236 大森林での死闘㉖ ~猛攻~
【念のためのご注意書き】
作中の蛍のように、極度に虫が嫌いな方はご注意ください。
この戦いでは、ムカデ、毒蜘蛛、サソリ、スズメバチ、軍隊アリ、イナゴ(ワタリバッタ)などが登場します。
合同軍の七星がいた北西の拠点で幸介が達也とラウラを救出しようとして、キャサリンに助けを求め、大声で縄を持ってくるように指示を出した。
そして、そのあと北西の拠点では、達也とラウラの救出に向けて時が流れていくのだが、ここからは先に同時に進行していた他の拠点での戦いや状況について触れていく。
合同軍の七星がいない各拠点でも、次々と絶望の大穴が空き、兵士たちは次々と飲み込まれていた。落ちた先では無数の横穴から獲物を狩る昆虫の大群が噴き出てきては、兵士に襲いかかる。
穴に落ちて気を失った兵士は、すぐに白い防護服を黒に染められ、やがては黒い濁流に飲まれたごとく次々とうねって、押しのけて、突撃してくる昆虫たちの餌食になる運命しか残されていなかった。
穴に落ちても戦う姿勢を見せる兵士たちもいたが、周囲360度を敵に囲まれ、上下からも次々と襲来する敵をさばくことなどできず、足元から腰、胸へと凄まじい勢いで水位を上げてくる黒い濁流のなかでは、やがては頭まで覆われてしまう。
穴が昆虫たちで埋まるまでの間というか、兵士が頭まで覆われる途中で、足掻いて敵を倒したというか数百匹を潰したりした者もいたが、結果はすべて同じであった。
対昆虫軍の防護服がなければ瞬殺された状況で、それでも数分寿命が延びただけで命運は尽きていて、運命は同じということである。
その後、兵士たちの頭までを完全に覆い、落とし穴の容量をすべて埋め尽くした昆虫たちが攻撃の手を休めることはなかった。すでに獲物とは接触できない状態なのに、それでも目の前にいる同胞を押しのけてエサに齧り付く獣のような勢いで、獲物を目指して草原や大地を汚した黒い円という穴の入口に突入していく。
やがて穴はパンパンになり容量を超えても突入を試みるが、物理的に無理な状態で昆虫たちが溢れだしていく。昆虫たちの執念にも似た行動、獲物に一噛みしようと再び穴に戻ろうとする動きは、これがクイーン将軍から命令を受けている昆虫たちだとしかいいようがないものだ。それは本能さえも凌駕しているものであった。
昆虫たちにとってはすでに同胞たち、つまりは蠢く黒い濁流に埋もれている兵士の下にたどり着くことなど不可能なことなのだが、それでも彼らの進撃が止まることはなかった。知性のある者なら、穴を囲んでしばらくは様子を見る、あるいは矛先を他へ移したことだろう。
しかし、彼らは突撃する。一心不乱に突撃する。突撃すること以外は、どんなことも意味を持たないかのように戦うのである。
大小の差がありすぎて比べられるものではないが、昆虫たちが都市の城壁から溢れたブラッド・リメンバーと同じように獲物を逃さず、苛烈に、過剰に、徹底的に攻めて兵士たちを仕留めていったのだ。
時間の経過とともに運よく穴に落ちなかった兵士たちも無事では済まなかった。
各所の穴から溢れ出た昆虫たちは、1匹がターゲットを変えればそこに新たな獲物へと繋がる道ができ、そこへ群がった。周囲に昆虫たちが溢れている真っ黒な円があり、いつ自分の足元が襲われることになるかもしれないなかでは、拠点に留まった兵士たちが昆虫たちに群がられて倒されるのは時間の問題であった。
特に最初から上空からの弾丸、イナゴ隊に襲われていた、南東、南、南西の各拠点は均衡しているとさえいえた激戦のなかで落とし穴攻撃に見舞われたという最悪な状態になっていた。
イナゴ隊と戦いながら、足元の落とし穴を避けるのは至難の技だ。イナゴ隊に突撃され、身を低くしたまま次々と兵士は大穴に落ちていった。
イナゴ隊とは勇敢に戦っていた白狼たちやキャット・タウンの兵士たちも落とし穴での攻撃がはじまってからは、その身体能力の高さを活かす間もなく昆虫たちの餌食となっていったのである。
◆◇◆◇◆◇
「ぐぉぉぉぉーーー」
「ちくしょぉぉぉぉ」
「ふざけるにゃーーーーー」
「ぎゃーーーーー」
「助けてくれーーーー」
阿鼻叫喚。
各拠点で逃げまどう兵士たち。足元というあまりに近い場所から一気に姿を現した昆虫の群れに襲われた兵士たちに打つ手はなかった。
「ぐはっ」
「がはっ」
「く……そ……」
「ちくしょう!」
やがて断末魔の叫び声とともにいくつかの黒い円から盛大に火の手が吹きあがった。同時に爆音が響き渡り、大地を覆う黒い塊が波打った。
兵士たちが持っていた爆弾で自爆した結果だ。兵士たちは最後の切り札ともいえる自爆を、予想もしていなかった穴底で目の前を蠢く昆虫たちのおぞましい姿を見ながら使うことになる。
かつてない悲惨な戦場で、満足に戦うことも許されずに兵士たちは次々と昆虫たちの餌食になっていく。陽光で輝く緑の草原や薄茶色の大地は地獄絵図のように各所で昆虫たちが蠢き、火の手が上がり続ける。当然、昆虫たちも爆発に巻き込まれて粉々になったものもいるのだが、それでも生き残っている大群が動ける兵士たちに容赦なく群がっていく。
こうして、各拠点は、落とし穴から溢れた軍隊アリなどの昆虫と、少し遅れて空中から飛来するイナゴ隊によって次々と蹂躙されていったのであった。
落とし穴攻撃がはじまってからおよそ1時間で、各拠点はその機能を失い、拠点は草原の緑や薄茶色の大地を残さずに全体を黒く染められる。そして、合同軍は空と地下から敵が拠点に侵略した分だけ犠牲者の数を増やし続けていったのであった。
大森林での死闘で実行されたこの昆虫軍の攻撃は、まさに苛烈であり、速攻であり、抗い難い猛攻であった。
◆◇◆◇◆◇
「これよ。これ。くぅぅぅぅぅーーーーーーー。なんて、なんて幸せな光景なの。素敵。そうよ、そうなの。世界はあたしを中心に回っているのよ。ジャック、ブラウン、見てる! 見てるわよね。あたしが、あたしがボロボロにされて……、地下に潜って、暇を持て余したのを我慢して……。ここまで、ここまで待って、待って、待ち望んだもの! やっと、やっと手に入ったわ。はぁ。はぁ。はぁ」
合同軍への総攻撃の成功を遠い洞窟の地下深くで感じ取ったクイーン将軍は、恍惚の表情でガッツポーズを繰り返していた。
すでに歓喜の涙をボロボロと零しながら、足をドンドンしながら、周囲をとび跳ねながら、クイーン将軍は体の奥底、心の奥底、魂の中心から溢れる喜びに包まれていた。
「バカどもがあたしを笑わせるために作った8か所の拠点。クフフフ。そう。そのすべてをあたしたちの色で染めるのよ。邪魔者はすべて排除しなさい。そう。そうよ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと噛んで、刺して、地獄の苦しみを与えてやるのよ。終わることのない苦痛と絶望を魂に刻み込んであげなさい。フフフフ。そして後悔させるの。あたしに盾ついたことを。あたしたちに刃向かったことを。はぁ。はぁ。いい。いいわぁーーーー」
勢いよく両手を広げて天を仰ぐクイーン将軍。溢れる嬉し涙は流していることさえ自覚していない。口元を醜く歪め口角を上げる彼女たちならではの満面の笑み。人類にとっては醜悪としかいえない表情で、クイーン将軍は「クフフフフ」と笑う。
「すでに黒髪も茶髪も穴のなか。もう何もできないでしょ。クフフフフ。これが、あたしたちの戦い方。忘れさせられていた戦い方よ。あーーーーーなんて清々しいこと。なんて素敵なこと。世界はあたしのためにある! あたしこそ、あたしこそが全知全能の女王様よ。あふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
自分の言葉に酔いしれ身をよじりながら恍惚の表情を浮かべるクイーン将軍の傍では、スズメバチや軍隊アリなどが狂ったように羽音を立て、顎を打ちならして動き、蠢き回っていた。
それはまるで昆虫たちの戦勝を祝う宴のようであった。
ただ、クイーン将軍は知らなかった。七星のひとり紅達也によって、仇である黒髪の女が穴に落ちずに救われたことを。穴の中ではあるがゴブリン王ゴドルフによって、茶髪の女が守られていたことを。
クイーン将軍は配下の昆虫が見たものを正確に把握できる能力を持っていたが、それはクイーン将軍が意識してこそのものであった。つまりひとつの場所からしか情報は得られず、大地が崩れて狙っていたふたりの女が態勢を崩し穴に落ちそうになったときまでは注意していたが、そこで勝ったと喜んだクイーン将軍は、総攻撃していたために他の場所へ意識を移してしまっていた。
クイーン将軍の隙をついてというわけではないが、そのわずかな時間のなかで達也が蛍を穴から救い出し、ゴドルフがラウラを抱えたのであった。