08 聖母の証
キャサリンの養父・エドワード・オールコックは、執事たちを下がらせて、俺たち4人を、黒で統一された立派な家具をあしらえ、大きなテーブルがある客室に招き入れた。
エドワードが奥の席で、右側に蛍と俺、左側にキャサリンと幸介という順で席に向かう。
「先ほどは、レディがいる前で取り乱しまして、誠に申し訳ありません」
立ったままで、エドワードは先ほどの非礼に対するお詫びの言葉を述べ、キャサリンには別に『悪かったね』と目配せしている。
キャサリンは首を振って、それに応える。
そのあと、キャサリンが中心となって、簡単な挨拶を済ませる。
このとき、エドワードが、幸介に対しては、可愛い娘がより強く、より女らしくなるように、指導してもらっている「教官」だと付け加えた。
えーーーーー! 強くはわかるけど、女らしくって、頼む人を間違えてますよ。口には出さなかったが、蛍と俺は、顔を見合わせて苦笑する。
しかし、これが『ござる』の訳か! 秘伝の謎だけは解けたなと、俺はひとりこっそりと、頷いていた。
◆◇◆◇◆◇
皆で席につきながら、俺は、いったい何から、どう聞けばいいのかが分からず、頭のなかが混乱していた。前に座った幸介は、面倒くさげな表情で下を向いて、今にも欠伸をしそうである。
皆が腰を下ろしたところで、3人のなかでは、最も適役の蛍が口火を切る。
「それで、まずは、先ほど英雄とかおっしゃってましたが、その辺りからお聞きしてよろしいですか?」
「えーと、それは構わないのですが、かなり長い話になりまして……。それで、誠に申し訳ないのですが、私のほうから早急に確認したいことがございます」
「なるほど。わかりました。私たちが知っていることなら」
蛍が答えると、『ありがとうございます』と、エドワードは頭を下げて質問をぶつけてくる。
「紅君と入来院さんが、この世界に来る前に行かれた場所でのことです。第六世界、シクラメンの名称以外に、何かお聞きになっていますか?」
「えっと、それはキーワードでいいのかしら? うーん、たしか……。漆黒の破滅、竜人、光の子、トリプルスリー…………」
「えっ!! や、やはり、やはり、あなた様が、聖母様! しかし、そんな、まさか、まだ……」
エドワードは、キーワードを話す蛍の口元を直視し、真剣な表情で聞き耳を立てていたが、桜色の唇から『光の子』という言葉がもれた瞬間に、驚愕の表情を浮かべて椅子から飛び上がり、ひとつ武者震いをして、かなりの動揺を隠すこともなくさらけ出した。
「どうかされましたか? 光の子が何か? それと聖母様って?」
確認する蛍の声は、エドワードには届いていないようで、意を決した顔になり、深々と頭を下げて、蛍に妙なことをお願いしはじめた。
「聖母様と思しきお方に、失礼は重々承知のうえで申し上げます。セーラー服のリボンを外し、少しシャツを緩めて、うなじから背中の上のほうを見せていただけないでしょうか?」
「なっ!! 何いってんだ。このエロオヤジ!!」
「ああ、本当に失礼な話だ。ほたる、そんなの聞かなくていいぞ!」
「養父様……」
幸介と俺が声を荒らげ、キャサリンはショックを受けたような表情で、一言だけ呟く。
幸介が席を蹴って、エドワードにつかみかかろうとするのをキャサリンがしがみついて止め、俺は蛍を守るべく、エドワードと蛍の間に割って入る。
「みんな、待って! 待って! 落ち着いて。お願い、お願いだから」
蛍は、しばしの間、両手で胸を抱き、絶句したままたじろいでいたが、激高する俺たちを見て、気持ちが落ち着いたのか、冷静な表情を取り戻して皆の動きを止める。
普段と変わらない蛍の様子を見て、幸介も俺も、席に戻った。
『フゥー』と一息吐いた蛍は、頭を下げ続けたまま動かないエドワードに向かって、ゆっくりと言葉を選んで、問い掛ける。
「それは、何かとても重要なことなのですね。どうしてもしなければならないような……」
「はい。これだけは、早急に、確認しなければなりません」
蛍はそれを聞くと、右肘をついて、おとがいに右手を当ててしばらく考え込んでいたが、やがてひとつ頷いて、エドワードにふたつの条件を伝えた。
「わかりました。お見せしましょう。ただし条件があります。ここにいるみんなで一緒に確認すること。それと私の左右には幸介と達也がいる状態にすること。それでいいですね?」
断れば、この話は終わりという言い方で、蛍が条件を伝えたが、エドワードは、受け入れ、改めて礼を言う。
「それで構いません。ありがとうございます」
「「えっ! いいのか、ほたる?」」
俺と幸介がふたりで確認すると、蛍は笑顔で答える。
「ええ、それくらいなら平気よ。それに、ふたりが隣にいてくれるんですもの」
「「おぉ、任せろ!!」」
俺は、幸介と顔を見合わせ、蛍に頼られている喜びからか、一段ギアを上げて気合を入れ直す。
◆◇◆◇◆◇
頬をほんのり赤らめた蛍が、『うっ、うん』と咳払いをひとつして、少し落ち着いてからリボンを緩めて、上着を背中の方へずらし、長い黒髪をまとめて、前へ流すようにした。
そして、顎を引いて、頭を前に傾け、うなじ部分が、皆に見えるようにする。
後ろで見ているエドワードの動きに注意しながら、蛍のうなじをチラッとみると、きめ細かい白い肌に、輝くような☆の形をした、ほくろがひとつ見えた。
エドワードは、世紀の一瞬を見る観客のように、息を止め、蛍のうなじ部分を食い入るように見つめていた。
やがて、☆型のほくろをはっきりと自分の視界に捉えたエドワードは、さっきよりも大きな身震いをしたかと思うと、急に真剣な眼差しで、遠くを見るようにして何もない部屋の壁を見つめはじめた。
そして、エドワードは皆が見ているのも構わず、片膝をついて頭を下げて、蛍に礼をいい、席を外す許可をもらう。
「聖母様。本当に不躾なお願いを聞いていただきまして、ありがとうございます。聖母様である証は、この目ではっきりと確認いたしました。間違いありません。それで、誠に申し訳ありませんが、私は本日はこれにて失礼させていただきます。大至急やらなければならないことができましたので。皆さまには夕食と風呂をご用意させますので、今日はゆっくりとお休みになられてください。……キャサリン、あとは、頼んだよ」
「はい、お任せください。養父様!」
エドワードは始終紳士的な言動で、そう言い残して足早に部屋を出ていった。
廊下に出たエドワードが、叫んでいる声が、部屋の中にもはっきりと聞こえてきていた。
「大至急、グスタフを呼べ!! それと伝令もだ!! 急げ!!」
◆◇◆◇◆◇
「…………………………」
「ほたる! 聖母って、いつ、誰と結婚して、母さんになったんだよ!?」
しばらくの沈黙のあと、乱れた服を直している蛍に対して、幸介のデリカシーのかけらもない問い掛けが部屋に響いた。
言葉の途中から幸介を睨みつけ、少し涙目になった蛍は、すごい剣幕で言い返す。
俺とキャサリンもあまりのことに、声を上げて、幸介につめようろうと一歩動いたが、ふたりよりも蛍の声のほうが速かった。
「ばかっ!! なにいってんのよ!! あたしまだ高校生だよ。それに幸介と達也以外の誰と結婚するっていうの!?」
「…………す、すまん。忘れてくれ」
蛍は、怒りにまかせて、とんでもないことを言ってしまったことに気がついて、恥ずかしそうに顔を赤らめ、怒られた幸介は謝りながらも耳まで赤くし、俺も心臓がバクバクして、蛍の顔を直視できずに下を向いてしまっていた。
俺たち3人が三者三様で恥ずかしがる姿を、キャサリンは複雑な表情を浮かべて見比べていた。
横目でそんなキャサリンを見ながら、聖母……マリア。そうか、そうだったのか、それで『マリア姫』なのかと、俺は妙に納得するのだった。
『いや、まてよ、そういえば、聖母マリアって……』
頭のなかで、何か大切なことを思いだしそうな気がしたが、食事の用意ができたことを告げるメイドの声が、それをかき消していった。