237 大森林での死闘㉗ ~ラウラ救出~
【念のためのご注意書き】
作中の蛍のように、極度に虫が嫌いな方はご注意ください。
この戦いでは、ムカデ、毒蜘蛛、サソリ、スズメバチ、軍隊アリ、イナゴ(ワタリバッタ)などが登場します。
レウを救出していったんは拠点から森に退避し、大木を背にしてその根元付近で息を整えていたキャサリンとレイラであったが、視線は草原に取り残されている達也たちの方へと向いていた。
そのキャサリンたちの瞳に映ったのは、達也が落ちた穴からラウラが落ちた穴へと移動して、腹ばいになって穴の中へ手を突っ込んでいる幸介だけであった。
『はぁ、はぁ』と肩で息をしながらも視線を送り続けるキャサリンとレイラ。すると起き上った幸介がこちらを見て、『縄を持ってこい』と叫んでいるのがわかり、ふたりは顔を見合わせた。
「あっちだ。あっちにある! 嬢ちゃんたち行けるか?」
幸介の声に反応して叫んだのは近くにいたダスティンだった。すぐにふたりは黒い円が多数ありところどころに兵士が残る草原を見回しつつ、拠点の西側の縁に櫓を立てたときの残りなのか、縄が散乱しているのを視界に収める。
「レイラ!」
「ああ。行こう!」
ダスティンには応えず、すぐにふたりは動きはじめた。森伝いに縄がある場所へと木の枝などを利用し、ふたりはひょいひょいと飛びながら進んでいく。
「おい。お前も一緒にこい!」
ダスティンは傍にいた仲間の傭兵の腕を掴み、ふたりの後を追って森のなかを駆けだした。幸いにして昆虫軍の落とし穴攻撃は木の根が多い森のなかまでは届いていなかった。いや、昆虫軍でも大木の木の根を切り崩して落とし穴として利用するのは無理なのかもしれない。
そうこうしているうちにキャサリンとレイラは目的の場所まで移動し、散乱していた縄を集める。昆虫軍は拠点の中央部分にいた兵士たちを順に狙って攻撃していたため、ふたりが着いた西側の縁付近の大地は崩れてはいなかった。
兵たちは最初に攻撃を受けたときに逃げたのか、仲間を助けにいったのかはわからないが兵がいなかったために無事だったのかもしれない。昆虫軍は的確に兵士たちがいる場所の足元を狙っていたのである。
「おい。自分に巻いてそれを寄こせ」
「わかった。命綱だね」
「ああ。急げ!」
ふたりに追いついたダスティンが提案した言葉をすぐに理解したのはレイラであった。レイラは丸まっていてはっきりはわからないが、おそらく50メートルくらいはある長めの縄の端を自分の体に巻きつけて固く縛り、もう片方の縄の端をダスティンに渡す。
レイラとダスティンが交わした言葉で理解したキャサリンも同様にして、縄の端をダスティンに渡した。
「おい。お前はこれを持て! 絶対に放すんじゃねーぞ。じゃあ頼んだぞ。嬢ちゃんたちの命は俺たちが守る」
「ふっ。ありがとう」
「お任せしたでござる」
ダスティンが連れてきた傭兵にキャサリンの縄の端を渡して指示すると、傭兵は静かに頷く。それから真顔のままでダスティンはキャサリンたちを気遣う言葉を投げた。その様子を見てふたりで顔を見合わせてから、レイラは口元を緩めて礼を言い、キャサリンは笑顔で応える。
「俺たちはあっちに戻るからな」
ダスティンは皆が退避している大木が密集している場所を顎で指しながら、ふたりに伝えた。レイラはすばやく頷き、いったん目を瞑り、勢いよく前を向き気合いを入れてから幸介の状況を気にして見つめていたキャサリンに声を掛けた。
「よしっ。行くよ。キャサリン!」
「了解でござる!」
どれくらいの長さの縄が何本必要なのかはわからなかったが、それぞれが20~30メートルはある縄を丸めて肩に担ぐと、黒い円に侵されて続けている草原中央へ向けて飛び出す。瞬間キャサリンとレイラがいた大地が音を立てて崩れていく。
そして次の瞬間ひとつの黒い円が火を吹き、驚いたふたりは一瞬止まったが、もちろん巻き込まれるようなことはなかったし、それが何であるのかもすぐに理解した。昆虫に蹂躙された一兵士の最後の抵抗である。
顔を見合わせるふたり。眉間に皺を寄せながらも同時に頷いてから前を向き、幸介の下に走る。
そのあとダスティンともうひとりの傭兵は、縄を丸めて腕を通して被るようにして体に巻きつけ、ふたりが離れていく分だけ縄を緩めて出していくという作業をしながら、元の場所に戻ったのであった。
◆◇◆◇◆◇
キャサリンとレイラが数回足元を崩され、ときたま発生する黒い円の爆発も自慢の脚力と命縄を上手く使って逃れ、ようやく幸介の下に辿り着いたとき。幸介は、ふたつの大穴をいったりきたりしながらもかなり焦っていた。眉を吊り上げながら憔悴していたというのが正しいかもしれない。
もちろん理由はひとつで、昆虫軍が攻撃の手を休めることなどなく、時間の経過とともにふたつの大穴の状況が悪化していたからだ。
「幸介!」
「幸介さん!」
ふたりの声に気がついた幸介はすぐさま近寄って、縄を取ろうとする。
「縄を貸せ。俺がラウラさんを助けにいく」
「待って。あたしが行く」
「あっ?」
キャサリンから縄を受け取ろうとした幸介の腕を止めたレイラの瞳には、穴の中で黒い濁流から伸びている2本の太い手の上にスズメバチたちが群がっている物体が見えた。苛立っていた幸介はレイラの言葉を無視してキャサリンから縄を奪い「ここを持っててくれ」と一部を持たせて、乱暴に縄の端を手に巻こうとする。
「あたしのが速い! はっ!」
「おいっ」
そう叫ぶとレイラは自分の命綱の一部を幸介に手渡して大穴へと飛び込んだ。するすると伸びた縄は、レイラが黒い濁流に飲まれる前に力を込めた幸介によって丁度いい具合のところで止まり、しっかりと張られた。
レイラは縄を掴んだまま足でスズメバチたちを払いのけ、黒い濁流を足蹴にしながらラウラの体を抱きあげる。その瞬間、昆虫たちの濁流のなかで大きな目が光り、そして静かに閉じられていくのが見えたような気がした。
ただ、獲物を取られたスズメバチたちは狂ったようにレイラに襲い掛かかり、そちらに注意を払わなければならなかったので光った目の方を見続けることはできなかった。
スズメバチの強襲を体を使って振り落とすように避けて上を向くレイラ。穴の上までは2メートル強あったが、レイラはラウラを背負って片手で支え、片手で命綱を強く掴んだ。
レイラには濁流に飲み込まれているのがゴドルフだとはわかってはいたが、穴のなかでラウラを背負ったままでは戦えるわけもなく、襲ってくるスズメバチたちから逃げること、このままラウラを助けることしかできなかった。
幸いにして防護服があるためにレイラの体にはスズメバチたちの毒針が届くことはなかったが、いつ毒針にやられるかと不安になるほどスズメバチたちの攻撃は容赦はなかった。
当たり前のことだが、忌まわしい羽音と時折「カチカチ」と音を立てて旋回する敵にラウラはもちろんレイラも抵抗できる態勢ではなかったのである。
「上げて!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
穴の縁から中を見ていた幸介に大声で合図を送り、上から引っ張られると同時に壁を蹴ったレイラは、ラウラを背負ったまま穴から脱出した。
一瞬で穴から消えてしまった獲物についてきたスズメバチもいたが、それは少数であった。多くは消えた獲物よりも、取り残されたように残っているゴドルフの手に群がり攻撃を再開していた。
レイラとラウラについてきた少数のスズメバチは、すぐに上で待ち構えていた幸介とキャサリンに処理されて果てている。
「ラウラさん。ラウラさん」
ラウラを地面に降ろして上体を抱えたまま声を掛けたレイラであったが、ラウラは返事をしなかった。しかし、レイラが見た限りでは昆虫たちに防護服を破られたあとはなく、胸に耳を当てて心音を聞くと微かな息使いを感じて、レイラはひとつため息をつく。
ほっと一息ついたレイラの瞳に映った防護帽の奥に見えるラウラの顔。そこには軍人ラウラの面影はなく、深い休息を取るために目を閉じている美しいお姉さんがいたのであった。