241 大森林での死闘㉛ ~咆哮~
【念のためのご注意書き】
作中の蛍のように、極度に虫が嫌いな方はご注意ください。
この戦いでは、ムカデ、毒蜘蛛、サソリ、スズメバチ、軍隊アリ、イナゴ(ワタリバッタ)などが登場します。
レウが自身のすべての力を使い、周辺の昆虫たちを含む生あるものをガラス片に変えて無に帰して倒れたあと。森に響いたふたりの女性の声は、もちろんラウラと蛍であった。
彼女たちが目覚めたのはほぼ同時のようなものなのだが、蛍の方が少し遅かった。
ラウラが目覚めたのは、レウがレイラに投げ飛ばされてローサがレウを庇ったあたりだ。倒れていたラウラについていた兵士は注意をレウたちに向けられていて、ひとり目覚めたラウラは、自分の置かれた状況を理解するまでに少し時間がかかった。
ローサがレウを抱えるように守っている状況もそうだが、なぜ拠点から離れた場所で自分が横たわっているのかを思い出すのに時間がかかった。寝起きでボケているような感じで、表情も素のラウラお姉さんになっていた。
「うっ」と小さく呻き頭を押さえながらも記憶を辿り、ゴドルフと一緒に穴に落ちたことを思い出したラウラは、気合いを入れてすくっと立ちあがる。
「ラウラ様」
「うむ。もう大丈夫だ」
「はっ」
ラウラが起きたのに気がついた兵士がレウたちから視線を戻して声をかけてくる。ラウラは兵士の方を見ずに拠点に目をやった。拠点のいたるところに大穴があり、爆発したような痕跡もみつけ、櫓の上でイナゴ隊に集られている兵士たちを見る。それでラウラは理解した。
敵がどういう攻撃を仕掛けてきたのかを。そして、経緯まではわからなかったが自分がゴドルフと今も拠点の自分が落ちた穴の傍にいるキャサリンたちに助けられたことを。戦況は最悪であることを。
「くそっ」
完全に作戦負けした指揮官の悔しさを小さく吐き捨てたラウラは、周囲を見回し七星を探す。ラウラが確認できたのはレウ、レイラ、キャサリンと少し離れたところで今、目覚めたような蛍であった。すでに軍人ラウラの顔に戻っていたが、眉間に皺を寄せ、表情はさえなかった。
それでもラウラは必死に頭を回した。これからどうするのかを。ここは撤退したほうがいいのかとも考えてチラリとレウの方を見たラウラの目が見開く。妹が3本の杖を使い、見たこともない技を放ったのである。
あきらかに無茶な術だということはすぐにわかった。そして倒れるレウを見て思わず叫んでいたのであった。
一方、ラウラと同時に叫んだ蛍が目覚めたときにはルークが傍にいて、声をかけてきた。ルークは蛍を皆が一時的に避難している場所に運んでから、いつ気がついてもいいように傍を離れずにずっと見守っていた。
「聖母様……」
「うーーん。ルーク?」
ルークの安心したような顔を見て、蛍は次第に意識がはっきりとしていく。そして自分が穴に落ちるのを達也に助けられたことを思い出した。
はっとして起き上がり、達也の無事を確認するために周囲を見回した蛍の瞳に映ったのが、レウが大技を放って倒れるところであった。
ちなみにゴドルフに大切に守られたラウラと違って蛍には茂みに突っ込んだときの打ち身による痛みが足や腰などにあったが、特に中央世界にきてから厳しい訓練をしてきた蛍にとっては、それは気にするほどのことではなかった。
◆◇◆◇◆◇
大技を放ち倒れたレウに防護帽を脱ぎ捨てて駆け寄り、ローサから妹を奪うようにして抱き抱えるラウラ。蛍も同様に防護帽と手袋を外して駆け寄り、回復の術をレウの体に向ける。蛍は完全に血の気を失っているレウをしっかりと見つめて、桜色の唇を強く噛みしめた。
「レウ。レウ。レウ!」
そう叫びながら、ラウラはレウの防護帽を外し、心音を聞こうと幼女のような妹の胸に耳を近づけた。微かに伝わる心音は今にも消えそうであったが、数秒後、蛍の術の効果か、生き返ったように確かな鼓動を刻み始める。
「ありがとう。ありがとう。ほたるちゃん」
涙がこぼれ落ちそうになりながら礼を言うラウラの顔は軍人のものではなく、妹の安否を気遣う姉の瞳だった。蛍は軽く頷きながらラウラと視線を合わせた。
と、その時。
「うぉぉぉぉぉぉ。うそだろうぉぉぉぉぉぉぉぉ。ばかやろーーーーーーーーーーーー!」
拠点の方から獣の咆哮のような声が聞こえてきて、蛍はビクッと体を震わせた。そして驚いた表情のまま聞き覚えのある声の主の方へ視線を向けた。
大きな瞳にキャサリンが穴の上で首を垂れてへたり込み、キャサリンの肩に手をかけたレイラが穴底を覗く姿勢のまま固まっているのが映った瞬間、蛍の時間は止まった。レウへの回復の術をかけている格好のまま固まった。術は途絶え、それまであった淡い光も消え失せている。
蛍の「えっ!」という声はラウラや周囲にいる兵士たちには聞こえたが、蛍自身の鼓膜には届かなかった。
蛍は視線をキャサリンたちがいる方へ向けたまま固まり、自分の声も聞こえなかったが体中の血が逆流するのはわかった。全身が小刻みに震えだしたのはわかった。震えを止めようとしても止まらないのはわかった。それでも立ち上がらなければ、行かなければいけないと思った。
わなわなと震えながらも、よろよろと立ちあがった蛍は震える両足を両手でバンバンと叩き、一瞬の間のあと、咆哮が響いた方へと駆け出したのであった。
◆◇◆◇◆◇
一方、レウが大技を放ったころ。人類との同盟を結ぶべくベック・ハウンド城を目指していた獣帝国の一団は、大森林の北およそ30キロの地点にいた。
獣帝国軍の第一軍の将軍であり、今回の派兵部隊の隊長カリグ・アイドウランはベック・ハウンド城へと向かう途中、先遣隊からの報告を受けて人類と昆虫軍の戦いを知った。
事実を掴んだときにはさすがに驚きを隠せなかったカリグであったが、決断は早かった。すぐさま進路を西から南へと変更し、戦場へと向けて飛び立った。
大小の違いはあるが、ほとんどが羽や翼をもった獣人であったため、竜王国軍への警戒という名目で数名の第一軍(幻獣軍)の兵と第四軍の1大隊を北に残し、空を飛んでここまできていた。
陣容は第四軍からは今回の部隊に参加している2大隊200名とマルケス・メッサ将軍。第一軍(幻獣軍)からはペガサスとグリフォンを含む数名が帯同していた。
「カリグ様。南の空に異変が。大森林の北西です!」
カリグのかなり前を飛んでいたグリフォンの幻獣からの報告を受け、空中で全軍をいったん止めてカリグは南西の方を見つめた。そして巨大なオーロラが森から放出されているような輝きを見て、カリグは目を見開いた。
「なんだ、あれは? あれは人類の攻撃なのか?」
正しい答えなど返ってこないことはカリグもわかってはいたが、傍にいたメッサ将軍に問いかけるように呟いた。思わず呟いてしまった。
ふたりとも昆虫軍が遠い森で起こっている異常現象を起こせるわけがないことはわかっていた。もちろん自軍の白狼たちも。だから、結局は人類しかないという結論になるのだが疑問を呈せずにはいられなかった。
「…………。皇帝陛下の眼力の凄さ、確かさを見せられましたな。急ぎましょう!」
「うむ。そうだな」
あまりのことに驚き、しばらく黙っていたメッサ将軍だったが、一瞬だけ口元を緩めてから呟くような問いの返答といえる言葉を発する。それを聞いてカリグはゆっくりと頷いてから再び翼を広げたのであった。