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世紀末の七星  作者: 広川節観
第五章 輪廻する世界
238/293

238 大森林での死闘㉘ ~消えかかる星~

【念のためのご注意書き】

 作中の蛍のように、極度に虫が嫌いな方はご注意ください。

 この戦いでは、ムカデ、毒蜘蛛、サソリ、スズメバチ、軍隊アリ、イナゴ(ワタリバッタ)などが登場します。

 突然、大地が崩れて穴に落ちそうになった蛍を飛び込んで助けた俺は、その穴を越えられず縁で腹を打ち、背中から穴底へと転落した。


 どれくらい気を失っていたのかはわからないが、強烈な痛みとともに目覚めたときに最初に見たのが、スズメバチ、蜘蛛、軍隊アリ、サソリたちであった。思わず目をそむけたくなるような昆虫たちがわしゃわしゃと蠢く光景が広がっていたのだ。くそっ、最悪だ。


 体は動かない。逃げなければ、いや、まず立たなければと思ったが、動けなかった。わずかに何本かの指が微かに動いたがそれで何かができるわけもなかった。


 体中に鈍痛があったが、それよりも気になったのは、俺が目覚めるきっかけを作ったであろう右膝の後ろあたりからくる強烈な激痛だった。まさか、敵に防護服を……。


 はぁ。重い。体が重い。意識が重い。闇が重い。すべてが重い。漆黒ではないが、この黒いうねりが俺の体を魂ごと奪い尽くそうとしているのか。


 蛍は無事か。穴には落ちていないはずだし、俺は蛍を助けたとは思う。そうだ。早くここから脱出して茂みまで飛んだ、いや俺が飛ばした蛍の元へ行かなければ。そう考えた俺の意識を蠢く虫たちの無感情な瞳がかき混ぜてくる。


 きっとこれは深海にいるような暗さと重さだ。すべてに平等に降り注ぐはずの光を遮るほどの深さと立ちあがることさえ許さない圧力で、すべてを闇に紛らわせて永遠の無に帰そうとする穴底。一緒にいるのは最低最悪のやつら。


 …………俺は死ぬのか? ここで、こんな穴底で虫たちに蹂躙されながら……。


 いやダメだ。ダメだ。そんなのはダメだ。俺は蛍や幸介と一緒に元の世界に戻るんだ。嫌なこともあるけど、あいつらとバカを言いあったりして過ごした穏やかな日常を取り戻すんだ。それに元の世界で『本物の猫耳メイドに悪人はいない』ことを広めなければならない。


 だから、ダメだ。こんなところで倒れていいわけがない。そうだろ?


 『ぐっ! まただ。今度は左足か……』


 激痛が走り顔を歪める。体と意識が乖離しているかのようだ。まるで自分の体でないような感覚のなかで味わう痛覚。本当に最悪だ。


 …………くそっ。もうダメなのか。


 無理やり異世界に連れてこられて、英雄なんてものにさせられて、この世界のすべてを知ることもなく、暗い穴底で虫どもに囲まれる最期を……。


 いやダメだ。ダメだ。俺はこの世界でも、元の世界でもやり残したことがありすぎる。言葉では言い表せないほどのことをこれからやらなければならないんだ。それに、蛍、幸介、キャサリン、レイラと皆でレウさんたちと一緒に戦って、この世界を生き抜くと誓ったじゃないか。


 だから、ダメだ。ここで終わるわけにはいかない。


 『うっ。またか。今度は右手みたいだな』


 さっきよりは痛くない。なぜだ。なんでだ。まさかすでに痛覚を感じる力さえ……。ここで終わるのか……。深い濁流の底で虫たちが俺の体を狙って蠢く煩わしい音だけを聞いて。イーニャたちの天使の調べとは対極にあり、比べることさえ憚られる不愉快なざわめきをこれでもかと聞かされて。


 いやダメだ。


『頼もしいナイトさんになったね。あたしを守ってね』


 黒髪の美少女が笑顔で俺に語りかける。戻らなければならない。絶対に戻らなければいけないんだ。本当の意味で彼女を守るなら戻って、もう一度あの笑顔に俺も応えなければ。苦笑でもいいから返さなければ……。


 だから、ダメだ……。


 それでもここにいるのが蛍でなくてよかった。それだけはよかった。あの一瞬で飛び込んだことを後悔はしていない。するわけはない。俺と違って蛍はこの世界の重要人物だ。どういう理由かは知らないが、俺たちが元の世界に戻るには蛍は無事であり続けなければならないんだ。


 元の世界が崩壊したら誰も戻れないからな。そう。そうなれば、もう両親とも妹の由紀とも会えなくなる。だから助けたことは、あの一瞬で飛び込んだことは後悔はしていない。後悔する理由はなにもない。


 なんだ俺は泣いているのか。もう無理だということを理解してしまっているのか。あきらめているのか。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。こんなに悔しいのに。こんなに否定しているのに。こんなにここに残らなければならない理由があるのに……。


 それなのに、それなのに。意識が、意識が…………遠のいていく。


 『くそっ。俺は最低だな……。ごめん。ほたる、幸介』


 それだけを頭のなかで言葉にした俺の意識はゆっくりと暗闇に飲まれていった。



 ちなみに達也が穴底で目覚めたこの瞬間は、レイラがラウラを助けに穴へと飛び込んだときであった。そして、達也の思いのなかで蛍が語りかけた言葉は「あたしを守って」ではなく、「みんなを守って」であった。



  ◆◇◆◇◆◇



 「敵が来るぞ!」


 「迎え撃て!」


 合同軍の北西の拠点。ラウラを穴から救出したレイラの耳に届いたのは、櫓の上で敵の襲来を告げ、迎え撃とうとしている兵士の声だった。


 落とし穴攻撃の開始とともに包囲網の1キロ先から飛び出した昆虫軍の部隊である。一部スズメバチたちも混じってはいるが少数であり、主力は止まらない弾丸イナゴ隊であった。


 攻撃がはじまってから拠点に次々と発生した落とし穴であったが、罠にかからなければという条件つきで地上にいる兵士は無事であった。


 敵の昆虫たちは落とし穴の横穴から出てきて、落ちた獲物に群がったからである。


 これでもかと執拗に、死してもなお容赦なく、命を、魂を、獲物が生きた痕跡さえも消そうとするかのような、人から見れば異常な狂気に満ちた攻撃であった。昆虫たちにとってはそれが当たり前であり、なんの感情もない作業であるのだが。


 無事であった地上の安全地帯が、今、イナゴ隊の襲来で危険地帯になろうとしていた。拠点全域にいる兵士が完全な攻撃対象となる。今なお落とし穴が増え続けるなかでイナゴ隊に攻められれば、避けることもままならずに穴底へと転落してしまう。


 ラウラを穴から救い出したのも束の間、そんな危機が目前に迫っていたのである。


 レイラが櫓の上の兵士たちに視線を向けると、櫓に逃げた者がいたのか7名くらいの兵がいて、敵の奇襲を受ける前に攻撃していた残りの矢を番え、迎撃態勢を取っていた。


 「くそっ。幸介!」


 危険が迫っていることを感じたレイラは幸介の方を向いて声を出していた。しかし、そこにいたのは背中に縄をまわして足を踏ん張っていたキャサリンだけであった。


 幸介は縄を体に巻いて命綱としてキャサリンに持たせ、達也がいる大穴の中に入って戦っていた。すでに黒い濁流の水位は大穴の2/3くらいまで上がってきている。


 幸介は腰まで濁流につかりながら上の方にある横穴にアレスの剛槌(アレースハンマー)の槍の部分を突っ込み、雷撃を放った。


 敵が丸焦げになったのか横穴から白い煙が上がり続けたが、それもしばらくすると奥にいて雷撃を逃れた昆虫たちが再び噴き出してきていた。それでも幸介は戦った。1匹でも敵を減らそうと武器を振るい濁流の表面を削るように戦った。


 敵を倒すだけなら大技を穴底へ向けて放てば殲滅できたが、達也が穴底にいては、それはできなかった。だからもう理屈ではなかった。とにかく達也を救うことだけを考えて体を動かした。武器を振るった。


 穴の中で必死に戦う幸介を一瞥したレイラは、穴の上にいるキャサリンに声をかける。


 「キャサリン、大丈夫か? イナゴ隊に気をつけろ。あたしは先にラウラさんを安全な場所へ。すぐに戻る」


 「了解でござる」


 キャサリンは歯を食いしばって縄を握り、穴のなかで戦う幸介から視線を外さずに応えた。レイラはふたりの様子を見て、身軽なキャサリンが戦うほうがいいだろうとは思ったが、幸介と達也の関係を考えて首を振った。穴の中では鬼気迫る勢いで幸介が戦っているのだからと。


 ただここでのレイラの判断は速く的確であった。今、ここにラウラを残しておいては戦うこともできないし、放置しておけばイナゴ隊の餌食になり、また穴に落とされてしまうかもしれない。とにかく先に皆がいるところにラウラを運ぶのが先決であった。


 レイラはラウラを背負い自分の命綱を引っ張って合図を送った。ダスティンがレイラが何をするかを理解し、手を挙げて手のひらを前から後ろに振る戻ってこいという仕草をする。


 『すぐに戻るからな』


 穴の上で踏ん張っているキャサリンに視線だけで語りかけ、レイラはラウラを背負ったまま大地を蹴っった。そして吹き上がる炎や新しい穴を避けながら森までの道なき道を進んだのであった。


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