252 銀髪の美少女
「ここは……」
何の音もしない暗闇をどれだけ彷徨ったかはわからない。
突然現れた一筋の光に導かれて進んだ向こう側には、一面に紫色の花が咲き乱れ陽光が煌めいている場所があった。長い闇の世界というか、微かな音さえしない無の世界から解放されて自由になったという感覚が、そこには確かにあった。
そこで、俺、紅達也は目が覚めた。
正確には目を開けて視覚として華やかな光の世界を捉えたわけではないのかもしれない。なにしろ、俺は死んでしまったのだから……。
それでも俺の意識が目覚めた理由、そんなものわかるわけもないのだが、一面に咲く花の魅惑的な芳香が嗅覚に届き、眩しいくらいの光とやさしい風のなかに放り出された感覚は確かに掴んでいた。
「天国なのか……。それならなんとなく納得できるな。天国ってこんなところかもしれないよな……」
実際に声に出していたのか、それとも心のなかだけで語っていたのか。俺は誰もいない空間に向けて呟いていた。
「この紫色の花畑はどこまで続いているんだろう」
俺を取り囲むように咲き乱れている花に視点を移す。薄紫色の6枚の花弁の中央には黄色い雄しべと赤い雌しべがある。
葉も含めてどこかで見たことのあるような花だったので記憶を辿ろうとしたのだが、次の瞬間に前方の花畑のなかから体を起こしてこちらを向いた美少女に心を奪われてしまう。
そよ風に靡くような長い髪を銀色に輝かせて、じっと俺のことを見つめている美少女がそこにいた。彼女までの距離は10メートルくらいだろうか。
裸? いや、違うな、半裸というか下着姿か? 黒のブラをつけているようだが、透き通るような白い肌が輝いていた。下半身は花に埋もれていてよく見えないが、なんとなくパンツだけのような気がした。
少女の見た目の雰囲気や顔のパーツや輪郭などには見覚えがあった。なぜそこにいるのかなどわかるわけもないが、まさかあの戦いで……という嫌な予感が頭を過る。
銀髪の美少女は一瞬、驚いた様子を見せたあと、澄んだ湖のような青い瞳をゆっくりと細くして微笑んだ。
少女の笑顔に吸い寄せられるようにゆっくりと近づく。
「レ、レイラ……」
「はぁ? 誰、それ?」
「違うのか。レイラじゃないのか?」
「ふっ。やっぱり、おもしろいな。お前。達也だっけ?」
確かにレイラの髪型は目の前で座ってこちらを見上げている少女のようにロングではない。しかし、白い肌に青い瞳、すらりとした鼻筋を持つ高い鼻、薄めの唇、控えめな笑顔に少女にしては低く落ち着いた声、全身から漂うクールな雰囲気。それらすべてが俺が中央世界で出会った銀髪の美少女レイラ・イワノフと同じだった。
「えっと。そうだけど……」
なぜ俺の名前を知っているのかとか、ここはどこだとか、なんでこんなところで下着姿で寝ていたんだとか、突っ込みたいことが山ほどあって、俺はあいまいな返事だけして言葉に詰まり、再びまじまじとレイラではないのかと美少女の瞳を注視する。
それと近づいてよく見てみたら、やはり下半身はパンツだけという半裸状態ですらりとした足を組んで寝ていたのか、そのままの格好で右足首をぶらぶらと揺すっていた。
「なあ、あんた。ここで暮さないか?」
「はぁ?」
「なんだ。聞こえなかったのか。ここの暮らしは楽しいぞ。毎日こうしてゴロゴロしていても誰も文句は言わないしな」
「えっと。何を言っているのかわからないんだが……」
「あはは。本当にお前、おもしろいな」
「いやさ。会話になっていないだろ」
「これからふたりでここで暮らすんだ。そんなことはゆっくりでいいだろう」
「おいおい。俺はここで暮らすとは言っていないけど、なんでそれが前提になっているんだ?」
「なんだ。まだ決心していないのか? あたしとふたりだけでこの世界で暮らす未来を思い描いてみろよ。もうそれはバラ色だろ。そりゃ下の世界は牧歌的でいいところだったんだけれどな。まあ、仕方がないよな」
ダメだ。話が通じない。まったく通じないというか、一方的にここで暮せと言われているだけだよな。
「はぁ」と深くため息を吐きながら、少し落ち着こうと思って少女の横に腰を降ろす。それに合わせて少女も視線をゆっくりと移動させた。
「なあ。ここはどこなんだ。まずはそれを教えてくれないか?」
「あはははははははははは」
真っ直ぐに俺の目を見て微笑んでいた少女は、俺の言葉を聞くや否やお腹を抱えて大爆笑する。こ、こいつ、いったいなんなんだよ。俺は何か変なことを聞いたのか? 会話を進めようとすればするほど破たんしていく流れに俺は頭を抱えた。
「よいしょっと」
そう言うと少女は向きを変えて、足を伸ばして座っていた俺の腿を枕にして気持ち良さそうに「くすっ」と息を吐き、いらずらっ子が見せる丸々とした瞳を俺に向けた。
「えっ。おい!」
「やっぱり楽しいな。こういうの憧れていたんだよ。これからはいっぱいできるな。いいなー。やっぱりいいよな」
銀髪の美少女は寝転がりながら上目づかいでそう言ったあと、俺の足を軽く撫でながら小動物に対してモフモフを楽しむかのように本当に嬉しそうにしている。
これはまともに話してもきっと何も得られない。それだけははっきりした。彼女の言葉から何を問えばというか、話せばいいかを考えるんだ。たぶんそれしかないだろう。
俺は必死に頭を回し、さっき聞いた彼女のすべての言葉を復唱するように思い出していった。
そうか。俺は彼女の言葉のなかにあった、あることに気がついた。
最初彼女は「ここで暮さないか?」と言い、そのあと俺が意味がわからないといったら「なんだ。まだ決心していないのか?」と言ったな。それはつまり、きっとここで暮らしていくのにも俺の同意というか意志が必要だということだ。
「うふふ。ごろごろ~。ごろごろ~。はぁ。なあ、あたし幸せだよ」
寝がえりを打つ少女の頭が俺の腿を何度も往復する。くすぐったい。俺が黙ったのを言いことに、少女は無邪気に遊んでいる。
さすがに俺を混乱させたいとかではないとは思うが、赤面するようなセリフを吐いていた。長い銀髪をまといながら遊ぶ少女の姿があまりに可愛らしくてドキドキしてしまったので、混乱させたいなら成功しているのだが……。
それでも、途切れかけた思考を元に戻して、俺は考える。
えっと。そうだ。もし、ここが天国とかで、すでにふたりで暮らしていくことが決まっているなら、「ここで暮さないか?」ではなく「ここで暮らしていくんだよ」とかになるはずだ。
「まだ決心していないのか?」も、「決まっていることなのにうじうじするなよ」とかになるはずだな。彼女はレイラなど知らないとは言っているが、レイラならそう言うだろうなどと考えながら俺は頭を整理していく。
ということは……。今、俺が彼女に言うべき言葉は……。
「君のような美少女にそう言ってもらえるのは本当に嬉しいけど、俺には守らなければならない人がいる。ここで暮らすわけにはいかない」
ふぅー。どうだ。なんかライトノベルで見たようなテンプレの言葉、歯が浮くような恥ずかしい言葉だけど、俺ははっきりと言い切ってみた。
すると腿を枕に嬉しそうにしていた美少女は、ゆっくりと起き上ったあと、俯いて悲しそうな横顔を見せて薄い唇を動かした。
「そうか。やっぱりお前はナイトなんだな。まあそこがお前の魅力だしな…………。あたしはゼピュロス様を待つとするよ。行きな」
そう言った美少女が腕を上げて指差した方向に、大理石でできた白い階段が現れた。何がどうしたのかを理解しているわけではないが、言い切ったのが正解だった気がする。
銀髪の美少女が話す途中で「格好つけやがって」と呟いたようだったが、そこは突っ込まないことにした。それに……ゼピュロス様って言ったよな。それって……、本当にレイラじゃないのか? 心のなかだけでそう突っ込んだ俺は、ここはどこなのか、彼女が誰なのかなどの答えを一切もらえなかったが、前に進むことを決めたのだった。