286 死闘後の中央世界③ ~同盟の行方~
中央世界暦4872年10月1日に獣帝国の首都ビースト・エレファント城で始まった人類と獣帝国の同盟締結式は、議長であるフレイム・バレット将軍の開会宣言のあとも、恙無く進んでいた。
同盟内容、つまりは条約文を順に読み上げていくフレイム将軍の声は力強く、それでいて透き通るような響きをもっていた。出席者はもちろん双方の護衛のために周囲にいる兵士たちも、誰もが無言で、ただひとり言葉を発しているフレイム将軍の声に、全員が魅せられているようで、静寂のなかの澄んだ響きだけが場を支配していた。
獣帝国の将軍たちとアンカー・フォートの代表ウィリアム・バートンは、フレイム将軍が読み上げる内容に歩調を合わせるかのように、時折だが頷いて応えていた。
当然ながら、今、読まれている内容は事前に両陣営に伝わっている。出席者のなかで内容を知らないのはウィリアムに連れられてきた秘書たちだけである。
だから、格式ばった儀式にも対応できるラウラはまだしも、知覧・ゲノム・レウにとっては、本当につまらない、本当に暇な時間であった。
そして、レウは別のことを考えていた。
それは、ビースト・エレファント城からの帰りがけに大陸中央付近に点在している竜王国の東の拠点を攻め取る作戦のことだった。今回の行程のように海路を使うのは非効率だとレウは考えていて、同盟締結後には拠点を守る勢力を得られるので、陸路を奪還するつもりでいたのだ。
レウはすでに掴んでいた5つある敵の拠点をどこから攻めてどうやって制圧するかなど、大筋はすでにラウラや密偵たちと詰めていたが、それの再確認を行っていた。
さらに作戦を実行する前に、どうしても獣帝国に確認しておかなければならないことの行方を思案していた。
『どんな結末になるんやろな』
心のなかで幾パターンかの結末を思い浮かべたレウは、フレイム将軍の朗読が終わりそうな雰囲気に気づいて目の前で展開されている現実に戻る。
「以上が獣帝国と人類の同盟内容である。双方依存はないか?」
同盟の条約文を最後まで読み終えたフレイム将軍が、双方に最終意志確認をする。ほぼ同時に皇帝とラウラが頷いた。
「では、これより双方の代表者の署名、血判に入る」
そう言ってフレイム将軍は2通の羊皮紙を手にして、皇帝とラウラの前に順に差しだした。もちろん書かれている内容は同じものだ。受け取った皇帝とラウラはペンを取って順に2枚の羊皮紙に署名し、血判のためにテーブルに置かれていた小型のナイフを手に取った。
「そや。ひとつ大事なことを忘れていたわ」
皇帝が血判して、ラウラがナイフを持って親指を切ろうとしていたところでレウが口を開いた。皇帝とラウラ、ふたりの署名、血判の作業をじっと見守っていた皆が一斉にレウへと顔を向ける。
レウは皆の視線を無視して、身を乗り出し、正面に座るカリグ将軍に顔を向けて言い放つ。それは、そこにいる皆が驚くような内容で、爆弾発言と言っていいものだったが、レウにはどうしても確認しておく必要があった。それが今なのかは微妙なところではあったのだが……。
「ここにいてないマルちゃんが、敵に寝返ったりしないやろな?」
「「「? なっ!!!」」」
平和裏に進んでいた同盟締結式の会場に突如として落とされた爆弾に、獣帝国の将軍たちは驚きの声をあげ、怒りの表情を人類側へと向けた。ユリウス将軍はあまりのことに腰を浮かしている。
レウが『マルちゃん』と言ったことによる一瞬の間があったが、それがマルケス・メッサ将軍のことだというのは、「ここにいてない」という枕言葉から皆はすぐに理解している。
皇帝とカリグ将軍は、声は出さずに目を見開き、とんでもないことを言いだしたレウに強い視線を送った。ふたりの鋭い眼光にはレウの言葉の真意を探ろうとする強い意志が込められていた。
人類側のウィリアムと秘書たちは「えっ?」と小声で反応したあと、将軍たちの怒気のこもった視線を避けるように下を向いて額に汗を滲ませている。
「ふぅ」
ラウラがひとつ小さなため息をついたあと、妹の横顔を見る。妹が爆弾発言のように語ったことはとても大切なことだと理解はしていたが、それは会議のあとでカリグ将軍に確認する手筈だった。それをレウが守らなかったのである。
『やっぱり、言ってしまったのね。まったくレウたんはせっかちさんなんだから』
そんなラウラの視線を横目で感じて、レウはテーブルの下で姉へ「すまんな」と右手を向けて謝っていた。
「貴様、それはどういう意味だ!」
「なんの根拠があってそのような世迷言を言っている!」
「返答次第では、今回の話は白紙になるぞ!」
バアル将軍、コンスタン将軍、ユリウス将軍の順に声を荒らげる。同盟締結の席で相手を疑うような発言をした今のレウに対しては、至極当然な反応であった。しかし、レウは怒りの表情を向けてきた3人の将軍は一瞥しただけで、皇帝の方へと、つまりは左側へと体の向きを変えた。
3人の将軍はそんなレウの態度を見て、「うぬぅぅぅ」「ぐぅぅぅ」「くっ」などとうめき声をあげている。
「レウ殿。さすがにそれだけの発言では、帝国側の将軍たちの反応も仕方のないものであり、それは人類側に取っても望むところではないでしょうに。きちんと説明すべきだと思いまする」
レウの意図するところをある程度は先に知らされていたフレイム将軍が、議長としての役割を果たすかのように仲裁の声をあげた。皇帝とカリグ将軍は続きがあるものだとして腕を組んで目を閉じ、フレイム将軍の言葉にわずかに頷いている。
「あー。そやな。すまん、すまん。うちの悪い癖や。ほんなら説明するわ。先の竜王国との大戦で貴国が負けたのはな、戦略的な面で大きな隙をつかれたのと、敵に制空権を奪われたからやろ?」
「それはそうだが、それとこれとは関係がない……」
レウが先の戦いの敗因を並べたところで、ユリウス将軍がおもわず口を挟んでしまったが、皇帝が身を乗り出して左手を水平に出したところでユリウス将軍の口が止まった。皇帝が出した手とほぼ同時にカリグ将軍は、隣にいるユリウス将軍の方へ体を少し傾けて小声で「最後まで聞け」と言っていた。
「ほんでな、今回の同盟で、うちらとあんたらが手を結んだんやから、戦略面の隙なんてもんは、これからはないな。もし、同じようなことを敵さんが仕掛けてきたら、飛んで火に入る夏の虫にしたるわ。ほやからそっちはええんやけどな」
「ああ。そういうことか。しかしメッサが帝国に刃を向けることはありえん。それは我が保障する。それでは足りんか?」
レウの発言を途中まで聞いたカリグ将軍がすべてわかったという言葉と、もしメッサ将軍が帝国を裏切ったら自分が始末するという強い意志を込めてレウに問いかけた。しかしカリグ将軍の問いかけにレウが答える前に、今度は皇帝がふたりを一瞥してから豪快に笑い声をあげていた。
「ワッハハハハハハハハハハハハハハハ。ゆかい、ゆかい。我らは正しい道を選んだ! 帝国の暗雲は今日このときを持って完全に晴れたぞ。これほど楽しく笑えたのは久しぶりだ。カリグ、あとは貴様に任せるぞ!」
「はっ」
「それとレウ殿。ひとついいかな?」
「なんや?」
「メッサたちの獣人族は、すでに卵生から胎生に進化しておる。ここにおるコンスタンも同じようにな。ワッハハハハハハハハハハ」
「そうなんか……。さすがは皇帝はんやな。それを聞けて安心したわ。ほんならあとはうちとカリグはんで、敵の東側の拠点を攻め落として陸路を奪還しとくわ」
一気に話を進める皇帝とレウ。
すべての内容を理解しているのは当のふたりとカリグ将軍とラウラだけであり、他の出席者や周囲の兵士たちは皆一様に唖然として、呆然としていた。一部を理解していた議長のフレイム将軍でさえ、事の成り行きには驚きを隠せず、目をパチクリさせてレウと皇帝を見比べている。
いったいなにが皇帝陛下をそこまで上機嫌にさせたのか。なにが解決したのか。卵生と胎生がどうしたのか。そして敵の東の拠点を攻め落とせるのか。
ユリウス将軍たちには本当にわからないことだらけであった。そして、さらに立ち上がった皇帝アルゴロン7世の次の行動が、皆から驚きや怒りの言葉も疑問を追求する思考も、すべてを奪い去った。
「ふふふふふ。さっ、ラウラ殿。我らは参りましょうぞ! 民衆が待っております。もはや我らの絆にこんな紙切れは不要ですな」
黄金色のマントを翻して立ちあがった皇帝が、そう言いながらラウラの横につき、片膝をついて手を差し伸べたのである。まるでお姫様を迎えにきたナイトのように。
「あら、まあ。うふふふふふふふ。じゃあレウたん、あとはお願いね」
ラウラは一瞬、目を見開いたあと、頬を少し赤らめて軍人ではない、きれいなお姉さんに変身していた。そしてレウに笑顔でウィンクする。
すぐ近くにいたフレイム将軍が「へっ?」と小さく驚きの声をあげたが、あまりのことに、誰もがあっけに取られて、ポカーンと口を開けたまま固まった。この皆にはカリグ将軍も含まれていた。さすがのカリグ将軍もラウラに傅く、ナイトのような皇帝の態度には驚きを隠せなかったのである。
レウだけは呆れ顔で半目になって、「姉さん、ようやるわ」みたない視線を送っていたが、他の者たちは周囲の兵士たちも含めて、まるでスポットライトを浴びて光り輝くお姫様とこれまた光を纏ったナイトのような美しさを持ったふたりの姿に見惚れてしまっていた。
そして、皇帝が差し出した手に、優雅に自分の手を乗せたラウラは、皇帝の口づけを受けたあと、皇帝の腕に手を絡めて華麗にエスコートされ、ふたりは並んで会議場をあとにしたのだった。
レウ以外はただただ呆然としたまま、ふたりの後ろ姿を見送った。ふたりが会議場を出てしばらくすると外から民衆の歓声が響き渡り、口々に叫ぶ声が会議場内にも聞こえてくる。
「うぉぉぉぉ! 陛下が絶世の美女を娶られたのか!」
「陛下万歳! 獣帝国万歳!」
「なんと美しい妃様だ!」
「まさに美男美女。お似合いのカップル誕生だ!」
「妃様万歳! 獣帝国よ永遠なれ!」
皇帝にエスコートされたラウラの美貌を見た観衆は、思い思いに叫び、割れんばかりの歓声と祝福の声をふたりに送った。最強の皇帝と絶世の美女。王と妃。民衆が勘違いしてしまうのも仕方がないようなオーラをふたりは放っていた。本当に、そうとしか見えなかったのである。
ちなみに、議場内からはその様子まではわからなかったが、皇帝は右手で大歓声を静めたあと高らかに宣言して群衆をさらに沸かせ、ラウラは隣で始終にこやかに微笑んでいたのであった。
「今日、この時をもって我らと人類は共に歩むこととなった。我らが共に進む限り獣帝国にも、人類にも敗北の2文字はない!」
◆◇◆◇◆◇
「おい。カリグ将軍、どういうことだ」
「なにがどうなっている。説明しろ!」
「カリグ様。説明してくだされ。私にはなにがなにやら……」
議場内に響いた民衆の大歓声が一段落したところで、我に帰った将軍たちが席を立ち、ユリウス将軍、バアル将軍、コンスタン将軍の順に我先にとカリグ将軍に詰め寄った。
「ほんなら、フレちゃん、カリグはん。またあとでやな」
レウは主役たちが去って、他の将軍たちがカリグ将軍に詰め寄った状況を見て、空気を呼んでふたりにそう告げる。面倒な説明は任せる的な態度にフレイム将軍は「いつものレウ殿だな」と思う。
「ふむ。そういうことになるな」
「では、これにて獣帝国と人類の同盟締結式は閉幕とする。なお、人類獣帝国同盟の書類はあとで妾が責任を持って処理するものとする」
「ああ、それでええ」
カリグ将軍とフレイム将軍の言葉を受けて、レウは席を立ちウィリアムたちを引き連れて会議場をあとにして自分たちの部屋へと戻った。会議の閉幕宣言を受けた双方の護衛の兵たちもぞろぞろと退散していく。
そのあと、会議場にはフレイム将軍を含めた獣帝国の将軍たちだけが残り、詰め寄った3人の将軍を人類側が座っていた席に座らせてから、カリグ将軍は、フレイム将軍に一言、二言告げて、ゆっくりと席に戻り説明しはじめる。また、カリグ将軍の言葉を受けたフレイム将軍は、ひとりの兵士を呼びとめて、スノウへの言伝を頼んでいた。
「まずはメッサの件からだが、先の戦いで我らが敗れた大きな敗因のひとつが、制空権を取られたことだというのはわかっておるな?」
「ああ」
問われた将軍たちを代表してユリウス将軍が頷きながら答える。バアル将軍は「さっさと先へ進め」という気配を出して応え、それを受けてカリグ将軍がひとつ頷いてから続ける。
「レウ殿の真意は、再び制空権を奪われないようにメッサの第四軍を大幅に強化することにある。だから、さきほどの問いかけは、強化したあとの、もしを考えての発言というわけだ。それとメッサの祖先は竜王国の民であり、竜人族と同じ卵生であったからな。古い話だが。それを陛下がお気づきになり、否定されてレウ殿が納得したというわけだ。レウ殿が繁殖形態の違いにこだわったのは、土壇場で本能的な部分が出るかもしれないと考えているからだろう」
「卵生とか胎生とかの件はそれでいいが、それよりもメッサの軍を強化? そんなことができるのか?」
カリグ将軍の説明を聞いて、小首を傾げながらユリウス将軍は腕を組んだ。
「ああ。それは断言できる。我ら第一軍も同様に強化されるが、兵数では第四軍には負けるからメッサの軍は帝国最強になるやもしれん。それにユリウス、バアルの軍も確実に強くなる。今後の竜王国との戦いは、先の戦争とはまったく違うものになるのは間違いないだろう」
「そ、それは誠か? 人類との同盟にそんな効果があるのか?」
今度は、自分の軍も強くなると教えられたバアル将軍が最もな疑問を口にする。
「ああ、我はこの目で昆虫軍を葬った人類の戦いを見てきたからな。彼らの火力は桁違いで、我らの知るものとは別次元のものだ。その火力をもって空から戦えるメッサの軍は地上の敵兵などものともしないだろう。ふむ。無論、人類の戦力も我らと同盟を結んだことにより大幅に強化され、相乗効果が起こり双方がウィンウィンになるのだがな。人類には空を飛べる兵は存在しないし、さきほどレウ殿が言っていた東の拠点の話でも、人類には拠点を落としても守れるほどの兵力はないからな」
「俄かには信じられませんが、将軍がそうおっしゃるのなら……」
まだ、信じられないといった顔でコンスタン将軍がそう口にしたところで、カリグ将軍はフレイム将軍に合図を送った。
「はっ。ただいま。スノウ、スノウはおるか?」
合図を送られたフレイム将軍が扉の方へ向けて大声をあげると、スノウが「失礼いたします」との声とともに議場内に入ってくる。スノウは、体の前に白い防護服を抱えていて、服の上にはビー玉のような大きさの虹色の珠が置かれていた。
「論より証拠だ。これが人類が昆虫軍と戦ったときの武器と防具だ。昆虫たちの鋭い顎に対抗する防具と、一撃で周囲を破壊するエネルギー弾だな。まあ、これは小型で爆発してもこの部屋を破壊する程度だがな。実際の戦闘では、もっと火力の高いものをフレイム将軍の兵たちは装備して戦っていた。虹色の珠はさわってもいいが、死にたくなければ、あまり強く握らないことだな」
「ふむ。そうか。こんなものが……」
「これはなんという強さだ。俺が引っ張ってもまったく破れそうにないぞ」
武具と防具はスノウによってテーブルに置かれ、虹色の珠をゆっくりと抓んで食い入るように眺めたユリウス将軍と、白い防護服を両手で引っ張ったバアル将軍が口を開き、コンスタン将軍も白い防護服に手を伸ばして手触りを確かめている。
そんな皆の様子を見守ったカリグ将軍は、フレイム将軍の肩をポンポンと叩き、「では、あとは任せるぞ」と言い残して議場をあとにしたのだった。
また、かリグ将軍が退席したあとにエネルギー弾を実際に試すということになり、将軍たちは場所を変え、あまりの威力に目を白黒させることになったのであった。
ちなみに今回締結された人類獣帝国同盟の骨子は以下のものであった。
軍事に関する情報を共有し、双方が密に連絡を取り合うこと。
互いのどちらかが攻められた時は、助け合い即座に共同戦線を張ること。
互いの文化を尊重し、交流をはかり、より良いものとすること。
条約は自動延長であるが、1年前に予告すれば破棄が可能であること。
◆◇◆◇◆◇
一方、レウたちが獣帝国で同盟締結式に出席していたころ。遠く離れた人類の領地内にある小高い丘の上にひとりの少女が座っていた。
優しい風に黒髪を靡かせ、乱れる髪を整えることもなく、ただただ膝を抱えたまま遠くを見つめている。
やがて、風の音に草を踏みしめる音が混じる。首に掛けていたタオルで顔の汗を拭いながら同じ黒髪の青年が現れて、少女とは少し離れた場所で足を投げ出して座り、同じように遠くを眺める。
すぐそばにいるのにふたりの間に会話はない。しかし、ふたりともそれが自然であるように受け止めていて、ただただ遠くを見つめていた。
流れる白い雲とゆるやかな風の音。遮るものなどなにもない丘の上に照りつく陽の光だけが時を刻んでいく。本当に、本当に、ふたりにとっては静かな時が流れていたのであった。