『姫・様・あ』などと声を出しているのだが、キャサリンの頬ずりの勢いが凄まじくて、まともに口を開けない。
「良かったな。キャサリン」
キャサリンの肩を叩いて動きを止める。振り返ったキャサリンは、涙で顔をくしゃくしゃにしながら笑顔を見せた。金髪美少女の涙ながらの笑顔。間近で見て、これは最強だなと思う俺であった。
「もうええな。話はできるか?」
痺れをきらしたレウが、ニャーロクに向かって、再び問い掛ける。ニャーロクは丸い瞳でレウをしばらく見つめたあと、フレイムの前に傅いた。
「姫様。この御恩。ニャーロク、生涯忘れませぬ。忝いことでござる」
「ふむ。それよりも早くレウ殿の質問に答えるのじゃ。妾もレウ殿に世話になっておるからの」
「はっ。畏まりました」
レウはやれやれと肩を竦めて、俺の方になんとかしろとでも言いたげな視線を送ってきた。俺は『まあまあ』と口と手のアクションで返しておく。
「レウ殿。お待たせして申し訳ないでござる。拙者アルベール・シャルル・ニャーロクと申す者。お尋ねの内容は、敵のことでござるな」
「そうや。あんたが見てきた、経験してきたことを話してくれるか」
ようやくニャーロクに意図が伝わり、ひとつため息をついたレウ。ニャーロクはレウの前に傅いて報告をはじめた。
◆◇◆◇◆◇
「ブラウン。このあとはどうするつもり? あまり勝手なことをすると本国に睨まれるわよ」
「なにを愚かな……。我らにはゴブリンたちの仇を討つという大義名分がある。誰も文句は言わんし、言わせん」
「そうですよ。今回の行動は、我らがブラウン将軍にこそ『正義』があります」
昆虫軍の三将軍が揃い、今後についての会議が行われた冒頭。獣帝国の命令ではなく、独断で動いていることにクィーン将軍が疑義を挟んだことに対してブラウン、ブラックの二将軍が答えた場面だ。
「正義か……。正義ねー」
首を傾げて考え込むクィーンに、ブラウンが彼女を簡単に説得できる言葉を伝える。
「ああ。それにマルケス・メッサ将軍には伝えてある。問題はあるまい」
「なんだ。さすがブラウンね。それなら何も問題はないわ。ほかの将軍は怖くないもの」
この三将軍が恐れていて、慕っていて、従っているのは、獣帝国第四軍を率いる鷹の獣人マルケス・メッサ将軍だけであった。皇帝や第一軍は縁遠くよく知らないというのもあるのだが。
恐れている最も大きな理由は、食物連鎖の上位と下位にいるものの宿命ともいえる捕食関係である。
メッサ将軍が率いる鳥類の部隊にとって、昆虫たちはただのエサである。多少数がいても「おいしくいただきます」となってしまうのである。一例を上げれば人種に対しては強力な武器であるスズメバチたちの毒針も、猛禽類で蜂を主食とする鷹の一種、ハチクマには無力である。
そして、慕っていて、従っている理由は、三将軍が今ここで生きていられるのもメッサ将軍がいてこそであったからだ。
もともとこの昆虫軍を率いる三将軍は、人類がまだ掴んでいない第二世界の住人であった。いや、住人ではなく昆虫であった。
彼らは元の世界では虫だったのだ。ただ中央世界に来て体が擬人化し言葉を有するように変化した。
自分たちの姿形に驚いた三人は集まって話し合い、中央世界7大陸の中央にある大森林で静かに暮らしていこうとしたところで、獣帝国の第四軍の鷹の獣人たちに見つかった。
相手が天敵である鷹たちであったため、三将軍は死を覚悟した。とても逃げられない。しかし、鷹の獣人のひとりが彼らに話し掛けてきた。ここで、何をしているのかと。
三将軍が正直に話すと、鷹の獣人は、親切にも三将軍を自分たちの拠点に招いて保護してくれた。この鷹の獣人こそがマルケス・メッサ将軍だった。
その後、三将軍は自分たちが、中央世界の昆虫たちを操れることを知り、兵を集めというか養殖し、兵たちにはお互いに食すことを禁じ、育成して軍団を結成した。
丁度、十分な戦力が整ったときに竜王国軍と古代海洋軍に対応する御前会議が開かれた。メッサ将軍の肝いりで会議に出席し、竜王国軍との戦いを上奏。竜王国軍を撃破して今日の地位を築いたのであった。
メッサ将軍は、彼らの境遇を竜王国から叩き出され不遇をかこった祖先に重ね合わせていた。今ここで彼らを助ければ後にきっと役に立つだろうと考えたのだ。そしてその読みは的中した。
「では、次はチロルたちの願いを聞き入れ、壁沿いの西にあるブルーリバーを攻めるか」
「さすがですね。まさに正義の将軍!! 我らは義軍!!」
ブラウン将軍は、ブラック将軍の言葉に照れたように薄ら笑いを浮かべ、隣にいる同じように薄ら笑いを浮かべたクィーン将軍と顔を見合わせたのだった。




