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世紀末の七星  作者: 広川節観
第五章 輪廻する世界
273/293

273 決めたようだね

 ふたりの竜人が真理たちの前に突如として現れ、俺が撃退したら実はナナニャンたちの仮装だったというオチまでついたニャンニャロウイン事件があった日。事件のあとも、いつものように俺たち3人は川原へと遊びに行った。


 「パパ。エビさんいっぱいいたね。うふふふん」


 「あ、うん。そうだな」


 「うん? パパ、どうしたの?」


 瑠璃と一緒にエビや小魚を獲り終えて真理の元へ向かう途中、ちょっと考えごとをしていた俺に対して、嬉しそうに話していた瑠璃は表情を困ったものに変えて小首を傾げる。


 「いや、なんでもないよ。瑠璃は可愛いなー」


 「きゃははははははは。あっ、いや、やめてよねー」


 「ほーらほら」


 「きゃはは。むぅーー。あははは」


 ごまかすように俺は両手で瑠璃を抱えあげてブルブルと振ってから抱き締め黒髪に頬をあてた。くすぐったかったのか瑠璃は体を反らせて大きな声を出して笑い、それから頬を膨らませたあと一息吐いてまた笑顔を俺に向ける。


 これまでと変わらない日常である。俺の気持ち以外は。


 そして、いつも通りの楽しいバーベキューの時間を過ごしたのだが、俺はなにか引っかかるものというか、心の奥底に気持ちの悪い灰色の靄を囲い込んだような気分であった。ただ、それがなにかは、この時はまだわからなかった。



  ◆◇◆◇◆◇



 その夜、いつものように大きなベッドで3人で川の字になって寝た。


 すやすやと眠る瑠璃の寝顔に癒され、その向こうで寝ている真理の美しい横顔を一瞥してから俺は天井を眺めた。


 天井を見ながらなんとはなしに、俺はニャンニャロイン事件のことを思い出していた。


 真理の悲鳴を聞いて焦って家を飛び出した。本当にあのときは驚いた。ここに来てから真理や瑠璃の悲鳴など聞いたことはなかったからだ。あのときの俺はきっと一気にアドレナリンが放出され、心臓がバクバクと鳴っていたことだろう。


 悲鳴といえば、蛍が羽虫に襲われたときや近くにGを見つけたときにはよくあげていたよな。そのあとに見せた、この世の終わりを見てきたのかと思えるほどの怯えた顔もよく覚えている。そう考えて口元を緩めた俺の頭に別の思い出が流れ込んでくる。


 輪廻の塔に来て、第6層で真理たちと暮らしていて、あれほど焦ったことはなかった。白虎の尾を踏んだというか、核地雷を踏みぬいたというか、とにかく絶望的な気分になったものだ。


 それは、この前、バカンスとして海に行ったときのことである。馬車に乗り海へ向かう山道を走っているときに、清々しい空気を吸い込んだ俺は、誰ともなしに呟いていた。いや呟いてしまっていた。


 「そういえばこの世界には虫がいないな」


 「「!!」」


 「えっ!」


 木々の間から漏れる陽光と頬を撫でる風を体で感じる、まるで森林浴を楽しんでいたかのようなそれまでの穏やか空気が一変した、激変した、凍りついた。


 真理と瑠璃のふたりが同時に俺の方を向き、強烈な嫌悪の視線を向けてくる。まるで俺の存在さえも全否定するような、オタクがリア充に爆発しろと叫ぶような、この世で最も忌み嫌う者へと向けられる嫌厭な眼差しであった。


 冷や汗が滝のように流れた。ふたりから向けられた恐ろしい視線だけでこの世界が崩壊し、このまま馬車が山から転がり奈落へと落ちていくのではないかとさえ思った。


 なんとかしなければ……。こんなところにいたくない。早く、早く。このままでは、また穴底だ。また、あいつらに……。そんな思いに駆られながら、カラカラになった口元を必死に動かした。


 「え、え、えーーーと。えとえと。そう。む……、む……、む……、む……さ……し、浜辺に武蔵はいないよな。巌流島じゃあるまいし、さすがにいるわけないよな。別にいてほしくもないけど。あはははは」


 「…………パパはなにを言っているの?」


 「あはははは。そうだねー。突然どうしちゃったんだろうねー。でもきっと瑠璃を楽しませようとしたんだよ」


 「あははは。そうなんだ。パパ優しいぃ。大好き」


 『ふぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』


 口から出まかせ、苦しすぎる言い訳、とてもごまかせるわけもないような戯言であったが、結果的には助かった。ふたりの会話に集中しながら、行くあてを間違えずに、何事もなかった場所へと修正された流れに、俺は心のなかで長い長い、とても長いため息を吐いた。


 真理の言動にはいつも感心したり、驚かされていたが、このときの会話ほど、大声で『グッジョブ!!!』と叫びたいものはなかった。疲れ果てるまで叫び続けてもいいくらいのものだった。それほど俺は安堵したのである。


 実際に輪廻の塔第6層には虫は一匹もいなかった。草原や山林にさえ蝶やバッタなどはもちろん、蟻や羽虫さえいなかった。まるでそこに住む者が嫌う物は存在できない、存在してはいけないかのように。


 蛍が極度の虫嫌いなのは知っているが、その程度までは俺には計り知れないことだ。きっと彼女の基準があるのだろうし、それはもともと他人がわかる物ではない。ただ、このときの俺は真理たちは蛍以上に虫が嫌いなのだと思わずにはいられなかった。俺が呟いた『虫』という言葉に対して、彼女たちが見せた反応はそれほど異常だったのである。


 基準といえば、そもそも虫嫌いの基準って前からおかしいと俺は思っている。昆虫もエビやカニも同じ節足動物で大分類的には同じなのだから、虫はダメでエビとかカニは平気という感覚は理解できない。


 蛍もエビやカニは美味しいから昆虫とは全然違うと言っていたが、瑠璃も虫はダメなのにエビとは楽しく格闘し、嬉しそうに捕まえていた。しかも手づかみである。


 そして、蛍は昆虫軍とは戦えなかったのに、アノマロカリスとは戦いの女神が降臨したかのように一切の慈悲も容赦もなく弓を引き絞り相手を葬っていた。


 「あっ」


 脳裏にキャット・タウンで『伝説の15連射』を行った蛍の雄姿が浮かんだときに俺はなにかとても大切なことに触れた感じがした。そして、次々と蛍との過去の出来事がフラッシュバックしていく。


 レイラを救うための作戦会議のなかで逡巡する俺に見せた蛍の顔が、ゲック・トリノ城で囚われの身となった俺たちがなぶり者にされたときのゴドルフに向けた蛍の眼差しが、インセクト大平原で昆虫軍に向けて虹矢(レインボーアロー)を放った直前の横顔が。


 場面場面での蛍の瞳にはどれもこれも揺るがない信念を持っている強い力が込められていて、嫌でも俺の心はそれに惹きつけられていた。


 「そうか……」


 小さく呟いた俺は、隣で寝ている瑠璃と真理を横目で見てから、また上を向いた。


 忘れてはいけないもの、大切なものを思い出した。真理にはなくて、蛍しか持っていないもの。


 それは「強さ」であった。蛍にはあった強さが真理にはなかった。


 再びニャンニャロイン事件のシーンが頭のなかに蘇る。今日のあの場面、敵を攻撃して排除することしか考えていなかったあの一瞬。今にも竜人たちにふたりが襲われそうになったシーンで、両手を広げて敵に立ち向かっていたのは幼い瑠璃であって、真理ではなかった。


 そこに俺は違和感を抱いていたわけか。あの場面で真理が蛍なら俺が出る幕はなかっただろう。ナナニャンたちくらいなら一瞬で片づけているだろうな。いや、そうではないな。例え相手が強敵で、蛍が自分では勝てないと理解しても、彼女は瑠璃を守って決して諦めずに黒い瞳で真っ直ぐに敵を睨みつける。それが蛍であり、蛍はそういうやつだ。


 そういえば……、もうひとつ真理と蛍には大きな違いがあるな。


 それはいつ思い出しても条件反射で冷や汗を掻きそうな『微笑みの悪魔』だ。


 最後に見たのは、はじめて中央世界(セントラルワールド)にきて、ブルーリバーに着いたときにキャサリンのプロポーションを含めた年齢の話になったときだ。


 比較したわけではないとは言いたいが、蛍の胸をチラ見してしまった俺を問い詰めたあの笑顔。元の世界で同じような場面で、笑顔のままリンゴを頭に乗せられて矢を射られそうになったトラウマを思い出して必死に弁解し、冷や汗を掻きながらごまかした一幕だった。


 真理との間でも、はじめて一緒に風呂に入ったときやバカンスの海で、同じシチュエーションになっていたのだが、真理は軽く首を傾げただけだった。


 あれが、真理ではなく蛍なら、おそらく……。


 「瑠璃ぃ。パパがさ、リンゴを食べたいって。それと弓と矢も借りて来てくれるかな?」


 「うん。瑠璃、行ってくるね」


 「いやいや。ち、ち、ちょっと待って……」


 「うーん? どうして。なにを待つのかなー」


 「す、すみませんでしたぁ!」


 きっとこんな感じになっていたはずだ。いや違うか、ブルーリバーのときと同じように俺は純白の蛍の水着の可愛さ、可憐さを前面に押し出してごまかしにかかるかもな。


 そうしたら蛍は少し頬を赤らめながらも、ぷーーっと頬を膨らませて「もう、達也なんてしらない」と言って、ぷいっと横を向くかもしれないな。それとも幸介とふたりで「こけしカット」をからかった時と同じように「こいつめ!」と言って二の腕をぐりぐりされるかもしれないか。


 『あぁ。やっぱり俺は……』


 蛍と一緒に笑ったこと。訓練したこと。必死になって頭を回し合ったこと。思わず言い合いになったこと。ふたりして呆れたこと。励ましたこと。励まされたこと。強さを見せてくれたこと……。


 決意で結ばれた桜色の唇。黒髪を靡かせて丘の上に立つ凛々しさ。からかわれたときの怒った顔。優しさを湛える微笑み。いたすらしそうな小悪魔的な瞳……。


 元の世界や中央世界(セントラルワールド)での蛍との思い出が次々と脳裏に描かれ続けていく。


 『もう一度、ほたるに会いたい』


 結論は出ていた。


 そしてまた俺は天井を見つめた。


 もともと俺がこの輪廻の塔にいるのは、中央世界(セントラルワールド)に魂の半分を置いてきているからだ。もちろん聞いた話なので本当かどうかは俺にはわからない。しかし、レウと違って嘘が下手なレウンの様子を見た限りは真実なのだろう。


 だとすれば、俺は中央世界(セントラルワールド)に、蛍の元に戻らなければならないから魂の半分を残したのだろう。いや、そう考えること自体おかしいな。そんなことは当たり前だ。あんな死に方は断固拒否したい。蛍を助けるナイトではなく、身代りになってしまうという最悪な終わり方をしてしまったのだ。


 わけのわからない戦いに巻き込まれ、なにを置いても守りたい幼馴染の危機を救ったまではよかったが、それでジ・エンドにされたのだ。強敵に剣を振るうことなく、みなと一緒に元の世界に戻ることなく志半ばで生を終えたのだ。


 悔いが残らないほうがおかしい。魂の半分くらいは残してもどこもおかしくない。


 そして、うぬぼれかもしれないのだが、きっと蛍は悲しんでいる。つらい目に合わせている。俺の幼馴染はそういうやつだ。


 生き返れるなら、生きて帰れるならそうするに決まっている。それはもう決っていたのだ。


 暗闇で目覚めたときから、俺は迷うことなく真っ直ぐに中央世界(セントラルワールド)への帰還の道を探していた、望んでいた、夢見ていたのだ。


 真理と瑠璃と出会う前までは……。


 「ふぅ~~」


 「ふぅん」


 いつの間にか俺の方を向く形で寝返りを打っていた真理と瑠璃がほぼ同時に小さなため息のような声をあげた。それでも瑠璃は小さな手で俺のシャツを掴んですやすやと寝息を立てている。


 そして、俺も彼女たちの方を向いてからゆっくりと目を閉じた。



  ◆◇◆◇◆◇



 翌朝。目覚めたときには目の前に瑠璃と真理の笑顔があった。ふたりで覗き込んで俺が起きるのを待っていたかのような形である。ゆっくりと頭と体が目覚めていく。ふたりはなにも言わずに笑顔のまま大人しくそれを見守っていた。


 「ああ。おは……」


 ようやく発しようとした俺の言葉を遮るかのように真理は微笑みながら桜色の唇を動かした。


 「決めたようだね」


 「…………」


 目を見開き沈黙する俺に対して、真理は優しく微笑んだ。瑠璃はなにも言わなかったが、いつも通りの笑顔だった。


 窓から吹き込む朝の清々しい風がふたりの黒髪を優しく撫でていく。


 俺は半身を起こして瑠璃の黒髪を優しく二度撫で、包み込むように小さな体を抱きながら真理に答える。


 「ああ」




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