280 輪廻の塔と3つの選択肢
「くそっ、やられた。またかよ……」
真っ暗闇の空間で、俺は立ち尽くして頭を抱えた。
しばらくすると暗闇に目が慣れてきて、4畳半くらいの正方形の箱のような空間に閉じ込められているのがわかる。前のように周囲の壁が迫ってくるようなことはないが、外の声は一切聞こえない。完全に隔離された空間だ。
もちろんこんな空間に閉じ込めた犯人は、お昼寝から復活した『恐怖の大王』ロリババだ。やつは「それはそうと英雄よ。ちょっと話がある。こっちに来てくれ」などと言葉巧みに俺をティーパーティのテーブルから引き離し、「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。貴様はしばらくここで大人しく悶えておれ」と言い残して俺を閉じ込めた。
ちくしょう。今頃は、ニャンニャに俺のエロい趣味とかを話してやがるのか……。あんなことやこんなことや……。ちくしょう。なにを伝えてやがる……。あれか? それか? それともあれもか? ひょっとしてあれもか? いやいやあんなこともか?
くっ、くっそっーーーーーー。全部、今の俺じゃない俺から聞いたのなら……、それは紛れもない真実……。あのブラッド・リメンバーのイーニャたちとの夜のことまでもとか……。
『うぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。はぁ、はぁ』
心の叫び声が、しんと静まり返った暗闇のなかでグワングワンと響き渡り、そのあと息を整えていた。
いや、もう、なんだよ! 『俺が死んだらパソコンのハードディスクの中身は日本海溝に沈めてくれ』みたいなことが、『俺が死んだらハードディスクの中身は猫耳娘に晒してくれ』になっているってことか……。しかもそれだけではなく、パソコンに記録されていないものまでもがって……。あの野郎ーーー。いまいましい幼女めーーー。
しかも話されていることはわかっているのだが、どんな内容を伝えられているのかが一切わからない……。いったいどこでどう間違うとこんな事態になるんだよ。俺はニャンニャから中央世界の創世期の話を聞いていたんだぞ。
それが何故……。
最悪だ。最低最悪だ。史上最悪だ。襲い来る羞恥心で気が変になりそうだ。
「ぐぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
外でどんな話がなされているのかを考えた俺は、いてもたってもいられなくなり、4畳半の狭い暗闇のなかで壁に体当たりして激突し、床を叩きまくり、転げ回って足をバタバタさせて顔を覆う。暗闇の床はひんやりと冷たかった。
「消えたい。ブクブクと泡となりフワフワと空間を漂い、パンッと弾けて消えたい。そしてこの暗闇と同化したい。誰か俺を無に帰してくれ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
この空間の外ではあんなことやそんなことをロリババが口にして、ニャンニャが頬を赤らめながら耳をピクピクさせて………。く、くそっ、ちくしょうーーーーーーーー、バカ幼女ーーーーー。
こうして繰り返し襲ってくる身悶えするような羞恥心と、行き場のない怒りが俺の精神をゆさぶり続け、巡り続ける想いはフラフラと振り子のように激しく両者を行き来し続けた。
そして、それは暗闇に閉じ込められたまま、終わりがないのではないかと思えるほどの長い間、続いたのであった。
◆◇◆◇◆◇
「え、え、英雄君も男の子なのにゃ」
永遠と繰り返された羞恥と怨嗟の渦のなかで半ば朦朧としたまま解放された俺を待っていたのは、そう言って伏せ目がちに俺から視線を逸らすニャンニャの瞳だった。いつの間にかすぐ近くまで来ていたようだ。
「あぁ……うぅぅぅぅ…………」
ニャンニャがなにを聞かされたのかもわからず、すべてをすっかりしっかり悟ったような彼女の様子に対して、俺には下を向いてもう呻く以外の対応はできなかった。そんな俺の様子を一瞥してから、ニャンニャは一足先にティーパーティの会場へと戻っていく。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。儂は偉いのぉ。貴様らの仲を取り持つ義理はないのに、こうして骨を折ってやる。それでこそ聖光なる輪廻の塔の管理人じゃな。くっくっくっ」
項垂れた俺の耳元で『恐怖の大王』であり、すべての元凶であるロリババがそうささやいた。『ちくしょう、この幼女め!』と思う心はあるはずなのだが、すでに気力が失われていて、俺は満足に反応することもできなかった。
「あはは、ははははは……」
足元のシクラメンの花を見るともなしに見ながら、乾いた笑いだけが声として漏れていた。
「うん? どうした、どうしたのだ、残念な英雄よ。元気がないようだのぉ。なにか怖い目にでもあったのか? うん? 顔色もかなり悪いようだのぉ。ぷっ」
ニマニマと笑いながら、人の顔を覗き込んでくる美幼女ロリババ。吹き出すのを堪えているのか、頬がちょっと膨らんでいる。
いや、全部お前のせいだろうと恨めしそうに見てやるが、ロリババは俺の視線を無視して両手を広げて深呼吸をしはじめる。
「はぁー。ふぅ~~~~~~。はぁ、楽しかっ、おっと。ふ~~~~~。では、そろそろ儂らもあっちに戻るぞ。ほら、シャルも思わず子どもの粗相を見てしまったバツの悪いお母さんのような顔をしてたじゃろ。それが愛情じゃよ。より一層貴様らのラブラブ度が深まったのぉ。よかった。よかったのぉ。ぷっ。ぷふふふふふふふふふふ。はぁーー。さっ、行くぞ」
心底楽しんでいるのが丸わかりな態度で、ロリババは青褪めて項垂れていた俺の肩をポンポンと叩き、楽しそうに手を引いたのだった。
◆◇◆◇◆◇
あまりの出来事に俯いたまま吸血鬼風の金髪美幼女に手を引かれ、俺はティーパーティのテーブルに戻った。少し頬を赤らめながらカップに口をつけているニャンニャが視界に入り、頬が自然と赤くなる。
そんなふたりの様子を満足そうに見比べたロリババは、プチケーキをひとつ頬張り、ゆっくりと口を湿らせてから、満足そうな笑みをひとつ見せる。満面の笑みの口元では下唇を抑えるようなふたつの牙が見えている。
「よいな、英雄よ。よく聞け。そもそも神々が紅蓮の瞳を確認したあとに、最も重要な場所として造られたのが、この儂と輪廻の塔なのじゃ。第七世界などという半端な世界はただのおまけにすぎん。そんなものはあってもなくても、どうでもいいことなのじゃな。儂と輪廻の塔こそが、唯一、漆黒の巨悪に対抗できる聖光なる正義と言っていいじゃろう。そこのところは間違えんようにせんとな。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
うん? なんかはじまったぞ。中二病で独善的なロリババの言葉なので第七世界がおまけとかは話半分だろうけど、意味はわかった。要するに神々は第七世界とほぼ同時にこの輪廻の塔を造ったということだろう。
ひとしりき、ジジイ笑いを続けたロリババが、一呼吸置いて話を続ける。
「転移者、つまりはあまりにも愚かで無様にも散った貴様のような残念な英雄にも中央世界での善行によっては、こうして輪廻転生への道を用意してやる。神よりも慈悲深い永遠に可憐な幼女、それが儂であり、儂と輪廻の塔の役目じゃ。もちろん悪事を働いた闇の手先には慈悲など与えん。魂を半分にするなどという暗黒面の慟哭を聞いてしまった貴様はぎりぎりセーフというところじゃったな」
なるほど。そういうことか。
輪廻の塔は竜王国軍が他の種族への攻撃をはじめたために造られた転移者への救済措置、つまりはセーフティネットみたいなものだったのだな。
所々にムカつく言葉とかわけのわからない言葉が混じっていたけど、意味はわかった。つまりは転移者が中央世界で死んだ場合に送られる場所が輪廻の塔で、ここに来られるかどうかは生前の行いで決まるということみたいだな。
それにしても、中央世界に魂を半分残して来たことに対しては根に持たれているようだけど、意識的にやったわけではないし仕方がないよな。
「ただし例外はある。それが聖母と聖女じゃ。この者たちが背負っている十字架の重さ、聖なる力、軋む定めはさすがの儂でも手に負えないのでな。まあそれでも儂の方が凄くて、偉いのは絶対的な真理じゃがな。そこも間違えてはいかんな。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
「聖女?」
さっきのことを早く忘れようとニャンニャの方は見ないで、ひとりで一方的に喋りまくっているロリババに集中していた俺は久々に口を開いた。聖母が蛍なのはわかるけど、聖女なんていたのか? という疑問が俺にそうさせていた。
「そうじゃ、聖女じゃ。中央世界におるじゃろ。うーん。貴様も知っているはずじゃがな。知らんのか?」
「えっ、そうなの。いや、誰のことだろう?」
「そうか、わからんのか。ふむ。そういえばついこの前レウンに会ったときに言っておったな。儂が聖女の話をしてやったら『ああ、それか。そんなもん聖女やなくてパチパチモンキーや』とかなんとか」
「パチパチモンキー?」
「そうじゃ。やつはそう言って小さな胸をこれでもかと張っておったぞ。儂にはその意味するところはわからんかったが、なんか面白いから笑ってやったわ。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
ああ、パチモンってことか。っていうか、そうなるとレウが聖女なのか? そうなの? えーーーーーーーーーーーー。そんな風には見えなかったけどな……。蛍が聖母でレウが聖女? えっ、そうなの?
たしかに第六世界と第七世界を代表するようなふたりが、それぞれの世界を背負っていると言われればそうだと思うけど……。
それにふたりの力は桁外れで、聖なる力と言ってもいいし、ロリババが言う軋む定めというのは、彼女たちがもし死んだらそれぞれの世界が崩壊するとかいうやつから来ているのかな?
ロリババめ、中二的な言葉使いをやめて、わかるように喋れよって……、これは言っても仕方がないことだけどさ。
あと、レウンに対しては『パチモンはお前だろ!』と突っ込んでやりたい。どう考えてもレウンの方がパチモンで本物はレウだろう。まあ、これも今言っても仕方がないことか。
それにしても、レウンに聖女がパチパチモンキーだと言われて意味もわからず笑うって、本当にロリババの思考回路は謎すぎて困る。
いったいこいつはなにをしたくて、なにに怒って、なにがおかしくて、なにに感動して生きているのだろう……。まあ、そんなことこそ考えても無駄か。こういうやつなんだと割り切るしかないよな。
えっと……。それで、ロリババはレウが聖女だと言ったでいいんだよな。
聖母である蛍と同じようにレウもそういう存在だったのか? いや、そもそも聖女ってなんなんだ。俺が知っている限りは、レウとはかけ離れたイメージなんだけどな。うーん、これは考えてもわからないな。
もともと蛍がなぜ聖母なのかも光の子を授かるからとかという曖昧なものだしな。ただ蛍は聖母と言われても納得できるが、レウが聖女と言われてもイメージが合わないというだけのことか。
「ほぉ。どうやら貴様にもわかったようじゃの。やはり聖女はパチパチモンキーじゃったのか。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
俺が納得したような顔を見せていたのか、ロリババがそう言ってふたつの牙を見せて笑う。
「あー。はい。なんとなくですけど」
聖女がパチパチモンキーだと言っているロリババには、いろいろと訂正したり突っ込みたいところだったが、説明してもきっと理解しないだろうと諦める。
「では決めろ。残念な英雄よ」
「えっ。なにを?」
「はぁーー。儂もそんなに暇ではないのだぞ。このあとも堕天した魂への聖なる裁きが待っておるのじゃ」
そう言ってロリババは肩を竦めたのだが……。
えっ、今までの話のなかでなにか俺が決めることってあったの? いやいやいや、ないだろ、ないよな。輪廻の塔が転移者の魂の救済のために造られたことと聖母と聖女がそこからは除外されることしか聞いていないよな……。
それでなにを決めろというんだよ。くそっ。さっぱりわからん。ニャンニャは………………。
エメラルドグリーンの美しい瞳を輝かせ俺の様子を見て首を傾げているようだけど、だめだ、まだまともに視線を合わせられない。
うーん。どういうことだ。俺がここで決めること……。ちょっと情報を整理しよう。
中央世界の創世物語と竜王アンゴルモアのことをニャンニャから聞き、ロリババから輪廻の塔のことを聞いた。
転移者として中央世界に来た俺は、昆虫軍との戦いで命を落とし、救済措置として造られていた輪廻の塔に来ている。ここまではいいよな。
それで、輪廻の塔の第1層から第6層までは、いろいろなことがあったが、最後には上への階段を上ることでここまで来たんだったな。しかし、ここには上への階段はない。ほかになにかの選択肢が出されたような気配もないのだが、ロリババは決めろと言う。
そういえば、ニャンニャも何度か俺がどうするのかを聞いていたな。それはいったいなんだ? なにを決めればいいんだ。
「さあ。どうした英雄よ。儂がこんなにも懇切丁寧に説明してやったのだ。わからないなどとは口が裂けても言えんよなー。まさかとは思うがそこまで残念なやつじゃったのかのぉ」
やばい。なんかロリババが椅子から身を乗り出して顔を近づけて睨んでいる。赤目とチラリと見えた牙が光ったぞ。だめだ、考えろ。このままじゃまずい。まずいぞ。もう、仕方がない、なにか、なにかを言うんだ。
「えっと。生き返って中央世界に戻ります」
言った。言ってやった。言ってしまった。どうだ…………。
今の俺の希望だけど、願望だけど、これからの俺の行動を、未来を決めたぞ。口にしてやったぞ。
少なからず不安はあったのだが、正解かどうか、俺の言葉を受けたふたりの様子を恐る恐る伺う。しかし、ロリババは目を見開いて驚き、ニャンニャは小さなため息を漏らしたあと俯いていた。
あれっ、おかしい。俺が決めるのはそれじゃないの? もしかしてもう中央世界には戻れないの? えっ、なになに……。
「き、き、き、き、き、貴様ーーーーーーーー!」
「ひっ」
耳元で金髪幼女の唸るような大声が響き、俺は首をすくめて驚く。ロリババはかなり怒っているようでプルプルと震えていた。苦し紛れに出した言葉で、俺はどうやら地雷を踏んだみたいだった。
「何が……、誰が……、生き返るじゃ! 生から死は不可逆だと、貴様には輪廻の塔に入る前に儂が教えてやったではないか。それなのに、よくもぬけぬけとそんな口を利けたものじゃな」
怒りのロリババは右手の肘を曲げて掌を上にした空間に、黒い煙が渦を巻く球体を造りはじめていた。まずい、まずいぞ。あれだ、あれをやられる。盛大に弾けて闇に輝く大輪コースだ。
「すみません。すみませんでした、永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん。もう我儘は言いません。ですから教えてください。俺にはどんな道が残っているんですか、永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん。教えてください。お願いします。永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん!」
もう、ことここにいたっては、というか今にも魂ごと消されそうな勢いのロリババを前にしては、なりふりなど構っていられない。『永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん』連呼の3連発で懇願する。
「ふぁ~~~~~~~。ふひっ」
あ、セーフか。まだ目元は怒っているようだけど、口元が緩んでいるし、変な声を出している。
「し、仕方がないやつじゃな。でも、まあ、儂はとても優しいからの。うん。仕方がないのぉ。ふひっ」
さっきまで鬼のような形相で睨まれていたけど、今は横を向いて視線を反らしている。これはきっと頬を赤らめているよな。しかし、どうやら助かったようだな。よかった。いや、ダメ押ししておこう。
「ええ。本当にすみませんでした。教えてください、永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん! お願いします、永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん!」
この窮地を脱することができるなら何度でも言ってやる。何度でも連呼してやるぞ。もうそれしかない。
「そ、そこまで言うなら儂も鬼ではないからのぉ。曲がりなりにも輪廻の塔第7層まで辿りついたわけだし、儂とて、貴様にも少しは見どころがあると思っておったしな。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
気持ちよく笑っているロリババの手からは渦を巻いて膨張し続けていた漆黒の珠が消えていた。
嵐は去った。よかった、助かった。もう少しで完全に終わるところだった。ロリババが『永遠のロリータロリっ娘ロリちゃん』と呼ばれることが大好きでよかった。恥ずかしい呼び方だけど、それで助かった。本当によかった。
「ふむ。では教えてやろう。残念な英雄に残されている道は、凡庸なる安寧を求めるか、永久の愛に傅くか、聖なる光を纏い紅蓮の瞳と邂逅するかの3つじゃ。貴様はそのどれかを選べばいいのじゃ。ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
『聖なる光を纏い紅蓮の瞳と邂逅……って、まさか、まさか俺が……』
最大の危機を乗り越え、金髪幼女の相変わらずの中二的な選択肢のひとつを聞いたとき、俺は体の奥から勢いよく流れ出す血を感じ、全身を微かに震わせたのであった。