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世紀末の七星  作者: 広川節観
第五章 輪廻する世界
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266 幸せの形

 言われなくてもわかっている。そんなことは百も承知どころか天地がひっくり返っても起きることのない、あり得ないことだということは……。


 輪廻の塔、第6層の番人として現れた、蛍似のお母さんと、幼少時の蛍似の可愛らしい子ども。


 俺のことを「パパ」と呼ぶ幼女と、まるで夫の帰りを待っていた新妻のような格好で手を差し伸べる美少女。


 新婚のような雰囲気でありながら、すでに7歳くらいの子どもがいるというあり得ない状況なのに、それが自然であり、当然であり、永遠に変わらない真実のようにふたりは振る舞っている。いや、頑として存在していた。


 もちろん俺には、結婚した覚えもなければ、子どもを持った覚えもないのだが、それでも目の前の妄想に妄想を重ねたような、言いかえれば俺の理想郷ともいえる世界に抵抗する術はもたなかった。


 おそらく非現実的なファンタジー世界のことだとわかっていても、俺自身が全面的に否定することを拒んでいたのかもしれない。ふたりの存在を拒む力よりも、素直に受け入れてしまう力のほうが遥かに強かった。


 だから、俺は彼女たちに「誰がパパなの?」とか「そんなに大きな子どもがいるって計算が合いませんけど」などという世俗的な疑問を投げかけることはなかった。心の奥底に鍵をかけてしまい込み、ふたりの言動に素直に従う道を選んでしまっていたのである。


 いやいや、そうじゃない。どれほどの言葉を並べても、どれほど理性的でいても越えられない大きな壁に、完全に蕩けてしまっていたといったほうが、この場合は正しいだろう。


 「ほら達也。立って。行くよ」


 「パパ、行くよ! ふんっ」


 優しく微笑みながら声をかけてくる美少女と、彼女の真似をして、小さな手のひらを目いっぱい広げてこちらに伸ばしてから、鼻の穴を大きく広げて息を吐き出す幼女。


 見ているだけで身も心も蕩けてしまいそうな親子が、俺の嫁であり、子どもだという俗世(リアル)から乖離した雰囲気を醸し出して、これでもかと言わんばかりに俺を包んでくる。


 彼女たちがいれば、他には何もいらない。それがすべてであって、俺の世界なのだとさえ思えてくる。


 ああ。俺の魂が求めた最終的な場所はここなのかもしれないな。うん、本当にそれがここであっても、俺は後悔しないだろう。そう思いながら俺は彼女の手に導かれるように、ようやく立ちあがった。言いようのない暖かなぬくもりが心に伝わってくる。


 今まで彼女たちだけに視線を奪われていた俺は立ちあがるとともに、周囲の様子が視界に入り、その異様さにようやく気がついた。驚くべきことに、この第6層がこれまで経験してきた別の階層の花畑とはまるで違っていたことを。


 3人がいる周囲は花畑であり、シクラメンのような大きな花ではなく、紫色や淡いピンク色の小さな花が連なって咲いている。おそらくこれはフィソステギア。第五世界ということだろう。


 ここまでは想定内のことなのだが、咲き乱れているのは俺たちの周囲だけで花畑は地平線まで続いてはいなかった。周囲の景色はそれまでのどこまでいっても花畑とは違い、山があり、森があり、川があった。森や山の向こうに何があるかまではわからないが、あきらかに今までとは違っていた。


 俺たちがいる場所は起伏に富んだ山間の盆地のような場所であったのだ。


 しかも、少し離れた場所には道があり、その横にはログハウスのような建物がある。野中の一軒家というべきか、おとぎの国の小さな家というべきか。不思議な雰囲気を醸し出している建物だ。あれが俺たちの家なのか。彼女たちはあの家の住人なのか。


 「ここは……」


 もしかして下の世界なのか。今までの輪廻の塔との風景の違いに驚いた俺が、思わず声を出して一番先に頭に浮かんだのは、今回はいきなり第五世界(フィソステギア)、つまりは下の世界に来てしまっていたのかということであった。


 「あはははは。ここは、あたしたちの世界だよ」


 「うん! 瑠璃たちの世界だよ。あそこがね、お家っ!」


 「ようやく戻ってきてくれたんだよねー」


 「うん。パパ。お帰り」


 周囲を見回して驚いていた俺を見て、すぐさま答えをくれる黒髪の親子。俺たちの世界。下の世界ではなく、上の世界、ここは3人だけの世界なのか……。


 いや、ちょっとまて。今、この子はなんと言った。瑠璃? 瑠璃って言ったのか?


 今いる世界がどんなところなのかという疑問よりも、突然出てきた瑠璃という言葉が俺の思考をかき乱し、俺は昔のことを思い出していた。


 あれは、俺と蛍と幸介がまだ瑠璃と同じような子どものころのこと。よくは覚えていないが、3人で土手に座って話をしていたときのことである。


 「ねぇ。たーくんやこーくんは、自分たちの子どもにどんな名前をつけるの?」


 蛍が突然、そんなことを言った。幸介はいきなりの質問に面くらった様子を見せたが、すぐに応えていた。


 「なんだよ、いきなり。そうだな俺は、男なら幸一で女なら幸子だな」


 「あははは。こーくんらしいね」


 蛍はそう言って笑ったが、俺は「ふーん。なんかすごいな」と咄嗟に応えていた幸介に驚いたのを覚えている。そのときの俺には、蛍の疑問に対する答えなど持ち合わせていなかったからである。


 「じゃあ。たーくんは?」


 幸介の答えを受けて、幼い蛍の興味は俺がどう答えるかに移り、にこにこしながら、目を輝かせて俺を見つめてきていた。わくわくしながら俺の答えを待つ蛍に対して、俺はどぎまぎしながらもその様子を可愛いなと思っていた。


 そして、少し考えて出した答えは……。


 「えっと。そうだな。女の子なら瑠璃。男の子なら勇人かな?」


 「うわー、素敵な名前だね。あははははは」


 なぜ、瑠璃と勇人と答えたのかは今でもわからない。わくわくしながら俺の答えを待つ蛍の顔を見ていて自然と出てきたとしか言えなかった。


 でも、俺が答えたときの蛍の嬉しそうな顔と、少し意外そうな顔をして驚きつつ喜ぶ蛍を見た俺の満足した気持ちは、良い思い出として強く残っていた。


 昔の思い出の一ページにあった名前、瑠璃。


 それが今、目の前で当時の蛍と同じ表情を持った子として、紛れもなく存在していた。子どものころの良い思い出が、魂が巡る輪廻の塔のなかで実体化して、現れていた。それが何を意味するのかはわからない。それでも、俺を襲った感覚には言い様のない幸福感が内包していた。


 「瑠璃……」


 「なぁに。パパ」


 俺の呟きに、小首を傾げて俺を見上げながら答えた黒髪の幼女を、俺はしゃがみ込んで抱き締める。ただただ、そうせずにはいられなかった。


 「あはははは。瑠璃は逃げないよ。パパ大好き」


 瑠璃もぎゅっと抱きしめてきて、笑いながらそう言った。


 「よかったね。瑠璃。あははははは」


 ふたりの幸せそうな笑い声を聞きながら、たしかに感じる瑠璃のぬくもりを噛みしめて俺はゆっくりと瑠璃の黒髪を撫でたのであった。


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