251 戦後処理と撤退
昆虫軍との激闘から一夜明けた10月8日。
今日も快晴の中央世界の1日がはじまった。
元の世界、つまりは第六世界の日本なら、10月で快晴の日となればさわやかな秋晴れの日となるのだが、ここ中央世界には四季はないため少し汗ばむ夏のような陽気である。
そして、この日、合同軍は大森林からの撤退を開始した。
合同軍が撤退行動に入る前、ラウラは各部隊の隊長クラスを集めて会合を行った。その冒頭。
「こたびの戦いは、司令官の無能さゆえに多くの犠牲者を出してしまった。本当に申し訳ない。すべて我の責任だ」
ラウラはそう言って深々と頭を下げた。突然の指揮官の謝罪に戸惑った隊長たちは顔を見合わせる。すると隊長たちのなかでは、七星の英雄たちをよく知っていて最もラウラに近く、他の兵士や傭兵たちからの人望もあるグスタフが足を鳴らして直立姿勢を取ってから口を開いた。
「いえ。ラウラ様。あの攻撃を見抜けた者など、我が軍にはもちろん、この世界にもいません。やつらのテリトリーに攻め込み、ゲリラ的な攻撃を受け、最も効果的に攻められたのです。状況は最悪で全滅さえあるなかで、それでも我らは勝利した。それは総司令官があなただったからです。だから頭を上げてください」
「グスタフの言う通りです。ラウラ様」
「ラウラ様。頭を上げてください」
「ラウラ様あってこその勝利です」
グスタフの言葉を後押しするように各隊長からも次々と声が上がり、ラウラは神妙な顔をしながらも頭を上げた。集められたなかには白狼軍の隊長もいたが、他の隊長たちの言葉を強く肯定するように大きく頷いていた。
合同軍が作戦負けをしたことによって、多くの死者が出たことは間違いなかったが、昆虫軍のタイミングを計れる落とし穴攻撃での奇襲などグスタフが言う通り、事前に察知できた者などいるわけもなかった。だからラウラのことを咎められる者などここにはいなかったのである。
「すまない。感謝する」
各隊長たちの言葉を受けてもラウラはもう一度頭を下げた。それからひとつ咳払いをして、次の議題へと移った。
このあとラウラは、最初に各拠点の戦死者数などの被害状況の聞き取り調査を行い、それをまとめた。そして、今回の戦いのために作った森の各地にある拠点を残すのか破棄するのかと撤退方法という2つの議題について話し合った。議題に対しては、ラウラが提案して皆に意見を聞く形で進めていく。
まず、戦死者数は実に1万2000人にも上った。合同軍の戦力はおよそ3万だったので全体の3分の1強を失ったことになる。負傷者の数は100名程度と極端に少なかったが、これは、昆虫軍の猛攻に遭った者で助かった者がほとんどいなかったことを意味していた。
戦死者数は前回の戦いのように一般市民が巻き込まれたわけではないので膨大ではないが、人類の兵が最も多く、次いで白狼軍、キャット・タウン軍の順であった。もともとキャット・タウン軍は兵数が少なかったので、数を比べれば少ないのは当たり前で割合としてはほぼ同じで、3分の1程度であった。
そして8か所に分けて各拠点から攻めた合同軍の戦死者数は七星がいた北西の拠点が最も少なかった。これはイナゴ隊が拠点に襲来したとほぼ同時に知覧・ゲノム・レウの原子破砕弾αが炸裂したからである。
北西の拠点は大穴を空けられたなどの猛攻を受けてはいたが、レウの一撃が決まったあとは、新たな敵が到着する前に蛍が虹矢を放ったため、レウの一撃以降、犠牲者が増えることはなかった。
ただ、七星の英雄のひとり紅達也と七星の知覧・ゲノム・ラウラの従順なる下僕であったゴブリン王ゴドルフをはじめ、蛍とレウの護衛であったジャック、ライアン、ニコラスなど、先の戦いで生き残った優秀な兵士や傭兵たちを多く失っていた。
ちなみに北西方面から森に入った部隊は3部隊9000人であり、他の拠点よりも多いのだが、それは索敵要員などで広く各地に散会していたために、実際に拠点にいた数としては、他の拠点の兵力と同じであった。
北西の拠点にもっと戦力を集中していたのなら戦死者数は確実に増えていた。つまり、結果論ではあるが、広範囲の索敵陣形が犠牲者を減らしたことになる。
また、レウの技がなかった他の拠点では、イナゴ隊が拠点を占領するほど暴れ回り、拠点全域を真っ黒に染め上げていた。しかも落とし穴からも昆虫たちが溢れだしたため逃げ場を失った兵士はひとりも助からなかった。
イナゴ隊が来る前に森へ逃げた者だけが生き残ったのだが、各拠点にいた兵およそ2000のうち、生きて森まで逃げた者は300名足らずであった。
もちろん拠点によってバラつきはあり、最悪だったのが先にイナゴ隊に攻められていた南西、南、南東方面の3つの拠点で、逃げられた者の数は2ケタまで落ちるほどの惨状で、ほぼ全滅とさえ言えた。
次に、議題のひとつめである各地の小さな拠点の取捨については、大森林を南北のふたつに分け北側を白狼軍、南側を人類が担当して、どう使うかはそれぞれの軍の判断に委ねられることに決まった。キャット・タウン軍は会議に参加していた隊長が「いらにゃいにゃ」と言って辞退していた。
また、現在、合同軍が滞在している広大な土地をどうするかは、ラウラがここに街を造って犠牲者を弔う石碑を建てることを提案した。
壁から遠く離れた大森林に大きな拠点ができる人類側に異論はなかったが、さすがに話が大きすぎて白狼軍の隊長たちには判断できなかったので、この件はベック・ハウンド城に持ち帰ってフレイムや重臣たちの意見を聞いて決めることとなった。
もうひとつの議題である撤退方法については、この場で合同軍を解散してそれぞれの岐路に付く形でまとまった。白狼軍は北へ向かいベック・ハウンド城、キャット・タウン軍は南東のキャット・タウンに戻る形である。
ただ、人類だけは部隊をふたつに分けることになる。ひとつは白狼軍とともに北のベック・ハウンド城へ、もうひとつは南西へ進み本拠地であるブルーリバーへと向かう。簡単に言えば直接帰還するか、ベック・ハウンド城を経由して帰還するかということである。
ベック・ハウンド城へ向かう部隊はラウラが指揮を執り、ブルーリバーへ向かう部隊はグスタフが指揮を執ることに決まる。
各部隊の隊長たちとの話し合いで、戦死者数の把握とふたつの議題を解決したラウラは、いくつかの細かい指示を兵士たちに出してから蛍たちの元へと向かった。
ティーンエイジャーたちは、膝を抱えて地面に座り一点を見つめ続ける蛍を中心に、空を見上げていたり、遠くを見ていたりしておのおのが違う方へ視線を向けていながら集まっていた。
別々に佇んでい4人をひと所に集めたといったほうがいいかもしれない。そこには談笑はもちろん口を開く者さえいなかった。
まるで蛍に吸い寄せられたように、蛍を守るかのように、皆がそこにいることが重要なんだと蛍本人と周囲に示しているような位置関係に4人はいた。
「ねえ、みんなは先にブルーリバーに戻っていてね」
今できる精一杯のお姉さんの表情でラウラは絞り出すように声を出した。誰かに視線を合わせるのではなく、4人の中心部分にいた蛍の黒髪を見ながら。
4人はラウラへ顔を向けたが、反応したのはキャサリンとレイラだけで、ゆっくりと頷いた。幸介と蛍は顔を向けただけであった。
それでもラウラは必死に笑顔を作り、零れおちそうな涙を我慢ができそうになかったので、すぐに4人に背を向けて「またね」とだけ口にした。
「レ、レウさんは?」
矢を放ったあと一度も喋っていなかった蛍が口を開き、本来なら応えを聞くためにラウラの方を見るべき幸介たちが一斉に蛍へと驚きが混じった視線を向けた。
「レウなら大丈夫。先にというか、昨日のうちにベック・ハウンド城へ戻ったわ。もう着いているはずよ。それじゃあね」
蛍の言葉に足を止められたラウラは、振り返ることなくそう答えたが、これまで抑えきっていた妹を心配する姉の気持ちまでが溢れ出てきて、一粒の涙が切れ長の目尻から流れた。
実際、レウは命に別条はなかったが、いつ目覚めるのかさえわからない昏睡状態に近いものであった。それほどレウが放った術は常識外の大技だったのである。
レウは持っていたすべてのエネルギーを使い切り、脳にかなりの負担がかかった。蛍の回復の術で致命的な状況からは脱したが、僅かな時間であったために全快にはほど遠い状態だった。
もし100%を全快、0%を死と仮定するなら、技を使ったことによって残り1%というレッドゾーンへ入ったのを蛍の術で5%までは持ち直したが、未だレッドゾーンを脱していないという感じである。
蛍たち4人はラウラの話を信じて安堵の表情を見せたが、そのあとは何も言わずにまたそれぞれの殻に閉じこもった。
その後、同様に4人はほとんど言葉のない状態で、ブルーリバーへ戻る部隊と合流し、この世界の故郷ともいえる街への帰路へと着いたのであった。
◆◇◆◇◆◇
昆虫軍の最後の生き残りクイーン・イエロー将軍は、七星の英雄知覧・ゲノム・ラウラと久坂幸介の同時攻撃により討たれ、昆虫軍は完全に中央世界から消え去った。
これは、別の見方をすれば「変遷」によって第二世界からこの世界に転移してきた者がすべていなくなったことを意味していた。
しかも同日、クイーン将軍が討たれる少し前に昆虫軍によってゴブリン王ゴドルフが討たれたことによって、第三世界から転移してきた者もすべて死に絶えていた。
もし、中央世界で起こる戦いを七つの世界から集められた者たちを7つのチームに分けた生き残り合戦と例えるなら、第二世界、第三世界の2チームが同日に脱落したということになる。
こうして、兎にも角にも人類と昆虫軍との戦いは終わったのだが、中央世界歴4871年10月7日は、この世界の歴史的には大きな意味を持つ日となったのであった。